秘密結社★アークモノー団 07.5
「……んな探したってねえよ」
 ごそごそと部屋中を見てまわる白瀬を横目に雨乞は喉の奥から搾り出すような声を出した。
 土曜日の夕暮れ、仕事が休みの雨乞と白瀬はだらだらと惰性な時間を過ごしていた。本来なら雨乞はゆっくりと休みを堪能するはずだったのだ。だが金曜日の夜から白瀬が居座ってしまったため予定が全てパアになった。
 ジョギングも溜めていたDVDの消化も買い物もなにもできない。白瀬を放って出かけるというのも一種の手だったが、昨晩から散々身体を甚振られていた所為で腰が痛く動くことができない。
 部屋をうろちょろと動いている白瀬を雨乞はソファにうつ伏せになったまま見つめた。少しでも腰に負担が掛かればずきりと痛んでしまう今、白瀬を監視するということしか雨乞はできずにいたのだった。
「これなに〜? エロDVD?」
「……笑点」
「はあ? なんでそんなもんがここにあんの」
「なんでって、見るからだろうが……。だからさ、んな探したってAVはねえって言ってんだろ」
「なんでねえの! 普通あるでしょ? 健全な男だったらさあ! エロ本もねえの? あ、データ派? PCん中にあるの?」
「ない!」
「……もしかして妄想派? 雨乞さんて意外にむっつりなんだあ、やらしい〜」
「うるせえな! もうてめえ帰れよ! 俺は今から買い物して溜めてたDVD見てジョギングしてビール呑んでガーデニングするんだよ!」
 抗議してみるものの白瀬は全く聞く耳持たず、というより聞いていないふりだ。
 部屋を漁るのを諦めたかと思うと雨乞を押すようにしてソファに座り、その上から乗っかった。
「ねーえー雨乞さーんー」
「重い! 腰痛いんだから乗るな!」
「え〜? 歳なんじゃないの〜? ね〜雨乞さん、腰鍛えたらあ?」
「そ、ういう問題じゃねえだろ! 白瀬さんが一回で済ませてくれたら良いんだよ! っていうかセックスしなけりゃ済む話だろうが……」
 ずっしりと圧し掛かられて髪の毛を逆撫ぜられる。その曖昧な感覚が宥められているような気にさせて、なんとなく心が落ち着かない。
 耳元に降る柔らかな口付け。大型犬にじゃれられているようだ。鬱陶しいと振り払えるほど邪険にもできない雨乞はそれを受け入れていたが、カチッというライターの音ではっとした。
「ちょ、ちょっと白瀬さんここ禁煙!」
「ん〜? 大丈夫、灰皿には空き缶使うから」
「そういう問題じゃねえだろ!」
「そうかりかり怒んないでよ〜。あ、ねえねえお腹減ったからご飯作って。豚の角煮食べたいなあ。あ、鰈の煮付けでも良いよ」
 そう言いながら紫煙を吐き出し、ソファ下に置いてあるリモコンを手に取る。パチリという音がして付けられたのはゴルフ放送。良く昼過ぎに放送しているが流しでしか見たことがない。そことなく眠りを誘うアナウンサーの声がした。
 ぎゅうぎゅうに押し潰されてごろごろ甘えられて、一体どんな状況だと問いたい。切実に。
「あーもう! 俺は家政婦じゃねえ! 身体だるいからご飯とか無理!」
「えー! 作ってよ。ご飯〜お腹減った! 雨乞さーん」
「つーかほんと、重い!」
 伸ばした手で押し退けた白瀬の身体は簡単に落ちてくれると、ソファの下に寝そべるという体勢で落ち着いた。ぶうぶう言いながらクッションを手元に引き寄せて、携帯を弄り出す。
 ゴルフ放送なんて見ていないじゃないか、そう思いチャンネルを変えれば聞いているから変えるなと言われて、そのまま渋々とソファで白瀬と同じように携帯を弄れば人と一緒にいるときは携帯を弄るなと言われた。
 ではどうすれば良いのだ。ぶうたれた雨乞に白瀬はご飯としつこく催促を繰り返す。全く持ってノイローゼになりそうなものの、ごろごろと大型犬のように甘えてくる白瀬が可愛いと思ってしまう。
 脳味噌を抉じ開けて見てみたい。痛い腰を擦って立ち上がる雨乞は、究極のMのような気がした。
「ご飯作ってくれるの?」
「……豚の角煮とか、鰈の煮付けは無理だけど」
 甘過ぎる。白瀬を甘やかし過ぎではないだろうか。だからこんなに付け込まれるのだ。そうわかっていても、雨乞は文句も言えず冷蔵庫を覗いて溜め息しか吐けなかった。

 それから冷凍ものや残った材料でなにを作ろうか、と悩んでいた雨乞に対し白瀬は大人しくしていた。
 携帯を弄りながらゴルフ放送を見てごろごろしている。そんな白瀬だったが次第に飽きたのだろう、すくっと立ち上がると再び部屋を物色し始めた。
 仄かに香る煙草の香りが煩わしい。雨乞は適当に食材を取り出すと、白瀬を見ながら用意をした。
「あ、すげえ。雨乞さんガーデニング趣味なの?」
 白瀬が新たに見つけたのはベランダの向こう側。それなりに良いマンションに住んでいる雨乞の部屋には、それなりに広いベランダが設置されてある。
 洗濯物を干しても十分にあるスペースを活用するという名目で始めたガーデニングや家庭菜園は今や雨乞の趣味となっていた。
「……まあ、あんま弄るなよ」
「弄らないよ〜。凄いね、これ」
 ガラガラ開かれるベランダ。白瀬は淵に座り込むと感心したようにそれらを見つめた。その無言の観賞が褒められているような気がして雨乞は知らずに気分が良くなる。
 興味のない人からすれば煩わしい趣味だろうが、雨乞にとっては心の憩いにもなっているのだ。
 毎日少しずつ変化をしていく花や野菜たち。一日のスパンで見ればそれほど変化はないと思われがちだが、一週間一ヶ月となるとあっと驚くような変化を見せる。
 季節によっていろんな花や野菜も育てられるし、慣れてくれば育てるのが難しいものにだってチャレンジできる。それが育ったときの喜びはなんにも代え難いものなのだ。
 ふんふんと鼻歌を鳴らす音に混じってご飯を炒める音が部屋に拡散する。雨乞は至極上機嫌だった。
「なあ、これって食えるの?」
「食べれるやつと食べられねえやつがある。どれ?」
「つーかどれが食えるのかわかんねえ」
 炒飯を皿に持って机に二つことりと置く。ご飯の用意は整った。それなりの出来に満足した雨乞は真剣な表情でベランダを見つめる白瀬に近寄るとその隣に腰を降ろした。
「あーこれは食えるよ。香草って言ってまあハーブみたいなもん。料理に使ったりお茶にして飲んだり」
「へえ、節約してるの?」
「いや〜どうだろな。節約になんのか? なんか花育てようってなって花育ててたんだけどさ、最初は。でも花屋にこういうのあったら興味湧くじゃん? そっから育て始めたら家庭菜園もなかなか面白いなってなっただけだから、別に食べる目的とか節約とか気にしたことねえかも」
「ふーん。あ、これ知ってる。プチトマトだ。小学校んとき育てたよなあ、学校で」
「育てたっけ? あ、ご飯できたけど」
 白瀬の指先によってゆらゆら揺らされるプチトマト。色は熟しているように見えるがまだ食べ頃ではない。食べられるかと言われれば食べられるが、酸っぱいのだ。
 ベランダでの菜園では上限が限られているが、それでもあと数日もすればそれなりに甘くて美味しいプチトマトに育つ。サラダにして食べようかな、などと考えていれば白瀬の指が不埒な動きを見せた。
「あ」
 ぷちり、ともがれたプチトマト。そのまま洗うことも許可を得ることもなんの言葉も発することなく白瀬はそれを躊躇いもなく口に含んだ。
「う、酸っぱーい! これ失敗じゃない?」
 間近で見られる視線を感じたが、雨乞はそれどころではなかった。プチトマトがもがれてしまったのだ。愛情を掛けて育てた未熟なプチトマトが白瀬の指によって無残な姿に変わり果ててしまった。
 かっと頭に血が上った雨乞は白瀬の頬を思い切り抓り上げる。
「俺の大事な赤丸三号! なに勝手に食ってんだよ!」
「いひゃい……っていうか、別に怒ることないじゃんか〜一個だけだろ? え、つーか名前付けてんの?」
「たかが一個だけどせっかく大事に育ててたのに! しかも食べ頃じゃねえのに! 普通聞くだろうが! 最悪! 最低!」
「あーもう、別に良いじゃん。悪かったって。ていうか食べ頃じゃないなら言ってくれよ〜、ちょお酸っぱかったんだけどお」
「うるせえうるせえ! そういうとこ常識ねえよな、白瀬さん! なにしてくれてんだよ!」
「わかったわかった。新しいもの買ってやるから。スーパーなり花屋なりなんだって買ってやりますよ〜。それで良いだろ? だから怒んなって。つーかたかが一個食っただけじゃん、かりかりし過ぎ」
 そういう問題ではないのだ。流石に名前を付けているのはやり過ぎだと思うが、そういう問題ではない。心が全くもって通じてない。理解されていない。わかってもらえない。
 どこにでもあるプチトマトだろうが、いずれ食べられてしまうプチトマトだろうが、雨乞にとっては代えのきかないプチトマトなのだ。代わりなどありもしない。世界一高級なプチトマトを引き換えにしたとて、代わりなどない。
 何故そこまで拘っているのか雨乞自身にもわからなかったが、白瀬の行動や言い草にカーッとなってしまった感情はちょっとやそっとじゃ収まることもなさそうだ。
 面倒臭そうに頭を掻いている白瀬に涙が滲んでくる。癇癪だと言われようが、大事にしていたものを踏み躙られたような気分になってしまった雨乞は滲む目元を擦ると手元にあったクッションを思い切り白瀬の顔に押し付けた。
「もう、良い! わかってくれなくて結構! 代わりとかも、いらね、し!」
「は、あ? え、ちょ、ちょっと! なんでそこで泣くんだよ! 意味わかんねえ」
「うるさいうるさいうるさい! 喋んな! 一生意味なんてわかんねえんだろうな、白瀬さんには! もう良い! もう、良い……暫く喋りかけねえでくれ」
 勝手に騒いで泣いて拗ねて子供か、と雨乞ですら思うが喚き叫ぶ心はどうにも収まりようもない。たかがプチトマト一個といえども食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
 吐く息にすら震えが滲み出して、雨乞は一個減ってしまったプチトマトの苗を見ると胸がずきりと痛んだ。
 全くもうなんだって言うんだ。不貞腐れてささくれ立った雨乞はソファにうつ伏せになるとクッションに顔を埋めた。
「……、ちょ、ちょっと? 雨乞さん? まじで言ってんの? ……ねえ、聞いてる? ちょっと〜」
 白瀬の気配が近付くのがわかったが、雨乞はうんともすんとも言わなかった。反応すらしなかった。
「拗ねてんの? ご飯冷めちゃうよ? 先に一人で食べちゃうけど〜? ねえ、聞いてる? 勝手に食べちゃいますよお? ちょっと雨乞さんってば〜」
 ゆさゆさ揺さ振られる。鬱陶しいほど白瀬が構ってきていたが、雨乞は反応すらしたくないと感じていた。話だってしたくない。顔も見たくない。プチトマトのことだけ考えていたい。
「……なー無視? 雨乞さんってば〜ご飯一緒に食べよ? 一人で食べても美味しくないし〜……ねえ、……聞いてる? ……ごめんって、ごめんなさい。悪かったです。……ごめんね? 許してよ。……プチトマト、今度美味しい時期に食べさせてくれる? 勝手に食べないからさ〜」
 しょんぼりと尻込みしていく言葉。白瀬は甘えるように雨乞に擦り寄ると、髪の毛に顔を埋めた。着々進む時間に冷める炒飯。次第に甘えるような白瀬の声と同様に、雨乞の心も溶かされていった。というより絆された。
 だがここで甘えを見せては調子に付け上がるのは目に見えている。雨乞は頭を撫ぜ付ける白瀬の手を叩くと、むくりと起き上がった。
「あ、雨乞さん?」
 無視、無視だ。そのまま立ち上がってテーブルに付く。炒飯はまだ温もりを宿してはいたが、随分と冷めてしまっていた。
「……ごめんね? 許して? ね、ね?」
 直ぐ後から擦り寄ってきた白瀬はわざわざ雨乞の隣に座ると、手前に炒飯を引き寄せた。
 顔を覗き込んでくる白瀬を甘やかしたくなる。雨乞は溜め息を吐いてみせると、白瀬の髪の毛を引っ張った。
「……飯食えよ。冷めるだろ」
「許してくれるの?」
「それとこれとは別! さっさと食え!」
「は〜い。……あ、これ美味しい! すっげえ美味しい! ちょお美味しい! ね〜雨乞さん、また作ってね。今度はプチトマト食べたいなあ」
「……はいはい」
 調子の良い白瀬は変わって機嫌が良くなると炒飯をぺろりと平らげ、雨乞の分まで強奪するように食べた。料理上手でもない雨乞の冷めてしまった炒飯をそこまで美味しそうに食べてもらえれば雨乞の機嫌も良くなるもの。
 白瀬同様、単純である。
 それにその日一日だけだったが、あれこれ雨乞の言うことを聞いてくれたり大人しくしていたりしたから、白瀬も内心で反省はしていたのだろう。帰れという命令だけは無視だったが。
 優しくなった白瀬に違和感を拭えない雨乞だったが、それなりに楽しい週末を過ごすことができたような気もするような。というよりそう思わないとやっていけない。
 それから白瀬がくる度に、プチトマトの経過報告を聞きたがるようになったのだけが二人の関係にプラスされたのである。