支配したい世界 06
「はっ、……ぁ、あん……」
「……尚人? まだいけるだろ?」
 ぐりぐりと最奥を刺激してやるように腰を押せば、尚人は嫌々と首を振った。
 あの夜の日から二日間、お互いを貪るようにセックスをしまくった。 食事やシャワー、睡眠もほどほどにだ。
 最初は酷く抵抗があったのか、尚人は一日目の夜から次第に不満を漏らし始めた。 それを見て知らずの内にほっと出る安堵の息。
 文句が言えるほどには落ち着いてきたらしい。
 ぐちぐちと不満を漏らす尚人が可愛くて、俺は自分を押さえ込めることもせずにただ尚人を抱いた。
 触れる度に身体を捩じらす尚人。 キスでさえいっぱいいっぱいなのか、いつになく濡れた睫が綺麗だ。
 腕の中に閉じ込めて、ずっと抱き合っていたい。 一つ一つの行動に反応する尚人を、誰よりも側で見ていたいのだ。
 きつくシーツを握り締め、逃げようと引ける腰。 押さえつけてずんっと深く突いてやれば、堪らないと言いたげに頭を振った。
「もっ……し、んじゃ……っ!」
 子供みたいに嫌だと言って逃げようとするが、俺の腰が引けば縋りつくような瞳をする。
 身体と頭は別みたいだな。 限界を迎えているのは尚人だけじゃない。 初めよりは硬度も大きさもなくした自身は、今はなにを感じているのか集中しないとわからないほどだ。
 もはやどうして身体を繋げているかもわからずに、ずっと繋がっていた。
「ずっと、愛してやるって言っただろ……?」
「ば、……か、も……やり、すぎ……!」
「今日が過ぎたら、また会えなくなる。休んだ分だけ仕事があるからな。充電しないと仕事もやる気がでないんだ」
「……充電、しすぎ……」
 フフ、と笑った尚人。 やっと見せてくれた笑顔に、俺もつられて笑った。
 頬を両手で包み込み、尚人の顔中にキスをたくさん送る。 くすぐったげにしていた尚人も次第にのってきたのか、俺の首に手を回すと唇もとせがんだ。
 珍しく甘えたような仕草。 くらりと欲情するものの、残念ながら下半身は上手く反応してはくれないようだ。
 仕方なしに突き動かすことを諦めると、尚人のお願いを叶えるために唇を重ね合わせた。
 尚人の柔らかで少しかさついた唇が、俺を受け入れる。
 いつも漂っていたアルコールの匂いもこの二日間はずっと嗅いでいない。 それも俺が一滴も飲ませなかったからだ。
 ワインクーラーのワインを全て割ったのにも一因はあるが、それでも強請る尚人に対しキスをして気を紛らわせていた。
 最初はぶうぶう文句を言っていた尚人も次第に慣れてきたのか、アルコールをせがむこともなくなっていった。
 きっと帰ったらまた飲んでしまうのだろう。 病気にすら思えるそれが簡単に治るとは思えない。 だが、わかったこともある。
 俺が側にいてキスで塞いでやれば、アルコールを飲ませずにすむ。 たった少しの時間ではあるが、尚人の中でアルコールより俺の地位の方があがるのだ。
 アルコールと比べられること事態あまり好ましくないが、尚人の仕様だ。 仕方ない。
 触れ合って、離れて、開いた隙間を埋めるようにまた触れ合う。 差し入れた舌にひくりとなる喉、強引に舌を引っ張ってやれば緩い快感に震える尚人。
 繋がった場所も触れ合った肌も、絡め合う舌も全てが熱い。
「ん、ン……」
 甘さを含んだ艶言に気を良くした俺は下肢で満足させてあげられない代わりに、たっぷりと舌でご奉仕をしたのだった。

 それから数時間後、まどろみから目を覚ました尚人の瞼がぱちりと上下に動いた。
 キスをしてゆったりとした快感にたゆたうようにしていたからだろうか、気がつけば尚人は寝ていたのである。 いや寝たというか意識を飛ばしたというか。
 まあヤりすぎたとは俺も思っていたことだったから、仕様がなくこれ以上セックスをすることを諦めると萎えていた自身を中から引き抜いた。
 簡単にシャワーを浴び、尚人の身体を綺麗にしてやる。 そうしてから、疲れが溜まっていた身体を休めることにしたのだ。
 親父にもらった休みは今日まで。 もう直ぐこのホテルを出なくてはいけない。 だが時間はまだある。
 暫しの間休息を取ることにすると尚人を抱き締めたまま眠りについたのだが、それも一瞬。
 尚人が目を覚ます少し前に目を覚まし、尚人が起きるまであどけないその寝顔をじいと見つめる。
「……起きたか?」
「ん……しんどい……」
「ああ、そりゃそうだろうな。歩けないんじゃないのか?」
「……誰の所為だと思ってんの? もー、最悪! 明日仕事できなかったらどうしてくれんの?」
「……可愛いな、お前は。可愛い」
「はあ!? ふざけたこと言ってないで離してよ! つーか起きてんの? 寝ぼけてるんじゃない?」
 いつもの調子に戻った尚人はべらべらと言葉を矢継ぎ早にまくしたてると、尚人の顔をじいと見ていた俺の頬を抓った。
 そんな行動でさえ愛しさを感じるのだから俺はもう末期かもしれない。
 あんなにも壊れそうだった尚人。 目を離せば消えてしまうんじゃないかと思うほど、儚げで恐ろしかった。
 だが今は元通りだ。 血色も良くなったし、調子も出てきた。
 俺を無理に引き剥がすとのろのろとベッドから這い出る尚人を、可愛いと思いながら見つめる。 腰が痛いのか、はたまた全身に力が入らないのか、へたりと座り込んでしまった。
 まだ元気があるのなら今直ぐにでも襲いたい。 嗚呼、可愛いな、ほんと。
 にやにや笑みを浮かべる俺をちらりと見る。 ギッと睨みつける瞳が印象的だ。
「なんだ? なにか用か」
「フフ……どうしてくれるの? 立てないじゃないか!」
「ああ、そのようだな」
「これじゃ着替えることもできないし、帰ることもできない!」
「お姫様抱っこしてやろうか? ああ、それで街を歩くのも悪くないな……」
「馬鹿言う暇あるんなら手伝ってよ!」
 バフリ、と俺に向かって投げつけられた枕。 それを顔面で受けた俺。
 一瞬の間。 仕様がなしに大人しく手伝うことにした俺は尚人に服を着せて、帰る用意をするのだった。
 俺は清重に回してもらう車で清滝本家へ、尚人は四柳さんが迎えにくるとのことだ。 既に清重は待機しているが四柳さんはまだ。
 先に帰るのも可笑しな話なので俺は四柳さんがくるまでの間、ソファに座り尚人を観察していた。
 全身に広がる酷い倦怠感故、不機嫌になっている尚人。 だが帰るのは寂しいのか、時折俺をちらりと見る。
 そんな尚人の様子に笑みを噛み締めながら、口を開いた。
「……どうせ帰っても新宿の風俗店舗管轄の仕事が多いだろ。顔を合わせる機会はたくさんあると思うぞ」
「フフ、違う仕事かもしれないじゃない?」
「まあ暫くはそうさせないつもりだ」
「……そ、……ね、迅」
 尚人がそう言い掛けた瞬間、扉を叩く音がした。 どこか遠慮がちなノック。 ハッと顔を強張らせた尚人は口を噤むと腰をあげた。
「おい、言いかけてたことがあるんじゃないのか?」
「……フフ、さあ? なんだったかな。忘れちゃったよ」
 歩いているのか歩けていないのか、ふらふらしている尚人を抱き寄せると支えてやった。 少し驚いた表情を見せるものの、嫌ではないらしい。
 そのままゆっくりと玄関まで連れて行ってやり、荷物を手渡す。
「迅」
 悪戯っ子の笑み。 俺の耳元に唇を寄せると、小さく囁いた言葉。
 どくり、と鳴った心の臓。 瞠目した俺にしたり顔の尚人。 手を掴む前にするりと交わされ扉を開けた。
「フフ、じゃあね」
 開いた扉の先には顔をきりっと引き締めたまま頭を下げる四柳さんの姿。 四柳さんに強く出られない俺は尚人を強引に引き止めることができず、伸ばした手は宙を切った。
 そのまま支えられるように四柳さんの手を取り、不敵に笑う尚人の姿。 どうやら一本取られたようだ。
「うちの坊ちゃんがお世話になりました」
「いや……そんな畏まらないでください」
「このお礼、いつかこの四柳必ずさせていただきます」
 一体どんな風に話が伝わっているのか。 少し違和感を覚えた俺だったが、礼儀を重んじる四柳さんだからそんな態度を取るのだろうか。
 嗚呼、変に上がった熱はどうしてくれるんだ。
 何度か頭を下げた四柳さんは仕事がありますので、と言うと尚人を支えたままエレベーターの中へと消えていった。
 チカチカ光るランプ。 降りていくのを確認すると、俺は後ろ手に扉を閉めた。
 尚人がいないのにスウィートルームに滞在する意味はない。 俺も大人しく帰ることにするか。
 隠れた場所で待機しているであろう清重を呼ぶと、顎でエレベーターを指す。
「清重、帰るぞ」
「……はい! 待ってました! あ、いや……お待ちしてやした! あれ? お待ちしておりやした?」
「……どれだって良いだろ」
 言葉遣いについてうんうん悩む清重の頭を引っぱたくと、溜め息を吐きエレベーターがくるのを待ったのである。
 三雲組と違い清滝組には若頭というポジションはない。 だからか四柳さんのような若頭補佐という存在もいないのだ。
 清重に不満がある訳ではないがもう少し大人の余裕を持っている側近も欲しいな、と思う。 だが親父の息がかかった重鎮を側近に就かせるというのも、それはそれで嫌だ。
 少し馬鹿っぽいところもあるが憎めない清重が側近でも、まあ良いだろう。 性格だけは良いのだ。
 未だにぶちぶちと呟いている清重の頭を再度叩くと、到着したエレベーターに乗り込み、清滝組本家へと戻るのだった。

 それからの俺は予想を反して大忙しの日々を送ることとなったのだ。
 風俗店舗管轄の仕事だろうと高をくくっていたのだが、実際はそれすら全うする暇がなかった。 尚人の方も風俗店舗管轄ではなく、賭博系の勉強をすると言っていたので丁度良いことは良いのだが。
 直ぐには会えない状況にあるが、前ほど不安も感じなくなっていた。 きっと尚人も同じようなことを考えているのだろう。
 あの三日間、苦しい思いをたくさん抱えた分、尚人を愛してやることもできた。 尚人の痛みを知り、それを少し救ってやれたような気がするのだ。
 無駄だったとは思わない。 まああんな仕事は二度とご免だが。
「兄貴ー! 兄貴兄貴!」
「……何度も呼ばなくても聞こえている」
 清重が俺を呼ぶ。 それに振り向けばいつもよりパリッとしたスーツで立っている清重の姿。 かくいう俺も今日の日のために新調したスーツを着ていた。
 なにを隠そう、今日は六角組三代目の襲名式なのだ。 三代目の新組長は俺の叔父貴分だが、俺は跡目相続の盃の場には入ることは許されていない。
 元々六角組は親父の子分の組だ。 親父や六角組の組員たちが見守る中、厳かな儀式が行われるのである。
 ならば何故俺がここにいるのか。 それは縁起の良い日にもう一つの縁起の良い儀が執り行われるからだ。 言わずもがな祝言である。
 六角組二代目組長の実子六角 静と六角組三代目新組長の婚儀だ。
 内々にして行われることではあるが、そうそうたる顔ぶれ集まる。 俺でも気軽に声をかけられないほどの重鎮もいれば、俺より権力がないものまで。 極道的結婚式とでもいうのか、まあ結婚式というよりは顔見せのようなものだが。
 ふわりと浮かぶ紫煙。 青空に紛れて見える煙は雲のようだ。
「……静さん、幸せになれるんでしょうか」
「さあな。俺の知ったことではない」
「……そうですよね」
「だがな、女は強いと良く言うだろう? これからの人生、どう転ぶかは静次第だ。俺は尚人を支えていくことで手一杯だから、それを手伝ってやることはできない」
「ですよね! 兄貴には尚人さんがいますもんね! あ!」
「……なんだ」
「尚人さんのこと姐さんって呼んだ方が良いんですかね!? あ、でも次期三雲組組長ですもんね……でもまだまだ先の話ですし、姐さんって呼んだ方が正しいんですかね!」
「試しに呼んでみろ。本気で撃たれるぞ。あいつは俺にでさえ躊躇いなく撃つやつだからな……」
「姐さん……過激っすね」
 尚人が聞いたら本気で撃ってきそうな会話を清重としていたら、ざわりとした空気とともに俺の前に影が差した。
 顔を上げれば静がそこにはいて、たおやかな笑みを浮かべていた。 白無垢を着てしゃんなりと歩く様は見るものが見れば美しいのだろう。
 俺は清重に一歩下がるよう命令すると、静に向かって一歩踏み出した。
「花嫁が襲名式を抜け出して良いのか」
「さあ、殿方たちの会話はつまりませんもので少し抜け出してきました。お邪魔だったかしら?」
「いいや、大したことは話していない」
「もう私も姐さんと呼ばれる立場にいるんですね」
「……聞こえていたのか」
「少しだけ」
 そう言って微笑む静の姿に、未練は感じられなかった。 本当に女は強いと良く言ったものだ。 手に抱いてからそれほど時間は経っていないのに、あの日とは違う女のようにも見える。
 遠くの方で静を呼ぶ声がした。 抜け出したのがばれたのだろうか。 悪戯が見つかった子供のように微笑むと、静は裾を持ち上げた。
「迅さん、私はこれからあの人の隣であの人を支えていきたいと思ってます。身を焦がすような思いはしなくとも、心穏やかにさせてくださる方ですの」
「……そうか、それは良かったな」
「確かに私は貴方に恋をしていました。ですが、あの人のことは、愛せるような気がします。これも迅さんのお陰です。……迅さん、迅さんにも飛びっきりの幸福が訪れるよう、祈っていますね」
 すっきりと晴れたような表情。 呼ばれるまま踵を返し、本家の方へと駆けていく静。
 清重も俺も少し面食らったような気分だ。 静は静で幸せになれたんだろう。 あの曇りない表情がなによりの証拠だ。
「ほんと女は強いっすね……」
「ああ、いつだって未練を引き摺るのは男の方だ」
「……あれ? 浮気っすか? 姐さんに言っちゃいますよ?」
「馬鹿言え。俺は尚人一筋だ」
 ぼかりと清重を軽く殴り、短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けた。 そろそろ祝言を上げる時間だろうか、俺も本家へと入った方が良いのだろう。
 青一色の空。 燻らせていた煙は消え、擬似的雲もどこかへと去っていく。
 きらりと光った静の指。 幸せそうに笑った顔。 ああいう風になるのなら、俺も尚人に指輪を買ってやろうか。 きっと絶対つけないとか言いつつこっそり持っているタイプだろうな、あれは。
 是非とも尚人が破顔して笑う表情が見たい。 指輪をあげてどんな表情をするのか、この目で確かめてみたい。
「……尚人、俺の方が駄目みたいだな」
 静を見て尚人に会いたくなった。 愛されて喜ぶ顔が見たくなった。 あの日の帰り、お前が言った言葉はきっと忘れないだろう。
 俺が何度だって愛してやる。 ずっと、愛してやるから、なあ? 尚人、早く会いたい。
『――また、いっぱい愛してね』