おおきなこども
 なんの予定もない日曜日。 和泉はソファでぼんやりとTVを見る吉原を見ていた。
 最近は特に水島デルモンテ学園のイベントもなく、テストもない。 部活にも入っていない二人はなにもすることがないのだ。
 吉原の部屋でぼうっとしながらまったりと過ごす午後。 恒例のことになりつつあった。
「蓮、あれ。あれ持ってこい」
「……あれってなに」
「あれだよ、あれ」
「……だからあれってなに」
「あれって言ってるだろ」
 TVから視線を外さずに、吉原は蓮にそう言った。 もちろんあれだけではわかるはずもない和泉は溜め息を吐くと、TVに視線を向ける。
 今日はサスペンスを見ているらしく、その画面には亭主関白の旦那と嫁が映っていた。 あれ、それ、これ、で会話をしているTVの中の夫婦。 単純に憧れたのだろう。
 吉原はなにかと影響されやすい部分があった。 カップルなどの特集やラブラブっぽいものを見れば、直ぐに真似をしたがるのだ。
 しかし和泉はそういったものに興味がないので、真似をする意味がわからない。
 第一このサスペンスとて、今から嫁に旦那が殺されるのだ。 そうなってほしいのか。 いや、そういった悪い部分は見て見ぬふりをするのだ、吉原は。
 和泉はあれあれと煩い吉原に痺れを切らすと、仕方なく灰皿と煙草を吉原の前に置いた。
「おーわかってんじゃねえか。あと、珈琲」
「味は?」
「わかんだろ? このオレ様が飲むとなったら、あれしかないだろう」
「帰るよ? それ以上あれあれ言うと」
「……ブラックで」
「はあ? ブラック〜? そんなの飲んでたっけ……」
 ぶつぶつ言いながらもキッチンへと行く和泉を見届けると、吉原は再びTVへと視線を向けた。
 普段ならば吉原を顎で使う和泉というのが通説なのだが、たまに吉原に使われる和泉の姿もあった。 本当に稀なことなので、和泉も大人しく吉原の言うことを聞くのだ。
 大抵はなにかに影響された吉原に和泉が付き合ってやる、というものだが。
 今回もサスペンスの中に出てきた亭主関白の姿に憧れた吉原に付き合ってあげるのだ。 普段はカカア天下っぽい関係なので、少し新鮮でもある。
 和泉はキッチンまで行くと、既に挽いてある珈琲を取り出した。
 珈琲が好きな吉原の部屋にはサイフォンが置いてある。 しかし料理が得意ではない和泉にとって、サイフォンなど難解なものを使いこなせる訳がない。
 和泉はフィルターを取り出すと、挽いた珈琲を入れ、お湯を沸かした。
「ふんふーん」
 淹れ方などいまいちわからないが、なんとかなるものだな。
 和泉はご機嫌で珈琲を二つ用意すると、カップに茶色の液体を流し込んだ。
 白い湯気を出している珈琲はなかなかの出来栄えだ。 これなら文句も言われないだろう。
 和泉はブラック珈琲を二つ手に持つと、サスペンスを見ているであろう吉原の近くへと行くのであった。
「よっしーできたけど」
「んー、さんきゅ」
 煙草を燻らせながらTVにかじりつきになっている吉原。 和泉は嫌煙して遠くの方でまったりしているルルを見ながら、ブラック珈琲を口に含んだ。
 淹れたての珈琲の良い香りがふんわりと口内に広がる。 あまり珈琲を好まない和泉だが、淹れたては素直に美味しいと思う。
 ブラック珈琲独特の苦味を味わっていた和泉だったが、急に吉原が咳き込み出したので意識をそっちに持っていかれた。
「っは……ちょ、まっ……あー! 苦い!」
「……だから、言ったじゃん。背伸びしないで言えば良かったのに」
「う、うっせー! このオレ様がブラックも飲めないなんて格好悪いじゃねーか!」
「そんなので格好悪いとか思わないから。ったく、なんに影響されたんだか……」
「蓮がブラックなのにオレがカフェオレなんて、……格好悪いだろ!」
「じゃあ俺もカフェオレ飲んであげるからさ」
 苦渋の表情を浮かべている吉原の頭を撫ぜると、和泉はブラック珈琲を二つ手にとってキッチンへと戻った。
 結局はこうなるのだ。 最初から言えば恥ずかしい思いをしなくて済んだものの、吉原の見栄張りには感心せざるを得ない。
 少し温くなったブラック珈琲に牛乳と砂糖を入れると、和泉は再度リビングへと戻るのであった。
「はい。どーぞ」
「……おう」
 吉原は飲みやすくなったカフェオレを口に含んだ。 慣れ親しんだ味なのか、今度は文句を言うことなく、またTVにかじりつく。
 安堵した和泉はその様子を見届けると、自分もカフェオレを飲み、牛乳と砂糖でまろやかになった珈琲を味わった。
 TVの音だけが響く室内。 緊迫した映像に吉原はクッションをぎゅっと抱きしめ、身を乗り出している。
 基本的にホモ映像やホモが連想される映像以外のものにあまり興味がない和泉は、つまらなさげに携帯を取り出すとメールをし始めた。
 今の時期、特に望月は忙しくはない。 テニスの練習も春から夏が一番根を詰めているので、そこまでテニス練習にかじりつきでもないのだ。
 和泉は暇を持て余しているだろう望月に凝ったメールを作成することにすると、ぽちぽちと携帯を弄った。
 部屋にTVの音以外の音が加わる。 特に意識しなければ聞こえない程度の音。
 しかしなにを思ったのか、吉原はそれが気に入らないらしく、和泉の携帯を取り上げると己の懐へと隠した。
「ちょっと! なにすんの!」
「今良いとこなんだから黙れって」
「……黙るから携帯返してよ」
「お、お!? えー! そいつ共犯だったのかよ……」
「人の話、聞いてんの!?」
 吉原から携帯を奪還すべく、吉原の身体に乗りかかる和泉。 だがそんな和泉でさえ気にしていないといった素振りを見せながらも、吉原は携帯を返す気はないようだ。
 ごそごそと吉原の身体を弄っていた和泉だったが、吉原に強く抱きとめられれば、身動きができなくなる。
「……よっしー?」
 和泉を抱きしめたまま、サスペンスを見る吉原。 その行動の意味を和泉が理解したとき、あまりのくだらなさに反抗する気がなくなった。
 簡潔に言えば寂しがり屋なのだ。
 吉原がTVを見て和泉を放置するのは良いが、和泉が携帯を弄って吉原を放置することは駄目。 つまりは和泉がどんなに暇を持て余していても、吉原しか意識をしてはいけないのだ。
 こんな風になるのは今日が初めてでもない。何度かあることだ。
 和泉は仕方なく大人しくすることにすると、身体の向きを変えて吉原の膝の間に座ることにした。
 そうすれば吉原は満足をしたのか、和泉を後ろから抱き締めると、その肩に顎を乗せたのであった。
『あの人が悪いのよ! 私を裏切るから! 私はずっとあの人のために働いてきたのに……っ!』
 サスペンスも終盤に差し掛かった。 お決まりのように崖に追い詰められた犯人は、警察の前で殺しの動機をぺらぺらと自白している。
 酒乱でDVだった夫を妻が養っていた。 だが夫は妻の稼いだ金で他所に女を作った。 それを知り、逆上した妻は夫とベッドを共にしていた浮気相手と夫を殺した。
 有り触れた内容。 決まったかのような同情を誘う殺しの動機。 吉原には悪いが、和泉には退屈で仕方ない。
 警察が妻を叱咤し、大団円を迎え、サスペンスのエンディングが流れる。
 やっと終わった、と息を吐く和泉がこの場から動くと思ったのか、吉原がきつく締着する。 それに少し笑みが零れた和泉は少しだけ後ろを振り向くと、吉原の髪を引っ張った。
「別に逃げないし」
「……そういう意味じゃねえし」
「ふーん」
「あ、馬鹿にしてんだろ」
「してないって」
「……ほんとかよ」
 こつり、と合わさる額。 少し身体を捻っている所為で体勢が苦しい。
 だけども吉原が嬉しそうにしているので少しぐらいは我慢してやろう。
 徐々に近付いてくる唇に和泉は目を閉じると、それを大人しく受け入れたのである。
 まったりと過ごす日曜日。 ほんの少し亭主関白になった吉原と、ほんの少し素直になった和泉であった。