そこに初めて行ったのは、深星に連れられてだった。
深星が散々悩まされていた彼氏、赤坂の働いているバー。
赤坂の愛想は悪かったが、気を許してもらうと驚くほどに受け入れてもらえた。
そのバーに何度も連れられ、常連というほどまでに通い詰めた昨今、俺はそのバーに居心地の良さを覚えていた。
働いているバーテンダーと顔馴染みになり、深星なしで通うようにもなっている。
今日とて深星を連れてこずに、俺はこのバーへと足を運んだ。
というよりも赤坂と同棲を始めてから、深星はなにかと忙しいらしく、このバーに通えるほどの暇がないというのが理由なのだが。
静かなクラシックが流れる店内。
俺を迎えてくれたのは思わず見惚れてしまうほどの綺麗な笑顔だった。
「星子君、こんばんは。今日も一人かな?」
「はい、そうなんですよ。なんか深星が赤坂とデートするっていって。まあここに赤坂がいないときはあいつもこないんですけどね」
俺に声をかけてくれたバーテンダーは、このバーで一番親しくさせてもらっている人だった。
名前を一条 貴哉(いちじょう たかや)と言い、歳は俺の三つ上だ。
濡れ烏のような漆黒の髪と、透き通るような白い肌。
顔はとても綺麗で、思わず溜め息が出るほどだ。
すっと横に伸びた奥二重の涼しげな瞳、それが伏せがちになると長い睫が陰を落とす。
身長は俺と同じくらいか、少し高いくらいか、身体つきは華奢だけれども筋肉はしっかりとついている。
正直、見惚れてしまうほど綺麗で格好良い一条さんは、俺の憧れの存在でもあった。
初めてこのバーにきたとき、深星に紹介され知り合った。
最初は冷たい人なのかと思っていたが、いざ喋ってみると驚くほど気が合うのだ。
一条さんも俺と同じでゲイだという。
それもタチ。
そこまで揃えば、俺は普段誰にも話せないような悩みなどを一条さんに話すことができたのだ。
深星はネコだし、赤坂は惚気ばかり。
話になどならない。
今日とて一条さんとゆっくり話せるのかと思うと、俺は知らずの内にテンションがあがっていたようだ。
「じゃあなんにする?」
「えーっと、メロンボールで」
「OK。……あ、ねえ、今日はゆっくりしていくの?」
「はい。明日大学休みなんで、朝まで飲もうかなって。一条さんはいつまで勤務なんですか?」
「今日は早上がりなんだよね。じゃあ終わったら僕も一緒に飲んで良いかな?」
「ええ、是非! 一条さんと飲めるとか嬉しいっす。一条さんお酒強そうですよね」
「はは、まあ強いかもしれないね」
シャカシャカとシェーカーを振る一条さん。
一連の麗しい立ち居振る舞いに、俺はほうと感嘆の息を吐く。
俺も一条さんもタチだから間違いが起こることなどないが、本当に一条さんは艶やかだ。
タイプの男ではないにしろ、時折ドキッとさせることが多い。
すっと伸びた長い指先がグラスをなぞり、なんともいえない不思議な色の液体をそこに注ぐ。
メロンリキュールとウォッカ、オレンジジュースからなされるそのカクテルは俺が一番好きなものでもあった。
「はい、どうぞ」
純白のコースターの上に、置かれたグラス。
ゆらゆら揺れる液体が、俺の喉をからからにさせた。
それから俺はリキュールベースのお酒を煽りながら、一条さんと他愛のない話で盛り上がった。
深星のことや、赤坂のこと。
または大学のことや、私生活、趣味の話など尽きない話題にお酒も進む。
きっと一条さんは聞き上手でもあるし、話上手でもあるのだと思う。
バーテンダーをしているぐらいだから、当たり前なのだろうが。
とにかく俺は一条さんと話していると楽しくて楽しくて仕方がなかった。
深星といるときも楽しいが、それとはまた違う楽しさ。
少しだけ、恋の始まりにも似た感情だ。
一条さんのことを知りたい。
一条さんと一緒にいたい。
一条さんの一番になりたい。
結構際どい感情に焦りを覚えるものの、欲情まではしないから踏みとどまれるレベルなのだろう。
これから先、どう変化するかなどわからないが、どうにでもなれだ。
もう何杯煽ったのかわからない。
これほどお酒を口にするのは久々だ。
ぐわんぐわんと揺れだす視界。
既に勤務を終え、横で飲んでいる一条さんが三人になる。
「……星子君? 大丈夫?」
ぐいぐい酒を浴びるように飲む俺とは違い、一条さんは嗜むように飲む。
ペースの違いもあり、俺はもう既に潰れ気味だ。
というよりはもう直ぐで意識をなくしてしまうのだろう。
そこまではわかっているのだが、何故か止められない。
終わらないというべきか。
空になったグラス。
一条さんが新しいものを頼んでくれ、目の前にはブルーのカクテルが置かれた。
俺のことを心配しておきながら、新しいお酒を次々に頼む一条さんに少しの違和感を覚えたりもしたが、回らない頭ではそこまで深く考えることもできなかった。
「星子君、大丈夫だよ。潰れても僕が介抱してあげるから……ほら、飲んで?」
にっこりと微笑む一条さん。
少し薄気味悪い感覚がするのは気の所為だろうか。
身の危険というものか、いややっぱり気の所為だろう。
一条さんにそんなものを感じるなど可笑しな話だ。
ブルーのカクテルを手にとり、口に含む。
最早味覚など感じない。
俺はその記憶を最後に、ぷっつりと意識を飛ばしてしまったのだった。
ギシギシとベッドの軋む音がする。
それと同時にいやに甘ったるい男の喘ぎ声。
あれ、俺今フリーだよな? セフレなんて作らない主義だし、一夜限りってのも好きじゃない。
なのにどうして男の喘ぎ声が聞こえるんだろう。
もしかして溜まりに溜まっていたから、誰か引っ掛けてしまったのだろうか。
お酒の飲みすぎで記憶が曖昧だし、ないとも言いきれない。
そこまで思い返して、俺は重大なことに気がついた。
俺が飲んでいた相手は一条さんだ。
一条さんが俺を放置することは有り得ないだろうし、一条さんの前で誰かを引っ掛けることも有り得ない。
相手はまさか一条さん……?
ばくばくと鳴る心臓と共に、やってくる強い衝撃。
ずくりと下肢を襲う痛みと快感は、俺の経験したことのないようなものだった。
「はっ……? え、あっ……ちょ」
「……あれ? 起きたの、星子君」
「え、待ってください……え?」
「ふふ、ちゃんと理解できそう? ほら、俺のあれが星子君の中に入ってるんだよ」
そう言って緩く腰を動かす一条さんに、甘い痺れのようなものが俺の背筋を駆け巡った。
ゆっくりと物事を考える余裕はなさそうだが、どうやら俺は一条さんに突っ込まれていることだけは理解できた。
どんな展開でこのようなことになったのかなどさっぱり思い出せないが、俺から強請ったということだけはないだろう。
だって俺はタチなのだし、ネコをしたいなど思ったこともない。
それに一条さんに疚しい気持ちを抱えていたことは否めないが、抱かれたいなど、有り得ない話だ。
焦ったようにぐるぐると脳内を駆け回る情報。
それを正常に理解することは、今の俺には困難でもある。
どうして良いのかそれすら理解に苦しむ今、俺を待つということに飽きたのか、一条さんは俺の足を抱えると腰を緩く動かした。
「星子君の中、最高だね……。初物だったから慣らすのに時間はかかったけど、手間を惜しまないで良かったよ」
「くっ……あ、は……っ!」
「本当にタチなの? 星子君、ネコの素質あると思うんだけどな」
「や、めっ……! い、じょさ……っ!」
「それにしても星子君、結構お酒強いよね。潰すのに時間かかったよ」
顔に似合わず、立派なものをもっている一条さん。
その太くて大きな自身で、俺の内壁をぐりぐりと刺激する。
初めての感覚に戸惑ってはいたものの、予想外に快楽が大きく俺の自身もそそり勃っていた。
身体の底から這い上がって広がる甘いものに、自分のものとは思えない淫声が漏れる。
馬鹿みたいに声をあげると、シーツをぎゅっと握り締めた。
「ここまでくるのに時間かかったんだよ、星子君」
「はっあ、な、に……っを」
「初めて見たときに一目惚れしたんだ。絶対星子君を落としてやろうってね。結果こんなことになっちゃってる訳だけど」
「ン、んん……っ! も、……あと、で……っ!」
「気持ち良いの? 星子君。じゃあもっと気持ち良くさせてあげる」
一条さんは俺の足を掴んでいた手を離すと、上体を倒し、ベッドに手をついた。
先ほどよりも近くなった顔の距離。
余裕そうに見えていた一条さんだったが、予想に反して切羽詰っているようだった。
快感故に寄せられた眉間に、少し荒くなっている吐息。
滲み出た汗が一粒の雫になり、俺の頬に落ちてきた。
状況的には犯されてしまっていた俺だったが、余りに一条さんが艶麗なので変な気分になる。
なにかに誘われるまま手を伸ばし、頬に触れてみれば挑発するような笑み。
ぐっと腰を深くに打ち付けられると、スピードを増して律動をし始めたのだった。
「はっあ! あっ……ふ、……っ!」
「ごめんね、余裕ないから……早いかも」
ぐちぐちと結合部分からいやらしい音がする。この滑りの良さはローションだろう。
スムーズな動きに合わせて俺の腰も自然と動く。
快楽を追い求めてはしたなく腰を振る俺は滑稽かもしれないが、腰使いが上手すぎる一条さんにも問題がある。
全身を襲う経験したこともないほどの甘い痺れ。
息をするのと、自我を保つのに精一杯な俺は抵抗しようとする気力さえ湧かない。
こういったことは嫌いなはずなのに、嫌な気がしない。
寧ろ気持ち良いからいっか、とすら思えるのだ。
俺の前立腺を、一条さんの先端がぐりぐりと押し上げるように擦り上げる。
びりびりとした痺れが下肢から上がり、俺は背中を反らせて快楽を受け止める。
だがなにかが足りない。これだけでは達しそうにない。
「ぁ、あ……っ! いち、じょさ……っ! いけ、な……っ!」
「……ああ、ごめんね。ほら、これならどう? めちゃくちゃ気持ち良いでしょ?」
「くあ、っ! は、あ、っ……あ!」
しくしくと涙を零すように濡れている先端を、一条さんの指先が摩り上げる。
裏筋よりも先端に弱い俺は、その動きにびくびくと身体を震わせ、強い快感に酔い痴れた。
まだ中での快感に慣れていない故、それだけでは満足ができない。
直接的な快楽じゃないと、絶頂に辿り着けないのだ。
一条さんの手に自身を扱いてもらいながら、内壁を擦られる。
底のない沼のような快楽に、俺はずるずると落ちていき、ただ貪るようにして与えられたものを受け入れた。
「あ、あ……っ! も、い、く……っ!」
「じゃあ、一緒にいってみる……?」
「くっ、あ、あ、あっ! は……っんん!」
じゅくじゅくと自身から零れる音。
手のスピードが増し、それと比例するように腰のスピードも増した。
一条さんの薄付きの唇から、漏れる吐息のような喘ぎ声。
それが少しだけ大きくなり、興奮を覚える。
一歩一歩駆け足で絶頂へと導かれ、俺もただ一心に快楽だけ追うと、感じたこともないくらい大きな波が身体を襲った。
びくびくっと跳ねる身体。
勢い欲吐き出した白濁が俺の胸元にまで飛んだ。
久しぶりに性交渉で達した所為か、その快感はいつもより大きく、そしていつもより気持ちが良かった。
「くっ」
堪えるような小さな声を出すと同時に、一条さんは俺の中から自身を引き抜くと、俺の腹部へと熱い白濁を迸らせるのだった。
どっと襲いくる全体の倦怠感。
指先ですら動かすのが億劫だ。
考えないといけないことがあるはずなのだが、ここまで疲れるとどうでも良くなってくる。
一条さんが髪の毛をかきあげ、煙草に手を伸ばす。
カチッという音を立て火がついた煙草を美味しそうに一吸いし、紫煙を吐き出した。
「星子君、意識はある?」
「……あ、ります、けど」
「まあ大体状況も把握してるんじゃないかって思うんだけど、どう? なにか質問は?」
そう聞かれ、俺はどう答えて良いのか迷ってしまった。
辛うじて覚えているところまでの記憶と、一条さんの話を照らし合わせ、俺が考え出したことの経緯はこうだ。
前々から俺を狙っていた一条さんはそのときを虎視眈々と狙っていた。
そんな折、丁度良く俺とお酒を飲む機会ができた。
そこで俺に大量のお酒を飲ませ潰したのだ。
そうして家に持ち帰り、身体を繋げた。
こういうことなのだろう。
「うーん、まあ、そういうもんかな。一応抱いて良い? って聞いたんだよ」
「……記憶ないですね」
「そうだろうね。べろんべろんに酔ってたからね、星子君。だからエッチできたんだけど」
シニカルな笑みを浮かべ、紫煙を燻らせる様に違和感を覚えた。
結果だけを言われても、一体どうしたら良いのかがわからない。
これからどうしたいのかも、だ。
それは一条さんにも言えることだったし、俺にも言えることだった。
記憶がないのではっきりと断言できないが、この行為が同意かどうかだったのかと聞かれれば返答しかねる状況だと思う。
散々タチだと公言してきた俺を、狙っていた一条さん。
俺の隙をついてこういったことに及んだのだ。
計画性がある行動だと思うが、今からどうしたいのだろうか。
思ったほど嫌悪感のない自分に気がつくと、二本目の煙草に手を伸ばそうとしている一条さんを見つめた。
「……星子君?」
「俺に突っ込みましたよね、一条さん。……これからどうしたいんすか」
「え? どうって……」
きょとんと目を瞠目させた一条さんは俺の言葉を理解すると、くすっと笑みを浮かべた。
面白いものを見たときのような笑み。
からかわれただけなのだろうか。
一夜限りで満足したのだろうか。
目を泳がせる俺に一条さんは火をつけた煙草を灰皿に置くと、その長い指先で俺の頬を擽った。
「どうしたい? なんて愚問だよね。残念だけど星子君の意見はないんだよ」
「……は? どういう……」
「星子君に一目惚れして、ずっとバックバージンを狙ってた。そしてそれを奪うことができた。それだけで僕が満足するとでも思っているの?」
雲行きが怪しい。
一条さんの瞳が怪しげに光って、欲を帯びた色になる。
思わず腰が引けてしまった俺に、覆い被さってくる一条さん。
耳元に唇を寄せるとなんともセクシーな声色で、恐ろしいことを告げたのだ。
「星子君、君はもう僕のものだよ。逃げることは許さないからね。星子君の大学も家も知ってるよ、僕は。まあ逃げられないとは思うんだけどね」
「え、それ、って」
「物分り悪いね、君。星子君は僕のものだって言ってるの。浮気は許さないから」
「え? え、俺の意見は……?」
「言ったでしょ? 星子君の意見はないって。僕に捕まったら最後。覚悟しておいて」
ぺろりと舐め上げられる首筋。
思わず声にならない声を出し、一条さんの下から抜け出すようにベッドの端に逃げた。
こんな理不尽かつ横暴なことが許されてしまうのだろうか。
一条さんだから、許されると思ってしまう辺り俺も相当可笑しいのかもしれない。
知らぬままに犯されて、一条さんのものになってしまった俺。
タチだったはずなのに嫌悪感どころか嬉しいと思ってしまう。
一条さんのことは確かに好きだ。
惚れかけていたと思う。
だけどこんな展開ってありなのか?
「そんなに怯えなくても安心してよ。愛はちゃんとあるんだから」
「そ、そういう問題じゃないっすよね!?」
「次第に星子君も僕の虜になるよ。だから安心して? 大事にしてあげるからさ」
駄目だ、話が通じない。
俺の意見などないに等しいというかないものとされている。
だけど一条さんに流されてしまうのも良いかもしれない。
流されるまま流されて、行き着く先までいってみよう。
どの道、俺に意見などないのだし、なるようになれだ。
「これからよろしくね、星子君」
一条さんの甘い罠に見事引っかかってしまった俺。
こういう恋の始まりも案外悪くないのかもしれない。
煙草の火を消して再度俺に覆い被さってくる一条さんの身体を、今度は自らの意思で甘受したのだった。