ハリーメリー 02
 柳星といちゃついたことである程度余裕が出たのか、蓮はあれ以来颯の勧誘から逃げ回っていた。
 颯から逃げるということは柳星から逃げるということでもあるのだが、トナカイになった故に動物的本能が備わった柳星は難なく蓮を見つけ出すと所構わず襲ってきたのである。
 サンタクロースの勧誘さえなければ柳星と会っても支障はない。場所を考えて襲ってほしいものだが、忙しいこの時期に会えるだけでも幸せなのだ。
 蓮はクリスマスまでの一ヶ月間、柳星と密会をしつつ颯から逃げ切ることに成功した。
 クリスマスの日に地球に降り立って覗きをすることは、柳星にばれてもやばい一件なのである。なにしろハッキングをしているのだ。
 サンタクロースが仕事なしに地球に行くことは咎められてはいないが、それなりの理由が必要である。蓮は内心わくわくとひやひやを重ね合わせながらクリスマス当日を迎えた。
 教育係である蓮の仕事はサンタクロースを見送ることだけ。クリスマス当日はそれしか仕事がない。蓮は自分担当の新米サンタクロースを笑顔で送り出すと、励ましのエールを送った。
「先輩〜! 不安です〜!」
「大丈夫大丈夫。なんとかなるよ。初めは失敗も許されるんだから、頑張ってね」
「は、はい!」
 普段見せないような愛想を浮かべると早々とサンタクロースを見送った。蓮は急いで自宅に帰還し、のんびりとココアを飲んでいる柚斗を揺さぶる。
 地球へのゲートはもう開いている。限りある時間、少しでも無駄にすることはできない。
 一秒でも長く覗きがしたい蓮は大慌てでサンタスーツに着替えると柚斗を急かした。
 今頃スタイリッシュな眼鏡を曇らせながら颯も地球のどこかで奔走しているのだろう。柳星も仲間である森屋と神谷を率いて颯のソリを引いている頃合だ。
 そう思うといても立ってもいられない。蓮も早くと気持ちが浮きだってしまうのだ。
「早く! ねー早くったら! 門閉まっちゃうよ〜!」
「門は明日の明朝まで閉まらないだろ。そんな急がなくたって逃げやしないんだからさ、ちょっとは落ち着けよ」
「やだやだ! 早く!」
 駄々っ子のように地団太を踏む蓮はまるで幼子のようだ。これで一人前だとは到底思えない。
 だが胸に輝く過去の栄光であるサンタクロース最優秀賞のバッジがなによりの現実なのだ。
 一人用のソリを持って柚斗の周りをうろちょろとする蓮の首根っこを掴むと、柚斗は呪を念じて角を生やした。
 一人前のトナカイになると自然に生えてくる尻尾と角。尻尾は邪魔にならないが、角が日常で生えていたら私生活に支障をきたしてしまう。それを懸念した初代のトナカイは、呪を念じることで角の出し入れを可能にしたのだ。
 角があってこそ空を自由に駆けることができる。地球の子供から見れば夢無残な姿だが、トナカイやサンタクロースにも諸々の事情があるのだ。
 大きくて立派な角を生やした柚斗は蓮からソリを受け取ると、急かされるようにして外に出た。
「はい、じゃあ大人しくソリ座ってろよ」
「言われなくても大人しくしてるよ!」
「そうか? 去年興奮し過ぎてソリから落っこちそうになったのは誰だったっけ」
「……う」
「地球で迷子になりたくないんだったら、大人しくしてろよ」
「……はーい」
 渋々とソリに座った蓮は、柚斗がセットし終わるまで大人しくそれを見つめた。
 柚斗はソリに繋がる紐を身体に装着し、勢い良く足を踏み出すとあっという間に空へと駆け出た。
 蓮はぐんっと引っ張られる感覚に懐かしさを覚えると、手綱をしっかりと握り締め嬉々とした様子できょろきょろと視線を彷徨わせたのである。
 基本ソリの後ろにはプレゼントを置く場所があるのだが、覗きをしに行く蓮には不要なものなのでソリを蓮だけしか座れないスペースのソリに小型化した。
 それ故、本来のものよりも随分と軽量になったソリを引く柚斗のスピードも尋常ではない。
 仕事に行くサンタクロースのソリをぐんぐんと追い越すと、地球ゲートから地球へと降り立ったのであった。
「ひゃーっは! ふひひひ!」
 奇声を上げながら夜空を駆けるサンタクロース。地球の人間に見られなくて本当に良かったと思う。
 柚斗は予め蓮がハッキングした情報から調べておいたサンタクロース経由路を外しての道を駆けていた。見られたところでどうなる訳でもないが、なるべく隠密に行動したい。
 蓮のお目当てである何組かのゲイカップルを順番に見て回ることにすると、最初のターゲットの場所へと移動したのである。
 つんけんどんな攻めと、健気な受け。なかなか素直になれず愛を囁くことができない攻めが、勇気を持って顔を赤らめさせながら受けに指輪を贈っている。
 受けは涙目になりながらそれを受け取り、小さくありがとうと呟くと攻めに抱きついた。
「ぎゃーぼす! 萌え! 萌え! もーえーるー! ああっ、もうっ、そこで押し倒せよ! 焦れったいなあ、もう! あ、あ、あっ! ちゅーした! ぎゃー柚斗、ちゅーした!」
「あーはいはい、良かったな。つか涎垂れてるぜ、もう、汚いなあ」
「ふひひひ。堪らん。堪らん! 辛抱堪らん!」
「……ほら、だから涎垂れてるって」
 いちゃいちゃといちゃついているゲイカップルを見ながら、悶えている蓮に柚斗は慣れた様子でハンカチを取り出すと垂れている涎を拭った。
 テンションが最高潮である蓮に話しかけても今はなにも通じない。目の前が萌え一色に染まっているのだ。
 べったりと窓に張り付きながら奇声を上げている蓮は傍から見れば変質者そのものであったが、人間には見えないし同業者のサンタクロースもこの場所にはいないので良かったといえよう。
 粗方見て満足したのか蓮は次々に柚斗へと指示を送ると、丁度良い見せ場ばかりを見て楽しんだ。
 同じくデバガメのような行動を共にしてきた柚斗は次第に心寂しくなると、クリスマス島にいる恋人のことを考えていた。なんだかんだ言いつつ暫く会っていない。
 幸せそうな恋人たちを見て回る度に肌恋しくなるのは当たり前の感情だろう。
 次第に溜め息が多くなってきた蓮も柚斗同様、肌寂しくなったらしい。毎年このパターンだと、いつぐらいにそうなるのか柚斗は把握しているのだった。
「蓮、帰るか? 柳星先輩も仕事終わったらお前に会いにくるだろ」
「え、や、やだ。まだ帰らないもん」
 とか言いつつ蓮の視線は眼下にいる恋人に釘付けだ。人間の吐く息が白く凍るクリスマス、まるで体温を分け合うかのように寄り添う恋人たちに蓮は憧憬の眼差しを向けていた。
 サンタクロースやトナカイは基本寒さを感じない。クリスマス島や地球のクリスマスなどの日に寒さを感じていたら仕事にならないからだ。だから寒い日に体温を分け合う喜びを知らないのである。
 それに少し羨ましくなった蓮は、小さな嘆息を吐くと手をにぎにぎと握り締めた。
 もし蓮と柳星が地球の人間だったら、寒いという理由で抱きつけたりするのだろうか。空いた手を温めあうように繋いだり、お互いの体温を感じられるように密着したり。
 そこまで考えてはっとした蓮は赤い顔でぶんぶんと頭を振ると不埒な考えを吹き消した。
「だ、だめー!」
「……ん?」
「な、なんでもない! と、トリは新宿区内だよ! 早くね! そこがメインなんだから!」
「へいへい。じゃあそのカップル見たら帰るぞ」
「……う、うん」
 せっかく覗きをしにきているのだから思う存分楽しまなければ意味がない。恋しくなるのは後にして、今は目の前のご馳走にありつくことだけを考えよう。
 蓮は赤く染まった頬を隠すように触れると、手綱を引いたのだった。

 トリであるメインはとあるヤクザカップルであった。数年前から目をつけていたそのカップルは毎年蓮の目を和ませてくれる。所謂眼福というやつだ。
 見目も申し訳ないぐらい蓮の好みだし、攻めと受けも良い感じの組み合わせなのだ。
 受けの方が少々精神的に弱い部分があるため、初めて見たときから心配になって毎年様子を見にきているのだ。
 デバガメ心もあるとはいえど、別れていないか、倦怠期になっていないか、幸せそうなのか、それを知れるだけでも十分価値がある。
 まるで母親のような心境で気にかけているカップルであった。
 新宿区内でも抜きん出ている高層ホテルの最上階のスウィートに、そのカップルは宿泊していた。
 攻めの名を迅、受けの名を尚人。名前や人生の歩みなど事細かに調べていた蓮は二人の姿を見ると、友人のような親しみが沸く。
 気だるげな様子でワインを飲む尚人を見た蓮は、柚斗に頼むと窓側ぎりぎりまで近付いた。
「なんか元気なさそうだな〜」
「ねー。なんかあったのかな。迅がいないよ」
「うーん、迅忙しそうだから仕事なのかもな」
 柚斗ですら顔馴染みだ。何度も見る内に蓮同様愛着が湧いてしまった故にこうして一年に一度の顔合わせは楽しみでもある。
 二人は窓の向こうをぼんやりと見つめる尚人に心配な顔を向けると、静観した。
 ごろごろと転がる酒は尚人が消費したものだ。尋常じゃないほどの摂取量にはらはらしていた蓮であったが、それから幾ばくも経たない内に迅が姿を見せたのでほっと安堵の息を吐いた。
 扉の向こうから焦ったように走ってきた迅は、なんの反応もみせない尚人に後ろから抱きつくと、華奢な身体をしっかりと腕の中に収めたのである。
 それまで人形のように表情のなかった尚人の顔が、少し変化をみせる。微量に色付いた頬と、小さく歪められた口端。
 嬉しいのだろう。素直になった素振りはないが、迅の手に己の手を重ねると柔らかな口づけを指先に送った。
「あああ! 良かったねー! 迅きて、良かったねー!」
「一安心だな〜、なーんかこの二人見るとクリスマスだなって実感するわ」
「今年もラブラブっぽいし安心。来年もまた様子見にこなきゃね」
「だな。気になるし」
 二人は手を取り合って喜ぶと、幸せそうな二人を見守った。
 今までもたくさん辛いことを経験し、これからもいろいろなことが二人を待ち受けているのであろう。それでもお互いの手を取ってお互いを選択し続ける二人を見ると萌えという感情より安堵感が沸きあがる。
 壁に張り付くようにして迅と尚人の様子を見ていた柚斗と蓮は、後ろに忍び寄る影に気付くことができなかった。
 嬉しさでいっぱいになっていたのもその一因だろう。むんずっと首根っこを引っ張られ、驚きに振り向いてみればそこにはにっこりと怖いくらいの笑みをみせていた柳星がいたのである。
「ぎゃ! な、な、な、なんでここに!」
「なんでって、ここはオレと颯の巡回コースだからな」
「え、え!? ま、まじ!? 調べたときはなかったのに……」
「新米サンタクロースがミスしたからな、それの救援にいってたんだ。オレと颯はほとんどサンタクロースの見張りのような仕事だし」
「……そ、そうなんだ」
「で? 蓮はなにしてんの?」
「……地球観光です」
「へえ? まあそれは帰ってきてから聞くとしよう。おい、柚斗、交代だ」
 柳星がそう言うなりきょとんとしていた柚斗もその意味を理解したのだろう。ややげんなりとした表情を浮かべると柳星と立場を交代した。
 柚斗は柳星の代わりとなって神谷と森屋を率い、颯のソリを引くのだ。
「柚斗君、蓮君、言い訳は帰ってきてから聞こう。まあクリスマスだからな、大目に見てやるが説教だけは甘受するように」
「……すんません」
「じゃあメリークリスマス。良いクリスマスを、柳星、蓮君」
 颯は人好きのする笑みを浮かべると手綱を握って指令した。どうやら見逃してはくれるようだ。説教だけで済むのだから軽い罰だ。
 柚斗もそれはわかっているのか、渋々といった面持ちながら蓮に手を振ると水島に命令されるままソリを率いて夜空へと駆けていったのである。
 残されたのは妙な雰囲気を漂わせている柳星と蓮。気まずげに尚人と迅から視線を外すと柳星を見上げてみた。柳星はにこにこと笑うだけでなにも言ってはくれない。
「お、怒ってる?」
「なんかわりいことしたの」
「……え、いや、その、別に……ちょっと、観察してただけっていうか、その」
「ふーん。ま、ここにいた理由は聞かないでやるよ。それより、今からどうする? 明朝までまだ時間あるけど帰るか? それとももうちょっと地球にいる?」
「うーん……と、えと」
 蓮は尚人と迅の方をちらりと見た。もうできあがっているのか、二人は心配ないほどに仲睦まじげだ。これ以上覗いたとなれば直ぐにでも行為に雪崩れ込むだろう。
 流石の蓮も行為を堂々と覗けるほど大人な精神は持ち合わせていない。
 焦ったように視線をずらすと柳星の角に触れた。
「帰る。けど、ちょっと遠回りしよ」
「なに、ドライブ?」
「うん。地球にこれるのも一年後だし……見ておきたいなあって」
「わかった。じゃあちょっと走るわな」
 蓮は角から手をぱっと離すと、体勢を整え出発をした。目的はないけれどゆっくりと見て回るように走る柳星のソリで、暫く見ることのできない地球の様子を目に焼き付ける。
 幸せそうな恋人や家族、寒くても外で楽しそうに笑う人間。時間が時間だからか人影は少ないといえども、蓮にとってはきらきら光る大切な光景でもあった。
 ぱらぱらと降る雪の冷たさも、綺麗さも蓮にはわからない。だけどこんな雰囲気ならきっと幸せだろうということはわかる。
 大きな月をバックにして走る柳星と、偶然にもクリスマスを過ごすことができて蓮もきっと幸せなのだ。サンタクロースも、クリスマスは幸せになって良い。
 ずっと引っかかっていた言葉が、蓮からするりと零れた。
「……よっしー、寒い」
「え? 寒い?」
「手が寒い、頬が寒い、身体が寒い!」
「……しゃあねえなあ」
 寒さなど感じないとわかっているからこそ、そう言った蓮の言葉の意図に気付いた柳星は駆けることをやめると振り向いて蓮の手を握り締めた。
 温かな体温が掌を伝ってくる。そのまま頬に手を添えてぎゅっと抱き締めてやれば満足したのか、蓮の腕が抱きつくようにして柳星の背中に回った。
「オレにプレゼントはねえの? サンタさん」
 至極ご機嫌で顔を覗き込みながらそう言った柳星に、蓮は意を決して言わなければと思っていた言葉を紡ぐと柳星がなにかを言う前に唇を塞いだ。気の所為か、冷たくなった唇で。
「す、き」
 小さな小さな言の音だったが、柳星の耳にはしっかりと届いた。
 重ね合わせた唇が照れ隠しだとわかっていても、柳星にとっては最高のプレゼントなのだ。
 普段は人間にプレゼントを配るサンタクロースやトナカイにも、クリスマスはある。プレゼントを配り終わった後の数時間がサンタクロースやトナカイのクリスマスなのである。
 シャンシャンと鳴る鈴の音が止まる頃、サンタクロースとトナカイにとってのクリスマスがやってくる。
 夜空を見上げてみれば見えるかもしれない。幸せそうに抱き合っているサンタクロースとトナカイが。