昼も夜も
 仕事だって意気込んで行った先で、今日は休みだ! と宣言されたら人はどんな行動をとると思う? 僕? 僕はね、そうだね、恋人に会いに行くかな。
 どんな恋人だって? フフ、世界でいちばん良い男。もちろん僕の次にね。僕がいちばんだってことは絶対譲れないし譲るつもりもない。
 ってな訳で突如休暇をもらった僕は、やることもなく暇を持て余していたので恋人である迅に会いに行くことにした。でも迅ってば忙しい忙しいばっかりで、全然取り次いでくれないんだよね。そりゃ清滝組も年がら年中暇ってこともないんだろうけど。
 取り敢えず夜にちょっと会ってくれるみたいだから、それまでどっかで暇を潰そうかな。
 一応僕だって三雲組っていう関東二大勢力の広域指定暴力団の跡取りでもあるんだよ。若頭っていうポジションでね、肩書きは格好良いかもしれないけど実際は激務も良いところ。
 名があるだけでほんとやってることっていえばそんな大したことでもないし、若造だからって重鎮にはなめられてるし、まあそれなりに期待あってのものっていうのもあるんだろうけどさ。
 ああやっぱりやめやめ。せっかくの休みだ。仕事のことは忘れる。そう、もう忘れた!
 僕は中毒と化しているアルコールを片手に、迅と会う時間までぷらぷら遊び回ることにした。さあて、まずはなにをしよう。

―AM10:23 四柳&ポチの場合―
 取り敢えず本家を出ようと思った僕は愛車の鍵をちゃりちゃり鳴らしながら廊下を歩いた。いつもなら四柳が運転してくれるんだけど、たまには僕が運転しようかな。運転できないって思われてるみたいだけど、僕だってやれば運転くらいできるんだから。
 まあちょっぴり久しぶりだから自信はない。ま、犬にさえ見つからなきゃなにしても良いでしょ。
 僕の愛車見たことある? メルセデス・ベンツの白。もちろん左ハンドル。ドイツ車ってスタイリッシュで格好良いでしょ。僕にお似合いっていうか誂えたみたいだし。迅は国産車しか乗らないんだってさ。ほんとあいつ趣味悪いよね。
「坊ちゃん? どこかへお出かけですか?」
 本家の玄関から外へと一歩踏み出せば所用でもあったのか、四柳がポチを連れて向かい側から歩いてきた。仕事の帰りかなにかかな。
 四柳は僕のスケジュールを把握してるけど、僕は四柳のスケジュールを把握していない。ポチも然りだ。まあポチは僕の犬だからある程度は知ってるけど。
 そういえば今日休みになったって四柳に教えたっけ? こてり、と首を傾げれば四柳は目尻を下げて優しく笑んだ。
「ああ、親父から聞いたんですが休みをもらったそうですね」
「そう! だからね、ちょっと出かけてこようと思って。フフ、一人で行っても良い? GPS持ってくし」
「結構ですよ。私はこれからうちの組の方に顔を出しに行かなくてはならないんで、お供できずにすみません。ポチは自宅待機でよろしいですか?」
「えー! 尚人様〜俺も連れてってくださいよー! たまには尚人様とお出かけしたいです!」
「だめ。ポチの面割れ困るし。フフ、清滝組関係の用事だからね」
 ちゃりちゃり、鍵の音が鳴る。ポケットに忍ばせておいたスコッチを器用にも片手で蓋を開け喉に流し込めば、かっと喉を焼く熱さと染み渡るアルコールにうっとりとしてしまう。ああ、幸せだ。これがないと生きていけない。
 量が少ない小瓶タイプだから、このペースじゃ直ぐに飲み干してしまいそうだな。なんて楽観的な考えで味わっていれば、般若のような顔をした四柳にスコッチとベンツの鍵の両方を奪われてしまった。
「坊ちゃん! あれほどアルコールは薄めて呑んでくださいと再三煩く言っておいたのにこの様ですか! お医者様にも口すっぱく言われているのを覚えておいでではないのですか!? この後、雲見病院の要さん個人に特別予約とっておくので顔を出して説教でもされてきてください! 一度きつく言われないとわからないみたいですからね! それと、アルコールを呑んでの運転はヤクザといえども絶対に許されることではないのでご遠慮くださいね! 足なら用意しますんで!」
 早口言葉で淡々と、そう捲くし立てた四柳の言葉に反論できるほど僕も立場が強い訳ではなく、いつだって四柳には迷惑をかけてばかりいるのでどうすることもできない。こうなれば四柳の言うことを聞くしかないのだ。
 唖然としているポチを尻目に凄んで返事を待っている四柳の視線に耐え切れず、僕は渋々と頷いた。
 ああ、しまった。せっかくの運転のチャンスを逃してしまったじゃないか。まあでも運転に自信がなかったから良いかな、って四柳なんて言った!? 要だって!? 冗談じゃない! 要に怒られるじゃないか!
 呑んだアルコールが直ぐに消える訳でもなく、僕はアルコール臭いまま強制的に雲見病院に行かされることになったのであった。

―AM11:31 要の場合―
 いつだって目立ってる自覚はあったけど、この場所だと更に目立つよね。ハーフ顔の白スーツの男が、平日の昼間からこんなとこにいればそれも頷けるんだけど。
 僕は今雲見病院の待ち合いロビーのソファに座っていた。この雲見病院は、三雲組が経営する病院系列の大本である。世間から見れば立派な大学病院なのだけど。
 ヤクザ家業ともなれば普通の病院では見せることができない疚しい傷ばかり抱えてくる。故にそれを隠せる場所が必要だったのだ。
 肝臓を悪くしていても、僕が今から診察を受けるのは医者でもなんでもない。ただの看護士というにはあれだけど、迅と出会うきっかけにもなった男、要に看てもらうのだ。
 もちろん診察というよりはお喋りという名の説教がメインなんだけど。四柳の奴、覚えてなよ!
 名前を呼ばれる。今日は使っていない診察室に入ると、そこには懐かしい顔が怒った風に顔を歪めて出迎えてくれた。
「三雲さん! お久しぶりです! 四柳さんから連絡受けたんですけど、アルコールの規定量守ってないみたいですね!」
 ぷりぷりと怒ってはいるものの、そんな表情ですら人形のように綺麗な顔をしていると思う。ちょっと心が痛むけど昔は迅のイロをしてたくらいだ。綺麗で当然っていうかなんていうか、美人なんだよね、本当に。
 出会った頃のような儚い美貌ではない。生き生きとした生命力に満ち溢れている美貌だ。人間味が増した所為か更に美しくなった。迅が見たら惚れちゃう、のかな。それは嫌だけど。だって、迅は、僕のだし。
「聞いてます?」
「あ、ああごめんね。で、そう、アルコールだっけ……? ちょっとしか呑んでないよ。四柳が大袈裟なだけ」
「そんなこと言うんですね。じゃあアルコール検査しても大丈夫ですか?」
「う、それは……ちょっと、あ、その明日から! 明日から禁酒するし!」
「またそんなこと言って、何度同じこと言ってるか覚えてますか? 大体三雲さんの肝臓はもう働けないって悲鳴あげてるんですから、たまには肝臓にもお休みが必要なんですよ。それを無理して働かせるとか三雲さん本当に自分をわかってないっていうか」
 止まらない要の説教を聞き流しながら適当に頷く。あの頃を思えば要も随分と元気になった。自分の居場所を見つけて毎日楽しく働いているみたいだ。噂に聞くとナースステーションの子と良い感じだとかなんとか。
 ボロ雑巾のように捨てられてた死にかけの美青年が、今や誰かを愛する男になっているなんて想像もつかなかったな。
 そう思えば口煩く説教されるのも悪くないかも、と思ってたのも最初だけ。だって要ってば本当にしつこい! 四柳より煩いんじゃない!? しかも隠し持ってたアルコールまで没収されちゃった。どっかで買おうかな、でも今日くらいはやめておくか。
 健やかに僕に向かって喋り立てる要の元気な姿を見て、なんとなく元気をもらった気分であった。

―PM01:18 清重の場合―
 病院を出てから適当に新宿に顔を出して若衆と喋ったり、お昼を食べたりしていたらいつの間にかこんな時間になってしまっていた。夕方にもまだ遠いな。迅は夜って言ってたっけ? 早く、会いたいな。口にしては言わないけど。だって、もう一週間も顔見てない。
 車で新宿まで送ってもらってからは徒歩だ。迅と会う約束は新宿だからそれまでずっとここにいるし、それからは迅に送ってもらう予定だからね。
 でもそれまでが暇だ。誰かをからかいたくなる。っていうかストレス発散? 良い奴いないかな。なんて捜していれば、丁度僕のお眼鏡に適う男が歩いてきた。フフ、絶対逃してやんないんだから。
「清重! なにしてんの?」
 びくりと肩を震わせてゆっくりと振り向いたのは、迅と良く行動を共にしている舎弟の一人である清重だった。この清重かなりからかい甲斐があって、可愛くって、面白いんだよね。僕の言うことなんでも聞いてくれるし。
 でも独りで行動なんて珍しいな。迅は一緒じゃないのかな。なんて思ってたのが顔に出てたのか、清重は佇まいを直すと何故か敬礼をした。
「姐さん、おはようございます! 兄貴なら俺と一緒じゃないっす!」
「へえ、珍しい。別件の用でもあるの?」
「兄貴はちょっと厄介な仕事請け負ってましてですね……俺はなんつーか、そのまあいつも通り風俗管轄の仕事っす。ここいら売り上げも良いっすからね、気合い入れて営業してるんすよ」
「ああ、そういえばそんな時期だったっけ……」
「姐さんはこんなとこでどうしたんすか? 舎弟いないようっすけど……大丈夫なんすか?」
 馬鹿な清重にしては目のつけどころがなかなか悪くない。そういうところにも気付くようになったのか。
 僕は清重の頭を撫ぜてやると、うんうんと感慨深げに頷いた。
「新宿にはたくさんの目があるからね。人目がある場所はまだ安全だよ。それより清重、暇でしょ? フフ、僕の用事に付き合ってよ」
「え……俺、仕事中っす!」
「僕の言うことが聞けないの?」
「あ、いや、その、聞けるっす!」
「よろしい。じゃあ行くよ。フフ、今日はね、禁酒してるの。だからパ〜ッとバカラでもしようよ。絶対勝つんだから! そうだね、勝ったら清重にもご褒美あげる」
「わーい! 姐さん期待してるんで頑張ってください!」
 犬のようにぴょんぴょん跳ねる清重を引き連れて、僕は裏カジノへと直行した。こんな時間でも開いてるから裏ってのは便利だよね。それに勝てば天国、大金が手に入る。ま、今更お金に執着なんてないけど、一気に稼いだお金を一気に消費するのってほんと癖になるんだよ。
 僕も清重みたいに可愛くって馬鹿な舎弟ほしいな。四柳ってば口煩いし、ポチはポチで忠実過ぎるし。まあ結局はそれが良いから絶対誰にも譲らないけど。
 清重を連れて裏カジノへと行った結果、まずまずの成績だった。大勝ではないけど勝ったことには勝ったので、清重が望む高級焼き肉を食べさせてあげた。
 僕? 僕は食べないよ。だって夜に迅と一緒って約束したからね。意外と健気でしょ?

―PM05:01 朝妻の場合―
 流石に仕事につかえると泣きべそをかいた清重を解放すれば、それなりに良い時間になった。けどまだ迅と会う時間にはちょっと早い。それにしても清重の奴、散々焼き肉食べといてその言い草もどうなの。迅に調教しとくよう頼んどかないとね。
 あとちょっとなにしようかな。お酒呑めないってほんと辛い。もう禁酒やめようかな。だって僕頑張ったよね。三時間? 四時間? とにかくこんなにも禁酒したんだから、呑んでも褒めてくれるよね?
 ああ、でも要との約束だし、破ったら要悲しむのかって思ったらできなくなった。僕も案外要には弱いらしい。
 それにしても暇過ぎる。なにしよう。顔見知りが頭を下げる新宿の繁華街を宛てもなくふらふらと歩いていれば、会いたくない人物に会った。
「さっいあく……」
 顔も見たくない。向こうも同じだったようで、僕の顔を見た瞬間嫌そうに顔を顰めた。失礼な奴だ。連れがいないのか独りでいる。珍しい。いっつも隣にいるあの子もスキンヘッドも、今日はいないのか。
 なんとなく立ち止まって向かい合う。言葉を発したのはどちらが先か。できれば死んでと望んでいる男、迅の幼馴染であり闇金融を営んでいる朝妻は舌打ちをするとポケットから棒つきキャンデーを取り出して咥えた。
「あー今日の占い最下位だわ。まさかてめえと会うとわな。んだよ、つーか独りでふらふらしてて良いのか? 襲われても知らねえぞ」
「生憎、あんたと同様こっちにもたくさん目はあるからね。心配はご無用」
「はん、可愛くねえ奴だな。心配してやってんだから素直になったらどうだ」
「眉間に風穴開けられたくなかったら黙ってな」
「……相変わらず狂ってんじゃねえの。こんなとこで発砲だけはしてくれるなよ」
 金髪が夕闇に染まってきらきらと光る。黙っていればそこそこの美丈夫だが、憎悪が先立つのか苛立ちしか覚えない。
 第一迅が特別にしている存在全てが気に入らない。舎弟はともかく、幼馴染ってポジションも気に入らない。とにかく死んでほしい。呼吸をして地球に立っていることが許せない。
 だって僕は迅の恋人だから、永遠に迅の友達や幼馴染や親友にはなれない。恋人だけにみせる顔しか知らない。僕の知らない迅を独り占めしてるこいつが、とにかく僕は憎くて仕様がないのだ。
 迅には言わないけど、これでもそれなりに迅のことは好きだ。好きだけじゃ足りない。きっと、嗚呼、狂ってるのかもね。
 喧嘩するのも面倒になって、僕は溜め息を吐くと時計を仰いだ。迅と会うまであと二時間ちょっと、か。
「……なんだ? 予定でもあんのか」
「迅と会うの」
「へえ? ま、てめえんとこの旦那も甲斐甲斐しいわな。てめえに付き合うぐらいだ。相当物好きにしか思えねえけど」
「愛されてるでしょ?」
「まあな。ある意味お似合いだよ、てめえらは。狂ってやがる。……人のこと言えねえか。つーかてめえも案外健気なとこあんのな。迅の仕事待つんだ?」
「一応同業だからね。それなりに理解はしてるし。フフ、あんたってば変なとこお人好し」
 む、と顔を顰めた朝妻を見て僕は少しだけ笑んだ。きっと一生憎いままなんだろうけど、こういうところは嫌いじゃない。もちろん殺したい男のランク上位には入ってるけど。
 それからなんだかんだ立ち話をして、ほんの少しだけ暇潰しに付き合ってもらった。朝妻もたまには役に立つなんて思った午後。

―PM06:46 迅の場合―
 なんだかんだいって朝妻に付き合ってもらいながら時間を潰せばあっという間に約束の時間に近付いた。迅は仕事早く終わらすって言ってたけど、無理そうだよね。清重から聞けば本当に忙しいらしいし。四柳だって清滝組ががたついてるって、そういえば言ってたな。
 我儘ばっかり言っても仕方ないってわかってるけど。
「はあ? 雨降ってきたし」
 薄暗く、太陽は沈む。ぽつぽつと降り注ぐ雨はなんの前触れもなくやってきた。こう暗いんじゃ雲っててもわかんないよね。
 辺りを見回しても足早に駆けるキャバ嬢とホストだらけ。繁華街のど真ん中じゃそれもそうか。生憎雨宿りできる場所もない。建物内に入ってしまえば、迅が僕を見つけてくれなくなる。
 闇夜でも浮き上がる白のスーツの僕を、きっと迅が一番に見つけてくれるから。
 雨が灰色の染みを作っていく。冷たい水滴が手のひらに落ちて影が差した。なんだ、やっぱりそうだ。こういうときばかり格好良いことをして僕を虜にするんだ。そんなことはやっぱり絶対言わないけど。
「尚人、傘も差さずになにやってんだ。風邪引くぞ」
 当たり前のように伸びた腕が僕の腰を掬って引き寄せる。触れ合った身体から体温が広がって、散りばめられてく。鼻腔いっぱいに迅の香りで満たされれば、やっと、やっと会えたという実感が沸いた。
「迅、遅い!」
 濡れた頬を指先で拭われる。呆れたように笑った迅は大きめの傘を低く翳すと、片手で僕を抱きしめた。
「待った?」
「待った」
「あんまり濡れてなくて良かった。思ったよりも仕事が早く片付いてな、明日の昼ぐらいまでは時間もらったからゆっくりできるぞ」
「直ぐ見つけられた? 僕のこと」
「そりゃあな。どこにいたってわかるだろ、お前は」
「ねえそれより車は? あのだっさい国産車じゃないの?」
「たまには歩きも良いだろう? 一緒の傘に入って手繋ぐのもなんか新鮮で良いじゃねえか。つーかださいってなんだよ、ださいって」
 緩やかに笑って、迅が手を差し出してくる。黒に狭められた小さな世界では、こんなにも胸がどきどきと煩く騒ぐのをきっと迅はわかってもいないんだろうな。こんなことに一喜一憂してるなんて。
 手湿ってないかな。顔赤くなってないかな。心臓の音聞かれたらどうしよう。もうちょっと抱きしめててほしかったかも。あ、でも、それよりくっついている方が良い? ああ、でも、でも。
「……迅」
 足早に過ぎ去っていく人の波。黒の大きな傘に阻まれたちいさなちいさな世界。珍しくも僕からのお誘いに迅は茶化すこともなく少し照れてみせると、慣れない仕草で顔を寄せた。
 やっぱり、顔を見たらキスがしたくなる。優しく触れるような口づけに、僕はゆるゆる溶かされると握られた手を強く握り返した。
 今日一日、迅をずっと待っていたんだ。いろんな人と会って話したよ。楽しかったよ。でもね、今がいちばん。ねえ、迅、きっと迅も同じこと考えてるかな。昼も夜もいつだって、僕の心は迅一色なの。