君がいる幸せ
「ぁ、あ……。も、むり……」
「あとちょっと……」
 寒さ厳しい冬。 布団で暖をとっていた二人だったが、欲情した吉原が否応なしに和泉に襲いかかった。
 恋人同士であれば当然の行為。 嫌だ嫌だと言っていた和泉も、触れられる手に翻弄されて落ちていくのだ。
 何度か身体を繋げ愛し合った現在、身体は十分なほどに温まっている。 寧ろ暑いくらいだ。
 心地好い倦怠感に包まれながら、後戯を楽しんでいた二人だった。
「蓮、……かわいい」
 汗でしっとりとする和泉の髪の毛に顔を埋め、うっとりとする吉原。 そんな吉原に羞恥を覚えつつも、引き剥がすつもりなど毛頭もない和泉。
 いちゃいちゃといった表現が合う睦みあいを楽しみながら、ベッドで戯れていた。
 そんな折、部屋に鳴り響くのはけたたましい目覚ましの音。 時計を見れば短針は四の字をさしている。
「……あ、時間だ」
「なんかだりーな、……けど、ま、起きるか」
 和泉を抱きしめていた手を離し、布団から出る吉原。 吉原が起きた所為で布団が捲れ、ひんやりとした空気が肌をさした。
 睦みあっていた故にお互いは裸である。 さきほどまでは肌で暖をとっていたが、離れてしまえば寒い。
 思わず身震いした和泉は慌てて布団を出ると、吉原のタンスから目ぼしい洋服を取り出し、着込んだ。
「眠い?」
「ううん。結構寝たし平気」
「そ、一応眠気覚まし飲むかな」
 吉原はジーパンを穿くと、薬箱を取り出した。
 冬の日の出は遅い。 早朝の四時では、まだ外は真っ暗だ。
 和泉は十分なほどに厚着をすると、薬を飲んでいる吉原を見つめた。
 今から、和泉と吉原は日の出を見に行くのである。 付き合う前、デートをしたときに交わした約束を果たすためだ。
 いろいろあって行くのが遅れたが、あの場所に日の出を見に行ける。
 和泉はそれが楽しみで昨日一日はしゃいでいたのであった。
 休み前の金曜日、早々に吉原の部屋へと行った和泉は吉原の部屋に泊まった。
 早めに晩ご飯を食べ、お風呂に入り、寝たのはなんと九時。 流石に早く寝た所為か、途中で目が覚めてしまった。
 その後、吉原といやらしいことをしたのだが、微睡みながらいちゃいちゃする、ということを四時になるまで何度か繰り返していたのである。
 行為の名残で身体が重たく感じるが、運転するのは吉原だ。 和泉は楽をするだけ。
 全身吉原の服で包まれた和泉はベッドに腰掛けると、自分を抱きしめるように三角座りになった。
 服に顔を埋めるようにすれば、鼻腔に吉原の匂いが広がる。 それに胸がきゅうと締め付けられる思いと、溢れ出してくる愛しさ。
 思わず緩みきった頬。 知らずの内に気分があがると、軽く身体を揺らしていた。
「……なにしてんだよ。おら、風邪引くぞ」
 吉原は和泉の顔を巻きつけるようにマフラーを巻くと、満足気に笑った。
 和泉が顔を見上げれば、お洒落とは程遠い吉原の格好。 ぶくぶくになっている。 お互いに雪だるまみたいに着膨れしていた。
 正直、部屋の中では暑いぐらいだ。
 ズボンを二枚穿き、上着はコートを含め三着。 マフラーも手袋も装着したし、靴下も二枚履きだ。 防寒対策は完備している。
 だがこれぐらいでも頼りないほど、水島デルモンテ学園が建っている山は寒かった。
 それに日も照っていない早朝の時間の山を原付で走行するのだ。 予想以上に寒いだろう。
 着すぎて少し動きにくい身体をなんとか動かすと、二人は部屋を出た。
 吉原が右手を動かす度、ちゃりちゃりと鍵が鳴る。 開いている左手を和泉の右手が掴むと、嬉しそうに握り返してくれた。
「あー……さみーな。あっためろよ」
「わ、あ、もう! 歩きにくい!」
「良いじゃん。時間に余裕あるんだしよ」
「重たいし!」
 和泉に体重をかけるようにしな垂れかかると、少し遅くなったスピードで歩を進めた。
 しんしんと凍えるような寒さ。 氷のような世界へと出ると、余りの寒さに心臓がひくりと竦みあがった。
「む、むり……」
 ばたばたと足を無駄に動かし、身体を温めようと試みるが、余りの寒さに動きが鈍る。
 嫌だという和泉を吉原は無理矢理引き連れると、駐輪所へと向かった。
 余程のことがない限り使うことがない吉原の原付。 相変らず目立つピンクの色をしているそれは、遠目から見ても直ぐに発見できた。
 今ですらこんなに寒いのに、原付で走ればどれぐらい寒いのだろうか。
 前に乗っている吉原の方が寒いだろうが、和泉にとっては寒いものはなんでも寒いのだ。
 思わずしかめ面になっていた和泉の後頭部を軽く小突くと、吉原はピンクのヘルメットを被せてやった。
「蓮、行くんだろ」
「……行くよ? 行きたかったし」
「もうちょっと可愛い顔しろっての」
 己も黄色のヘルメットを被ると、外れないよう固定する。
 吉原より頭一つ分ぐらい低い和泉は唇と尖らせると、そっぽを向いた。
 その子供っぽい仕草が可愛くて、吉原は知らずに頬を緩めると軽く唇を奪った。 でっぱったヘルメットがかつんと音を立てる。
 だけど優しい唇の感触に、和泉は寒さではなく頬を赤らめると俯いた。
「良し、いーこいーこ。じゃあ行くぞ、後ろ乗れよ」
 原付に跨り、エンジンをつけた吉原。 和泉はその後ろにあるスペースへと腰をおろすと、吉原の身体にぴったりとくっつくように身体を寄せた。
 吉原の方が和泉より身長が高いお陰で大分寒さは凌げそうだ。
 もふりとしたコートの感触にうっとりし、顔を埋めると、それが合図のように原付は走り出した。
 日の出予定時刻まで後二時間ぐらい。 それ故、外は真っ暗で、外灯のない山道は薄気味悪い雰囲気が漂っている。
 夏、通ったときは降り注ぐ太陽によって作り出された木漏れ日が幻想的で、美しい情景を見させてくれた。
 風邪に揺られ鳴る木々の音や、鳥の囀り、聞こえない森の声が聞こえてくるような雰囲気だった。
 だが真っ暗になってしまうと、森の方から亡霊が飛び出してきそうな気配を醸し出していた。
 亡霊などちっとも怖くない和泉だが、見ていて楽しいものではない。 仕方なしに消えかかっている満点の星空を見上げることにすると、一息いれたのであった。

 そのまま走ること一時間半。 今度こそは遠回りしなかったためか、前より早くつくことができた。
 平たい丘で原付を止めると、吉原はエンジンを切る。
 暖をとろうと吉原の身体にくっついていた和泉だったが、冬の寒さの前にはなすすべもない。
 暑がりでもあり寒がりでもある和泉には、原付での行動はある意味自殺行為にも似ていたのだった。
 吉原にくっついたまま離れようとしない和泉に、小さく笑みを浮かべると、お腹に回っている手に手を重ねる吉原。
 手袋越しの感触だが、ほんのりとそこから広がる温もり。 促すようにぽんぽんと叩いてやれば、そっとその腕が外れた。
「……寒い!」
「あーはいはい。あとちょっとで日の出だから辛抱しろ」
「ちょっと! 最近扱いが邪険になってない?」
「気の所為だろ、普通に。甘やかしてるだろーが」
 寒さ故に我儘になる和泉を軽くあしらいながら、原付にロックをかけると足を進める吉原。
 ここでも十分感銘を受ける日の出を見ることができるのだが、もう少し先の方が眺望できるのだ。
 ほんの少しでも良いから和泉の思い出に強く残ってほしいと思っている吉原は、さくさくと奥の方へと進んだ。
「ちょ、ちょっと……待ってよ」
 和泉は慌てて吉原の後を追うと、大人しくついていくのだった。
 僅かだったが白む空。 吉原曰くベストポジションだという場所につくと、なにもない草原に腰をおろした。
 山奥の中にある丘、雪が降りそうなほどの厳冬、太陽が照っていない時間。 この条件が揃えば向かう敵なしというほどに寒い。
 びゅうびゅうと吹き荒ぶ風。 肌を突き刺すような寒冷のそれにぶるぶると身体を震わせると、和泉は弱音を吐いた。
「よ、よっし……死んじゃう……」
 既に泣きべそになっている和泉。
 年末のイベントのときはどんなに寒くとも吉原を待っていることができていたが、飽く迄寮内だからである。 暖房がかかっていないといえど多少の寒さなら凌げる。
 だが今はなにも凌ぐものがない。
 マフラーに顔を埋めるようにそれを引き上げると、余裕綽々といった様子で煙草を吸い始めた吉原にぴたっとくっついた。
「煙草吸ってるからくせーよ?」
「……寒い」
「……しゃあねえなあ、ほんと……。普段もそんな甘えたなら良いのによ」
「……なんか言った?」
「別に? ほら、どーぞ」
 座ったまま足と手を広げた吉原の懐に、和泉はするりと入った。
 身体を小さく丸め、吉原に閉じ込められるように抱きしめてもらえば満足した様子だ。
 お互いの肩に顎を置き、真反対の方向を向いている二人。 日の出の時間がくるまではこうしていよう。
 和泉は吉原の背中に腕を回すと、ご満悦で暖をとった。
 吉原の吐息が耳にかかる。 くすぐったい感触だったが、温度をもったそれは心地好い。
 包まれているという温もりと、吉原の匂い。 それだけで和泉は満足だった。
 徐々に空が白むようになり、日の出ももう直ぐだ。
 とんとんと背中を叩く吉原の合図でしぶしぶと方向転換をすると、後ろから抱きしめてもらうような体勢に変わった。
「……お、ほら、出てきた」
 吉原の言葉に顔をあげると、そこには幻想的な世界が広がっていた。
 赤と紫を混ぜたような空に差す、赤みがかった太陽の先。 山から姿を見せるそれは、ゆったりとした動きで顔を出した。
 眩い光の線が何本にも空へと伸びて、グラデーションを繰り広げる様はこの世のものとは思えない。
 真っ暗闇のような世界に差す光。 濃紺のような空は追いやられ、朱色の空へと変貌していく。
「きれい……」
 染まるのは空だけではない、眼下にある山にも色を差す。
 神々しいまでの景観。 光に照らされ浮かび上がる雲までも、いつもと違うように見えた。
 陶酔境に入った二人は暫しの間無言でその景観に目を奪われると、沈黙に徹した。
 それから脱し、先に口を開いたのは吉原。 日はもう半分ぐらい顔を出していた。
「日の入りも綺麗だけど、日の出も綺麗だろ」
「……う、ん。ちょっと感動した」
「じゃあ感動ついでに記念のちゅーでもする?」
「……え?」
 横を見やれば、日の出の太陽で朱色に染まる吉原の横顔。
 徐々に近づいてきたかと思えば、無理な体勢でのキスを強いられた。
 そっと重なるような口づけ。 たおやかな動作に惹かれ、和泉は夢心地のままその唇を受け入れた。
 吉原と付き合う前、真夏の時期にここへきた。 そのときは未だ人を愛するという気持ちを理解していなかった和泉だったが、二回目の今日、その気持ちを持ってここへときた。
 愛を知った今、二人でなにかを共有することの喜びを覚えた。
 些細なことだって、仕様もないことだって、なんだって、吉原と和泉と、二人でいればそれが宝物のような出来事になるのだ。
「……蓮」
 微かに開いた唇の隙間、埋めるように和泉から唇を押し付ければ、後頭部に吉原の手が回った。
 ぐしゃりと握られた髪の毛。 夢中になってただ合わすだけのそれに愛着を覚える和泉は吉原の首に手を回すと幸せそうに微笑んだ。
「よっし、……すき」
 素直じゃない和泉の素直な愛の言詞。 日の出が織り成す朱色とは別に頬を染めた。
 たった二文字だ。 その二文字にどれだけの破壊力か秘められているかなど、幸せそうな和泉は知らない。
 吉原にとっては聞き慣れない二文字。 渇望して仕様のなかった言葉。 いつだって言うのを躊躇っていた和泉が、自らの意思で吐き出したそれは、吉原にとっては至幸の瞬間だった。
 和泉が微笑っていてくれるのなら、幸せでいてくれるのなら、己を好きでいてくれるのなら、なんでもしよう。
 心の奥底から求めて止まない恋人は、景色一つで幸せだと言った。 そんな恋人をもつ吉原は、そう思っていてくれることが幸せだと思う。
 完全に日が昇り、朱色から薄紺の空へと変わっても、二人は動こうとしない。 そんな二人を暖めるように、太陽の熱を運ぶ温かな風が吹いたのであった。