同棲をし始めて早くも一年が経った。セフレ期間が長かった故に最初こそ恋人という定義に慣れず、いらぬ不安ばかり抱いて喧嘩を繰り返していたものの一年も経つとそれも徐々になくなっていった。
付き合った当初のようなときめきは今はない。だけど一緒にいることで安堵を覚えるようになった。安定期というのか倦怠期ととるのか、曖昧な気持ちを持て余していた中、久しぶりにデートをすることになった。
同棲しているといっても大学も違えば、生活時間も違う。朝方生活な響に対し壮也は夜型で、特にバーの仕事をしている所為もあるのか同じ部屋に住んでいても顔を合わせることがほとんどない。特に就職活動で忙しい身でもあるから余計にだ。
そんな折やっと時間が合ったのでデートに出かけてみたものの、やはりというべきか我儘で俺様な気がある壮也はその性格が直ぐに変わることもなく、デートだというのに響を放って趣味であるシルバーアクセサリー店に入るやいなや篭もってしまった。
アクセサリーに興味がない響は最初こそ付き合って中で一緒に見ていたものの、流石に時間が経つと飽きてしまい店の外でぼうっとしながら待つことにした。
(あーあ、せっかくのデートなのに……仕方ねえか)
特になにがしたかった訳でもなく一緒にいられるだけで良かった。贅沢をいうのならもっと構ってほしいものだが壮也に言っても鼻で笑われるだけだろう。
道行く恋人たちと見比べて少し落ち込めば、聞き慣れた声で呼ばれた。
「あ、やっぱり深星だ! こんなとこでなにしてんの?」
視線を上げればきらきらと輝かんオーラを醸しながらこちらに近寄ってくる星子が見えた。星子とは大学で出会った良き親友である。互いにゲイだということをカミングアウトしているし、彼氏同士も知り合いなのでなにかと好都合なのだ。
王子様ばりに格好良いと評判の星子ではあるが意外や意外ネコなのだ。丁度その横で美しい笑みを湛えている美人な男、一条こそタチであり星子の恋人でもあるのだけれど。
「んー、まあ、っていうかデート?」
「デートっていうか……あ〜、そんな感じ」
「響くん、こんにちは。今日は独りかな? 壮也くんと一緒じゃないなんて珍しいね」
「別にいつも一緒にいる訳じゃないですよ。……壮也と一緒ですけど、アクセサリー見てます」
響のその言葉に二人はシルバーアクセサリーの店を見ると同時にああと嘆息を吐いた。なるほど壮也が好きそうな店である。ただ恋人を放置しておくのは如何なものか。
退屈そうに、だけどどこか浮き立ってもいる響を放っておけるはずもなく、星子はいらぬお節介とわかっていながらも響の手をとった。
「良かったら話し相手になろうか? 出てくるまで迎えのカフェで時間でも潰す?」
「あー? 良いよ、気使わなくても。そっちもあれだろ、なかなか出かけられないって言ってたじゃん」
「気にすんなって。ねえ、一条さん」
「そうだね。響くんを放っておくことなんてできないよ。あそこなら壮也くんが出てきたら直ぐにわかるだろうしね」
そこまで言われてしまうと、今度は壮也が暴君のように思われているのではないかという不安が生じた。響が勝手に外に出ただけで壮也が悪い訳ではないのだ。退屈を持て余す方法が見つからなかっただけで。
二の句も告げず戸惑っていれば、まるで全てを見ていたかのようにタイミング良く厳重そうな扉から壮也が顔を出した。
「壮也!」
ほっとしたような、少し残念なような、悪い気をさせたような、どこに感情を置いて良いのかわからずにふらふらしていた響が犬のように反応を示した。
壮也はそんな響の声に一瞬瞠目してみせたものの、周りにいる二人の姿を見て怪訝そうに首を捻った。
「なんでいんの」
あまりもな反応だ。苦笑いを零した星子はたまたま、と言うと響の手を離した。星子に恋人がいようとも壮也の独占欲の強さはそんな些細なことにも注がれる。それなりに打ち解けているものの、そこだけは譲れないらしい。
不機嫌そうになったのが目に見えてわかる壮也に、気苦労しているのだろう響が間に入って壮也の手を握った。
「二人もデートしてたんだって、その、お茶でもする? っていう話してたんだけど」
「あ? お茶? なに勝手に決めてんの」
「壮也もうちょっと時間かかるかと思って……悪い」
「別に良いけど。……怒ってねえから謝んな。で? どうすんの」
俯いてしまった響の頭に手を置き、優しく撫ぜると星子と一条に向き直り壮也はそう言った。特になにかをしたかった訳でもなかった星子と一条はせっかくなので、というと少しだけカフェに入ることを提案したのである。
全員顔見知りな上にバーを介して時折顔を合わせていても、こうしてプライベートで集ることなど早々ない。二人組でなら会うことも多いが、四人となると初めてではないだろうか。
心なしか浮上した響に壮也は優しげな瞳で目を細めた。なんともまあ、わかりやすい。
「……なんだかんだいって上手くいってるみたいっすね」
「そうだね。僕たちも負けてられないね」
「勝負じゃないんだから……一条さん、ほんとそういうとこ変わってるよ」
はしゃぐ一条を尻目に、星子ははにかみながら一条の手を握ったのである。
一条と星子はそれなりに仕事関係も含め外装が綺麗だとか、内装が変わっているとかそういった理由で所謂お洒落なカフェに足を運ぶことが多かった。壮也とて遊んでいた時代は女が喜ぶであろうスポットは押さえていたので、こういった場に慣れはある。
だがしかし見目からしてみれば通っていそうなものの、こういったところが実のところ苦手な響だけが萎縮したかのように身を縮めてソファに沈んでいた。
第一メニューのややこしいこと。モカだのカプチーノだのラテだのオレだの。意味がわからない。外装を裏切っての内装に、響は温かい珈琲をもつと溜め息をカップに流し込んだ。
「お前ってほんとそういうとこ意外だよな」
「……煩い。それより星子、お前が行きたいって言ってた説明会の申し込みもう直ぐ締め切りだって教授が言ってたけど申し込んだのか?」
「あ〜おう、ばっちり。覚えててくれたんだ。珍しいな」
「いや絶対行くって言ってたからな。俺もついでに申し込んでおいた。勉強になるかな」
「じゃあ一緒に行こうぜ。そのあとどっかで飯でも食ってさ」
「んー予定空けとくわ」
緊張した響を解そうと星子が話を振れば、安堵したのか響は肩の力を抜くと普段通りになった。話の話題に上るのはもちろん就職活動真っ只中の学生らしくそれ一色で、二人は四人できているということも忘れ手帳を広げると相談をし始めてしまった。
そうなってしまえば面白くないのは壮也と一条である。壮也は早々とある企業から内定をもらっており、就職活動とはおさらばしていた。一条などに至ってはとっくに社会人である。
響が退屈そうだから、と声をかけたことも忘れて今度は早く出たいと思うようになっていた。こんなのは予定とは違う。
壮也とて買い物をしている隙にこんな状況になってしまっていたのだ。望んでいたこともでなかったので解散するとなればそれは有難く、一条と目配せをすると手元にある珈琲を飲み干した。
やはり四人でデートなど、男女のカップルでもあるまいしなかなか上手くいかない。男女ですらうまくいかないのに全てが男同士だ、なんにしろ目立つ。
今日一番楽しそうに笑う響に苛立ちを覚えたものの、ここで高圧的に出れば響を傷つけてしまうことは目に見えていたのでぐっと我慢した壮也は立ち上がると響の手をとった。
「出るぞ。時間だ」
「……は? え?」
「じゃあまたな。世話になった」
ことがいまいち理解できていない響を引っ張ると、壮也はテーブルに二名分の飲食代を置いて足早と店を去っていった。あまりの早業に呆気にとられていた星子であったがそこは理解がある。直ぐに理由と状況を把握すると苦笑してカップに口をつけた。
「……相変わらずお熱いことで」
元よりこうなるのは目に見えていた。元々カフェに入る時点で壮也は乗り気ではなかったのだから。
面白おかしげに星子が納得していれば、それを覆すような一条の言葉。
「あれ? 星子くん、壮也くんだけと思ってない? 僕だってやきもきしていたのは知ってた?」
「は……」
「可愛いね、その顔。んーたまには他人の恋事情を見るのも悪くはない。星子くん、今日は僕の家に泊まっていくよね? もう決定事項だから肯定しか認めないよ」
壮也よりも厄介な男がいたことをすっかり忘れていた。怖いくらいの笑顔で星子を見つめる一条を見て、星子はがっくりと肩を落とすのだった。やきもちを焼かれるのは嫌ではないのだけれど。
*
久々にいろいろな場所をまわり、買い物を済ませた一条と星子は早々に切り上げると一条のマンションで夕食をとった。一条がシェフ並みの料理の腕をもっていたので、正直下手な場所で食べるよりは美味しいのだ。
横に長い料理名をいつも通り聞き流しながら適当に頷いてワインを肴にゆっくりと食し、そうしてそのお礼に星子が後片付けを申し出、そのあとはお決まりの如くセックスに傾れ込んだ。
最初こそずっとタチだった星子は一条に組み敷かれることに違和感を抱いていたものの、付き合いもそれなりに続けばこの状況に甘んじてしまっていた。
正直一条のセックスは上手だ。翻弄されてばかりいるけれど、相性も悪くない。ならば決して駄目だという理由もないので、一条はそれを逆手に楽しむことにした。
ああいった形で始まった恋が今はこんな風に立派に育っている。まだまだ一条には及ばない点も多くあろうとも、補っていけるような関係性にしていくのだ。
星子は暖かなベッドに顔を埋めると、まどろみながら欠伸を噛み殺した。
「星子くん、流石に眠いでしょ。寝ても良いよ」
頭上から降るのは優しい声音で気遣う恋人の声。星子は顔を上げると緩く首を振った。
「うとうとしてるだけっす……眠いけど」
「今日は朝からずっと活動してたしね。それに散々セックスもしたし疲れたんじゃない?」
一条がベッドに腰かければ、その分体重がかかってシーツが沈んだ。ふわりと漂う石鹸の清潔な香りに星子はうっとりと目を細める。なんだか幸せな気持ちもである。
そんな星子の心境を知ってか知らずか、一条は細長い指で星子の髪を梳くとあまり見せない柔らかな笑みを零した。
「こうしていると星子くんも可愛いね。格好良いばかりじゃないんだ」
「ええ、そうっすか……? っていうか一条さん、今日甘い」
「たまには良いでしょ? なんだかあてられちゃったっていうのかな。僕たちにもあんな時期があったのかなって」
思い出すのはたどたどしい壮也と響のことだ。恋人としての付き合いは星子と一条の方が短いけれど、随分と貫禄のある雰囲気をもつようにもなった。一条が大人だという点も大きく左右しているのだろう。
だけどその初心さとぎこちなさが逆に新鮮に見えて、一条は無性に星子を甘やかしたくなった。
きっと壮也も響のことを甘やかしたくて仕方がないだろうに、性格と今までのことが原因で上手くいかず本人に八つ当たりをしている。そんな様子を見て一条は感傷に浸ったのだ。
不器用な愛し方が、逆に愛おしく思える瞬間。
星子の瞼がふるふると震える。必死になって一条の言葉を理解しようと頑張っているものの、どうやら睡魔には勝てないようだ。うう、うう、と唸るさまにぷっと吹き出した。
「星子くん、もう寝な。明日ちゃんと起こしてあげるから」
一条の言葉にも反応がない。だけど寝てはいない。ぎりぎりの線引きで、目をかっ開いている。
健気なんだか意地っ張りなんだか負けず嫌いなんだか、大人っぽくみえても年相応の子供だ。一条は星子の瞼に手を乗せると、強制的に閉じさせた。
「おやすみ。……慶介」
滅多に呼ばない名を耳元で囁くように呼んでやれば、星子がびくりと震えて耳元を赤く染めた。
(嗚呼、ほんと可愛らしいったらありゃしないね)
ベッドの上に乗った一条の手に温かな体温。星子は一条と手を繋ぐと、口元をふにゃりと歪めて今度こそ眠りへと沈んでいった。
規則正しい寝息が聞こえる。一条は幸せそうな星子の表情を見て、つられ笑いをすると星子の額に口づけを落とした。愛おしい人よ。
「良い夢を」
*
星子と顔を合わせればいつだってそうだ。心を許せるほどの友達がいない響はつい高揚してしまって星子との会話に没頭してしまう。後から後悔するのはお決まりのことでもあったのに。
あれから数時間が経ってデートも終え、今は二人の家に戻ってきたというのに壮也の機嫌は未だ直らない。本人曰く押し留めているそうだが、ふとした瞬間に見せる溜め息や舌打ちが響の心を恐々とさせていった。
怒っている訳ではないのだろう、きっと。壮也も大人になった。響も理解をするようになった。だけど説明できない気持ちもある。
冷え切った夕食を円卓に囲むのが辛くて、どうして上手くいかないのだろうと響は持っていたトマトをまな板に置いた。
(星子と一条さんはもうあんな……比べたってどうしようもねえけどさ、なんで、こうなっちゃうんだろう)
壮也の我儘で俺様で短気な性格と、響の小心者で考え過ぎな性格はきっと相性が悪い。いつまで経っても素直になれず、自然体の恋人同士になれない。羨むような、そんな関係に。
いつか終わってしまうのだろうか。呆気なくも。壮也は違う誰かの元へと行ってしまうのだろうか。響のように面倒くさい男ではなく、綺麗で素直な女に。
そこまで考えると響の感情は最下層まで落ちて涙ぐんでしまった。
嗚呼、変わったのはこういうことなのか。響の様子にいち早く気付いた壮也は頭をがしがしと掻くと面倒くさそうに立ち上がり、響の横へとのろのろ移動してきた。
「……馬鹿かてめえは」
乱暴に頬を擦られる。まだ零れてはいなかった涙が、ぎりぎりのところで止まった。
「考えてること全部吐けっつっただろ。勝手にうじうじ悩みやがってよ」
「……悪い」
「あー、今日は俺も悪かった。説明できなかったってのもあるけど、心狭いのは直せそうにねえしな。……独占欲強いっていい加減わかれよ、お前もさ」
子供のように笑んだ壮也は少し恥ずかしそうにポケットから小さな指輪入れの袋を取り出すと、響のてのひらにぽとりと置いた。
「これ、付き合って一年経ったお祝いみてえなもん。てめえ指輪とか羨ましそうに見てただろ? たまにはよ、その……叶えてやんのも悪くねえかなっていうか……その、似合うの考えてたら時間使ってた。悪い。退屈だったろ?」
「え、あ……え?」
「まあちゃんとしたやつは、……いつかな、うん。今はそれで我慢しとけ」
言うのすら照れくさいのか、壮也は指輪が響に渡ったやいなやそそくさとわざとらしく後退するとソファへと逆戻りした。
てのひらにかかる、ほんの少しの重み。響は未だに実感すら沸かなくて、それをじいと見つめたまま微動だにしなかった。だってこんなのは想定外だ。あの壮也が、あの壮也が、指輪を贈るなんて。
(夢、じゃ、ねえ……よな?)
袋の紐を解いて中身を取り出した。ころりと転がった指輪は壮也が好きそうないかついデザインで、だけど響に似合うものをと選んでくれたのか壮也がつけるものよりは細身の輪ではあった。
きっと壮也のことだからペアリングだなんて、そんな粋な計らいはしていないだろう。響が憧れたのは確かに指輪だったのだけれど、ペアリングのことなのだ。
だけどそれでも壮也が響のことを思って用意してくれた指輪が嬉しくないはずがない。
おそるおそるはめてみる。最後の最後に笑ってしまうようなオチもなく、その指輪は誂えたかのように響の左薬指にぴったりとおさまった。
「そ、壮也!」
付き合って同棲して一年ちょっと、出会った頃から計算すればもうどれだけ一緒にいるだろう。未だに素直になれないし可愛くもないし面倒くさいかもしれないけれど、それでもずっと側にいたい。
響はソファでほんのりと頬を染めている壮也に後ろから抱きつくと、不器用ながらに甘えてみせた。
嗚呼、いつか互いの両手に同じ銀を光らせることを夢見て、今は一つの銀を噛みしめていようではないか。