桜が舞い散る四月。和泉 蓮(いずみ れん)は水島デルモンテ学園に入学した。
私立のエスカレーター式、豪華な施設、高い偏差値。
お金持ちのご子息がこぞって集まるこの水島デルモンテ学園に入学することは、一種のステータスでもあった。
だが、そんなものに和泉は一切興味を持たなかった。
密かに噂されていたとある噂。
それだけを頼りにこの学園に入学したのだ。
この学園がホモだらけという、そんな馬鹿げた噂を。
「柚斗〜! 早く早く! 入学式間に合わないじゃん!」
「……俺、帰りたいんだけど。つーか転校したい」
「じゃあ転校すればー?」
「っ、もうちょっとさ! 俺を労わっても良くねぇ!? っていうか荷物は自分で持てよ!」
和泉は可愛らしい笑顔を振りまいて、望月 柚斗(もちづき ゆずと)の背中にタックルをかました。
まさかそんなことをされるとは思わなかった望月は、その衝撃に転びそうになるが、なんとか体勢を持ち直し和泉を睨み付けた。
和泉の見た目は天使でも、中身は悪魔なのだ。
望月の睨みなど効くはずもなく、平然とした顔で和泉は微笑んだ。
「ほら、入学式って大事だと思うよ。一生に一度だし、さ。それに良い男チェックもできるしね!」
黒色のサラサラとした髪を靡かせ、口元を緩める和泉は本当に可愛い。
項が隠れるほどに伸ばした髪の毛は柔らかく、触り心地は良い。
前髪をピンク色のボールがついたゴムで結ぶ辺り、本当に男性なのか疑いたくもなる。
アーモンドの形をした瞳に平行の二重。
睫も当然長い。
すらりとした鼻筋に薄い赤のぷっくりとした唇。
小柄でふわりとした姿はまるでアイドルのようだ。
見た目は完璧といって良いほどに恵まれていた。
しかし神はこのアイドル顔の和泉に、まともな精神だけは持たせなかったようだ。
和泉はこう見えてかなりのオタクだった。
ただのオタクで収まればまだ良い方だ。
和泉はオタクの中でも腐男子といい、男同士のにゃんにゃんに萌えるオタクだった。
萌えるだけでは飽き足らず一次二次三次擬人化といった風になんでもホモにし、それを同人誌にしてコミケで売りさばき日々腐男子ライフを謳歌していた。
度々その本の手伝いをさせられていた上に幼馴染みとくれば、望月は嫌だというくらいに和泉のことを知っている。
「ぜーったいね、生徒会長って鬼畜攻めだと思うんだ〜! 眼鏡かけてて、俺様タイプっていうの? もちろんファンクラブなんかもあってさ、ヤりたい放題! だけど密かに本命とかいてさ、あー萌え!」
「……不細工だったらどうすんだよ」
「柚斗馬鹿? これだから低脳は困るね。なんのためにこの学園入ったと思ってるの? まさか噂だけできたと思ってるんじゃないだろうね」
「違うのかよ?」
「事前調査はしーっかりしていますとも! だって三年間の萌えの宝庫なんだからね。創作意欲も欲しいし、ネタもほしいし。……まぁ生徒会長しか調べられなかったんだけど、他が不細工だったらどうしよ」
「大丈夫だって、気にすんな、つーかもうわかったから。ほら、良いから入学式行こう」
諦めに近い溜め息を吐いて、望月は和泉の腕を引きながら入学式が行われる体育館へと急いだ。
周りを見渡せば、同じような新入生が期待を膨らませた表情で和気藹々としている。
きっとみんな普通の思考をして、これからの楽しい学園生活を描きながら思いを馳せているのだろう。
和泉みたいに楽しい学園性活など、これっぽっちも考えていないのだろうな。
そう思うと望月はこれからの学園生活に翳りが見えたような気がして、酷く気持ちがブルーになった。
そもそも望月は水島デルモンテ学園に入学しようとは、微塵も思っていなかったのだ。
本当は女の子が沢山いて、ハーレムを作れるところを受験するつもりだった。
望月も世間一般でいえば、整っている部類に入る方だ。
和泉とは違う現代風の好青年。
アシンメトリーにした髪型にアッシュのカラーを入れ、流行の服やアクセを身に纏い、身だしなみは清潔で好印象。
中学のときはそれなりにモテた。
見た目はちゃらちゃらしていたが、実は紳士で優しいのが売りだったのだ。
高校に行ってもモテるはずだったし、女の子と楽しい学校生活も送る予定だった。
しかしどうだろうか、現実は男子校。
しかも寮制度ときたものだ。
まさか望月だってこの学園に入るとは思わなかったのだ。
和泉が馬鹿なことを言う前までは。
『柚斗〜俺ね、水島デルモンテ学園に入ることに決めた!』
『はぁ? あそこ、男子校だぜ? それに寮……ってまさか』
『当たり! ホモだよ、生ホモが見れるんだよ! そんなの行かなきゃ損! それに結構かっこいい人多いっぽいから絵になるし〜』
うきうきと話す和泉に、望月は開いた口が塞がらなかった。
ある程度予想はしていたが、まさか本当にこうなるとは思っていなかったのだ。
だってそうだろう。
ある意味高校選択は人生に関わってくる。
生ホモが見られるという理由だけで入るという馬鹿が、どこにいるのだろうか。
それに心配なことがあった。
和泉はホモが好きなだけで自分自身はノーマルだと言っている。
というより、まだ恋愛に興味がないらしい。
しかし和泉の見た目は良くも悪くも可愛過ぎるのだ。
ホモが多いという学園などに放り込まれたら、直ぐに餌食にされてしまうだろう。
和泉が本当は凶暴で強いことを、望月はこのときすっかり忘れていた。
『お、俺も行く! お前一人にしたらどんな目に合うか考えただけで怖いし』
『ほんとー? やった、柚斗大好き〜!』
天使のような笑顔をして笑う和泉に、望月はある意味騙された。
本当は心配ごとなどなに一つないことに。
こうして望月はこの学園に入学し、直ぐに後悔したのだ。
わかってはいた。
男子校だということは。
しかし実感がなかったのが事実だ。
右も左も上も下も全部男だと、この学園は寮制度だと、なにより女の子が誰一人いないと。
気付いたときにはもう遅過ぎて、入学式を迎えようとしていたときだった。
「ねぇ〜風紀委員もいるんだって」
「へー……もーどーでも良いっすよ。俺の人生お先真っ暗……モテても相手が男じゃ意味がねぇ!」
「なんで〜? 柚斗はパっと見タチだけど実はネコってタイプだと思」
「あー! 男はノーマルだっ!」
「つまんなーいのー夢がないよね、柚斗って。こんなにも萌えるのに」
「友人でホモ妄想はどうかと思うぞ、蓮」
ぷくりと頬を膨らませ入学パンフレットを眺める和泉は、本当に顔だけは可愛かった。
天は二物を与えないとは良く言ったものだ。
長い睫をパシパシと上下させる和泉を見ながら、望月は本日何度目かの溜め息を吐いた。
「皆さん、水島デルモンテ学園に入学おめでとうございます! 私は理事長の水島 茂(みずしま しげる)と申します」
パイプ椅子に座り、待つこと約五分。
やっと入学式が始まったかと思えば、壇上に立つのは目尻の皺が妙に似合うダンディなおじ様基理事長。
その姿に一瞬だけ和泉の目が輝いたが、直ぐにその輝きは色を失った。
大体の予想がついた望月だったが口には出さずに、理事長の挨拶を聞いていた。
「俺、親父属性だけは苦手なんだよねぇ。顔はかっこいいんだけどさ」
「つーかーホモ妄想しなくても良いんだぜ?」
「ハ! ホモ妄想しないでなにをしろっていうの」
「……真面目に話聞くとかさ、もうちょっとオタクを隠すとか、気をつけた方が良いぞ」
「大声で喋ってないし〜それにオタクってわかっても別に良いもん」
ベーと舌を出し機嫌を損ねる和泉に望月はもうなにも言わなかった。
言うだけ無駄なのだ、もう言うのは諦めた。
和泉は本当に大事なTPOはわかっているから、空気が読めないという訳でもないのだ。
ただ電波なだけ。
そう和泉は電波だ。
もう限りなく電波だ。
毒電波に望月も犯されてしまっているのだ。
無理矢理自分に言い聞かせて、可愛らしい友人の横顔を見つめた。
黙っていれば可愛いとは、本当に和泉のためにある言葉だ。
「えーそれでは次に新入生の代表挨拶に移らせて頂きます。今年次席で入学した相澤 悠槻(あいざわ ゆうき)君どうぞ上がってきてください」
理事長の発した言葉にふとあることを思い出して、望月は和泉の肩を持ち少々荒めに揺らした。
「そういえばお前主席だったよな! なんでこんなとこいるんだよ!? 普通お前が壇上に立つんじゃねーの!」
「そんなものめんどくさいから断ったに決まってるでしょ、馬鹿? つーかさ、あの次席の子、犬っぽい……攻めかな?」
「攻めかな? じゃねぇええええ!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ和泉たちに、隣の席の生徒が眉を顰めた。
和泉が申し訳なさそうに謝れば、頬を赤く染めておどおどとし始める。
こういうときにこの見た目が役に立つのだな。
そう再確認をした和泉は、未だになにかを言っている望月を無視して壇上を見上げた。
そこには和泉の変わりに新入生の代表挨拶をする、相澤の姿。
整ってかっこいいとはいわないが、庇護欲が沸くタイプだ。
女王様気質の受けか、俺様タイプの攻めと相性が良さそうに見えた。
「……でもこういまいち、ぱっとする男がいないんだよねぇ」
カリスマ性のある奴はいないのだろうか。
本日初めて溜め息を吐く和泉に対し、望月はやっと大人しくなったようだった。
「新入生代表の挨拶でした。続きまして最後の挨拶になります。当学園は教師ではなく、生徒が主導権を握り自由にのびのびと生活をできる学園を目指しております。そしてその代表といいますのが、学園生活を快適にしてくれる生徒会、学園生活を自由にしてくれる風紀委員。その両者の挨拶に移らせて頂きます」
いつの間にか理事長の話も、校長の話も、新入生代表の挨拶も終わり入学式も終盤に向かおうとしていた。
次の生徒会と風紀委員の言葉でどうやら終わりそうな気配だ。
長かった、と呟く和泉に嫌な予感が拭えない望月。
次は和泉が散々期待を寄せていた、生徒会と風紀委員の挨拶なのだ。
「……俺さ、頭良いじゃん?」
「常識はどっかに落としてきたみたいだけどな」
「だから生徒会と風紀委員が期待外れなら転校するよ」
「はぁあああ?! 俺は? 俺を置いていくのかよ! つーか事前調査したって言ってたじゃんか!」
「まぁ、頑張ってよ。そうだね、柚斗なら可愛い子猫ちゃんタイプにはモテると思うよ」
「だ、か、ら、男じゃ意味がねぇえええんだよぉおおお!」
壇上に上がるエリートっぽい集団と、とにかく派手な三人組。
これが生徒会と風紀委員なのだろうか。
生徒会の方には本当に生徒会なのか疑わしい奴もいる。
風紀委員の方はもうどこから突っ込んだら良いのかわからないくらいに、風紀委員に相応しくない風貌だ。
望月は思わず頭を抱えたくなったが、どうやら和泉は転校しそうになさそうだ。
だってこの集団、みんな揃って顔だけは立派に整っていたのだから。
「新入生の皆さん、初めまして。この学園の生徒会長を務めている水島 颯(みずしま はやて)と申します。中等部繰り上がりの人も、外部入学の人も水島デルモンテ学園高等部入学おめでとうございます」
すらりとした体型に180cmはあるだろう身長。
清潔感の溢れる漆黒の髪を綺麗に横に流している。
目鼻立ちもはっきりとし、銀縁フレームをかけた水島は正真正銘のエリート好青年に見えた。
生徒会長までやっているのだ。
相当頭も良いだろうし人望もあるのだろう。
それにこの学園名にも入っている水島という名字。
つまり生徒会長は理事長の息子だ。
あちらこちらから黄色いとは程遠い歓声があがるのも頷ける。
「彼、やっぱり思った通り。凄く良いね」
「……ああ、そうだろうな。申し訳ないほど完璧なプロフィールに、見た目だろ? お前好きそうだもんな」
「うん。生徒会長は黒髪眼鏡鬼畜じゃないとね」
「鬼畜……なのか?」
望月は目に輝きを灯しながらうっとりとする和泉に、疑問を投げつけてみるが和泉は夢中でそれどころじゃないらしい。
水島が他の生徒会役員を紹介するときでも真剣になって壇上を見つめ、ぶつぶつとなにかと呟いている。
もし和泉が不細工だったら、相当気持ちの悪いオタクだ。
近寄りたくもないし、側に置きたくもない。
別に顔で友人を判断している望月ではなかったが、和泉だけは本当に例外だった。
まだ顔が良いから我慢できる。
というよりは最早諦めに近いが、どうしても和泉を嫌いにはなれなかった。
和泉は極度のオタクだし、頭は良い癖に馬鹿だし、口を開けば妄想ばかりだけど、どこか憎めない。
知り合って十数年。
望月は未だに和泉のどこが良いのかさっぱりだった。
「あ、あいつ健気受けっぽい! それに浮気攻め女王受け犬攻めまでいるじゃん! ウホ! オアシスだね!」
うきうきとして語る和泉の目は眩しいほどに輝いている。
その情熱をもうちょっと他に向けることができたのなら、和泉は物凄い人材になるだろうに、やっぱり神様は良く見ている。
生徒会の挨拶が終わり、後ろに座っていた派手派手しい風貌の三人組と入れ替わるように生徒会は後ろに下がった。
次は和泉の期待する風紀委員の挨拶だ。
ピンクがかった髪の色をした奴に、青色の髪の色をした奴、黄色の髪をした奴、まるで信号機のようだ。
ピンクの男が壇上のマイクを手に取り、すぅっと息を吸ったかと思うと大きな声で強烈な挨拶をかました。
「オレ様は風紀委員長を務める吉原 柳星(よしわら りゅうせい)だ! 通称は班長。好きなものは可愛い子猫ちゃん、嫌いなものはオレ様に逆らう奴! 良いか、覚えておけよ、この学園では風紀委員が全てだ。オレ様に逆らう奴は即退学だ!」
きゃー、と低音での黄色い声が辺り一体に響いた。
吉原は水島とはまた違ったタイプの美形だった。
鎖骨下まで伸ばした綺麗な髪は全体的にピンクがかった茶色で、前髪はピンクそのものだ。
短く整えられた眉にきりりとした切れ長の瞳。
すらっと伸びた鼻のルックスは威圧感を与える美形だ。
体型も申し分なく、高身長に引き締められた細身の筋肉質。
ルーズに着こなした制服も良く似合っている。
水島が王様だとしたら、吉原は皇帝と言う名が相応しい。
これまた和泉の理想のタイプドストライクだった。