指先の温度 01
 黒のロングティーシャツにダメージデニム。 シンプルを基調としたアクセをおざなりにつけた格好で僕は歩いていた。
 さんさんと照りつける日差しを避けるためにサングラスも忘れない。 四柳にはどこぞのホストみたいだと言われたが、僕は僕なりにこういう格好も気に入っていた。
 今日は久々の休日である。 ヤクザという職業は週休二日制といった一般的な休みはない。
 毎日仕事をしているときもあれば、ほとんど休んでいるときもある。
 前々から欲しいものがあったので、僕は休みを利用して街へと買い物にきていたのであった。
 もちろん護衛はつけているが、なるべくヤクザだとは思われない容姿の護衛を選んでいた。 四柳やポチと連れ立って歩くと誰が見てもヤクザだとわかってしまう。 それだけはなるべく避けたいのだ。
 僕は護衛を外に待たせておくと、有名ブランドヘルメスに前からオーダーしていたものを取りにいった。
 スムーズに買い物を終えた僕は扉を開いてもらい、外に一歩踏み出したのである。
「フフ、やっと買えた」
 オレンジ色の紙袋の中に入った箱が、カタカタと音を立てる。 それを大事に抱えると、僕は路面駐車してある車へと乗り込んだ。
 これさえ買ってしまえば買い物の予定も終わる。
 若頭という役職についている手前、あまり軽装備でうろうろするのも躊躇われた僕は素直に本家へと帰ることにした。
 夜は恋人である迅と久々のデートだ。 仕事柄、歌舞伎町などの繁華街で顔を合わすことは多々あっても、休みを合わせてデートをすることなどほとんどない。
 たまたまかち合った休みを、僕は迅に使うことに決めると直ぐに約束を取り付けたのだ。
 生憎、迅は夜まで忙しいらしいので僕は空いた時間に用事を済ませることにした。
 軽やかなエンジン音を響かせ、発進する車に揺られて僕は本家へと戻っていったのだった。
 十分程度のドライブも終わり、静かに車は停車する。 開けられた扉から降りると頭を下げて僕を迎えてくれた四柳。
 僕は軽く手をあげると四柳の顔をあげさせ、荷物を持たせた。
「坊ちゃん、これは……?」
「あ、勘違いしないでよ。迅への贈り物とかじゃないから」
「……ではご自分への?」
「まさか、ポチへのご褒美だよ」
「……迅さんはご存知で?」
「フフ、言うと思う?」
 あの嫉妬深い迅のことだ。 これがバレたらただじゃ済まないだろう。
 僕がヘマをして弾痕を残したときだって、上からナイフで傷をつけたぐらいだ。
 例えそこに恋愛感情がなくとも僕が迅以外に贈り物をするということがバレてしまえば、なにかしら行動を起こすに違いない。
 それが嫌じゃないなんて思っている僕もいるが、なるべく平穏に過ごしたいと願う僕もいる。
 どちらにせよ、自分から言うつもりなど更々ない。 バレたらバレたまでだ。
 キシキシと軋む音を立てる廊下を歩きながら、僕と四柳はポチが住まう部屋へと向かった。
 今の時期は暇なので特にすることもない。 例に漏れずポチも暇だろうという僕の予想は当たり、ポチはぼうっと庭を見ながら書類を片手に座っていた。
 僕が声をかけると慌てて立ち上がり、腰を直角に折り曲げて挨拶をする。
「尚人様! おはようございます!」
「フフ、もう昼過ぎだけどね。……四柳、あれ」
「ハ! ポチ、坊ちゃんから贈り物だ」
 オレンジ色の紙袋は四柳の手から離れ、ポチの手へと移っていった。
 あまりブランドものに関心がないのだろうポチは、それを物珍しく見ると僕へと視線を向ける。 それに頷くと、ポチは嬉しそうに中身を開いていった。
「わあ! これ、なんですか!?」
「首輪だよ、首輪。人間用の首輪がなかったからオーダーしたんだ」
「ありがとうございます! こんな高そうなもの、良いんですか?」
「フフ、普段頑張ってくれてるからね。それつけて、散歩しよう。あ、四柳、リードいるかな?」
「……坊ちゃん、ポチをなんだと……」
 呆れた様子で僕を見る四柳。 特に気にしていない素振りを見せて、僕はそれをポチの首につけてやった。
 白を基調としたシンプルなデザイン。 本皮で作られているため手触りも良いし、ポチにしっくりと馴染んでいる。
 それを満足気に眺めると、僕はポチの頭を撫ぜてやった。
「ポチ、飼い主は誰?」
「尚人様です!」
「良い子。今日は夜までゆっくりしてな。その代わり夜になったら四柳と出かけるからね」
 ポチが大きく頷いたのを見届けると、僕と四柳はポチの部屋を出た。
 夜まで時間が空いているので昼寝でもしよう。 そう思いながら自室へと向かう僕に、なにか言いたげな四柳の視線。
 振り向くと、難しそうな顔を浮かべている四柳がそこにいた。
「坊ちゃん、ポチもつれていくんですか?」
「社会勉強させてやって」
「……そ、れは」
「迅と会ったら別行動でしょ? そこから息抜きさせてやってよ。ポチ、遊んでもいないみたいだからさ」
「構いませんが……良いんですか? 迅さん、感鋭いですよ」
「……それはそれ、気付いたら、まあ、面白いんじゃない?」
 本当は気付いてほしいと願う僕の方が強い。 迅に嫉妬される度に、僕は必要とされていると感じることができる。
 見えるもので縛られるよりは、見えないもので縛られる方が酷く安心するのだ。
 とことん深みにはまってしまった僕に、戻る道など残されてはいない。
 ただ着実に終わりに向けて歩いていることだけは確かなのに、遠回りしてなるべく終着点につかないようにともがくことしかできない。
 もし僕たちが跡取りでなければ、違った未来もあったのだろうか。 考えても答えなどないことばかり自問自答してしまい、あるはずなどない現実逃避を描いてしまう。
 今が幸せだからこそ不安で堪らないのだ。
 迅につけられた腹部の傷跡を服の上からそっと撫ぜ、僕は愛おしさで胸が苦しくなった。
 いつの日かは、僕を愛していると紡いだ唇が違う誰かに向けられるのだろう。 そう思うと耐え切れない痛みがじくじくと僕を襲ってくる。
 ぎり、と噛み締めた唇から仄かに香る血の匂い。 心配そうに僕を見る四柳に小さく笑うと、そのまま自室へと入った。
 幸せなのだ、今はとても幸せだ。
 先のことなど考えないように僕は緩く首を振ると、考えを消した。
 迅と会えるまでまだ時間はたくさんある。 ごちゃごちゃと煩い頭を静めるためにも、僕は無理矢理眠りにつくことにしたのだった。

「坊ちゃん、坊ちゃん! 時間です!」
 ゆさゆさと身体を揺さぶられる感覚がする。 ぼんやりと視界があけて、霞がかった中に四柳の顔が見えた。
 のっそりと身体を起こせば無理な体勢で寝たのか、身体の節々が痛む。
 大きく伸びをして時計を見れば、起きなければいけない時間を差していた。
「あー……用意、しなきゃ」
 四柳がほっと溜め息をつくのがわかる。
 ゆったりとした動作で布団から出て、僕は箪笥に手をかけた。
 僕が着替えると理解したのであろう四柳は軽く頭を下げると、襖の向こうへと姿を消す。 しかし気配があるということは、待っていてくれるのだろう。
 少し皺になった黒のロングティーシャツを脱ぎ、デザインが描かれている白のロングティーシャツへと着替えた。 身体のラインに沿うようにデザインされているそれは僕の身体にしっかりと馴染む。
 真新しい匂いをさせているそのロングティーシャツの上に、黒のジャケットを羽織れば本日の服装が決まった。
 基本的に派手な服装を好む僕だが、迅はシンプルな服装を好む。 だからか、僕は迅と会うときだけはできるだけシンプルを基調とした服装で行くようにしていた。
 誰に褒められる訳でも、迅が気付く訳でもない。 ただ僕の自己満足なだけのそれでも、僕は満足するのだ。
 今日は待ちに待った迅とのデートだ。
 鏡の前で軽く髪の毛をセットすると、襖を開けた。
「お待たせ」
「待ち合わせまで時間はまだありますが、どうされますか?」
「フフ、どうしよっかな」
「……行かれるのでしょう?」
「まあ、ね。迅を待たせるのも良いけど、待っているのも良いじゃない?」
「かしこまりました」
 歩き出す僕について四柳も後をついてくる。 途中で寝ていたポチを起こして連れて、僕はご自慢の真っ白のベンツへと乗り込んだ。
 運転席には四柳、助手席にはひょっとこのお面を被ったポチ。 僕は後部座席で優雅にワインを手に取った。
「……坊ちゃん、今から飲まれるのでしょう?」
「食前酒だよ、食前酒」
「……健康診断で引っかかっているんですから、控えてくださいよ」
「フフ、まあ肝に銘じておくよ」
 ゆっくりと進む車。 スモークガラス越しに見える景色はどこか曇り空のようにも見える。
 ちゃぷん、と音を立てながら揺れるワインを持って僕は心を静めた。
 いつだって迅と会う前はとくとくと心臓が煩い。 もう24にもなった大の男が、恋人と会うだけでこの様だ。
 逸る思いと緊張に苛まれながらも、着実に迅に会う時間は狭まっている。 それを隠すようにワインを飲んで、時折溜め息をついてみせた。
 ミラーに映る心配そうな四柳の表情。 その横に映ったひょっとこを見て、僕はセンチメンタルな思いがどこかに吹き飛ばされた。
 あんなに悩んでいたのが馬鹿みたいだ。
 僕を窺うように左右に揺れるひょっとこ。 ポチも心配してくれているのだとわかってはいても、その顔じゃどう転んでもシリアスにはなれない。
 声を出して笑い始めた僕に、ひょっとこがこちらを向いた。
「な、尚人様!?」
「ハハ! その顔っ、最高!」
「こ、これは尚人様が……!」
「フフ、そうだよ、そうだよね。僕がつけろって言ったよね。あー……ひょっとこは目立つかも」
「坊ちゃん、お言葉ですがどのお面をつけても目立ちます」
「そうだけど、仕方ないじゃない。迅に顔割れると困るんだし」
「……もういい加減、信用されたらどうですか?」
「それとこれとは別。……フフ、切り札ってのは常に持っておくものだよ」
 不敵に笑う僕に四柳はそれ以上言うことをやめたのか口を閉ざした。
 車内はエンジンの音と、車外からの騒音の音だけが響く。 僕はなるべく音を立てないようにとワインに口をつけると、そっと瞼を閉じた。
 真っ暗の中、想うのは迅のことばかり。 僕がこうやって迅を想っている今、迅も僕のことを想っていてくれているのだろうか。
 初めて出会ったのは雨期だった。 それから逢瀬を重ねて想いが通じ合えたのは寒さが厳しい冬。
 出会えて一年は経ったが、想い合うようになってからはまだ一年も経っていない。
 だけれど僕の心にしっかりと住み着いてしまった迅は、もうずっと一緒にいるような感覚にさせる。
 嬉しいような、少し寂しいような、僕はどちらともいえない感情を抱えたまま迅との待ち合わせ場所へと向かうのだった。

 待ち合わせ場所は新宿だった。
 いつもと代わり映えしないような場所だが、仕事とプライベートでは随分と心持も違う。 それにお酒が好きな僕にとっては非常に便利な場所ともいえよう。
 目立つ場所に車を止めてから早十分。 待ち合わせ時間より少し早めに迅の車が横に止まった。
 運転席から出てきた男が車のドアを開け、中から迅が降り立つ。 それに続くように四柳も車から降りると、ドアを開いた。
「ありがとう」
 僕が降りれば、ポチも続いて降りる。
 狭い空間に大の男が五人も立っている様は異様だ。 雰囲気だけで筋のものだとわかるのか、通行人は怖がってこの道を通ろうとはしなかった。
「相変わらずお前は悪趣味だな」
「フフ、可愛いでしょ」
「……まあ良い。言い訳は後で幾らでも聞いてやる」
「言い訳なんて、ないけどね」
「ほら、早く行くぞ」
 立ったまま動こうとはしない僕の手を強く引くと、迅は繁華街へと足を向けた。
 そのまま僕は振り返ることをせず、その腕に引かれるままに足を進める。
 今からは完全にプライベートの時間であり、護衛である四柳たちとは別行動なのだ。 とはいっても縄張りでもある新宿のいたるところにお互いの組員がいるため、なにかあればすぐさま対処できるようにはしてある。
 いつになく足早な迅に僕は笑みを浮かべると、繋がれた手を強く握り返した。
 傍から見れば可笑しいのかもしれない。 男同士が手を繋ぐなど、異様な光景なのだから。
 だけれど見えるものに怯えるほど子供でもない僕は気にすることもなく、繋がれた手を離そうという気も起こらなかった。 それは迅も同じで、ただ機嫌の良い僕を見ると歩調を少しだけ緩めた。
「尚人」
「なに?」
「……また飲んできたのだろう」
「ちょっと、だけ」
「良い加減控えたらどうだ? お前のそれは異常だ」
「フフ、迅に説教されるなんて僕も焼きが回ったかな」
「今日は禁酒だからな」
「っ、え!?」
「ふん、お前がそんな表情をするなんて珍しいな。まあ酒など飲まないで良いようにしてやる」
「ちょ、ちょっと……」
 いくら楽しみにしていたデートだからといえど、お酒が飲めないとなれば少々ひけるものがある。
 動きを止めた僕に、迅は口角をあげてみせた。 こういった表情をするときは必ずといって良いほど、僕にとって好ましくないことが多い。
 思った通り、僕の腰を引き寄せると顔を近づけてきた。
「酒くさいキスは敵わんからな」
「……フフ、言うようになったね」
「そういう態度が俺をその気にさせると知っているのか?」
「さあ? 迅も大概悪趣味だよ……」
 そっと塞がれる唇。
 僕とは違う温度をそこに感じると、胸にじんわりと温かいものが広がった。
 ここがどこだか忘れた訳ではない。 暗いといえども、そこそこ人通りのある場所だ。 だけど今の僕に羞恥心を問うても無駄なことだ。
 繋がれた手はそのままに、僕と迅はただお互いの心の隙間を埋めあうかのように唇を何度も重ねた。