乙男ロード♡俺は腐男子 62
 三月上旬、水島デルモンテ学園の卒業式が行なわれようとしていた。 三年間を過ごした校舎や寮に別れを告げ、新たな道を踏み出す第一歩なのだ。
 就職するものもいれば、大学進学するもの、なにもしないままただ卒業をするものなど、人の数だけ進路の数もある。 同じように思えても一人一人胸に抱える思いは違うのだ。
 涙ぐみながら理事長の挨拶を聞く三年生たちは、一人一人違った未来へと今羽ばたこうとしていた。
 そんな三年生とは打って変わって授業が休みな一年生の和泉はひたすらに廊下を走っていた。 卒業式だからか廊下には誰一人としていない。 だけども和泉は探すべき人を探して走っていたのだった。
 ばたばたと和泉の走る足音と重なって聞こえる軽快な音。 廊下の向こうから、楽しそうにこちらへと向かってくる二つの姿。 久しぶりでもあるその姿を見ると、和泉は頬を緩めて手を振った。
「陸先輩! 塁先輩!」
「蓮ちゃーん! ひっさしぶり〜! 聞いたよ、柳星と寄り戻したんだって〜?」
「良かったね。一安心したよ、な、塁」
「うん、と〜ってもね〜」
 にこにこと笑みを浮かべるのは生徒会書記の澤田と生徒会会計の樋口だ。 すらっとした長身と小柄な身体、二人並ぶと凸凹のはずなのだがどこかしっくりと馴染んでみえる。
 相変わらず仲が良さそうで悪そうな二人は、書類を抱えなおすと笑顔で出迎えてくれた。
「なにしてるの〜? 一年生って〜授業休みじゃなかったっけ〜」
「よっしー探してるんだ。ちょっとゲームしててね。それより先輩たちは? 卒業式大丈夫なの?」
「ああ、本番の進行は実行委員がやるんだよ〜僕たちは準備がメインだからね〜」
「そ、でもいろいろ雑用あるでしょ? それやってるの」
「一緒に探してあげたいけど〜ごめんね〜」
「ううん。頑張ってね」
 その和泉の言葉に二人は頷くと、手を振ってからまた忙しそうに廊下の向こうへと消えていった。 どうやら生徒会はいろいろと走り回っているらしい。
 これは吉原を探すのが面倒になってきた。 だがどうしても見つけなければいけない。 吉原と約束したのだ、必ず探し出すと。
 さあ行こう、と再度意気込んで足を踏み出した瞬間またもや廊下からばたばたと走ってくる生徒が見えた。
 どんくさそうに走る姿は相澤である。 抱えきれないほどの書類を手に持つと、とろとろと走っていた。
「樋口先輩〜! 澤田先輩〜! 待ってください〜!」
 和泉の目の前をたたたっと通過していく。 和泉には気付いたものの余程急な用なのだろう、軽く笑みを浮かべたが足を止めることはなかった。
「和泉君〜! 来年もよろしくね〜! あ、今年だ!」
「うん。よろしくね!」
「ってせんぱーい! 待ってくださいよ〜!」
 一言交わした言葉を背に、和泉は足を進めた。 春になったといえどまだまだ肌寒い三月上旬。 寒がりの和泉にとっては耐え難い寒さでもある。
 早く吉原が見つかると良い。 そうして温めてもらうのだ。
 背の高いピンクゴールドの髪を持つ人を探しに外へと出る。 和泉の探検は始まったばかりだった。

 きょろきょろと辺りを見回した。 中庭にきてみたが吉原らしき人は見かけない。 だが、運が良いのか悪いのか吉原に繋がりそうな人は見つけた。
 中庭に植えてある大木の下にしゃがみ込んでなにかを見つめている姿は風紀委員の神谷と森屋だ。 時折書類を交えて会話をしているものの、地面が気になるのかじいと見つめてばかりだった。
 和泉は取り敢えず吉原の所在を知っていそうな二人に尋ねることにすると、そっと側に寄った。
「神谷先輩、森屋先輩、よっしーのこと知ってる?」
 その和泉の言葉に驚いたのか、二人はぱっと顔を上げると目を見開いた。 和泉が側に寄っても存在に気付かなかったらしく、神谷は一度きょろきょろと辺りに視線を巡らせていた。
「え? お前一人なの? 柳星は?」
「空、和泉が聞いてるんだ。柳星はどこだって」
「そんなの知らねーよ。俺は柳星の保護者じゃねっつの。つーか和泉といるんだと思ってた」
「え? どういうこと?」
「柳星行方不明なんだよ。っても単にさぼってるだけだろうけどな」
「じゃあなにしてるの?」
「柳星の教えに沿うまでだ。柳星がさぼるのなら俺たちもさぼる」
「そうそう風紀なんていなくたって式は進行するしな。だから葵と賭けてたんだよ」
 そう言うなり神谷は地面を指差した。 そこにあるのは蟻の行列。 早くも春を感じたのか、虫たちは必死に住処へと食物を運んでいた。
「自分より大きな食物を運んでくるかこないか、ってな」
「あー……暇なんだ」
「おい! 颯には言うなよ! あいつしつこいからな」
「ああ、今日はさぼったってなにもないんだ。それより柳星ならここにはいないぞ。多分外にはいると思うのだが……すまないな、はっきりした情報がなくて」
「ううん! ありがとう!」
 和泉はお礼を言うとぺこりと頭を下げ、今きた道を引き返すように走り出した。
 一度だけ振り返ってみれば、神谷と森屋はまた熱心に地面を見つめている。 時折ぎゃあぎゃあと神谷が叫ぶのは大きな食物でも持った蟻がいたのだろうか、相変わらず仲が良い。
 和泉は取り敢えず体育館の方へと向かうことに決めると、たたたっと走り出したのであった。

 理事長の声が漏れて聞こえる体育館近く、ちらほらと見える人影に沸きだつ空気。 中からざわざわと聞こえる声や、父兄が休憩をしにちらほらと外に出ている姿が目立った。
 腕に腕章をつけてうろうろとしている生徒は実行委員なのだろう。 なにやらばたばたと忙しそうに走り回っていた。
 ここには吉原の姿はなさそうだと、諦めた。 が、見慣れた姿を見て思わず飛び出していた。
 神経質そうな眼鏡をくいっと上げ、真剣な表情で話しているのは水島。 その傍らには黒川がいて、なにやら深刻な表情を浮かべている。
 少しだけ怖気づいた和泉であったが、近寄ってみると声をかけた。
「かいちょー!」
 手を振って近寄る和泉にぎょっとした表情を浮かべたのは水島のみだ。 黒川はにこやかに手を振ると邪魔をするんじゃないというオーラを出した。
 なんだか和泉の知らない間に黒川が変わってしまったが、これはこれで良い変化なのだろう。
 思わずたじろいでしまった和泉であるが、潔く突っ込んでいくと水島に抱きついた。
「ね、ね、かいちょ、よっしー知らない?」
「和泉君? 会長が困ってますよ。離れましょうね」
「えー! やだ!」
「……嫌だって顔に書いてるじゃないですか。見えないのですか? ああ、そういえば和泉君はちょっとおつむが弱かったですね」
「ちょ、ちょっと!」
「……なんだかわからんが、和泉君、柳星を探しているのか?」
 和泉の身体をやんわりと引き剥がすと、水島は問い掛けた。
 親友の恋人でもある和泉にべったりしているところを吉原に見られでもしたら後がない。 それに和泉の顔がタイプなだけ気が気でないのだ。
 そんな水島の言葉に和泉は大袈裟に反応を見せると、きらきらとした瞳で水島を見上げた。
「かいちょー知ってるの!?」
「ある程度はな。なにをして遊んでいるのか知らないが今日は卒業式だぞ? 全く……今日だけだからな、目を瞑ってやるのは」
「うん! うん! だから早く!」
「望月君にビビデバビデブーだ」
「……うん?」
 不可解な水島の言葉に黙って聞いていた黒川が首を傾げた。 水島が壊れた、と思わざるを得ない言葉でもあるのだ。
 だが和泉はそれを言うのを待っていましたといわんばかりに顔を輝かせると、水島にずっと近寄った。
「鍵は俺で正解だ。だが扉は望月君なのだよ、和泉君」
「え〜めんどくさいなあ、もう」
「電話でも済むだろう?」
「あ、そっか! じゃあ電話する! ありがとう!」
 携帯を取り出し走り去ろうとした和泉だったが、一回だけ振り向くとこう言ったのである。
「黒川さんもまたね!」
「……また、ね」
 ぎこちない笑みで手を振る黒川と、呆れた表情の水島を背に和泉は人気がないところまで走ると望月に電話をかけた。
 あそこは人が犇めき合っていた所為で煩く、電話ができる環境ではなかったのだ。
 逸る気持ちを抑えどきどきと待っていると、数回の発信音を聞かせた後に電話越しから明るい声が和泉を出迎えてくれた。
『よ! わかったのか?』
「ビビデバビデブー! ってか柚斗、なんか巻き込んでごめんね」
『はは、いや別に電話くらいどうってことねえよ。……よし、正解』
「で? で? よっしーはどこにいるの?」
『中庭で待っている、だって』
「えー!? さっき中庭行っちゃったよ!?」
『寮の方な』
「あ! 行ってない!」
『じゃあ行けよ。返してもらうんだろ? つーか吉原先輩もなにも今日しなくたって良いのにな』
「なんかね、今日だから意味あるんだって。三年生の卒業式だけど、その卒業式にかけてるんじゃない?」
『は〜気障なこった』
 小走りで駆け出した和泉は寮の中庭に向かいながら、耳元で話す望月の声を聞いていた。
 和泉が辛いときや楽しいとき、嬉しいときや悲しいときいつだって支えてくれた望月の声。 いつかは卒業しなきゃいけない声。 だけどまだ和泉を支えてくれる声。 きっと卒業なんてできないのだろう。
 くすくす笑った和泉に、望月もくすくす笑う。 ほら、と催促をされてしまえば、頷くほかない。
『今日は素直になれよ』
「え〜……うん、頑張ってみる」
『じゃあな、健闘を祈る。あとは一人で頑張れ、蓮』
 そう言って電話は切れた。 和泉はそんな携帯を愛しそうに胸に抱くと中庭へと急いだのであった。
 吉原が妙なことを言い出したのは昨夜のことだ。 明日卒業式だな、と言った吉原に頷いた和泉。 吉原は風紀委員なので関係があるのだが和泉には全く関係がない。
 それが? と問い掛けた和泉に吉原は悪戯っ子のような笑みを浮かべると和泉の宝物を奪ったのだった。
『あ! ちょっと! それ、返してよ!』
『蓮、オレはさぼる。だからゲームしようぜ? 蓮に出会って、惚れて、付き合えて、別れて、またこうして寄りを戻せた』
『……うん?』
『明日を迎えたらオレたちは一つ成長をする』
『なに言ってんの? ちょっと意味わかんない』
『まあ、願掛けのようなもんだよ。新しいスタートだろ? オレたちも新しいスタートっつーか、ま、もっかい仕切りなおしっつーか、……そんな感じ』
 吉原の言葉の真意を理解できない和泉であったが吉原はなにかを始めようとしている。 それに付き合えということなのだろう。
 和泉はわからないながら頷くと、続きをねだる。
『なにをすれば良いの?』
『オレを探せ。明日、隠れるから』
『そのネックレスはなに?』
『蓮のやる気出させるため。……鍵を預けるから、その鍵を持っている相手を探し出し、オレの元にこい。そして新しく始めようぜ』
 全く持って意味がわからないし、理由も不透明だ。 だが面白そうだと和泉は思い、その吉原の願掛けに乗ることにした。 でなければネックレスが返してもらえないのも理由だったのだが。
 こうして和泉と吉原はゲームをすることにした。 卒業式のこの日、卒業する三年生とは違ってなにかを始めるために。
 寮の中庭に聳えるようにして立つのは桜の木。 まだ時期ではないから花はついていないが随分と立派な木だった。
 そんな場所に吉原はいた。 座り込んでなにかを考えるような表情でぼうっと空を見上げている。
 やっと見つけた。 それほど苦労はしていないが一日中走り回っていたために随分と足が痛い。 インドアな和泉にしては頑張った方だろう。
 手を上げて大声を出す。 吉原の名を叫んだ和泉に気付いたのか、吉原は嬉しそうにこっちを見ると近寄ってきた。
「蓮! 早かったな!」
「早かったなじゃないでしょ! いったいなにがしたいの?」
「まあまあ、おら、こいよ」
 いきり立つ和泉を抱き締めると、その手にネックレスを握らせた。 呆気なくも簡単に返ってきたネックレスになんだか釈然としない思いが和泉の中に芽生える。
「盗む意味あったの?」
「こうでもしないとやってくれねーと思ってな。一種のきっかけだよ」
「……で? 本題はなに?」
 そう言った和泉に対して吉原は真面目な顔をすると、ポケットから花を取り出した。 それは卒業生が胸につける桃の花をモチーフに作られた造花である。
 鮮やかなピンク色のそれを和泉に見せつけると、吉原は和泉の髪に飾った。
「な、なに?」
 さらりとした黒髪に映えるピンクの桃の花。 華やかだが控えめなその花は和泉にとても似合っている。 そうしてそれをつける吉原を現すかのような言葉を持っていた。
 花に隠された言の葉は恋の奴隷、まさにその通りだ。 和泉に出会ってからというものの、吉原はずっと恋の奴隷なのだ。
「蓮」
 吉原は驚いたまま言葉も紡げないでいる和泉の手を取ると、たおやかな動作で掌の上に口を付けた。
「……な、に」
 どきどきと心臓が痛い。 真剣そのものの表情の吉原はいつもより男前に見える。 それでいて和泉の目をしっかりと見るものだから和泉はどうして良いのかわからなかった。
 まるで初めての恋を覚えたときのような感覚。 ふわりと浮つく心に吉原の優しい声音。 見上げれば最上級の笑みを見せてくれた。
「これからも、こうやって一年お前と過ごしたい。ずっとずっと一緒にいたい。いや、側にいさせてくれねえか?」
「え、え……?」
「好きだよ。世界中の誰よりも、好きだ。陳腐な台詞かもしれないけど、……蓮がだれよりも、すきだ」
 ただ確認したかっただけなのだと、吉原は言った。 言葉にすれば叶う言霊を信じての行動。 こんな意味のない行動でも、なにかをつけて言葉にして思い出になれば、それが遠い未来に真実になるのだ。
 あのときこの行動をしたから、今こうやって側にいられるのだと、笑いあいたい。 そんな未来が良い。 蓮と一緒に思い出話に花を咲かせて楽しげに笑いあえるような日々を望んでいる。
 それに対して多くの言葉はいらない。 飾り立てるものもいらない。 思ったことはたったそれだけなのだ。 全てはその想いだけ、相手を想う恋心だけ。
「よっし、……」
「叶うと、良いなって……言葉にすれば儀式にすれば、なんか、さ、真実になるような気がすんだろ?」
「……そうだね、俺も、ずっと一緒にいたいよ。俺こそ側にいさせてね。よっしー、BLよりも、……大好きだよ」
 照れ隠しのような和泉の告白。 だがその言葉が一番和泉らしい。 三度の飯よりも好きだと言ったBLに勝てただけでも吉原は幸せだった。
 手を重ねて、距離を近づけて、触れ合った唇がほんのりと温かい。 誰に見られるでもなく二人だけの儀式はいつか言霊となって真実になるのだろう。
 きっと、そんな気がする。 いやそうなるのだ。
 きらきらと太陽に照らされて、和泉の頭を飾る桃の造花が綺麗にわらった。