京都恋街道
 残暑の名残で未だ暑い九月中旬。 和泉たちは水島デルモンテ学園の修学旅行へときていた。
 文化祭などの準備で忙しいといえど、十分な時間を取っているため修学旅行へ行ってもなんら問題はない。
 行き先は国内であったが、四泊五日という長期間の旅行に生徒たちは高揚していたのである。
 本来ならば和泉たち二年生のみで行く修学旅行であったが、今年だけは例外であった。
 去年、全国で大型インフルエンザが流行したため、吉原たちの学年は修学旅行に行けていないのだ。 だから今年は二年生と三年生が合同で修学旅行へと行くのであった。
 だが三年生は受験などで忙しい時期でもある。 なので希望者のみ参加という形になっていた。
 和泉が行くならば行くと意気込んでいた吉原はもちろん、この修学旅行に参加をしたのであった。
「蓮! 早くこい! おみくじ引くぞ!」
「……はいはい。そんな急がなくてもおみくじは逃げないよ」
 吉原に手を引かれるまま移動する和泉。 二人は京都の有名スポット、清水寺の境内にある地主神社にきていた。
 今年の修学旅行の行き先は関西。 大阪を回り、京都、奈良といったベタなコースだ。
 望月と回る気満々だった和泉だったが、吉原の我儘で仕方なく二人で回ることになった。
 それに水島のコネでも使ったのだろうか、部屋まで一緒だともうなにも言う気にもならない。 和泉は諦めた気持ちで吉原と行動を共にしていた。
 一緒にいるのが嫌な訳ではない。 和泉も一緒にいたいという思いはもっているのだ。
 ただ憂慮なのは一緒の部屋故に、吉原が襲ってくるという点だ。
 学旅行中ずっと触れられているのでは負担である。 だけどそれを口にすることができず甘受してしまう時点で、和泉もそれを求めているのかもしれない。
 楽しそうに恋占いおみくじを引こうとしている吉原を見て、和泉はふっと笑みを零した。
「どう? 良いのでた?」
「……微妙。なんか倦怠期? とか、暗雲立ち込めるとか、……そんなことねーよな?」
「うーん、ないと思うけど……」
「蓮も引けよ」
「やだ。悪いのでたら嫌だし……」
 吉原の手からおみくじを取ると、近くの木にくくりつける。 そんな和泉の後姿を見ながら、吉原はほっとした。
 なんだかんだ言って、少しずつ素直になりつつある和泉。 今も一所懸命おみくじを高いところへと結ぼうとしている。
 自分よりも内容を気にしている素振りの和泉にほんのりと胸が温かくなると、吉原は和泉を後ろから抱きしめた。
「ちょっと! 邪魔! つーかここ公共の場なんだけど……っ」
「誰も見てねえって。ほら、貸してみ? オレのが高いとこ結べる」
「……小さくて悪かったね! でもこれでも身長伸びたんだから!」
「そうだな。でも可愛いからこのままで良いじゃん」
 和泉が結ぼうとしている枝よりも数本上の枝におみくじをくくりつけると、吉原は和泉の頭を撫ぜた。
 カラーリングをしていない和泉の髪は黒のままさらさらだ。 吉原の指先を滑らかに落ちていく。
 ちゅ、と小さく唇と落とすとぎゃあぎゃあと煩い和泉から距離をとった。
 修学旅行シーズンだからか、ここ清水寺境内の地主神社には大勢の学生で溢れかえっている。
 見慣れた制服の学生もいれば、見たことのない制服の学生。 いろんな人がいろんな思いを抱えてここにいる。
 和泉と吉原もその大勢の中の一人なのだ。
 不躾に寄越される視線をもろともせず、和泉の肩を抱き寄せると、思い切り殴り返されてしまった。
「……あ、そういえばなんで清水寺にきたの? まあベタなんだけども」
「そりゃ清水寺っつったらあれだろ、あれ」
「……本当にやるんだ……。お、俺はしないよ?」
「蓮しねーの? せっかくなんだしやれよ」
「やだよ! 恥ずかしいじゃん! つーか恋成就してるじゃんか!」
「成功したらもっとラブラブになれるかもしんねーだろ!」
 吉原が指した方向には、地主神社の中でも有名な恋占いの石があった。
 目を瞑り、片方の石からもう片方の石まで無事に辿り着けることができたら恋が成就するという願掛けの石。 二、三度目に成功すればその分恋の成就も遅れ、誰かの手助けで成功すれば誰かの手助けで恋が成就する。
 古くからある恋占いの石を目当てに、この地主神社を訪れる人も少なくはない。 かくいう吉原もこれがしたくてここにきたのだから。
 本殿前は賑わいを見せ、吉原もこの恋占いの石に挑戦しようと列に並ぶのであった。
「……もー、ほんとにするの?」
「おう。なんのためにきたと思ってんだよ」
「……わかった。じゃあ俺、ちょっと向こうの方見てるね」
 吉原にそう告げると、和泉はそそくさとその場を離れた。
 恥ずかしいのだろう、と考えていた吉原は特に変に思うこともなく順番を待つ。
 周りは若い学生で溢れかえっている。 きゃあきゃあと声色高く歓喜する女子高生や、照れながら茶化しあっている男子高生。
 少しだけそれに感化され、吉原も気分が良くなると意気揚々として恋占いの石にチャレンジした。
 石から石までそんなに離れている訳でもないので、比較的簡単にできるだろうと思っていたものの、目を瞑っているとなかなか難しいものがある。
 薄らと目を開こうかとは思ったが、それでは意味がない。
 慎重に一歩ずつ足を進め、ゆっくりと歩いてみれば無事に向こう側の石に辿り着くことができた。
 開けた目の先には目指していたもう片方の恋占いの石。 成功である。
「よっしゃ!」
 思わずガッツポーズをとる吉原に、それを見ていた女子高生がおめでとうと声をかけてくれた。
 それに照れながら返事をし、和泉を探すべく視線をきょろきょろとさ迷わせる。
 吉原から十数メートル離れた場所に和泉は立っていた。 ここからでは後姿なのでなにをしているのかわからないが、どうやらなにかを書いているようだ。
 声をかけようかと迷っている女子高生に軽く手を振ると、吉原は和泉の元へと駆けた。
「蓮! なにしてんだよ?」
「っうわ! え? も、もう終わったの!?」
「んなもん早く終わんだろーが。それよりなにそれ」
「え、あ……べ、別になんでもない!」
 和泉は慌ててペンを置くと、持っていたものを後ろ手に隠した。 横長の五角形でできたそれは絵馬であり、この地主神社でも有名なものだった。
 悪戯っ子のような笑みを浮かべた吉原はそれを奪おうと和泉に覆い被さる。
「だ、駄目だって! ほんと無理! よっしーやだってば!」
「なんで? 良いじゃん。ちょっと見せろって」
「ほ、ほんとやだ! 無理! あっ……!」
 少し泣きそうになっている和泉から無理矢理絵馬を奪うと、和泉が届かないであろう高さへと持ち上げた。
 見下げた和泉の顔は真っ赤であり、怒っているようにもとれる。
 必死で絵馬を奪い返そうと和泉がジャンプするものの、二人の身長差の所為で奪い返すことができない。
「なに書いたの」
「もっ、見たら絶交! あー!」
「……へえ?」
「馬鹿! 最低! あほ! もー! 最悪っ……!」
 にやにやといやらしい笑みを浮かべた吉原は、和泉の顔を覗き込む。
 極限にまで赤く熟れた頬が印象的だ。 可愛いと思う。 この絵馬に書かれた願いごとも。
 和泉が購入して買った絵馬に書かれていた願いごとは、ずっと二人でいれますように、であった。
 素直ではない和泉らしくないことだとは思う。 だけど口にしないだけでこう思っていてくれていた事実が、吉原はなによりも嬉しかった。
「そうだな、ずっと一緒にいれたら良いよな」
「べ、別によっしーとじゃ……」
「はいはい。ほら、ペン貸せ」
「……なにするの?」
「こーするの」
 下に小さく書かれた和泉という名の横に、吉原という字を足す。 これが絵馬を書く際に正しい手法なのかはわからないが、細かいことは良いだろう。
 連名してあるそれを絵馬が並ぶ場所へとかけ、吉原は満足そうに頷いた。
「願い叶うと良いよな」
「……、うん」
 和泉の手を握り、揺らしてやれば観念したのか素直に顔を縦に振った。
 それから二人は清水寺の方に赴き、参拝をしてから近隣の観光名所を見て回った。
 三年坂から二年坂に移動し、ねねの道も通った。 京都の情緒ある町並みに心洗われながら歩けば、自然と癒されるようだ。
 繋がれたままの手は離れずに、ずっとくっついている。
 集合時間まであと少し。 随分と歩き回り、気がつけば二人は四条の方へきていた。
 ここ四条は京都で大きな繁華街でもあり、祇園や木屋町、先斗町などの飲み屋街へも連なる場所だ。
 本日のホテルは京都駅方面にとっているのだが、ここからならタクシーで移動してもそう遠くはない。
 二人は四条と三条に繋がる有名な川、鴨川へと降りると一定の距離をとって座るカップルに混じり、河川敷へと腰をおろした。
 この鴨川は京都でデートスポットとして有名だ。 なにがある訳でもないのに、カップルが自然と集まる場所なのだ。
 未だ明るい時間故に人はまばらだが、周りはカップルだらけである。
 和泉は周りの視線を気にしているようだったが、誰も周りなど見ていない。 吉原は和泉の髪の毛をぐしゃりと撫ぜると、距離を縮めた。
「疲れたな。明日も京都だっけ」
「……うん。そう、……京都」
「……眠い?」
「ちょっと歩き疲れただけ。よっしーは元気だね」
「まあな。夜のためにも体力温存しとかねーと駄目だし?」
「っ、さ、最低! もう! 直ぐそういうこと言うんだから!」
 頬を膨らませ、手を離そうとぶんぶん振る和泉の手をしっかりと握ると、吉原は顔を覗き込んだ。
 こつり、と合わさる額。 外は明るいというのに吉原は恥ずかしいことばかりするのだ。
 だがここにいる人みな自分たちに夢中で、周りなど見ていない。
 和泉はそれに観念をすると、吉原の瞳と合わせるように瞳を移動させた。
「今度は二人で旅行こような」
「……うん」
「また来年きて絵馬書くか」
「……うん。……毎年これたら、良いね」
 小さく紡いだ和泉の言葉に吉原は瞳を瞠目させると、ふと小さく息を吐いた。
 ほぼないに等しかった距離がぐっと近まり、柔らかな感触が世界を支配する。
 ひたりとくっついた唇。 ただ触れ合っているだけのそれは甘い痺れをもたらして、お互いの心を夢中にさせた。
 見知らぬ土地、見知らぬ人、見知らぬ世界。 修学旅行にきたといえど、二人で行動すればそれは甘いものへと変わるのだ。
 寂々とした川のせせらぎの音。二人は隠れるように、キスをした。