チヨコレヰトの誘惑
「なにしてるの、そんなとこで」
 愛車の鍵をちゃりちゃりと鳴らしながら回していた尚人の視界に、怪しげな行動をとる若衆が飛び込んできた。
 なにをしているのか、三雲組総本家の中庭にあたる場所で小さなダンボールを囲んで相談をしているようにも見える。そんな場所でとか、その中身はなんだとか、全てのものが気になった尚人は廊下から降りると近寄ってそう言ったのである。
 大よその検討もつかない。若衆を纏める若頭というポジションについていながら若衆の行動に気付けないとはなんたるものか。そう思ったのも一瞬で、嬉しそうに振り返った若衆たちに尚人は一瞬で興味を失った。
(なんだ、隠しごとじゃないみたいだね)
 言いたくてうずうずしているのであろう若衆は皆で目配せすると少し横に移動し、尚人にもダンボールの中身が見えるようにしてくれた。
「若、これっす! 今度三雲組直営店のソープでイベントやろうってことになってネットでいろいろ取り寄せたんすよ」
「若知ってましたか!? 今じゃいろんなパッケージとかあって、味とか香りとかそんなのもあるんすよ!」
「なんつーか、薄いだのイボだのゼリーだの、そんだけじゃなかったんすね……」
 嬉々として矢継ぎ早に入ってくる情報に尚人は適当に頷きながらダンボールを覗き込んだ。なるほど、確かに種類ばかりはたくさんある。
 だがソープのイベントにこれが必要なのか。そもそもソープではこれを使用していなかったのか。これはどんなイベントになるのか。そういった疑問点は尚人の範疇外で、特に積極的に力を入れている訳でもなく若衆に任せていたのでどうでも良く。
 ああそうだ、いうなれば興味だろう。興味しかない。尚人は自分勝手な興味だけでダンボールに手を伸ばした。
「ねえ、これ一個もらっても良い?」
 若衆のボスである尚人の些細なお願いを断れるはずもない。それがなにに使用されるのか知っている若衆は下手に突っ込むことができず、嬉しそうにポケットにしまい込んでその場を去った尚人を心持ち赤面した表情で見送るしかなかった。
 だってあれは所謂そういうことに使うもので、そうなれば尚人の恋人といえばあの人な訳で、そうするとあれはそういった風に使われるのであって、という危ない妄想ばかりが掻きたてられていくのであった。

 それから数日後の夜、忙しい忙しいばかり言うつれない恋人にきてくれなければ別れると脅迫めいたことを言いいつもの場所に呼び出した。清滝組本家が経営する最上級クラスのホテルのスウィートルーム、いつしか尚人と迅のためだけに存在するようにもなった。
 皺になったスーツ、よれよれの髪の毛、荒い息を吐きながらほんの少しやつれた迅が尚人の待つホテルの部屋の扉を開いた。
「遅い!」
 激が飛ぶものの、それに返事をする余裕もないようだ。迅はネクタイを緩めるとソファへどかりと座った。
「尚人……いい加減我儘はよしてくれ」
「僕が悪いっていうの? 迅が僕を放置するから悪いんでしょ。っていうかなんでネクタイ?」
「ああ、表の方の会社に顔を出してきたんだ。一応肩書きがあるからな……そっちの方の商談だ」
「迅ってば最近働き過ぎじゃない? 老けたね、フフ、男前が台無し」
 珍しくも機嫌がよろしい尚人は葡萄ジュースをテーブルに置くと、迅へと近寄りソファに座った。横暴な手段で呼び出された迅もそこまで機嫌を損ねている様子もなく、苦笑すると尚人の頭部に手をかける。
 迅が多忙になった所為で会えなかった期間は時間にすると一週間と二日だ。その前に尚人の方こそが忙しいとばかり言って会うことをしなかったくせに、それを棚に上げて迅を責めるのだから本当に困った恋人だ。
 だけどそんなところでさえ愛おしく思える程に迅も大概尚人には甘い。なんだかんだいって久しぶりに顔を合わせれば疲れもぶっ飛んで、手放したくなるのが本音。だからこそ多忙の中で会いたくなかったのだ。会ってしまえば、今度は離れ難い。
 見つめ合うこと数秒、誘うように揺れた唇が合図で二人は久方ぶりのキスをした。
「あ、ん……ね、迅? 見せたいものがあるんだけど」
 キスを取り交わし、空いた隙間を埋めるようにセックスに傾れ込むのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。
 だけどいつもと違って尚人はソファに押し倒された際に迅に待ったをかけた。
「……後にしろ」
「フフ、だーめ。これ、ねえ、これ使って」
「あ? お前……これ、……買ったのか」
「若衆にもらった」
 尚人から手渡されたものを見て悩むこと少し、どの道今は必要がない。迅はきらきら輝く尚人の目を見て緩く笑むと、それをポケットにしまい込み尚人の身体を深くソファへと倒した。
「あ、や……っ」
 突っぱねようとした尚人の手は迅に捕まって、抵抗ができなくなる。首筋にかかる迅の髪がくすぐったい。赤い舌を出してシャツの上をなぞる迅を尚人はただ見つめた。
 胸がばくばくと煩い。薄いシャツ越しに乳首を舌で突かれて、尚人はひくりと震えた。
 なにもなかったシャツの上に薄っすらと尖って出てきた乳首が存在を主張する。目に痛い光景は尚人には羞恥にしかならなくて唇を噛んだ。素面でするセックスは、やはり恥ずかしい。セックスに持ち込む行為や、襲ったり、誘ったり、そんな類のことをするのが好きな尚人はとことん攻められる方に弱かった。
 主導権を握れないことはこんなにも不安になる。セックスそのものに恐怖を植えつけられている尚人は、迅だからこそこんなにも乱れて抗って全てを曝け出してしまう。
「じ、迅……それ、や……」
 白い歯がシャツに浮かぶ乳首を噛んで、唾液でそこを濡らす。硬く尖ったそれをいつもより甘い愛撫で刺激してやれば尚人は堪らなげに喘いだ。
 最初こそ身体を捩じって愉悦から逃げ惑っていたが、次第にことが深くなると胸を突き上げて迅の唇に擦りつける。
「は……っぁ、あ、……ぁ」
 要望通り迅がそこを強く吸えば、尚人は過敏になって背を反らす。濡れたシャツが張りついたさまがまた艶美で、迅は執拗に左の乳首ばかりを食んでは歯を立てた。
「なあ、尚人? 久しぶりだから優しく抱いてやろうか。それともお前は激しい方が好きか?」
 漸く乳首から唇を離した迅は尚人の耳元で擽るように囁く。耳を襲う抗えない微弱の電流に色を吐くと首を振った。
「言葉にしなきゃわからないだろ。尚人、ほら、どうしてほしい?」
 指先で唇を突けば、尚人にきっと睨まれる。涙が混じった瞳が酷く扇情的でどうにかしてやりたい衝動が湧く。
 いつもは我儘言いたい放題で、たまに迅を押し倒したりして翻弄するのが大好きな尚人は、やはり褥のことになると滅法弱くそしてどろどろに溶かされる。過去のことが一因になっていようとも、元より純な尚人はそれだけで借りてきた猫のようだ。
 今日とて忙しい仕事をなんとか大急ぎで纏め、空いた時間を全て尚人に投げ打ってここへときた。迅だってそれほどには尚人を欲してはいたし、そろそろ呼び出されるであろう予感だけはしていたからこうやっていられるのだけれど。
 黙ったまま尚人は頬を染めると、長い睫で影を作った。
「まだここの刺激が足りないのか?」
 唐突に迅は再び乳首に触れた。既に弄られ過ぎているそこは赤く熟れているのだろう。シャツ越しではわからないが尚人の大袈裟な反応を見るとそうに違いない。むしろ痛みすらあるようだ。
 切ない嬌声が部屋に響いて、尚人は目をぎゅっと瞑ると迅の手の甲に爪を立てた。
「い、いきたい……」
「激しく?」
「迅!」
「我儘だな?」
 笑って迅は尚人の唇に口づける。そのまま手を滑らせ尚人のベルトを引き抜くと、ズボンとパンツに手をかけた。
「ほら、腰上げろ」
 嫌がる尚人を押さえつけて全て脱がしてしまえば、上半身は着乱れたスーツのまま下半身が裸というなんともマニアックな姿になった。かなりそそられる。
 迅は尚人の太股と撫ぜると、ちゃっかりと勃ち上がった性器を指で弾いた。
「あ、ぅ……っ」
 甘い声が吐き出される。待っていた悦を拾い上げた尚人は迅を誘惑するように甘えた視線を寄越した。
「残念だな。そっちはまだお預けだ」
 迅はポケットからハンドクリームを取り出すとてのひらに適量出し、性器の下にある奥ばった箇所に塗りたくるように触れた。
 もう何度も慣らされその味を覚え込まされた尚人といれど、やはり最初の圧迫感にだけは慣れそうにもない。ぐっと押し入ってくる指の感覚に唇を噛んでやり過ごした。
 ハンドクリームのお陰かスムーズに中へと侵入を果たした指はゆるりと蠢くと内壁を掻くように刺激し始める。むず痒い感覚がそこから這い上がって、尚人の身体を支配していった。
「じ、っあ、ぁあ……迅、じんっ……や、や」
 尚人の身体が馴染むよりも前に指の勢いが増してがつがつと攻めるように中を這いずりまわった。激しい快楽に引きずられた尚人は強制的なそれに涙を浮かべるとソファに爪を立てる。
 頭上では楽しそうに唇を歪ませて尚人を見つめている迅。本当にこういうときばかり生き生きとしている。普段迅を虐げている尚人は形勢が逆転してしまっているこの瞬間こそが、どうしようもなく気持ち良いのだと知っていた。
 もっと、もっともっと、頭が可笑しくなるほどに攻めて壊して追いつめてほしい。
 優しく甘く、そんな抱き方をしなくても尚人は壊れない。頑丈だ。強く激しく、なにもかも忘れるくらいに、記憶の断片ですら全て迅で塗り替えてほしい。
「あーっ……! ぁ、あァ、あ……くっ」
 迅の指が良い場所を掠めて、ぎりぎりの線引きで焦らす。頭を振って腰も振って、浅ましくも強請ればお望み通りそこを刺激してくれた。だけどあまりの強い快楽に頭が飛んでしまいそうだ。
 尚人は馬鹿みたいに喘ぐと、爪先を伸ばして愉悦に溺れた。玉のような汗が額に浮かんだのがまるでなにかの合図だったかのように、迅は動きを止めると指をずるりと引き抜いた。
「尚人、俺がほしいか」
 意地悪くそう聞けば、尚人は荒い息のまま小さく頷いた。中途半端な熱に支配されたままの身体が痒くて熱くて仕方ない。羞恥よりも早く繋がってしまいたかった。
 なのに迅ときたら尚人の両腕を引っ張ると、起き上がらせてとんでもないことを要求するのだ。まるで尚人が別れ話を匂わせて呼び出したことの復讐のようでもあって、尚人は容易に言ってしまった言葉を後悔した。
「俺のポケットに入っているもので俺のことを誘ってみろよ。それが目的で持ってきたんだろう」
「ハ、……嘘でしょ……」
「できないのか?」
 尚人はむっと顔を顰めた。引き下がれば負けたような気になるではないか。迅のポケットに手を突っ込むと目的のものを引っ張り出した。尚人が若衆から一つもらったものだ。迅と一緒に使おうと思った。余興だった。こんなものなくたって良かったけれど、ほんの少し試してみたかっただけなのだ。
 てのひらには甘い匂いがするコンドーム。セックスの際に用いるそれはチョコレイトの香りのものだった。
「迅ってばほんと悪趣味!」
「お前に関してはな」
 ご丁寧に尚人の目の前でズボンを寛げパンツをずらし、既に勃起した性器を取り出してくれた迅の要望に応えるために尚人はぺりりとコンドームの封を開けると中身を取り出した。
 茶色で甘ったるいチョコレイト風味の香り漂うそれ。実のところ、尚人はこれを使うのが初めてだった。
 例の一件以外で尚人は誰ともセックスをすることもなく生きてきて、迅がある意味では初めての相手だった。キスもセックスも恋の仕方も全部迅が教えてくれた。与えてくれた。だから迅が教えてくれなかったことは知りもしない。
 風俗街を纏める仕事をしていても業務内容まで監視する訳ではないので、尚人はなんとなくの知識でしか知らなかった。少し慣れない手付きながらもそれを迅の性器に被せるとゆっくりと下へとおろした。
「へたくそ。でも可愛いな、そういうところ」
 迅の指が尚人の頬を擽る。口まででかかった文句がどこかへと飛んでいった。
「で? なんでこれしたかったんだよ。俺は生の方が好きだ」
「なんとなく。だって楽しそうだったし、ちょっとした興味? フフ、たまには良いでしょ。チョコレイトの匂いも。……っていうか味もチョコレイトなの?」
「さあ? 舐めてみるか?」
 おそるおそる尚人は上半身を屈めてコンドームの被さった性器をぺろりと舐めた。匂いに期待しては裏切られるような味だ。ゴムと良くわからない変な甘い味、尚人は顔を顰めると直ぐに口を離した。
「不味い! なにこれ、全然チョコレイトじゃない!」
「あー今のキた。早く突っ込みてえからここに腰おろして」
 尚人を引き寄せた迅は座ったままの体勢で尚人を膝の上に乗せると、勃起した性器を後孔へと擦りつけた。お互いの顔を見ながらセックスができるなんて素晴らしい体位だ。実のところ尚人も迅も対面座位が好きだったのである。
 ぐ、ぐ、と後孔を押してばかりで入ってこない迅の動きに焦れったくなった尚人は迅の性器を掴むとゆっくりと自ら腰をおとして性器を受け入れた。
 太い先っぽが中へと侵入してくる。いつもと違う感触に尚人はいやいやと首を振ると短い息を吐く。
「迅、な、んか……変……」
「薄皮一枚ある感じだろ。生の方が尚人を感じられるから二度目はなし」
「ん、……うん」
 身勝手な言い分でも確かに生の方が迅と触れ合っている感じがして尚人も好きだ。女ではあるまいし妊娠の心配もなく、病気も有り得ない。もし病気にかかれば迅の首が吹っ飛ぶだけだ。浮気は断じて許してないのだから。
 後処理が楽なだけが利点のコンドームは尚人には合わなかったらしい。楽しい思いは挿入する前までだけで、いざつけてヤってみればなんだか寂しいような気持ち悪いような。
 おさまりが悪いといった風に尚人は唇を尖らせて迅の首に手を回し口づけた。
「ねえ、迅早くイって。ゴムとってセックスしよ」
「へえ尚人がそんなこと言うなんて珍しいな。俺は大歓迎だけど」
「フフ、たまにはね? 僕だって迅とセックスしたくない訳ってことでもないんだから」
 ぐ、っと腰しに力を入れて迅の性器を締めつける。この甘えるような技も迅に仕込まれたのだ。
 鼻腔に残った微かなチョコレイトにあてられたことにでもしておこう。尚人はゆっくりと腰を上下に振ると律動を開始し始めた。限られた逢瀬の中で睦み合う、長いセックスの始まりだ。
 時計の針は未だ十二時にも満たされず、シンデレラもまだまだお城に滞在中。あとどれくらいこうして口づけあって貪り合って腰を振って、そうして愛することができるのだろうか。
 なんたって迅は仕事の真っ最中で、こうして逢引しているのも限られた枠の中。嗚呼きっと、短針が下がる頃には潜った扉を再び抜けて帰ってしまうのだろう。
(ちょっと、寂しい? フフ、僕ってばほんと駄目な大人)
 甘い甘いチョコレイトの香りに催淫剤でも混ぜておけば、迅はきっと朝まで尚人を離さなかったかもしれない。ずっと抱きしめてくれていたかもしれない。もしくは唇を塞いで溶けていたのかも。
 だけどそんな効能が都合良くあるはずもなくて、チョコレイトの誘惑は見事に失敗。だけども数時間だけでも効いたというべきか。
 尚人は迅の背中にぎゅうと爪を立てると、わざとらしく喘いで深い爪痕を残した。これでマーキングも済ませた。羽ばたいた迅はどこへでも行ってくれて構わない。
 そう、だけどここに戻ってくること。それだけは譲れない論理でもある。尚人は欲に塗れた迅の瞳に映る赤く喘ぐ自分の姿を見て満足そうに笑んだのである。作戦は、とりあえず成功だ。