春に許されて 04
 急くように口づけながら落ちた場所は、ベッドだった。柔らかな衝撃を背中で受け止める。虐げることでしか愛を紡げなかった二人にとって、妙な感覚でもあった。
 何度も角度を変えては唇を触れ合わせる。柊の弾力のある下唇が五十嵐の顎をなぞり、そうして甘く噛みついた。
「ふ、ん……」
 くすぐったいような、気持ち良いような。もぞりと足を擦って、伸ばした手で抱き寄せた。
 頬を柊に寄せて、唇に触れようとしない唇を追いかけてくっつける。ひりひりと心臓まで到達する電流に痺れてしまいそうだ。たったのひとつの口づけで、こんなにも思考が溶かされるだなんて。
 擦り合わせて温度を確かめる。存在していることを理解すると、確かな刺激を欲した。
 ぬるり、と熱い舌が唇をなぞって口腔へと侵入してきた。五十嵐のきちりと整えられたように並ぶ歯を伝い、奥の方で戸惑いながらも受身に入っていた舌に触れた。
「……は、う」
 唾液と唾液が混ざる音が響いた。熱過ぎるほどの舌を絡ませ合って、深く刺激を求めれば柊にぐっとベッドへ沈まされる。
 両頬を包まれる感覚。柊は五十嵐の顔面を手で固定すると、吐く呼気すら奪うように奥まで舐めとった。
 酸素が足りない。呼吸ができない。遠退いていきそうになる意識を繋ぎ止めるのは、柊の熱過ぎる熱だけ。唾液を零す隙間もないキスは、五十嵐の全てを奪っていく嵐のよう。
 満足するまで甚振られたかのような扇情さ。柊が唇を離せば肩で息をしていた五十嵐はぐったりとして、ベッドに沈んだまま閉じた瞳すら開けなかった。
「気持ち良かったんだ? こんなの、初めてだからね」
 身体を這いずる指先が、下腹部で止まる。柊は既に反応をしている五十嵐の性器をズボン越しに撫ぜると、うっとりと下唇を舐めた。
「あんたって、堪え性ないよね。俺が躾けた所為?」
「う、るさい」
「でも今日は大丈夫、優しくしてあげるから」
 乱れたシャツが、皺を描いていく。さっさと脱がしてくれれば良いものの、ネクタイまで締めている五十嵐はその状態のまま、ズボンだけを抜き取られてしまった。
 夏といえども、火照った身体は外気に触れるとひやりとした感覚を齎してくれる。五十嵐はすり、と足を擦り合わせると内股を撫ぜる柊に抗議の目を向けた。
「……柊」
「名前で呼んで、おねだりしてみせてよ」
「悪趣味だな、お前も」
「おねだりはついで。名前で呼んでほしいだけなんだけど」
 昨日まではここまで甘くなっていなかった。どこか素っ気なくて、冷たくて、優しくするのに戸惑っている様子だったように思う。伸ばした手を引っ込めてしまうような、そんな気配すらあったのに。
(認めたら、こうかよ)
 様変わりし過ぎである。柊のお面を被った別人だ。だけどきっと、これこそが柊の本当の姿なのだろう。
 柊とて誰かを愛したり甘やかしたりする、ただの男だ。きっとそう。五十嵐は柊の手首を掴むと、じんじんと痺れを訴えている下肢に触れさせた。
「れ、い……」
 舌足らずに呼んだ名は、存外に語尾が震えていた。初めてするセックスでもあるまいし、これで何度目だといわせる。嗚呼、この鼓動の高鳴りと緊張はなんだ。柊にも伝染してしまったのか、仄かに頬を染めると唇をきゅっと噛みしめた。
「……怖い?」
「……怖い、かも」
「俺も。でも、……逃げない。冷と……いたいんだよ」
 どくり、と一際強く心臓が跳ねる。柊はぎこちなく笑みを浮かべて、顔の半分を手で覆った。
 鉄仮面がはらはら剥がれていく。嬉しさを堪えて唸った柊は片目だけでこちらを見ると、馬鹿と言った。
「今日のあんたも変だね。すごく、そそられる」
 しゅるりと左手はネクタイを解いて、右手は下着を脱ぎとった。露にされていく身体は歓喜に打ち震え期待している。柊の悦によって染められていくのを期待しているのだ。
 いつからこんなにも、求めてしまうようになったのだろう。
 女性的な美しさにも似た指先が、そうっと太股となぞって既にそそり勃っている性器を握り込んだ。さめざめと泣くように先走りを零していたそれは、柊に触れられた瞬間にも先端からとぷりと蜜を零す。
「っ、あぁ……」
 びりびりと背筋に電流が走って枕に頬を押しつけた。大袈裟なほどの反応に満足したのか、柊は何度も性器を上下に扱くと顔を近づけて五十嵐の反応を窺った。
 なかなかどうして柊も可笑しい。意地悪なのは変わりないが、いつもと比べると格段に優しい手つきだ。それに空気が甘い。甘やかされている実感をしてしまって、居た堪れなくなる。
 愛する人に愛されるということがこんなにも気恥ずかしくてあたたかくて幸せだということを、この歳になるまで知らなかった。
(あ、つ、い……)
 ぐ、っと涙が込み上げる。高みへと上らせようとしている柊の手は速度を増して卑猥な音を響かせた。
「ぁ、あ、っ! く、……っうぁ……!」
 爪先がぴんと伸びる。空を切った指先はそのまま落ちるとシーツを強く握りしめた。
「ねえ、五十嵐? 我慢できないって言ったらどうする?」
 先ほどからない刺激を待ってきゅうきゅうと収縮を繰り返す後孔に触れられた。言われなくてもその刺激を望んでいたのか、今度はその指を誘うように蠢くのが嫌でもわかる。
 空気が笑う。柊は五十嵐の返答を聞く前に後孔へと指を突き入れると、そのまま何度か出し入れをさせて柔らかさを楽しんだ。
 浅く抽挿するだけなら問題ないが、性器を受け入れるとなれば別だ。男だからという以前に、そういう用途で使わないそこは自然には濡れない。柊は枕元に置いてあるハンドクリームを手に出すと内部に塗りこめるように指を突き入れた。
 先ほどはひっかかりを覚えていた挿入も、ハンドクリームのお陰か随分と楽に中へと入り込む。普段から慣らされていて、後孔の快楽を植えつけられている五十嵐は直ぐに身体を熱くさせて悦を拾った。
「は……っあ、ぁ……」
 きゅうう、と後孔が窄まるのがわかる。もっと奥へと誘うように収縮し、柊の指を締めつけた。
「凄いね、どんどんのみ込んでいくよ」
 ぐちゅぐちゅといやらしい音を立てながら後孔を弄繰り回された。指一本じゃ到底足りなくて、刺激が浅い。浅ましくも腰を振っておねだりすれば頭上で柊が柔らかく笑った。
 どこか虐げられていると感じていたセックスが変貌を遂げる。互いに求め合うように手を伸ばしてするセックスは、途方もないほど興奮と熱を高めてくれた。
「れ、い……れい……」
 汗が滲む。頬を伝って落ちたそれはシーツの色を変えた。
 何本かの指をのみ込んでいる後孔は窮屈そうに蠢くと、もっとと更なる強欲さを訴える。奥にある場所を掻いてほしい。柊のを挿れていっぱいに満たしてほしい。身体だけじゃなく、こころまで。
 ふやけている指が前立腺を掠った。大きく跳ねた五十嵐はシーツを蹴ると、切なげな声で鳴く。
「も、も……う……」
 実感したかった。柊が言った好きを、信じたかった。信じさせてほしかった。
 予感はあった。なんとなくわかっていた。言葉にされてしっくりと馴染んだ。だけど気持ちはふわふわと、宙に浮いたまま。知っていたけれどわかっていなかった。こんなにも、こんなにも胸が苦しくなるなんて。
 甘くて蕩けそうな言葉は真綿となって、優しく締めあげる。痛くないそれは、気がつけばどうしようのないとこにまで到達していた。
「うん、いれるよ」
 柊らしくない言葉を紡いだ本人は、切羽が詰まったような顔で勃起した性器を取り出すと色気染みた息を吐いた。
 髪の毛をくしゃりと握って小さく唸る。その様はいつも見せていた小奇麗なものではなくて、酷く雄臭い表情。五十嵐に欲情する、ただの男に見えた。
 片足を掴まれて大きく足を広げさせられた五十嵐は、赤黒く怒張した柊の性器が後孔に宛がわれるのを見つめるしかなかった。
「五十嵐……っ」
 強く、激しく求められているような声音で名を呼ばれる。手を差し出したのが先か、挿入したのが先か、柊は杭を打ち込むようにぐっと腰を押し進めると一気に中へと突き立てた。
 太いカリさえのみ込んでしまえばあとはあっという間だ。ぐぷりと濁った音をさせながら性器全てを受け入れたそこは、痛いほどの快楽にひくりと震えた。
「は、は……ぁ……」
 おなかいっぱい詰め込まれているような妙な感覚は未だに慣れない。五十嵐はシーツを強く握っていた手を柊に伸ばして、苦し紛れに肩に爪を立てた。
「きつい、あんたちょっと……どうにかしてよ」
「む、むり、だろ……」
「は、っ……知らないよ? 我慢、効かないんだから」
 暖をわけ合うかのように背を屈めた柊は、五十嵐の顔の横に肘をつくと小さな世界に閉じ込めた。身体が密着すればするほどに、中に入った性器が奥深くを刺激して圧迫感におされる。
 激しく律動して悦を貪り合うようなそんな刺激も惜しいけれど、ただこうしてたゆたうような曖昧な快楽ともつかない感覚を馴染むまで楽しみながら焦らすのも良い。
 繋がっていることには、変わりない。
 柊と目が合う。眉に皺を寄せて、少しだけ余裕がなさそうに笑うと顔を近付けて唇をくっつけた。
「あついね」
 ちゅく、と吸われてくすぐったさに痒くなる。柊はそろりと舌を伸ばして五十嵐の歯を抉じ開けると、上顎をざらりとした舌で舐めた。身体中どこもかしこも熱いけれど、ここがいちばん熱い。
 甘くて蕩けそうな口づけ。あえて舌には触れずに、微妙な箇所ばかり舌で舐めて食んだりしていれば、五十嵐の後孔がそれを窘めるかのようにきゅうと窄まった。
 放っておかれていることに抗議しているかのようだ。確かに柊とて、そろそろ我慢もできない佳境に入りつつある。
「至、動いていい?」
 唇を離した柊はそう聞いた。名前、と言葉にするよりも早く腰を進めた柊は五十嵐の抵抗も疑問もなにもかも、抑えつけるかのようにがつがつと容赦なく律動を開始した。
 セックスなど飽きるほどしてきた。互いの弱い箇所もなにもかも、把握済みなのだ。
 妙に赤い顔のまま腰を振る柊を止める術などもたない五十嵐は、ただただ与えられる熱に翻弄されて喘ぐほかない。立てた爪も意味のない印にしかならないのだ。
 内壁をカリで引っ掻くように擦り上げられる。そこで悦を拾うことを散々教え込まされた柊は、五十嵐の性器が弱い場所を刺激するたびにびくびくと大袈裟に震えた。
 ぐちゅぐちゅと水音を立てながら出入りする下肢から、痺れるような愉悦が全身に広がっていく。既に腰が砕けてしまっている五十嵐はどうすることもできず、無遠慮な攻めを受けるしかない。
 同じ男に組み敷かれていいように甚振られて、女のような喘ぎを零しているなんて過去の自分はきっと想像もつかないだろう。
「ぁ、あ、あっ、ぁあ……!」
 喉が引っかかる。ひっきりなしに喘ぐから、口を閉じる暇もない。垂れた唾液はだらしなくシーツに染みを作って、汗と混じって溶けた。
 いつも以上に余裕がない。セックスをするのだから互いに快楽を追い求めるのは理解の上だが、それにしても柊の余裕のなさが顕著にでている。
 強過ぎる愉悦はときに苦痛にもなりうるのだ。柊は思考すら溶かされていく激しい波に意識を繋ぎとめるのが精一杯で、ただ喘ぐしかできなかった。
 それでも薄目で見た世界では、柊が愛しいものを見つめるような瞳をしていたので良かったといえば良かったのだろう。

 むわり、とした空気に自然と目が開いた。どちらかといえばあまり心地の良くない感覚だ。薄っすらとした世界はまだ暗く、夜が明けていないことを教えてくれた。
 それでも真っ暗ではないから、夜明けは直ぐそこなのだろう。布団から顔を出した五十嵐は窓の外へ視線を移した。
(……雨、か)
 夏の雨はしとしとと、じっとりした不快感を齎す。山奥だから都会よりはましだけれど、やはり湿気は好きではない。
 妙にだるい身体を起こした五十嵐は昨夜のことをぼんやりと思い出して、独りで頬を染めた。
 もう二十も半ばになったというのに、十代のころのようなセックスのやり方だった。相手を気遣うどころか加減も知らずに、馬鹿みたいに貪り合った結果がこれだ。五十嵐は腰を砕いてしまったし、柊の方も酷い倦怠感に襲われているのだろう。それほど夢中になり過ぎて、終わった記憶すらない。
 汚れたシーツや服がベッド下に散乱している。五十嵐が意識を失ったあと、柊は最低限のことだけをして寝落ちてしまったのか。それほどまでに酷い惨状だった。
 静か過ぎる部屋。かすかな雨の足跡が鼓膜を柔らかく揺する。さめざめと泣くような雨だ、まるで罪を洗い流すかのような。そんな音ばかりに囚われていた五十嵐は、後ろ手に触れた熱にはっと驚いた。
 小さく上下をして息を吐くぬくもり柊は、雨よりも小さな音で呼吸をして眠っていた。とくりとくりと、生きている証拠を鳴らして。
「……冷」
 柔らかな髪の毛に指を差し入れて梳いた。お風呂に入っていないのか、少し引っかかる。身体を屈めて顔を寄せれば、柊の匂いがした。
 眠っている表情はこどもみたいにあどけなく、頼りない。普段の行動を考えれば想像もつかない顔つきだ。だけど、これはきっと安堵している証拠かもしれない。そう思いたい。五十嵐の隣が、落ち着ける場所になっていると。
「ん……」
「……起きた?」
 もぞもぞと手が這う。瞼はぴったりと閉じたまま。五十嵐に触れた指はその熱に安心したのか、一緒に寝ようと催促するかのごとく引き寄せた。
 あたたかな熱が重なり合う。身体をぴったりと寄せ合った。明け方の雨降りといえど夏なのに、全く暑苦しいったらありゃしない。  五十嵐は拗ねたようにほんの少しだけ目を開いた柊を見て笑った。
「な、に……つーか、暗くない……?」
「まだ朝じゃないからな。もうすこし寝れる」
「あー……そう……雨の匂いがする」
「朝になれば止むさ。もう一眠りしよう。起きたらきっと、晴れてるから」
 むにゃりと唇がざわめく。柊は言葉にもならなかった音を吐き出すと、五十嵐の言葉にいざなわれるまま眠りに入った。
 安らかな寝顔と規則正しい鼓動と、あたたかな呼吸を聞いていれば五十嵐まで眠気に誘導されてしまうではないか。とろり、と瞼をふやかした五十嵐は柊の胸にぴたりと耳をあてるように潜った。
 朝がきたら世界が変わっているなんて、そんな奇跡めいた現実はどこにもない。だけどふたりの関係は、少しずつ変わり始めている。雨に怯えて殻に篭もっていた過去の自分はどこにもいないのだ。
 いつか、そう、いつか、柊の世界に陽が差すことを待って今は傘を差し出そうか。
 もう、雨の音は聞こえない。