いつかの未来
「蓮! 開けろよ! おい、蓮って!」
「やだってば〜! 昨日もそう言ってなかなか帰んなかったじゃん!」
「彼氏だろ? 彼氏のオレが長居してなにが困んだよ!」
「だから〜原稿しなきゃ駄目なんだってばぁ!」
 扉越しに大声で叫び合う二人の声。 幾ら隣の物音が聞こえないという防音が売りの部屋であっても、二人の声は筒抜けであった。
 ほどほどの値段を誇るだけあってセキュリティがバッチリとしているこのマンション。 和泉は春から一人暮らしのためにこのマンションに引っ越してきたのである。
 大学からも近く近隣にはスーパーやコンビニ、駅などがあり、人通りも多いこのマンションは便利だという理由で学生に大人気であった。 その理由は室内や外壁の綺麗さと値段の安さだろう。 学生に限り通常賃貸の三十パーセントオフで住むことができるのだ。
 そんな人気のマンションに和泉が軽々と直ぐに住めるようになったのには理由がある。 それはお隣さんの協力があったからであった。
 そうそのお隣さんとは言わずもがな凛である。
 最初はしつこいほどに同居をしようと迫ってきた凛であったが、和泉はきっぱりと断り続けていた。 それは望月の存在もでかかったが、ただ単に一人暮らししたかっただけというのもある。
 望月は凛と一緒の大学に行こうと努力はしてはいたのだが、凛が通う大学は国公立であった。 馬鹿である望月が行けるはずもなく、結局は持ち上がりの水島デルモンテ大学へと進学した。
 だが運が良いことに凛の通う国公立の大学と望月たちが通う大学は近かったのだ。 その為、和泉に同居を断られた凛は望月と同棲することに決め、一先ずは落ち着いたのである。
 しかし凛も望月も心配性だ。 和泉が一人暮らしをするということに心配をし、とある条件を突きつけてきたのである。 それは凛が用意したマンションに住むこと。
 いい加減しつこい凛にほとほと疲れてきた和泉は渋々それを受け入れてしまったのだ。 その結果がこれだ。
 凛が用意したのは自分たちが住む部屋の隣であった。 どうやって用意したのかは定かではないが、凛はその部屋を用意すると和泉を住まわせたのである。
 だが問題はこれで終わりではなかった。 今度は吉原がぎゃあぎゃあと煩かったのだ。
 同棲したいと毎日和泉に持ちかけ、却下される日々。 引っ越してしまった後も同棲と煩かったのだが、和泉が頑としてその意見を譲らなかったために毎日通うという暴挙に出た。
 吉原と同棲するのが嫌な訳ではない。 だがゆっくりもしたいのである。
 なんだかんだ言いつつ毎日受け入れてしまっている和泉は、ここ最近吉原とばっかり過ごしていた。
「蓮! 夜からバイトあるから早く入れろよ!」
 どんどんと扉を叩く音。 和泉は溜め息を吐くと首を横に振った。
「なら大人しく家に帰れば良いじゃんか!」
「蓮とちょっとでも一緒にいたいし」
「も〜! そういって毎日入り浸ってるじゃんか!」
「生活費渡しただろ!?」
「そういう問題でもなくって!」
 あまりに煩い和泉と吉原の痴話喧嘩に嫌気が差したのだろうか、隣からバンと乱暴に扉を開く音がした。 それは寝不足で目元に大きな隈を作っている凛であった。
 不機嫌な表情で吉原と睨むと、ずかずかと近寄りとあるものを取り出した。
「煩い」
「あ、お義兄さん、すみません」
「だから義兄じゃねえっつの。いい加減にしろよ。俺はな、まだ認めた訳じゃねえし! つーか煩いから中でやれ!」
「……すみません」
 しゅんと項垂れた吉原を見て満足したのか凛は和泉の部屋の前までくると、持っていた合鍵で扉を開いた。 ガチャッとドアノブを回して扉を開けば呆然としている和泉の顔が出迎えてくれる。
 最早この作業でさえ定例化とした今、和泉に成す術は残されてなどいないのであった。
「あ、兄貴! 開けないでって言ってるじゃんか!」
「可愛い可愛い蓮ちゃんのお願いごとなら聞いてやりたいんだけど、まじで眠いんだわ……。柚斗とヤる暇もねえのよ、わかってちょうだい」
「……うん、ごめん」
「わりーね〜、そんな訳で寝るし……いい加減蓮ちゃんもどうにしかしろよ?」
 そう言って凛はふらふらとしながら自室へと戻っていった。 残されたのは妙に気まずさを出している吉原と和泉。 ちらりと和泉を見ると、吉原はおずおずと言葉を紡いだ。
「中入って良い?」
「……良いよ」
 少し嬉しそうな顔をしてみせた吉原は和泉の部屋に一歩入ると扉を閉めたのである。
 和泉の部屋は予想を裏切って意外に片付いている。 それも通い妻のように通う吉原やお隣さんである凛や望月のお陰でもあるのだが。
 ワンルームのマンションであるが一人暮らしにしては大きい部屋だ。 その部屋に所狭しと同人誌などが並べており、少し圧迫感を感じるが和泉らしい部屋に落ち着くものを覚える。
 吉原はきょろきょろと視線を彷徨わせると、アイボリー色をした柔らかなソファに座った。
「なあ、蓮。いい加減考えてくれねえか?」
「だから、同棲はしないって言ってるじゃん」
「なんで? せっかくずっと一緒にいられるようになったんだし、一緒に住みたいじゃん」
「なんだかんだ言ってこうやって毎日会ってるじゃん? 良くお互いの家に泊まりに行ったりもしてるし、今のままじゃ駄目なの?」
 吉原の隣に腰掛けると、真剣そのものの吉原の目を見返した。 この話題は和泉がここに引っ越してきてから、ずっと話し合っていることでもあった。
 元々吉原はずっとそのつもりだったのである。 和泉が卒業したら直ぐに迎えに行って二人で新しい部屋を探して一緒に同棲をするというささやかな夢があった。
 流石に凛や望月と一緒に住むと言われたら諦めようとは思っていたのだが、一人ならば問題などない。 自由な時間はずっと和泉と一緒にいたいためそう願っていたのだが、和泉はそうではないらしかった。
 吉原と一緒にいたいという気持ちでは一緒だが、一人の時間もほしいという。 それに原稿やら同人誌やらなにかと趣味の問題があるので、吉原と同棲する訳にもいかなかったのだ。
 そんな二人の主張は延々と続き、もう直ぐ大学生活がスタートするという時期になるまで続いていた。 一向に埒があかないが、お互いとも意見を譲ることなどない。
 同棲を主張する吉原と、一人暮らしを望む和泉。 交わることなどなかったのである。
「蓮……一人で寝るの寂しくねえの?」
「な、に」
「オレは蓮を抱き締めたまま寝たいけど」
「……もう! そういうの駄目! お、俺だって別によっしーと一緒にいたくないって訳じゃないんだし……でも、同棲は、駄目なの」
「なんで? しっかりした理由言ってくれねえと、諦めらんねえし」
 ずいっと迫ってくる吉原にたじたじになった和泉は俯くと、今まで黙っていた理由を言うことにした。 だがこれを言ったところで柳星が諦めてくれるとも限らない。 いや寧ろ増長させるだけにしかならないだろう。
 だが和泉は言わなければならない。 諦めたように唇を開くと本当の理由を口にした。
「同棲したら、……離れらんなくなるじゃん」
「……え?」
「だから、離れるとき、……寂しくなるから、嫌だ」
「そっ」
 和泉の言葉に吉原が驚いたように瞳を開いた。 犬なら大きく尻尾が揺れているだろう。
 案の定嬉しそうに表情を緩めた吉原は和泉に飛びつくと、ソファに押し倒したのである。
「そんなの離れる訳ねえじゃん!」
「言うと思った! だから、やなのに!」
「ほんとにほんとに同棲は嫌なのか?」
「……嫌っていうか、……っていう、感じ」
「なら入り浸るのは良いんだろ?」
「まあ」
「じゃあさ、毎日毎日あんなことしねえで素直に入れてくれよ」
「……うん、でも、たまにはよっしーの家にも行きたい」
「じゃあ週末はオレんとここいよ。平日はこっちくるし。それなら良いだろ?」
 そう提案した吉原に和泉は頷くと、その妥協案を受け入れた。 といっても今までとあまり代わり映えはしないのだが、約束するということではっきりとしたものになる。
 結局は一緒に眠ることも一緒に過ごすことも嫌ではないのだ。 だから最後には部屋に入れてしまうのかもしれない。
 たまに痺れを切らした凛が部屋の扉を開くことも少なくはないが。
 吉原は和泉の頬をしっかりと持つと唇を近づけてくる。 キスをされる、と思った和泉は目を閉じるとそれをしっかりと受け入れた。 唇にふにっとした柔らかな感触。 吉原の唇。
「ん」
 何度か言ったりきたり、触れるだけのキスを繰り返した吉原は遠慮がちに唇を舐めると和泉の頬にも唇を落とす。 顔中に触れるような優しいキスを降らせると、和泉は柔らかく表情を崩したのである。
 甘いようなそんなふわりとした空気が部屋を包む。 吉原の手付きに絆されていく和泉は、吉原の首に手を回すとぎゅっと抱きついた。
「よっし、……今日は泊まっていくの?」
「ああ、うん。良い?」
「良い、よ」
 和泉の部屋には吉原の私物で溢れ返っている。 いつきても泊まれるように、という意味もあるようだがマーキングの意味合いも多いのだろう。 和泉の部屋にくる理由を一つ一つ増やしていくうちに、いつの間にかこんなにも増えてしまった。
 傍から見れば二人暮らしのような部屋であるが、それは吉原の部屋もである。 お互いがお互いの部屋に、たくさんの荷物を置いているのだ。
 なんだかこれもある意味同棲みたいなものである。 部屋が二つあるだけで、二人の生活はほぼ半同棲に近いのだ。 それに気付いていないのは二人だけ。
 吉原は和泉の服に手をかけると、とろりとした目の和泉を見つめながら服の下に手を差し入れた。
「わ、よっしー!」
「……駄目?」
「だ、だめって、そんなの、バイトあるんでしょ?」
「夜からだし、まだ昼だぜ?」
「あ、昼からなんて不純だ、よっ」
「まあまあ、なんかしたくなったんだし、……やろうぜ」
「……や〜もう!」
 ぐいぐいとよっしーの身体を押し退ける和泉であるが、その腕は頼りなくも非力である。 なかなか押し返すことに成功しないままでいる。
 吉原はそんな和泉が微笑ましく、くすりと笑みを零すとその腕を取って手の甲に口をつけた。
「可愛い」
「な、……」
「なあ、蓮、いつかさ、一戸建て買ったら同棲してくれる?」
「い、一戸建て!?」
「オレがモデルで成功して、そんでお金いっぱい稼いでさ、一戸建て買うから一緒に住も。蓮専用の書庫も作ってよ、んで、ルルがいっぱい遊べる庭付き! ルルは子供産んでる予定だし、ルルとルルの子供にも囲まれて……楽しそうじゃね?」
 そんな夢のような話。 瞳をきらきらさせながら言うものだから、和泉もついつい楽しくなって頷いた。
「うん、……良いよ。それなら、一緒に住みたいな」
「まじ!? じゃあ早くモデルで成功して一戸建て買うから待ってろよ!」
「はは、待ってる」
 きっとまだまだ先の話になるだろう。 何年かかるかなどわからない。 だが吉原なら絶対に叶えるという変な確信を持っていた和泉はその未来に思いを馳せると頬を緩めた。
 きっと楽しいだろうな。 だけどあまり楽しみにし過ぎると待ち遠しくなるから、考えないようにもしないと。
 和泉は少年のように未だに語り続ける吉原の唇に、己の唇を押し当てるとそうっと黙らせた。 素直になれない和泉の精一杯の行動の意味を、吉原は理解したのだろうか。
 案の定真っ赤になって固まってしまった吉原は黙りこくると、和泉の顔を凝視したのである。
「……柳星」
 和泉が紡いだ名前の意味を知るものは、和泉と吉原しかいない。 吉原はその響きに胸をとくりと高鳴らせると、ソファへと和泉を深く沈めたのである。
 きっと何年経っても同じようなことでぐだぐだと言っているのだろう。 そうだと良い。 そしていつかの日には、一戸建てで二人ルルとルルの子供に囲まれながら言い合いをできるのなら、きっとそれが一番の幸せなのだ。