花火大会以来、妙に凛を意識する望月がいた。
意識といっても変な意味はないと思いたい。
たださり気ない優しさや、ちょっとした仕草、望月を見る瞳に気がつくようになっただけなのだ。
和泉とはまた違った扱い。
ただどろどろに甘やかすだけの関係ではなく、望月に気付かれないように甘やかしてくれるそんな関係。
心地が良いと思うのは、可笑しなことなのだろうか。
どうやら和泉に随分と洗脳されているみたいだ。
まるで恋の始まりのような思考に、望月は頭痛がした。
相手は凛だ。
小さいころから一緒に過ごし、兄弟のように育った。
凛の良いように扱われてきたし、つい最近までは和泉の行動を見張らされていたのだ。
引くぐらいにギャルゲーが好きなことも、和泉を世界一愛していることも、性癖が可笑しいことも全て知っている。
そんな凛を意識するなど、有り得ないだろう。
第一望月はノーマルである。
男を好きになることに偏見はないが、自分自身が好きになれというと無理な話だ。
もちろんそれは凛も同じだろう。
ただ和泉がいないから、こういった風に思ってしまうだけなのだ。
今まで保たれていた三角関係が崩れてしまった故に、意識してしまうだけなのである。
望月は無理矢理そう結論づけると、読んでいた本を閉じた。
「……なーんか、変だよね。柚斗」
「……あ?」
そのとき、望月の隣で宿題をしていた和泉が顔をあげた。
その表情はなにかを疑っているようなものである。
和泉は先日吉原家から帰宅し、和泉家へと腰をおろした。
暫くは実家にいるらしく、原稿をしたり宿題をしたりと自由に過ごしていた。
しかし実家に帰ってきたといえど、和泉が家にいることは少ない。
大方、外に出ていることが多かった。
では何故帰ってきたのか、それはイベントに行くためだった。
吉原と一緒にいればイベントに一回も行けないのだ。
原稿はなんとか書かせてはもらえるものの、それも時間制限がある。
焼きもち妬きな吉原は、和泉が吉原以外に熱中することを良しとしない。
それ故に吉原を置いて出かけることが嫌で、和泉をイベントに行かせないようだった。
最初は耐えていた和泉だったが流石に耐え切れるものではなくなったらしく、イベントが集中している期間だけ実家に帰ることにしたのだ。
その言葉の通り、和泉は毎日毎日飽きずになにかのイベントへと足を運んでいる。
吉原がいない間は、思う存分イベントに参加して楽しむのだろう。
そうなればいくら和泉が帰ってきたといえど望月と過ごす時間は少なく、必然的に望月は凛と過ごす時間が多くなるのだ。
今日はイベントも予定もないらしい。
だから望月は久しぶりに和泉と一緒に過ごしていたのであった。
じいっとこちらを見つめる和泉。
そんな和泉の顔を見ながら、改めて凛と似ていないことを思う。
甘さが引き立つ和泉の顔とは違い、凛は涼しげな印象だ。
ギャル男をしているからあまり顔の造作に気付かないが、普通にしたら和装がとても似合う顔立ちをしている。
小さい頃からずっと時間を共にし、見慣れてきたはずなのに、今の望月には和泉も凛もどこか知らない他人のように見えて、少し妙な気分に駆られた。
黙ったままただ和泉を見つめ続ける望月に、とうとう痺れを切らしたのか、和泉が口を開いた。
「絶対変! なんか隠してるでしょ!?」
「隠してねえって……」
「嘘! 変だよ! なんか変!」
和泉は宿題から手を離すと、望月ににじり寄った。
和泉の可愛らしい顔が近付き、反射的に後ろへと下がる。
だがそれを良しとしない和泉は望月の肩を掴むと、じいっと見つめてきた。
なんとも言いがたい微妙な雰囲気が流れる。
こんなに間近で和泉を見るのも、和泉と話をするのも久しぶりだ。
望月は緊張をしながらも、和泉と視線を合わさないようにそっとずらす。
それが気に食わなかったようで和泉は無理に視線を合わせようとするが、望月は避け続け、話題を変えようと口を開いた。
「つーか、吉原先輩元気か? 縁日んときは元気そうだったな」
「よっしー? よっしーは馬鹿みたいに元気だけど……」
「そっか。じゃあ蓮の身体ももたないな」
「っ、ちょ……べ、別に毎日してる訳じゃ……!」
「へえ。でも結構な頻度でしてるんだろ?」
「……し、してないし!」
「ふうん。……そ」
威勢をなくした和泉は頬を赤らめると、ほろほろと瞳を動かせる。
その和泉の仕草に、望月は和泉の成長を感じた。
一年前まではホモホモと言っていたけども、自身が男と付き合うことになるとは露にも思っていなかったはずだ。
気がつけば吉原と付き合いだし、恋愛絡みの悩みも増え、いつしか自身が男と付き合っていることに抵抗をしなくなっていた。
あんだけ自分はノーマルだ、と言っていたのに、その意見を覆して和泉は男と付き合い出した。
誰よりも近くでそれを見てきた望月だ。
心境の変化や考えの違いに、気付かなかった訳ではない。
だがそれは飽くまでも仮定の話であり、望月は第三者だった故、理解し兼ねる部分も多くある。
そもそも、そういう風になったきっかけや、考えの転機はいつごろだったのだろうか。
なにを思ってそう感じたのだろうか。
考えるように首を傾げた望月。
そんな様子を不審な目で見つめていた和泉は痺れを切らして口を開いた。
「……柚斗、ほんとーに隠しごとしてない?」
「隠しごとっつーか、なんつーか」
「……もしかして、恋してるんじゃない?」
「いや……恋、じゃないと思う。ちょっと、意識するっつーか、……こんなだっけ? ってな感じ」
「抽象的でわかんないよ。誰? 俺、知ってる?」
「んー、まあ、それは後々言う、けど」
口ごもった望月に和泉はあることを思うが、それ以上は詮索をしなかった。
無理に詮索をしても望月ははっきりとするまで言わないだろう。
それに望月から言ってくれるのを待つしかない。
和泉は望月から身体を離すと、ぴったりとくっつくような形で腰をおろした。
その和泉の動作に、望月は緩和されると少しだけ相談に乗ってもらうことにした。
決して和泉に相談するのが嫌な訳ではないのだ。
ただ全てを話すには相手が悪すぎる。
和泉の兄でさえなければ、望月は和泉に全てを話すだろう。
望月は和泉と視線を合わすと、薄い唇を上下に開いた。
「……あのさ、茶化すのやめて、相談乗ってくれる? 俺も茶化して聞いてる訳とかじゃないし」
「うん。わかった」
「男のこと、意識すんのって、ある? その、恋愛っつーか、女意識するみたいな感じでさ。あ、もちろん吉原先輩以外で」
「えーない。だってゲイじゃないし。ホモでもないし、バイでもないもん。よっしーは特別」
「……だよな、そーだよな。普通は、ない、よな……」
「え、それが聞きたかったの? え?」
「まあ、それが聞きたかった訳なんだけど……うん、さんきゅ」
訝しげな表情をしながら望月を見る和泉だったが、望月はそれ以上なにも言うことなく、またぼうっとし始めた。
和泉も和泉で思うことはあったようだが素直に空気を読むと口を閉じ、再び宿題へと手を伸ばす。
なにも喋らない。
ただ傍にいるだけ。
その沈黙は望月にとって安堵できるものであり、自分自身を再確認できるものでもあった。
やはり和泉の傍が一番落ち着くのだ。
黙っているだけでも、良い。
なにも考えなくても良い。
平凡な日常の一コマだと、感じることができる。
現実逃避というものだと望月はわかってはいたものの、その空気にどっぷりと浸りながら午後の時間を過ごすのだった。
それから暫く、凛が和泉を呼びに部屋を訪れた。
どうやら茶道の教室を終えたらしく、暇を持て余していたらしい。
最初は和泉に構ってもらおうと必死に纏わりついていた凛だったが、和泉が軽くあしらってしまったため諦めざるを得ないようだ。
しょんぼりと肩を落とす凛の様子に望月が慰めようとするが、凛はへこたれてはいないと言いたげに振舞った。
そんな凛の姿に和泉は薄らと笑みを浮かべると、凛の髪の毛を引っ張る。
「兄貴も、変わったよね」
「……は? え? 兄貴もって?」
「べーつにっ! それより兄貴、今暇なんでしょ?」
「そうなんだよ〜蓮ちゃん構ってくれるの!?」
「俺は今から原稿するの。急激に仕上げなきゃならない原稿あったの思い出してさ〜」
「……手伝うよ〜? BLは畑違いだけど、蓮ちゃんのためなら頑張ります!」
「俺一人でするから大丈夫。だから柚斗に構ってもらって」
そう言った和泉に、望月は胸がどきりとした。
先ほどの言葉と言い、もしかして和泉は望月の心境に気がついているのではないだろうか。
だが鈍感な和泉だ。
望月でも良くわかっていない気持ちに和泉が気付く訳がないだろう。
たまたまなのだ。
そう今までだってこういったことは何度でもあったはず。
しつこい凛を望月に押し付けることなど日常茶飯事だったではないか。
望月は黙ったまま、ただ和泉と凛のやり取りをぼうとしながら聞いていた。
話は望月が口を挟まずともどんどんと進んでいき、凛の相手はやはりというべきか、望月がすることになった。
「じゃあ柚斗、兄貴のことお願いね」
「……え、ああ、うん。暇だし、良いけど」
「なーにーそーれー! 柚斗ちょっと適当じゃね? 俺をおざなりにすんなよ〜?」
「してない。普通にしてるよ」
望月の肩に手を回し、頬を抓ってくる凛。
その行動がとても子供っぽく、望月は思わず笑ってしまった。
そんな二人の様子を微笑ましげに見ていた和泉だったが、いつまで経っても移動しない二人に痺れを切らし、結局は追い出される形で和泉の部屋を出るのだった。
廊下にぽつんと放り出された望月と凛。
顔を見合わせるとくすくすと笑みが零れた。
「なんつーか、俺ら一緒にいすぎ?」
「そうだな。もう見飽きたっていうか、慣れたっていうか。ちょっと変な感じだけど」
「そうだな〜。それに柚斗のタメ口も慣れたっつーか、うーん、な」
「違和感ある? あるなら直すけど」
「つーより、蓮ちゃんときとちょっと違うから新鮮! まあ俺に蓮ちゃんみたいに接せられても困るんだけどね〜」
「あー、そう、だな。蓮んときはちょっと違うかも。あいつは、やっぱ特別、ってか……まあ凛さんもなんだけど」
「え? わり、聞こえなかったわ〜」
「あ、いや、別に」
思わず口をついて出た言葉に、望月は焦りを感じた。
自分自身が変に思うから変に聞こえるのだろうが、少し望月には似合わない言葉だったかもしれない。
凛が特別など、そんなことあるはずはないだろう。
特別といえば特別なのだろうが、そういった意味で特別な訳ではない。
ごちゃごちゃと煩い思考。
このままでは墓穴を掘りそうだ。
望月は慌てて頭を振ると、思考のスイッチを入れ替える。
そうして凛に誘われるまま、望月は街へと買い物にでかけるのであった。
がやがやと煩い街並み。
ここは地元でも一番活気を見せている場所でもあり、栄えている場所でもあった。
夕方も近い今、遊びに繰り出す若者や、会社帰りのサラリーマン、夕飯の買い物の主婦など、いろいろな人が犇めきあっている。
そんな中、望月は自分の一歩前を歩いている凛を観察していた。
街にでかけてみてわかったことは凛の顔が広い、ということだ。
望月とて知り合いは多かったが、凛とは比べ物にならないだろう。
最近の若者からオタクの方々、夜系の人もいれば、団塊世代の人もいる。
一体どこで知り合っているのか不明だが、凛に人望があるのがありありとわかる様だ。
変わり変わりに話しかけられる凛を見ながら、望月はコンビニで買ったガムを噛んだ。
望月とて話しかけられない訳ではない。
だが軽く挨拶をする程度で、話し込んだりはしない。
一応一緒に出かけているのだから、それが礼儀でもあるだろう。
それなのに凛といえば、話が長すぎるのではないだろうか。
それに対して無性に胸がもやりとするのは気の所為ではないはずだ。
望月の心はぐるぐると非常に五月蝿い。
胸に手を当ててその真意を問うてみるものの、当たり前の如くそこはなにも返事をしない。
ただ望月の腹の底にどろりとしたものが渦巻くだけで、それが消化しそうにないのだ。
これがなんいう名前をしているのかわからないほど鈍い望月ではない。
この嫉妬という気持ちが、友情目線故なのか恋愛目線故なのか、それが知りたいのだ。
艶々と色気を纏った女性の腕が、凛の腕に絡む。
それを軽くあしらいながらも、笑みは絶やさない凛。
ちらりと見る望月には気付きそうにもない。
望月は小さく息を吐くと、逆の方の凛の腕を引く。
合った瞳は暢気で、望月のことなど気遣う素振りもなかった。
「……ちょっと、俺CD屋見てるんで」
「え? あ、じゃあ俺も行くよ〜」
「いや、凛さん忙しいっしょ? 気にしなくても良いんで」
「……ごめん。なんか怒ってるー? 柚斗、口調直ってるし」
「……別に、そんなんじゃないです」
「あ、ほら! タメ口じゃねーじゃん!」
凛は傍らにいた女性をそっと引き離すと、帰ってもらうように頼む。
最初は渋っていた女性だったが、凛と望月の不穏な空気を感じていたのか、渋々といった形で去っていった。
それを見ながらも、望月は今すぐ帰りたい思いを抱えた。
その意味が次第に理解できるようになっていたのを、望月は否定してしまいたかった。
凛が望月の腕を掴んで、離さないように歩を進める。
振り払おうとすれば振り払える程度の緩い拘束だったが、望月は大人しく従うと凛の後をついていった。
その間にも何度か話しかけられていた凛だったが、それも表通りを過ぎるころにはめっきりと減っていった。
連れて行かれた場所はなんの変哲もないただの裏道。
日が暮れかけている所為か、閑散とした雰囲気がそこには漂っていた。
ここにくるまで無言を貫いていた凛。
足を止めると、望月の目を見る。
その瞳は薄らと怒りを含んでいたものの、望月には凛が怒る理由など想像もつかない。
居心地の悪い空気が流れる。
望月が視線を逸らすと、それが合図になったようで、凛が口を開いた。
「で? なんでそんなご機嫌ナナメな訳」
「……普通っすよ」
「普通じゃねーじゃん? タメ口になってる理由もわかんねーし」
「喋り方は、どっちだって良いですよね」
「……そうやって怒んのも良いけどさ、理由言ってくんないとわかんねーっつーか」
「……ほんと、なんでもないんですって。自分でもわかんないんですから」
その望月の言葉に、凛ははあ、と首を傾げた。
目の前にいる望月はいつも通りのように見えて、どこか可笑しい。
夏休み中、いやというほど時間を共にした。
その時間の中で、お互いに見ないような姿もたくさん見た。
十何年という時を過ごしたが、ここまで二人でいることは初めてだったのだ。
それ故にお互い思うことがたくさんあったが、それを敢えて口にすることなどなかった。
言ってしまえば、なにかが終わるような気がしていたのだ。
永遠に続くような沈黙がずしり、と重く圧し掛かる。
触れようと凛が伸ばした手に、望月はびくりと身体を揺らし、色のない瞳で凛を見据えた。
その行動に、望月は次第に自覚をしていくのだ。
とうとう自分は落ちてしまったのだと。
「……柚斗? お前、変じゃね……?」
「それは、凛さんもでしょ。……俺、帰りますね」
「ちょっと! 理由は? 敬語に戻った理由も聞いてねーし、お前が変な理由も聞いてねーよ」
「さあ。どうなんでしょうね。そんなの、俺が知りたいくらいですよ。……もう、遅いですけど」
「……はあ?」
「取り敢えず、俺は帰ります。一人になりたいんです。すいません」
なにかを紡ごうとしている凛を振り切ると、望月は足早にその場を去った。
凛に掴まれた手首が異常に熱い。
さきほどまでは否定していた気持ちを認めてしまえば、その熱さも今は理解できる。
なにがきっかけでこんなことになったのだろうか。
今頃問うてもそれは遅すぎる。
きっと一緒にいすぎたのだ。
凛を見すぎたのだ。
知りすぎたのだ。
この気持ちが恋だなんて、絶対に認めたくなかった。
受け入れたくなかった。
だけど、望月はそれを知ってしまったのだった。