傍にいた落とし穴 01
 ミンミンと蝉が煩く鳴く。 夏真っ只中の現在、望月は鹿威しをぼうっと見つめていた。
 水島デルモンテ学園に望月と和泉が入学をしてから一年と少し、二人は二度目の夏休みを向かえていた。 入学してからいろいろとあったが、今は問題もなく、落ち着いて夏休みを過ごしている。
 一年の秋ごろから和泉は吉原という一つ上の先輩と付き合いだした。 梅雨に入る前から吉原が猛アタックをし、鞘に落ち着いたのは秋。
 寂しい、と望月が感じていたのも最初だけで今は素直に祝福してやることができていた。
 そんな和泉も今は吉原の家に入り浸っていることが多い。 実家に帰ることが減り、和泉の兄である凛が寂しいと良く望月に連絡を寄越していた。
 望月は望月で自由に夏休みを楽しんでいた。 最初だけだったが。
 テニスの都大会を制覇したため、望月が所属するテニス部は全国大会へと進むことができた。 残念ながら途中で敗退してしまったが、立派な好成績といえよう。
 負けたからといってテニスを疎かにするつもりはない。 望月は夏休み中も宿題や遊びの合間にテニスの練習をしていた。
 そう、普通の男子高校生の夏休みを楽しんでいたのだ。 彼女は未だにできないが。
 なのに、和泉の兄である凛に頻繁に呼び出されるようになったのはいつ頃だろうか。
 最初は凛も寂しいのだな、と安直に思っていたのだが凛にそんな気持ちなど一切なく、次第に原稿のために呼び出しているのだと気が付いた。
 和泉兄弟の同人誌にかける情熱は半端ではない。 アシスタントを雇えば良いものの、二人とも望月じゃないと駄目だというのだ。
 全うなノーマルで、同人誌に興味もなく、アニメや漫画、ゲームもそれなりにしか知らない。 そんな望月なのに同人誌作りを手伝わされている。
 BLやGL、またはR-20の陵辱ものなど。 正直言って疲れる。 とても疲れる。
 だけど望月は嫌とも言えずに、結局は絆されて原稿を手伝ってしまうのだった。
 カコン、と竹が落ちる。 望月は顔を上げると横で優雅にお茶を飲んでいる凛に視線を向けた。
「……それ、やめてくんないっすか」
「なに言ってんの。これが醍醐味でしょ〜」
「いや、可笑しいでしょ。普通に」
 そうなのである。 凛はとてもまともではない。 和泉もだが。
 深草色の和装を身につけている姿は様になっている。 少々華奢な身体つきだが身長はあるし、細身マッチョだからそこから見える肌も男らしい。 去年よりは肌の色も一般人に近付きつつある上、顔は元々男前だ。 文句はない。
 髪の毛は派手でくすんだ銀髪に戻ってしまったが、七色のときを思えば可愛いものだ。
 そうパッと見は街などに繰り出せば逆ナンされるであろうし、いけてるメンズに入る部類なのだ。 側にあるフィギュアがなければ。
 望月と凛は原稿を終わらせ、和泉家の縁側に腰をかけ休憩をとっていた。 有名な流派である和泉家の跡目の凛が入れたお茶は、格別に美味しい。 望月はそれを飲みながら、有意義な午後を過ごしていた。
 しかし凛が望月の隣に腰をおろした瞬間から、その優雅な空気はぶっ壊れてしまった。
 凛が愛してやまない『危険な放課後☆女教師の甘い誘惑』シリーズ総作品の中でもお気に入りのフィギュアを並べだしたのだ。 凛曰く特等席である凛の横は神無月 ミコ先生以外ありえないらしい。
 正直、望月はその光景に頭痛を覚えた。
 凛の弟である和泉はホモ妄想が凄いし口も悪い、だが物に拘りがないためフィギュアなどはあまり縁がなかった。
 だが凛は等身大パネルやら抱き枕、フィギュア、ポスターなどなどグッズ集めにも雑念がない。 部屋はまさに混沌としている。
 黙っていればモテるはずなのに、凛の趣味と変な性癖の所為で付き合っても直ぐに振られていた。
 愛しいものを見るような瞳でフィギュアに話しかけだした凛に、望月は諦めの溜め息を吐いた。
「……凛さんさ、彼女できたって聞いてたんすけど」
「あ〜ね、蓮ちゃんから? でもその情報古いよ〜。もう別れたっつーか」
「あ、そうなんすか……良いですよね、俺も彼女ほしい」
「毎日あてられてるようなもんだしな〜、お前。ま、憎き吉原も今んとこは蓮ちゃん泣かしてないみたいだし? 俺は蓮ちゃんが幸せならそれでいーや」
「話それましたよね。……まあ確かに蓮が幸せなら良いんですけどね。その幸せわけてほしいっつーか。あー……俺も寂しいんでしょうね」
「憎くてむかつく吉原だからな。吉原め……俺の蓮ちゃん独り占めしやがって……ぜってーしめる」
「だから話それてますって。……まあ、吉原先輩は、良いんすけど……寂しいですよね」
「ま、元気出せ。男からモテんだろ? 万事OKじゃ〜ん! お前も早く彼氏作れよ。お前なら素直に応援してやれる気がするし〜」
「……ノーマルって、知ってますよね」
 ハハハ、と愉快に笑う凛に望月は肩をがっくりと落とした。
 幼い頃からいつも三人でいたから仲は良い。 だが未だに敬語が抜けない望月である。
 原因は凛のブラコンから始まる長い訳があるのだが、それは本当に長いので割愛することにしよう。
 神無月 ミコ先生のフィギュアを手に取り、立ち上がる凛。 どことなく和泉に似たすっと横に長い瞳が細められる。
 見慣れた姿。どことなく違和感を覚えた望月は立ち上がることにすると、凛の横に並んだ。
「あ、身長伸びました?」
「わかる? ちょっと伸びたんだよね〜」
「俺も伸びましたよ。夢の180cm台は無理そうっすけど」
「俺だって無理だっつの。あんなの人間じゃねえ〜っての。あーほんと蓮ちゃんは吉原のどこが良いんだか……」
「……あんた本当にそればっかりですね」
 口を開けば蓮、蓮と煩い凛に望月はそろそろ反応が面倒になっていた。
 第一和泉と吉原が付き合ったのは一年近く前になる。 いい加減諦めても良いものの、未だしつこくそれに拘るのだ。
 望月だって最初は吉原に和泉を取られたような思いを抱えていたが、それも最初だけだ。 和泉のことが大切だからこそ、応援してやろうという気持ちになれた。
 なのに凛といえば本当にしつこい。 こういうところも女性に受けないのだろう、と決めることにすると望月は腰をおろした。
 夏の風がさらりと吹き、望月の痛んだ髪が揺れる。 お気に入りのアッシュカラーの髪ももう随分と抜けかかっている。 アシンメトリーにした髪型も伸び、そろそろ美容院に行く時期だろう。
 そんなことを思いながら、神無月 ミコ先生に愚痴を零している凛を見つめていた。

 それ以来、二人はなにかと顔を合わすことが多くなっていた。
 凛は家業や同人活動を家で行う上、凛の通っている高校は地元にある。 元々実家からあまり出ないのだ。
 それ故に望月の行動パターンが大きく変化した。 なにかと知り合いの多い望月は外に出がちだったが、何故か今はずっと実家に留まったままだ。 テニスの練習も欠かさずしているし、友達とも定期的に会っている。 だがほとんどの時間を凛と共有していた。
 毎日といって良いほど和泉家へと行き、凛の部屋で原稿を手伝う。 最早それは日課のようになっていた。
 和泉がいない和泉家に入り浸ること事態、異例中の異例である。 望月はふと自分が何故ここにいるのか良くわからなくなることも多いが、次第に気にしないようになっていった。
 しかし、二人の空間がどことなくぎこちないのはお互いが感じていることだ。
 元々は和泉という存在が中心で成り立っていた関係である。 幼馴染といえども、和泉ありきの関係なのだ。
 凛も望月も和泉には滅法甘い。 どろどろに甘やかしている。 その甘やかす存在がいなくなれば、二人はお互いにどう接して良いものかわからないのである。
 和泉が側にいる状況で二人きりになることは多かった。 だが和泉がいないのに二人きりになるのはほぼないといえよう。
 ふとした瞬間に訪れる沈黙や、さ迷う視線に、望月も凛もどうすることもできなかった。
「……どうします? 今日」
「え?」
 がりがりとペンを握っていた凛が顔を上げる。 向き合った望月は少し困ったように笑うと、カレンダーを指差した。
 気がつけば日は沈みかけ、気温はいくばくか過ごしやすいものへと変化していた。
 凛は前髪をかきあげると、小さく唸った。
 望月が指したカレンダーにはなにも書かれていない。 予定などはない。 しかし問題は日付なのだ。
 本日は地元で有名な花火大会がある。 全国的に見れば大きなものではないが、ここら一体では賑わいをみせるのだ。
 例年望月と凛、そして和泉、その三人で参加していた。 その和泉は今年、ここにはいない。
 約束していた訳ではないが、いつも三人で見ていた故に、和泉が参加しなくなるとどうして良いものかわからない。 凛はペンを置くと、少し長い息を吐いた。
「いちおー見る」
「あ、見ます?」
「ま〜蓮ちゃんいないのは残念だけど……せっかく毎年見てるんだし? 柚斗で我慢するしかねーべ」
「ちょっと、それ俺の台詞。あ、でも蓮、吉原先輩と見に行くって言ってたし、もしかしたら会えるんじゃないっすかね」
「まーじー! なまらテンションあがんね、それ! 見つけろってことじゃーん!」
「……邪魔しないでくださいよ。後でこっちに被害くるんですから」
「まー考えとく!」
 機嫌の良くなった凛に、望月は安堵の息を吐くと再度ペンを持った。 あと少しで原稿も終わる。 もうひと踏ん張りしたら花火大会だ。
 男同士で女っ気がないというのが寂しいところではあるが、仕様がない。 出店に期待しよう。
 望月もいくばくかテンションがあがると、凛と二人、最後の仕上げに取り掛かるのだった。
 それから少し、日も落ちた頃、凛と望月は着替えてから家を出ることにした。
 凛は群青色の麻生地の浴衣を着崩し、望月は臙脂色の浴衣をぴっちりと着込んだ。
 夏独特の雰囲気に包まれ、次第に懐かしさを感じるようになる。 カラコロと下駄を鳴らしながら、堤防を歩く二人。 縁日が行われている故に、浴衣を着た人は多く、がやがやと賑わっている様子が遠くからでもわかる。
 いつも通りライオンのようにヘアセットをしている凛は縁日につくやいなや、出店に目を輝かせ望月の手を引っ張って連れまわしたのであった。
 たこ焼き、焼きそば、わたがし、林檎飴から始まりかたぬき、射的、輪投げなど、今はどこか時代を感じるものまで多く出ている。
 月夜だけの空間に、人工的な赤い灯りがともされている様は雰囲気がある。 哀愁漂う中にもどこか昔に置いてきたもの。
 そんな空気に、凛と望月の間にあった蟠りも次第に溶けていく。
 凛は林檎飴を二つ買ってくると、一つを望月に手渡した。
「原稿の手間賃ね〜あげる」
「安いっすね。でも、ありがとうございます」
「つーかーいい加減、敬語やめたら? なんか気持ち悪いっつーか」
「……癖、ですけど。第一凛さんが昔煩かったから」
「昔のことじゃん? ほら、タメ口聞いてみて」
「ええ、いきなりは無理っすよ」
「……無理? 俺に対して無理とか言っちゃう?」
「……ああもう、わかったから。そんな目で見るな」
「お、できてんじゃーん。偉い偉い。蓮ちゃんの次に偉い」
「つーかできるよ、そんくらい」
 思ったよりは違和感もなく、すっと出たタメ口に、望月は少し引っかかる部分を覚えた。 だがあえてそれを深く追求することをせずに、手渡されたわたがしを口に含む。
 ほぼ砂糖で構成されているそれも、雰囲気と場所によっては美味しく感じられるものだ。 食いちぎるように食べる凛を見ながら、望月も大きく食いちぎった。
 なんだかんだ言いつつ純粋に縁日を楽しんでいる二人の前に、見慣れた姿が横切った。
 相変わらずピンクゴールドの髪を伸ばしている吉原と、つやつやとした黒髪の和泉だ。 和泉も入学当時からは随分と身長が伸びたが吉原が大きい所為か、小さく見える。 どちらにせよ望月や凛よりは低いので、低い部類なのだが。
 吉原と和泉はお互いに似合った浴衣を着ていた。 楽しそうに一つの林檎飴を一緒に食べている様は、見ている方が恥ずかしくなる。
「……凛さん、あれ、蓮だけど」
「あー……なんか、蓮ちゃん、……ばかっぷるつーか」
「まあ、……見てると恥ずかしいつーか、だろ」
「……しかし! 俺はめげない男であるじゃん? つー訳で、……蓮っちゃ〜ん!」
「あ、ちょっと!」
 凛は和泉の姿をしっかりと目に焼き付けると、そのまま和泉の方へと突っ込んでいった。 望月はそんな凛の様子を見て、大きな溜め息を吐くとゆっくりと近付いていく。
 後ろの方でこちらを睨む吉原の視線が痛い。 粗方邪魔をするな、と言いたいのだろうが凛を止めることができるのは和泉しかいないのだ。
 和泉にべったりと張り付いた凛を見て、望月は思わず笑ってしまった。
「ちょっと〜! 柚斗、兄貴と一緒なの? 言ってよ〜」
「まあ、成り行きでな。今年はお前が参加しないっつーから、こうなったんだよ。あ、別に責めてる訳じゃねーよ?」
「わかってるけど……もう! 兄貴! 暑い!」
 和泉が必死になって凛を引き剥がそうとするが、凛は頑として和泉を離そうとはしない。 少しその気持ちがわかる分、望月も吉原も大きくはでられなかった。
 ブラコンである凛が和泉に会えないとなると、その分寂しさも募るのだ。 こんな形で会ってしまったが、凛と和泉は久しく顔を合わしていない。 凛がこういう行動に出ることは、わかっていた。
 だが、吉原と和泉の気持ちも望月には痛いほどわかる。 決して凛が嫌な訳ではないはずだが、如何せんデート中だ。 邪魔をされては困るものだろう。
 望月は一肌脱ぐことにすると、凛の首根っこを掴んで和泉から引き離した。
「凛さん、蓮明日帰ってくるんだから今日は大人しくして」
「柚斗! お前は俺を邪魔するのかっ!」
「芝居調に言っても無駄。吉原先輩と和泉はデート中。俺たちはお邪魔虫。つー訳でほら、蓮、行け」
「あ、ありがとう! 柚斗、また明日ね! 来年は四人で見ようね!」
「おう。楽しみにしてる」
 望月に手を振りながら、和泉は嬉しそうに吉原に駆け寄ると、人混みの中へと紛れていった。 その様子を最後まで見届けると、望月は凛を掴んでいた手を離す。 途端振り向いた凛はぶすり、と膨れていた。
「柚斗〜! どっか行ったじゃん!」
「まあまあ。明日帰ってくるんだし、な?」
「花火大会は一年に一度しかない!」
「はあ……じゃあ明日三人で花火でもする? それなら文句ないだろ」
「……おお! 画期的!」
「そうか? 取り敢えず、俺、焼きそば食べたいから行くけど」
「俺も食べる〜!」
 和泉は複雑な性格だが、凛は単純な性格である。 望月は機嫌の良くなった凛にほっと胸を撫で下ろすと、この花火大会を楽しむことに専念した。
 和泉がいないから気まずいと最初は思っていたが、なんだかんだいって従来の付き合いである。 お互いの性格や癖、行動などは大抵把握しているのだ。
 結局は原稿のお礼ということで凛に奢ってもらった望月は、遠慮することもなく縁日を存分に楽しんだのであった。
 お互いに気を使うことも、遠慮することも、探ることもなにもしないで良い。 ただ目の前にある楽しさを、純粋に追求できる。
 気がつけば絶えず笑みを零している望月。 凛に対して、和泉とは違う安息を覚えていた。
「お、柚斗! 花火あがったぞ〜」
「あ、ほんとだ。……でも毎年変わらないな。同じ」
「まーなー、相変わらず芸がねえっつーか、頑固もんなんだよな〜、あの親父も。あ、そこ段差あるから気をつけろよ〜」
「え? お、おう」
「ほら、飴持っててあげるから、カキ氷先に食べちゃえよ〜?」
「……悪い」
 段差があれば手を引いてくれ、林檎飴を持ちながらカキ氷を食べようとしたら林檎飴を持ってくれる。 そんな凛のさりげない優しさに、望月は妙に照れがでた。
 普段は我儘で危なっかしい和泉を望月が甘やかす。 甘やかすことに慣れていた望月。
 だが今は逆で、凛に甘やかされている望月がいた。 なんだかんだ言いつつ凛は優しいし、頼れる存在なのだ。
 慣れない扱いに、望月は少し緊張を覚えたものの、大音量で夜空に輝く花火に、それも溶けていく。
 凛の整った横顔が花火に照らされ、色とりどりに変化を見せる。 見慣れた姿のはずが、どこか他人のようにも見えて、望月はそっと視線を外した。
 きっと今抱えている複雑な気持ちは、和泉というバランスがなくなった故に感じるものなのだ。
 レモン味のカキ氷がやけに甘ったるく思えて、望月は遣る瀬無い感情を甘さに隠した。 それがきっかけだったのだろう。