come,va? 01
 あの日は雨の強い日だった。
 治安があまり良くない場所に一人で行き、見学も兼ねて優雅な午後を過ごしていたのだ。
 路地裏には怒声が響き、雨の音に混じって拳銃の音も聞こえる。 血と同じ真っ赤の傘を持って、僕は一人、路地裏に入り込む。
 後でこのことがばれたら怒られるんだろうなぁ。 そう思いながらも足は止まらなくて、僕はすいすいと道を歩んだ。
 そこで見つけたんだ。 ゴミと同化して見えるほどに甚振られて、既に虫の息だった男を。
 頭のどこかで危険信号が鳴っていた。 だけど僕はそれに聞こえないふりをして、その男を家に持って帰った。
 全ての始まりは、その男から始まった。

「坊ちゃん! 坊ちゃん! どこにいらっしゃるんですか!?」
「ちょっと大声出さないでよ。起きるでしょ」
「あ、そこにいらっしゃったんですか……!」
「こんな朝からなに? 小言なら聞き飽きたよ」
 僕の目の前にいる、とてもいかつい男は名を四柳 雅之(しやなぎ まさゆき)という。 側近、右腕、お世話役をこなすなんとも忙しいやつだ。 190cmはあろう身長とそれに見合った筋肉、焼けた肌からは男の色香が漂い、その肌に刻まれた傷からは危険な香りがする。 堀の深い目元とすっと通った鼻筋、ぎゅっとしまった口元、後ろに流した黒髪がセクシーでなんとも言えない男前だ。
 僕の前では滅法弱く、甘やかしたがりのヘタレであっても、人の前に立つと大違い。 なんてったって、関東の半分を仕切る三雲組の幹部なのだ。 つまりはヤクザなのであって、だから黙っていると物凄く怖いと良く言われている。
 僕にとっては怖くもなにもないし、ただのヘタレなのだが、35歳でこの地位にいるのだけは少し褒めてやっても良いかなと思っていた。
 そんな僕ももちろんヤクザだ。 自分で言うのもなんだけど、僕は正直言ってヤクザには見えないと思う。
 身長は170cmまでは伸びたのだけど、そこからは伸び悩み175cmと中途半端な高さ。 筋肉はもちろんついてはいるが、細いといった印象を受けてしまうほど服を着てしまえば筋肉があることを隠してしまった。
 母親がイタリア人なのでその血を多く引いてしまい、栗色の髪の毛に蜂蜜色の瞳。 顔はあまり両親には似ず、細長の瞳に二重、鼻も普通だし、まぁ唇はちょっと小さ目かなという程度。 幸いなのが女顔ではなく、きちんと男に見られるということ。 ヤクザで女顔だと威厳も糞もない。
 しかし悲しいかな、どうやってもヤクザには見えず、どちらかというと詐欺師に見られてしまうほど甘い雰囲気を持って産まれてきてしまった。 自慢じゃないが女で遊んだことなどないのに、初対面の人にはすけこましでしょうなどと言われる始末。
 一応こんななりでも三雲組を将来継ぐことになっている僕は、三雲 尚人(みくも なおと)立派な若頭でもあるのだ。 ちなみに歳はまだまだピチピチの23歳である。
「そ、それが……その、……小言なのですが……」
「フフ、どうせあの子のことでしょ?」
「はぁ……し、しかし私は坊ちゃんの身を考えてですね!」
「わかってるよ。だけどもうちょっと待って。僕だってこのままじゃ駄目だっていうことはわかってるよ。だけどあの子を捨てることもできないんだ」
「坊ちゃん……」
「まぁなにかあったらまた教えて。僕、ちょっと話してくるから」
「ハ、畏まりました」
 四柳が膝をつくのを横目で見遣り、僕は細長い廊下を真っ直ぐに進んだ。
 本家でもあるこの三雲組の屋敷はとてつもなく広い。 代々引き継いでいる日本庭園にずっしりと重い瓦の屋根。 畳は嫌いではないが、たまには洋風な部屋にも憧れてみたりする。
 この日本庭園の奥に隠されたようにひっそりとある小さな離れに、件の男がいた。 隠されているのではなく、隠しているのだ。
 とにかくこの男は三雲組にとって、あんまり好ましい人物じゃないのはわかっていた。 使い道によっては有利になるのだが、そんなことを僕は望んでいない。 だからここに件の男がいることを知っているのは、極少人数の信頼できる幹部だけなのだ。
 僕はこの三雲組が大好きだし、みんな信頼しているのだが、それだけでは済まされない事情もある。 悪い方に転べばこの三雲組を壊滅してしまうほど、その男には力があった。
 二重扉をとんとん、と叩いてから中に入る。 既に起きて布団に座っている男は大分、調子が良さそうに見えた。
「気分はどう?」
 僕の言葉にゆっくりと振り返る男。 その姿は誰もが溜め息を漏らしてしまうほど、絶世の美人だった。
 美人と言っても男なのだが、男というカテゴリーに入れて良いものか迷う程、その男は整った顔立ちをしていた。 すらっと伸びた足が印象に残り、身体は華奢で彫刻のようだ。 胸まで伸ばした漆黒の髪は枝毛一つなくサラサラしており、肌はもう人間なのかと問いたくなるほど白く透き通った肌をしていた。 顔はもちろん小さく、整った各パーツがまた絶好のポジションで配置されており、左右対称の顔はもう人形のようだ。 産まれ持ったものなのか、常に色香が漂っている百合 要(ゆり かなめ)は三ヶ月ほど前に僕が道端で拾った男だ。
 最初はボロ雑巾のように痛めつけられていたので、正直死んでいるのかと思ったが、三雲組の主治医の技術でなんとか一命を取り留めた。
 大変だったのは要が目を覚ましてからなのだ。 一ヶ月ぶりに目を覚ましたかと思えば、僕を見るなり大声で叫び、暴れまわる始末。 この細い腕のどこにこんな力があるのだ、と思うほどに強い力で拒絶をされ要の精神は恐怖に苛まれていた。
 どうやっても興奮は治まらないし、どうしようかなぁと悩んでいたところに四柳の登場だ。
 正直言ってあの男ほど間の悪い男もいない。
 四柳の姿を見た瞬間、また要の興奮は最高潮にあがり舌を噛んで自害しようとしたのだ。
 それからが大変だった。 要には恐怖を与えるだけしかないとわかってはいたが、要の身体を縛り猿轡を嵌めさせ、落ち着くまでずっと辛抱して耐え続けた。
 そのお陰か二週間ほど前から僕を見ても怖がらないし、四柳にも興奮することがなくなった。 だけども万全という訳でもなかったので、縛りと猿轡は外させたがこの離れで療養をしてもらっている。
 本当はこんな見ず知らずの人間などに構っているほど僕は優しくないし、暇でもない。 だけどどうしてか、要を見た瞬間に助けなくてはと思ったのだ。
 僕は四柳の忠告を無視して、要の面倒を見ることに決めたのであった。
「……調子、は、良いです」
「フフ、そう? なら良いんだ。ほら、これ苺なんだけど食べれる?」
「ありが、とうございます」
「気にしないで」
 そっと髪に触れた手に、要は身体をびくりと震わせた。
 わかっている。 要は僕が怖いんじゃない。 植えつけられた恐怖故に反応してしまうだけなのだ。
 僕は安心させるように要の手を握ると、ゆっくりと語りかけた。
「要、何度も言うけど、僕は要をどうにかしようとは思っていない。性欲の捌け口にもする気はないし、売る気もない。要を利用しようとも考えてない」
「……わかって、ます」
「フフ、本当に? だけどこれもわかってね、僕は暫く要をここから出すこともできないし、自由にさせる気もない」
「ええ」
「なら良かった。そうだ、なにか欲しいものはある?」
「……三雲さん、少し膝を貸してくださいませんか?」
「良いよ」
 要は僕の膝に頭を乗せると、安心したようにすっと眠りに入った。
 大分警戒心がとれてきたとはいえ、要の精神的ダメージは当分回復しそうもない。 ゆっくりと時間をかけて療養させてあげたいのだが、事態はどうもそうさせてくれない動きになっている。
 要の髪を撫でながら、どうしようかと悩んでいると遠慮がちに扉の開く音がした。
 僕はすっかりと熟睡している要を見てからそっとその頭をどかせ、布団に寝かしつけてから襖を開けた。 そこにはやはりというべきか四柳が申し訳なさそうに立っている。
 僕は目で合図をするとそっとその離れを後にした。
「坊ちゃん、先程入った情報なのですが、要様の情報がもう……」
「……もう清滝組にばれたの?」
「ええ、……多分、目撃されていた模様です。はっきりとした証拠はないのですが、どうも……」
「そう、しくったな……」
「しかし坊ちゃんにとっては予想外の行動だったでしょうし、それに清滝組も坊ちゃんが犯人とは思ってないようです」
「だけど匿ってるのがばれたんだろ?」
「そういう線もある、という程度ですが……時間の問題でしょう」
「困ったな。要はまだ人に合わせられる段階じゃないんだ……しかも原因を作った清滝組とあっては、錯乱を起こすかもしれない」
「……要様には例の件、まだおっしゃってないんでしょう?」
「言える訳ないじゃない」
 はぁ、と吐いた溜め息は重く、事態の深刻さと進むスピードに頭を悩ませた。
 本来ならなんの関係も繋がりもメリットもない要をここに置いておくのは、良くないとわかっている。 だけど三雲組の性質か母譲りなのか、一度でも助けた人間は大事にしなくてはいけないという思いが強い。
 あの状態の要を放っておける訳もない。
 嗚呼、非常に困った。
 問題の清滝組を頭に思い浮かべ、またはぁと溜め息を吐いた。
「……清滝迅、か……あいつはやばいよねぇ……」
「三雲組と違って清滝組は獰猛な奴らが多いですしね」
「そのイロを匿ってるんだもんな……」
 そうなのだ。 要は清滝組の次期組長になるであろう清滝 迅(きよたき じん)のイロでもあった。
 ちなみに僕はこのことを本当に知らなかったのである。
 要を持って帰ってきた日に、四柳に見せたら大変驚いた様子だったので聞いてみたら発覚した、ということなのだ。 何故四柳がそんなトップシークレットのようなことを知っているのかは、僕ですら知らないのだが。
 迅は色情魔がとり憑いているんじゃないのか、というほど性欲が強いそうだ。
 ある意味本能のまま生きていると思うのだが、イロの数が半端ない。 もちろんイロは要だけでなく他に男女合わせていろいろなタイプの人がいると、噂で聞いている。 それだけではなく外にもいるというのだから、迅はある意味凄いのだ。
 イロが何人もいるんだから一人くらい。 という思いだったのだが、迅の性格上人にものを取られることを酷く嫌うらしい。
 僕には到底考えられない人間なのだが、現実に存在しているんだからどうしようもない。
 それに僕が悩む理由はそこだけではなかったのだ。
 実はこの三雲組と清滝組はあまり仲が良くない。 関東を仕切る二大勢力な上、お互いに頂点に立ってしまうほどの大所帯の組だ。 それにこの両組の跡目は、現代になって少し増えてきたがまだまだ少ないと言える世襲制になっている。 傘下の数や仕切っている土地、財力までもほぼ一緒なのだ。
 関東と関西に傘下を持つ三雲組と違い、清滝組は関東と地方。 お互いが全面戦争をしたら二つの組どころか日本全体を巻き込んでしまうので、正直それだけは避けたい。 清滝組もそれはわかってはいると思うので、安心なのだが。
 項垂れる僕の身体を四柳は支えると、そっと髪を撫でた。
「……爺ちゃんたちは仲良かったのにね」
「そうですね。そのときに兄弟盃でも交わしておけたら、坊ちゃんが悩むこともなかったでしょうに」
「でも今更だよね……、僕たちの代で、できたら良いけど……」
 そうなのだ。 実は三雲組と清滝組は相当仲が良かったらしい。
 僕たちの祖父にあたる代は二人で日本を仕切ろう。 仕切り終わったら兄弟盃だ。 そう誓い合っていたと聞いている。
 それが何故こんなに関わりを持たなくなってしまったのか。 それは父たちの代のくだらない喧嘩から始まった。
 父たちも昔はたいそう仲が良く、祖父の時代にできなかった兄弟盃をしようと言っていたのだ。
 その強い絆が壊れてしまった原因は、本当に些細なことだった。
 僕の母はイタリア人なのだが、普通のイタリア人ではない。 イタリアでも有名な大きなマフィアの娘だったのだ。
 迅の父親はそれはそれは古風な人だったらしく、ヤクザであろうとも極道節やら任侠やらと相当煩い。 そのお堅い脳みそではマフィアを受け入れることができずに、僕の父と大喧嘩。
 父は純粋に母を愛しただけだし、マフィアと手を組むという訳でもない。 だけど迅の父親の脳内ではマフィアに屈したと思ったらしく、そこから二人の関係が拗れて今では絶縁状態だ。
 正直言って困るのは次期組長でもある僕たちの代と、今でも仲の良い祖父の代だ。 早く仲直りしたら良いのに、と他人事ながら思っていたりもする。
 うーん、と暫く悩むと僕は潔く顔を上げ、とある決心をした。
 このままじゃ僕たちが追い詰められるのはわかっているし、匿っているのが事実だから分も悪い。 だったらどうすれば良いか、簡単なことだ。
 僕は持ち前の能天気さを発揮させると、嫌な予感がするとでも言いたげな四柳の顔を見てにっこりと微笑んだ。
「おい四柳、車を出せ。清滝組に乗り込むよ」
「ぼぼぼぼぼぼぼぼ坊ちゃん! 正気ですか!」
「正気だよ、僕たち二人で行く。嗚呼、念のためだけど銃は持っていくからね」
「坊ちゃん! 危険過ぎます! 幾ら隠居同士が仲が良かったといえど、今は違うのですよ! それに要様を匿っているという噂で持ちきりの清滝組にとっては坊ちゃんは敵になるんですよ!?」
「大丈夫だって。迅は組長でもないでしょ」
「確かに組長でもありませんし、坊ちゃんみたいに若頭という名もありません。だけどそれは清滝組の仕来りだけであって実際には若頭にあたる人物なんですよ!」
「迅も凄いよね、僕と同じ歳でしょ? うーん、やっぱりヤクザっぽい見た目なのかな」
「坊ちゃん!」
 僕の肩を掴み真剣な表情をしている四柳を見て、僕はふざけるのをやめた。 坊ちゃんの顔ではなく若頭の顔になる僕を見て、四柳は苦渋に満ちた表情を浮かべた。
 こうなってしまった僕を止められないと知っているのだ。
「口答えはしないで」
「……畏まりました。しかしこれだけは約束して下さい。危なくなったら直ぐに撤退すること、私が囮になりますので……」
「安心してなよ。向こうが僕に手出しできる訳がないんだ。お互いに何万人という人の上に立っている。僕たちの組が抗争すればどうなるかぐらいわからない馬鹿でもないよ」
「……一応、です」
「それにね、僕は母の血を継いでるみたいなんだ」
「は、それは……?」
「フフ、マフィアの血をね。マフィアにとってファミリーは大事。僕にとって要はもうファミリーだ。もちろん四柳もね。だから僕が四柳を囮に使うこともなければ、要を返すつもりもない。だけど報告はしないとね」
「……わかりました。若、行きましょう」
 四柳が僕を呼ぶ名称を坊ちゃんから若に変えた。 それは僕がヤクザとして動くときに呼ぶ名称でもある。
 各々の自室に戻りスーツを着用し、念のためと防弾ジャケットを羽織ってから玄関に向かった。
 現在、この三雲組の人手が薄くて良かったと思う。
 最近は三雲組もちょっとした抗争に巻き込まれ、日々人が世話しなく動いている。 だからこそ清滝組にも行きやすいし、清滝組の次期組長のイロを匿っているという噂も隠蔽することができる。
 僕は信頼のおける子分に要の護衛を頼むと、用意されている車に乗り込んだ。 ベッタベタの黒塗りベンツではなく、物凄く目立つ真っ白のベンツだ。
 これは完全に僕の趣味でもあるから、大事な抗争のときには使えない代物でもある。 こんな車で抗争に出かけたら自ら狙ってくれと言っているようなものだ。
 だけど今日は丁度良い。 清滝組に僕がきたと言うまでもなく知らせることができるし、争うつもりもないとわかってもらえる。
 まぁ血の気が早そうなあの組の人たちに、この僕の美学がわかるかなんてのは甚だ想像もつかないが大丈夫であろう。
 鼻歌で上機嫌に笑う僕に、四柳は再三念を押して最後に予想外のことを言った。
「若、決してちゃかしている訳ではありませんが、清滝には気をつけてください」
「ちゃかすってなに」
「……その、はい、清滝組の跡目とやらですが、大変言いにくいのですが両刀でして」
「知ってるよ。女にも男にもチンコ突っ込む人でしょ」
「若……! そんなこと……、ま、まぁそうなのですが、好みも広くてですね」
「……なんとなーく言いたいことわかった」
「若も気をつけてください。あの人に気に入られてしまうと……」
「フフ、大丈夫だよ。僕は気軽に手を出せるほど安い男でもないし? それに興味ないね。でももしかしたら僕が惚れちゃうかもね。そうなったらどうする?」
「わ、若! そんなこと、……あるんでしょうか」
「安心してなって。大丈夫だから。四柳も、要も、僕も、僕が守るよ」
 その一言に安心したのか、四柳はほっとした表情を見せ運転に集中した。
 四柳には悪いが僕の脳内は迅で埋め尽くされていた。 ヤクザみたいな見た目なのか、それとも綺麗な美人系か、知的なクールビューティーなのか。
 それだけが楽しみで、僕は危機感など一切持たず、清滝組につくまで鼻歌を歌った。