明日も明後日も
 急かされていた大きな仕事も一段落し、平和ともいえる日常が訪れるようになった今日この頃。気がつけばなかなか暇な訳だ。親父にそれとなくでかい仕事ねえのかとか、若衆焚きつけてみたりとか、そんなことをしたってなんも起こらない平和な日常だった。
 たまには身体を休めろって清重もうるせえからな、今日ぐらいはなにもせず休んでやるかなんて思ってみつつも毎日忙しく過ごしてりゃ今度は暇を持て余すことに対しなにして良いのかさっぱりだ。
 女遊びも男遊びもできねえ理由ができたとなっちゃ暇も潰せねえし、かといってギャンブルや酒は嗜まない。趣味といえばなんだっけ、俺に趣味なんてあったか?
 好きなものは煙草ぐれえなもんで、ああ、そういえば誰かさんには散々ダサいと扱き下ろされる愛車のメンテナンスや改造をするのは趣味って言えるかもしれねえ。
 そうか、誰かさんがいたか。なんて思って電話してやりゃ忙しいの一言で切りやがった。あいつ俺がそれをしたらどんな嫌がらせだっつーことしてくんのに自分のときはそれか。
 だが惚れた弱みっていうのが大きい訳で、清滝組総本家跡取りとして大きい顔をしてるんだが、誰かさん基尚人には滅法弱いただの男だ。ああ、ざまあねえなあ。
 そう考えりゃあいつの面倒みたり、あいつの世話焼いたり、あいつのためになんかしてやりてえっていうのが趣味かもしれない。
 ここ最近忙しくてまともに会えなかった腹癒せか? まあ良い。機嫌が直るまで放置してりゃ寂しさに耐え切れず電話でもしてくるだろう。それまでなにをするか、はあ、厄介な恋人を持ったもんだ。後悔はしてねえけど。

―AM11:12 清重の場合―
 取り敢えず本宅に篭もっててもなんもすることがないことに気付いた俺は、潔く出ることに決めた。宛て先もなにもかも決まってねえが、じっとして仕事を抱えるよりはどっかでぶらぶらすんのも悪くねえ。
 車運転すんのも久しぶりだな。そのついでにパーツ交換でもするか。いやでも、今の改造気に入ってるんだよな。
 どうしようか、ああしようか、悩んでいれば目先からにへらあと顔を緩ませてふらふら歩く清重が見えた。一応ここの兄弟分は堅苦しい関係じゃないものの、兄貴分の俺に気付きもしねえなんてほんとあいつはヤクザの風上にも置けない野郎だ。
 もう少し落ち着きをもって自分の立場というものを自覚してほしい。誰に似たんだかちっとも頼りにならない子分だ。兄貴分の俺に面倒みさせてもらってるようじゃまだまだだな。
 周りの様子に全く気付く気配のない清重の頭を、手の甲でこつりと軽く叩いた。
「なにしてんだ、てめえは。真っ直ぐ歩けねえのか」
「兄貴ィ! どうしたんすか! 奇遇っすね!」
「奇遇もなにもここは本宅だろ? 俺がいて問題ねえ訳がないだろうが。ったく、で? 今日はなんの仕事抱えてんだ」
「え〜仕事っすか〜? なんだったっけ……多分今はないと思うんすけど」
「はあ? じゃあなにしてんだよ」
「実はっすね、最近通うようになったデリヘルの嬢から店外デート申し込まれたんすよ! あー楽しみ過ぎてどうしようか悩んでたんすけど、兄貴ならなにします? やっぱホテルがメインな訳じゃないっすか〜! どんなデートコースなら嬢は満足してくれるかなあって」
 くだくだとためにもならない言葉を並べ立てる清重に、俺はぷつりと切れると馬鹿野郎! とだけ怒鳴った。
 仮にもヤクザがそんなことで喜んでどうする、と。本当に清重は自分がヤクザってことを絶対忘れているような気しかしねえ。馬鹿丸出し。これが俺の側近とか本当に勘弁してほしい。
 だけど憎めないのも事実で、しょんぼりと肩を落とす清重に俺は居た堪れなくなるとううと唸って背中をばしりと叩いた。
「ったく仕方ない奴だな、お前は。それは良い鴨にされてるだけだ。わかったんならさっさと手を引いて、仕事の一つでも覚えろ。今度呑みに連れてってやるからよ」
「……あ、兄貴ィイイ!」
 ぎゅうっと犬っころのように抱きつく清重を、渾身の力で振り切って駐車場まで駆けた。
 ったく忠犬というよりは駄犬じゃねえか。主人のこと好きなのは結構だが、もう少しなんとかならないものか。あんなのと一緒にいるのもな。側近といえばできる男っていうか、四柳さんみたいな右腕ほしいっつったら清重泣くんじゃないのか?
 それはそれで可哀想か。なんだかんだと面倒見てしまってる時点で、満更でもねえんだよな。清重も可愛い子分だ。帰りになにか買って行ってやろうか。
 俺はそんなことを思いながら、シックな黒で統一されている愛車のクラウンに乗り込んだ。やっぱ車は国産に限る。

―PM01:31 要の場合―
 行きつけの自動車部品専門店に様子見がてら寄ったのがしくじった。気がつけば二時間くらいは見てたのか? 自らの手で改造するもんだからな、見るとついつい時間を忘れてしまうんだよ。
 あれでもない、これでもない、なんて思いながら篭に商品突っ込んで会計して車に乗せたところではたと気付いた。
(もしかして俺、やることないんじゃねえのか……)
 急に与えられた空白の時間を、どう埋めて良いのかわからずにいる。仕事人間っつー柄でもないんだがやはり仕事優先の生活で、今まではヤることに費やしてた時間だ。この俺が誰かひとりに絞ってもう随分か。悪くはねえ心地だが……。
 尚人の怒った顔が頭の中でふっと浮かんでは消えた。そういやあ、最後に会った日って喧嘩したまま別れたような気もするな。あれは一週間も前のことになるのか? 連絡するのを忘れていた。尚人が怒るのも、無理はない。
 ああみえて尚人は寂しがりやの構ってちゃんだ。ちょいと放置するだけで煩いからな。まあ煩くしてほしくて放置してるといえば、さぞかしあいつは怒るのだろう。
 だけど尚人が俺のことを考える時間が増えて俺で満たされていくっていうのは、なんにも言い難い征服欲が湧く。
 心地の良い妄想に浸っていれば、懐かしい声が遠くの方から聞こえた。
「……誰だ?」
 元気いっぱいの笑顔で誰かに向かって手を振る看護姿の男は、ああ、確か要じゃねえか。俺のイロをしてた、いわばヤクザの情夫ってやつだ。
 顔が綺麗っていうだけの理由で、無理に身体を奪って随分と長い間自由を拘束していたような気がする。記憶の要はいつだってお人形のように全てを諦めた目で俺を見ていたもんだが、ああ、そういうことか。お前はそんな顔もできたのか。
 誰かに向かって柔らかく食むような笑みを零し、そうして恋をしている表情で言葉を囁く。そこにいたのは確かに要その人だったが、俺の知らない要だった。
 気付かないうちに時間は刻一刻と、進んでいるんだな。
 俺になんて会いたくないだろう、きっと。鼻で小さく笑うと、馴染んだノブを引いて車に乗り込んだ。遠ざかっていく要を車内から見送る。二度と会うことも話すこともないだろう、安否を心配するまでもないただ俺を通り過ぎていったイロの一人を、こうして特別に思うのは尚人が気にかけているからなのか。
 少しだけ懐かしさに浸りながら、アクセルを踏んで車を発進させた。

―PM02:18 朝妻の場合―
 関東で大きな組のヤクザの跡取りをやってりゃ顔も広くなって知り合いが増える。いちいち名前まで覚えちゃいねえが、自称友達だっていうのも沸いてくるから可笑しな話だ。
 本当のところをいえば、俺に腹を割って会話をするような友人はあまりいない。立場が立場だから、不用意な言葉がなにかを決定して左右をもする絶大な力になるときもありうるからだ。
 友人付き合いも制限されれば探るのも面倒で、いつしか他人と深く関わるのをやめた。飽くまで清滝組の跡取りとして、誰かと接して仲を深めるしかなかった。
 でもそんな俺にだって親しい友人は少なからずいる。それが朝妻 宮という男で、一応は清滝組縁者だが幼いころからこの境遇を共にし、不便さに嘆いてきた同士であり幼馴染でもあるやつだ。
 あいつ今は新宿に根を張って闇金融なんて物騒なもんを経営してんだが、恋人には滅法甘いし、身体に悪いっつーんで禁煙始めて飴を舐めてるようなそんな愛らしい部分もあるんだよな。
 いつ尋ねたって暇だろう、そう勝手に決めつけてる俺はわざと仰々しい音を立てて車を止めた。
「宮! 取り立て中か?」
 宮の事務所に行こうと思ったんだがなんの偶然か、大通りをひとりで歩いている宮を見つけ直ぐにクラクションと共に声をかけた。
 びくって身体を震わせた宮は嫌そうな表情で振り返ると、口に突っ込んでた棒キャンディを抜いた。
「んだ、びっくりさせんなよ……迅かよ。てめえこそこんなとこでなにしてんだ? 一人なんて珍しいな」
「ちょっと時間が空いたからふらついてるだけだ。お前は? 事務所で仕事じゃねえのか」
「息抜きがてらの散歩。てめえにゃ関係ねえが世間じゃ月末の五十日、いわば給料日ってやつでな、下のもんが金回収にまわってんだよ。けど闇金で借りる時点で返せる宛てもねえわな、ごたってんの。毎月恒例のこった」
「丁度良い。暇だったんだ、顔貸せよ。事務所まで送ってやるから」
 そう言えば嫌そうな表情をする宮を、俺は半分強引に車内へと引き入れた。宮は案外人付き合いが希薄な方で面倒臭がりだからな、連れ回されると思ったんだろう。
 悪いが俺に付き合ってもらおう。ここで出会った時点で、お前の運はなくなってるんだよ。
 律儀にシートベルトを締めた宮を見やると、俺はアクセルを思い切り踏んだ。
「あんま時間かけんなよ。直ぐ戻るっつって出てきたんだからよ。つーかこんなことしてる暇ありゃあいつと会えば良いだろうが。こんなことばっかしてるから俺がマークされんだよ」
「ああ、先日は悪かったな。尚人の嫉妬の矛先を把握してねえもんで、予想外だった」
「全く、その通り。あれと関わると碌なことにならねえんだって、ほんと。てめえの車の趣味は褒めてやるけど、恋人の趣味は最低だ」
「そこが可愛いとこなんだよ。お前にゃわかんねえだろうけど」
 変な表情でこっちを見る宮を見て、自嘲した。俺からしてみりゃ車の趣味も恋人の趣味も良いつもりだが、悪趣味と言われるときもあるから価値観や考え方ってのは千差万別だとしみじみ思う。
 尚人の駄目過ぎる部分を見る度に、もっと堕落させて俺がいなきゃ考えることもできねえようにしてやりたいなんて願望があるって、宮は想像もつかないのだろう。いかつい見目に反して、恋人には甘く優しくするタイプだから。
 俺と宮は寒々しくも、車中で惚気のような恋人自慢をしながら暫しの時間潰しに付き合ってもらった。

―PM03:56 四柳&三雲組若衆の場合―
 時計を仰ぎ見る。そろそろ尚人が焦れてくる時間だ。放置し過ぎてる程度だからな。
 きっと追撃のように俺から連絡がくるのだと思っているに違いない。携帯ばかり気にしては落胆する尚人が容易に頭に浮かんだ。
(あーだけど放っておくと酒に逃げるからな、あいつ……)
 尚人のアルコール中毒には辟易とするばかりだ。この俺が口酸っぱく注意をしても、精々一時の禁酒にしかなりゃしねえ。完璧に病気、というよりは精神的な部分が多いのか。
 俺と出会ってから酷くなったことを思えば、この関係は尚人にとって良くねえもんなんだろうけど今更手放してもやれねえ。
 どうしたもんか、と煙草に火をつけて車をゆっくりと旋回させた。新宿を行ったりきたり、絶対不審者だよな、これ。
 繁華街へと入れば見知った顔ばかり目に入ってくる。三雲組から清滝組、はたまた見ない顔や外国参入の新参もの、新宿はやっぱりなんだか落ち着く。
 道路の脇に車を止めて小休憩とばかりに窓を開けば、暫くしてから反対側の窓がノックされた。
「こんにちは」
 物腰柔らかに腰を曲げて挨拶をするのは、尚人の右腕でもある四柳さんだった。ここだけの話、ちょっと尊敬してる。
 俺は慌てて煙草を消すと、車から降りて会釈した。立場からいったら俺の方が断然上なんだけどやっぱ四柳さんは年上だし一目置いてるし、あれだし、その失礼なことはできねえよな。
 そんな俺に対して申し訳なさそうにした四柳さんは後ろに控えている三雲組若衆に少し声をかけると、俺の側へと寄ってきた。
「迅さんお久しぶりです。お時間よろしいですか?」
「あ、はい。なんか用……っすか?」
「本日は休暇とお見受けするのですがこれからの予定はお決まりで?」
「あー……それなら大丈夫ですよ。尚人のやつ拾うんで」
「なら安心しました。坊ちゃんのことくれぐれもよろしくお願いしますね。あと、私事で申し訳ないのですが坊ちゃんにはお酒を呑ませないよう目を光らせてくださると幸いです」
 物々しく頭を垂れた四柳さんは慌てる俺を他所ににっこりと微笑むと、また喧騒とした三雲組若衆の中へと急がしそうに戻っていった。三雲組が忙しいっていうのも強ち嘘じゃねえのか。
 しかし尚人の恋人ってだけでこうして気にかけるんだから、あいつも十分箱入り息子だよ。四柳さんにとっちゃ目に入れても痛くねえんだろうな。
 それにしてもあそこまで畏まられるとなんかあれだよな、緊張する。この俺が? っていう感じだけどよ。やっぱ尚人側の人との距離感が上手く掴めてねえ証拠か。仕方ない、尚人側だし。
 俺は携帯を取り出すと、なんの変哲もない画面を見て手を揉んだ。
 そろそろ待つのも疲れたな。呼び出すか、焦れるのを待つか。ああそうだ、捜し出して捕まえるってのも悪くはねえよな。四柳さんがここにいるっつーことは、尚人も近くにいる証拠だ。
 俺は携帯をしまうと車中へと戻った。なんだか無性に尚人に会いたくなった。

―PM04:32 尚人の場合―
 最初は車で移動してたが蛇足運転だとなかなか面倒だ。だが車がねえと不便っちゃ不便だし。真面目に捜してたがやってられないと匙を投げた俺は適当に三雲組若衆を捕まえると尚人の居場所を吐かせた。
 歌舞伎町方面にいるとわかった俺はアクセルを踏み込むと歌舞伎町へと向かった。
 まだ営業時間より少し早いとあってかそこまで人並みも多くなく、閑散としている風景でもある。尚人を捜すのは簡単で、いつだって目立つスーツを着ているから遠目でもわかった。
 クラクションを鳴らす。反応はない。もう一度鳴らす。今度は振り向いた。尚人はむう、と唇を尖らせたまま車内にいる俺をきっと睨んだ。
 窓を開けて左側から顔を出せば、尚人は渋々といった様子ながらも近づいてきた。
「尚人」
 触れられる距離まで近付く。思わず、と伸ばした指先は尚人の手首をしっかりと握った。
「仕事中なんだけど」
「ああ、そうだな。でももう終われ。これからデートでもするか? 生憎と今日一日休暇なんでな」
「はあ? 話聞いてた? だから僕は仕事中なの。迅とデートなんかしてる暇ありません」
「そう可愛くねえこと言うなよ。今日一日ずっと尚人のこと考えて過ごしてたんだ。たまには悪くねえけど、どうせならお前の面倒見てる方が俺やっぱ楽しいわ」
 意図をもった触り方で、てのひらをなぞった。尚人は案の定頬を仄かに赤らめる。手を振り払おうとしてみせたものの、温度に惹かれるのか大人しいままだった。
 ああ、ここがどこでお互いが誰かなんて嫌ってほど理解しているつもりだ。プライベートといえど、公の顔をもっている以上勝手なこともできない。
 ここで抱きしめてキスして、どこか遠くに連れてってやりたい。俺たちのことなんて誰も知らない場所へ。組なんて関係のない、そんな世界へ。考えて自嘲した。ありえない話だ。羨ましくなるほど無縁だ。
「……迅、僕は怒ってるんだ」
「悪かった。それも含めて、今日はお前に尽くす。だから甘やかされてくれよ」
「フフ、僕は安くないよ? それでも?」
「いくらでも払おう」
「しょうがないな。っていうかいい加減このだっさい車乗り換えたら? 僕が選んであげようか。迅ってば絶対ポルシェが似合うと思うんだけどどう? ねえ、聞いてる?」
 てのひらを返したかのようにご機嫌になった尚人は若衆への挨拶もそこそこに、俺の愛車に乗り込むとそう言った。
 普段ならこのクラウンの良さを尚人に知ってほしいと説明をしたりするんだが、そんな暇も惜しい。中が見えない加工にしてある硝子が、今なら全て隠してくれる。
 尚人の触り心地の良い髪に触れて、優しく引き寄せた。触れた箇所が熱い。心臓が煩い。あーあ、餓鬼みてえ。これが恋っていうやつか?
「……尚人、会いたかった。ずっとお前のこと考えてた」
 たまには素直にそう言ってやろうか。真っ赤になってはくはくする尚人の初心さがまた、愛らしい。口づけひとつで、舞い上がるほど俺たちはたどたどしい恋をしている。
 なあ、明日も明後日もお前のことばっかり考えるから、お前も俺のことばっか考えてろよ。