クリスマスソングが流れ恋人たちがこぞって街を染めるこの時期、俺と壮也も例に漏れなく街に繰り出していた。
クリスマス当日は壮也の勤めているバーが忙しくなるために休みが取れず、その埋め合わせのデートということだ。できるならばクリスマス当日に一緒にいたかったなんて言えずに、胸の奥へとしまい込んだ。
一応は恋人同士なのだからなにかを求めたり、言いたいことを言ったり、そんなことをすれば良いのだけど、俺はそれをなかなか実現できずにいる。
あまりに長かったセフレという期間が、俺をそうさせるのだろう。少しのことじゃ嫌われないと頭では理解していても、重荷になりたくないという気持ちが俺を押し留めていた。
俺の三歩前、楽しそうに鼻歌を口ずさみながら悠々と歩く壮也の容姿は恋人という贔屓目を抜いても格好良い。現に見とれている女性の多いこと。
この男は俺のものだって言いたいのに言えなくて、悲嘆した俺に気付いたのか、壮也は振り向くと不審そうな目をこちらに向けた。
「なにしてんの?」
「え? あ、いや別に」
「もっと早く歩けよ。遅れるだろ」
「……わかってるよ」
「大体映画観に行くって言ってんのにそんな買い物するか?」
壮也はそう言って俺の荷物にちらりと視線を寄越した。
俺の手には映画が始まる前に持て余した時間で買い物をした荷物がある。これは俺の私物でもあり、二人で暮らす上に必要な物でもあった。
さほど重い訳でもないが、壮也は歩くのに影響したと思っているのだろう。不機嫌そうな顔のまま口端を歪めた。
「壮也が買い物したらって言ったんだろ? 時間余ってるからって」
「言ったけどよ、そんな買うか? 普通」
「普通ってなんだよ。いるものだろ? この荷物全部」
「だけどよ、いつでも良いじゃん」
「そんな大きな荷物じゃねえし、俺が持ってるんだから、文句なんてねえだろーが」
「……ああ言えばこう言う。なんでそんな喧嘩越しなんだよ。女じゃあるまいしキーキー喚くなよ。あーもう、楽しくねえ。萎えたし」
がしがしと綺麗な黒髪を掻き毟る壮也に俺は唇を噛んだ。
俺だって喧嘩がしたい訳じゃない。もっと素直に可愛い言葉を言いたい。だけどもそんなこと言えるはずもなくて、結局はこんな風に突っかかるような言い方しかできない。
壮也が短気で我侭な質がある分、素直になれない俺とは波長が合わないのだろう。
苛立っているのか不愉快そうな舌打ちを隠すことなく打ち、そっぽを向く壮也に俺は高揚していた気持ちが一気に萎んでいくのがわかった。
「……もう、良い」
喧嘩なんてしたくなかった。クリスマスを過ごすことができないからと、その代わりのデートなのだ。
同棲しているからか外出することが少なくなり、二人で外に出かけるのは本当に久々なのだ。大っぴらにできる関係ではないからこそ、些細なことが特別だった。少なからず俺にとっては、だけど。
やっぱり、俺じゃ駄目だったんだろうか。壮也は好きだと言ってくれたけど、女寄りのバイの壮也にはのっけからゲイである俺なんて合わなかったんだろうか。
小さな歪が広がって、価値観の違いや、今に至るまでの過去、差があり過ぎる想いの深さに俺は限界を感じた。
好きなだけじゃ、駄目だった。好きになればなるほど貪欲になってしまう。前の俺は少しでも時間を共にするだけで幸せだったのに。
「……なに不貞腐れてんだよ。行くぞ」
硬い声音のまま俺に背を向け歩き出した壮也の背中を、俺はただ見るばかりだった。張り付いた足は動くことをせず、その場に留まったまま。
どんどん遠ざかる背中に俺は足をくるりと逆方向へと向けると、宛てもなくとぼとぼと歩き出した。
こんなことをしたら壮也は切れるだろう。暴力こそは奮わないが、言葉で責められる。いや、口を聞いてくれなくなるのかもしれない。
それだけだったらまだ良いが、家を出て行く可能性だってある。最悪別れることもあるだろう。
そう思って俺は足を止めた。振り向いても壮也の姿は当然ない。犇めく人の群れがあるだけで、そこにはなにもなかった。
「そ、うや」
小さく名を呼んでも、どこにもいない壮也が戻ってくる訳がなかった。
無性に泣きたくなる。大声上げて叫ぶように、泣きたい。だけど男としての矜持や人混みの中ということで、俺はわななく唇を噛み締めるだけで精一杯だった。
一歩が重い。少しずつ遠ざかっていくのだと思うと、重い。
周りには幸せそうに歩いている恋人で溢れ返っていて、どうして俺は独りなんだろうという違和感を覚えた。さっきまでは確かに横に壮也がいて、幸せだったのに。
ぐっとせり上がってくるなにかと共にゆるゆると緩む涙腺。目頭にふくりとした水滴が溜まるのがわかった。
だけど瞬きをしてしまえば、零れてしまう。必死になって瞬きをしないよう注意深く踏ん張っていたものの後ろに強い衝撃が走って、呆気なくも一筋の涙が零れてしまうのであった。
「なにしてんだよ! 勝手にどっか行きやがって!」
荒い息をしながら怒鳴っているのは、先程まで一緒にいた壮也の声だった。
走ってきたのか、俺の肩を掴んだまま乱れた呼吸を整えている。俺はその部分だけ熱いのを感じながら抵抗できずに、ぼうっと立ち尽くした。
「おい、聞いてんの? まだふてくされてんのかよ」
ぐいっと肩を引かれて、露見してしまった俺の顔に壮也は息を詰まらせるとなんとも情けない顔をした。
「な、なに泣いてんだよ! 俺への宛てつけかよ!?」
「……せ」
「なに?」
「は、なせ、よ……ほっといて、くれ」
壮也がきたことによって歯止めがきかなくなった感情は、涙という物質に化して俺の表面からぼろぼろと崩れていった。
掴まれた腕も、俺を睨む顔も、全てが愛おしく思うだなんてそうとう俺も馬鹿なのかもしれない。
頑として折れない俺に痺れを切らした壮也は俺が持っていた荷物をふんだくると、手首を握ったまま俺を連れて歩き出した。あまりに強い拘束に逃げることもできない。
「あーもう、めんどくせえ。お前めんどくせえよ」
「う、るさい」
「ああ!? お前のが煩い! ったく、泣くんじゃねえよ! 泣きやめよ!」
「っ、」
「あー! も、泣くなって言ってんだろ!?」
手を離されて、こっちを向いた壮也の顔は困り果てているような表情でもあった。居心地が悪そうにぼりぼりと頭を掻くと、言いづらそうに口を篭らせている。
やや乱暴に目元を拭った指先が思ったよりも冷たくて、俺は無意識にひくりと身体をひくつかせた。
「……泣くなよ。泣いたらどうして良いのかわかんねえだろ」
「ほっとけば、良いだろ……」
「なんでそうなるんだよ。……もー、悪かったよ。俺もちょっと言いすぎた」
珍しく謝りの言葉を吐いた壮也が珍しくて、ばっと顔を上げればふてぶてしい態度の中に照れをみせた壮也がいた。
物珍しげにじろじろと見る俺に居心地が悪くなったのだろう。荷物を落とすように地面に置くと、両の手で俺を包み込むように抱き締めた。
「壮也……?」
「……その、泣くのは、やめてくれよ」
「わ、悪かった。……泣かないよう、に、する」
「あーじゃなくって、その、あー! も〜、その、……とにかく! 悪かった。ごめん」
「……俺も、ごめん……。勝手に、いなくなって」
「……後ろ向いたらさ、響がいなくってちょー焦ったし」
少し身体を離した壮也はそう言って笑うと、涙で濡れた瞼に唇を落とした。まるで涙を拭い去るような動きがくすぐったくて、小さく笑えば壮也も嬉しそうに笑う。
キスをしてしまいそうなほどの距離、かかる吐息だけが熱くて俺は瞼をしばたかせた。
「俺さ、不器用だし優しい言葉かけてやれねえけど、響のことはちゃんと、……だし、だから、……お前も、言いたいことあるんなら言えよ」
「……ああ」
「わかってんの? 確かに始め方悪かったと思うし、お前が不安なのわかるけど、……信用してくれよ」
「……うん」
「聞いてる?」
「……聞いてるよ」
壮也、お前はそう言うけど、俺にはその言葉だけで十分だ。そんなこと滅多に言わない壮也が、そういうこと言うのが貴重だってのはわかっているから。
甘い睦言も、囁くような愛の言葉も、お前は言ってくれないけど、俺はお前が傍にいてくれるだけで良いんだ。
言葉はお前の代わりに俺がたくさん言うから、だから、その言葉の代わりに少しでも良いから一緒にいる時間を長くしてくれよ。
できればずっと、そう、今際の際に言ってくれたら良い。好きだった、と。過去形でも良い。それを聞けるのなら俺にとってそれ以上の幸せはないと思うからさ。
触れられた頬の手に、俺の手を重ねて小さく笑う。笑えば壮也は頬を赤くさせて拗ねたような表情をする。
まるで子供のようなその姿に、愛しさが込み上げた。
「壮也」
「……家帰りたいけど、お前が望んだんだしな、もうちょっと外いるか?」
「ううん。どこでも良いよ。お前がいるなら」
「……すっげー口説き文句だな、それ」
ふいと引き寄せた手の意味に気付いたのか、壮也は呆れもしつつ満更でもない顔で俺に近付くと唇を重ねてきた。
冬の冷たい風に晒された所為か少し冷たくもあったが、重ねているうちに温度など直ぐ忘れる。僅かに開いた隙間さえ埋めるような淡い口付けに、俺は酔い痴れるとただ壮也の唇を味わった。
少しずつ、埋まる唇と同様に距離も埋まっていければ良い。いつかはなんでも言えるような関係になっていたら良い。
吐息を漏らす壮也が、吐いた空気と共に出した言葉は俺の幻聴だったのか、空耳か。それを知る術はもうないけれど、染まった耳が寒さの所為ではないと思う限りは、その言葉も本物なんだろう。
砂糖菓子のような甘さではなかったけれども、俺にとっては宝物のようなその言葉を大事にしようと思う。
誰にも聞かせることのない壮也の呟きは俺の胸にこっそりとしまい込まれると、優しい思い出となるのだ。いつまでも輝く、大切な思い出へと。
ずっと、一緒に、いれたら良いな。壮也。
*
「は、恥ずかしい奴らですね……」
「まあ、良いんじゃないかな。あれはあれ、ああいう楽しみ方もあるんじゃない?」
「楽しみ方!? あれがですか!?」
星子が指を指す方向には、人目を憚らずに唇を重ね合わせている深星と赤坂がいた。
薄暗くなった公園、イルミネーションもないとなれば、こんな冬の季節には誰も寄り付かないだろう。だからといって堂々とキスをしては良い理由にはならない。
現に一条の買出しに付き合っている星子が見てしまったのだから、そんな理由で偶然見てしまう人もいるはずなのだ。
なのに一条といえば顔色一つ変えず、にこにこと微笑ましそうにその姿を見ていた。
星子も恥ずかしいという思いあれども、難色を示す気持ちはない。だけどここはおおっぴらにされてある公園なのだ。
全く持って凝視できない二人の姿に、星子はふいと顔をそらせると信じられないといった風に一条を見た。
「一条さんの感覚についていけないっす」
「ふふ、そこは慣れてもらわないと。最も僕ならもっと星子君が恥ずかしいと思うようなことをしたいけどね」
「……敢えて聞きませんけど、俺は嫌ですからね」
「あれえ? 嫌も嫌よも好きのうち、って言うでしょ?」
「それはそれ! これはこれ! でしょ!」
「はは、言うようになったね」
ライムやらオレンジやらカクテルで使う柑橘類がぎっしりと入った袋を抱えなおすと、一条は星子に寄り添うようにぴたっとくっついた。食材を抱えている星子はたじたじになりながらも、距離が取れずに焦った顔をする。
ここで離れてしまうのはあまりに不自然だ。しかし先程の光景を見ても物怖じしなかったどころか、それ以上をしたいと言った一条に近寄っても良いものかといらぬ心配をしてしまう。
思った通り顔を近づけてくる一条に焦った星子は食材が入った袋を一条の顔に押し付けると、NGを出した。
「無理ですから!」
「……残念」
「残念ってそこまで残念そうな顔でもなさそうですけど」
「まあ、夜に期待してるからね。楽しみだなあ、星子君がどんな風に頑張ってくれるのか」
「って今日仕事でしょう!」
「もちろん終わってから、ね。逃げたらわかってるよね」
「……一条さん、性格悪いですね」
「はは、そういう性格が悪い僕が好きなのは誰?」
涼しげな表情でそう言い放つ一条に、星子はぐぐぐと声を詰まらせると降参というように言葉を吐いた。
「……俺です」
一条にすっかりとのせられている星子ではあるが、既に落ちてしまった今、滅多なこともいえない。これが惚れた弱味というやつなのだろう。
すっかり尻に引かれつつある星子はペースが乱されながらも、なかなか楽しい生活を送っていた。
よもやこんなことになろうとは思ってもいなかったが、これはこれで楽しいのでありかな、と思いつつもあるのだ。結局は好きだからなんでも受け入れてしまうというのが本音なのだが。
一条が昔言った通り、一条に捕まったら最後逃げることなんてできもしない。
最も今は縛られていなくても、一条の元から逃げ出す気持ちはないのだけれど。
「……好きになった方が負け、か」
深星も、赤坂も、星子も、そして飄々としているが一条も、恋には振り回されるのだろう。
星子はすっかりとご機嫌になった一条を見て、大袈裟に溜め息を吐いた。
今夜が憂鬱ではあるが、これも定めだ。違った愛のあり方を噛み締めながら、一条の背中を見るのであった。