お前と俺と、そしておかま 01
 俺、雨沢 由也(あまざわ ゆうや)は女が嫌いだ。 だが昔から嫌いだった訳じゃない。 寧ろ好きな方だったとは思うし、いずれは俺も女と結婚して幸せな家庭を築くんだって幼心に思っていたことだってある。
 だけど今じゃ女が全く駄目になった。 男だっていける訳じゃない。
 もうここまでくれば人間に恋愛感情など沸かないって、そう思っていたけど、あいつに出会って俺は恋をしてしまった。
 あいつは男だしノーマルだし、だから俺の気持ちは届かなくたって良い。 ただ側で笑って、親友というポジションが崩れなければ良いと思っている。
 俺は少し寂しいけれども楽しい大学生活を送っていた。 ほんの数秒前までは。
「やーん! 由也ちゃん迎えにきたわよ〜」
 綺麗なブロンドに染め上げた髪が靡き、かつりと地面を鳴らすハイヒール。 日本人とは思えないほどの美しい顔をもった男が、突然俺の前に姿を現した。
 反応を見せる前に俺に抱きついてきた男に、俺は一瞬反応が遅れた。
 辺りがざわめくのがわかる。 俺は後ろの方でぽかんとしているであろう友人に声をかけ、早くこの場を去ろうと決めた。
「ごめん、倉持に藤崎! 俺今日無理になったわ! わりーけど先帰るな」
「あ、ああ……」
 ぽかんと口を開けている倉持に俺は手を振り、俺を抱きしめた男を急いで大学の敷地内から出した。
 藤崎は最初から最後まで顔色一つ変えず、俺が帰るのだっていうのに手さえ振ることをしなかった。
 クールな奴だってわかってはいたけどさ、ちょっとくらい気にしてほしかったな。
 勝手に恋心抱いてなにかしらの反応が見たいっていうのは贅沢だとわかってはいるけども。 少しは期待してしまう馬鹿な俺もいる。
 はぁ、と盛大な溜め息を吐く俺と違い、綺麗な男は楽しそうにご自慢の真っ赤なポルシェへ俺を押し込んだ。
「いってーな! この糞親父!」
「親父って言わないで〜幸ちゃんって呼んでよ」
「うっせーおかまの癖に贅沢言うな! 本名幸介(こうすけ)の癖に!」
「ちょっとそんな男くさい名前で呼ばないでくれる?」
「男だろーが……」
 がっくしと肩を落とす俺に、綺麗な男もとい親父はふふふと笑いエンジンをふかした。

 俺の親父は俺が産まれたときからおかまだった。
 誰よりも美に執着し、男とも女とも言いがたい綺麗な容姿になるべく日々努力を惜しみなくしている人だ。
 その結果職業は美容外科医。 誰かを綺麗にすればするほど自分も綺麗になるのよ、と昔から口癖のように言っていた。
 本当に親父は顔だけは綺麗だったし、整形せずにあの顔になったのだからその点だけは評価しても良いと思う。 まぁ元が良かったってのもあるだろうけど。
 18歳で母さんと出既婚し、26歳で母さんを亡くし、30歳で大出世の独立を果たして現在38歳。
 男手一つで育ててくれたことや、今でも母さん一人を愛し続けているのは尊敬する。 俺もこんな人になりたいと思うのだけど、おかまにはなりたくない。
 だけど親父に対して、恥ずかしいとかそういう感覚はもうなくなった。
 綺麗だし寧ろ自慢できるから良いのだけど、昔から俺の予定を無視して連れまわすのだけが気に入らなかった。
「今日はなに? 俺、友達と約束してたんだけど」
「今日はね、エステに行こうと思うの。表参道に新しいエステができたらしくてね、評判も上々だしちょっと試してみたいなぁって」
「親父だけで行けばいーだろ」
「そんな寂しいこと言わないでよ。由也ちゃんも一緒に綺麗になりましょうよ〜」
「綺麗になりたくなんかないっての……」
「……藤崎君、だっけ? 彼もきっと綺麗な由也ちゃん見たら惚れると思うわよ〜」
「う」
 親父は俺の痛いところをずばっと刺してくれた。
 俺の思い人、藤崎 稜(ふじさき りょう)は大学で知り合った友人だ。 知り合って2年と少ししか経っていないが俺は親友だと思っているし、藤崎も親友だと言ってくれた。 それじゃあ困るのだけれど、それでも良いんだ。
 藤崎は物凄く綺麗な顔をしている。 整った目鼻立ちに、切れ長のすっとした瞳。 色素が薄くて少し長めの髪がまた藤崎の中世的な美貌にぴったりで、なんて言ったら良いのかわからないがとにかく綺麗なのだ。
 初めて見たとき俺は衝撃を受けた。 それから友達になって藤崎を知っていく内に知らずに恋に落ちていた。
 クールで他人には無関心、無口な奴だけどたまに笑ったりするのが凄くどきどきして、俺はいつか思いを口走ってしまうのじゃないかって日々悩んでいた。
 そんな矢先、親父と二人飲む機会があって、お酒の弱い俺は親父の誘導尋問にすっかり引っかかりつい藤崎への思いを打ち明けてしまったのだ。
 それからがもう大変だった。
 親父は俺が親離れしたのだと泣くし喚くし叫ぶので、仕事にもならなかったくらいだ。
 子供を愛するのは悪いことではないが、もう少し限度を知った方が良いと思う。
 だけど俺が本気で好きなんだ、と言ってからは親父も渋々といった表情で俺を応援してくれていたのだ。
 同性愛なのに非難もせずに応援してくれるのは有難い。 だけどそれ以来藤崎君の為に綺麗になろうね、とか言い出して俺をエステだのに引っ張ったりするのは勘弁してくれよって感じなのだ。 美容整形しましょ、って言うよりはマシなのだけどさ。
「……ねぇ、由也ちゃん。パパ、迷惑かな?」
「あ? なんだよ、いきなり」
「いつか由也ちゃんもお嫁なりお婿なりで親離れしちゃうでしょ? パパそれが寂しくてね、限りある時間は一緒にいたいと思ってるの。だから由也ちゃん迷惑かもしれないけど、パパの我儘にも付き合ってね」
「今更、だろ」
 急に親父がそんなことを言うものだから俺もしんみりしてしまったが、後々親父が言った台詞を身をもって知ることとなった。
 俺はいつも通りパックだとかマッサージだとか、そんな類のエステだと思っていたのにそれだけじゃなかったのだ。
 エステだけでは親父は暴走は止まらず、髪だの脱毛だの爪だのと全身フルコースのエステを親父と一緒に体験させられた。
 もちろん大学終わりに行ったため、全てが終了したのは夜もどっぷりと更けた時間。
 次の日、俺は起きることができずに大学を遅刻するはめになったのだった。
「おーっす、雨沢なんか元気ない割りにちょー全身ぴかぴかになってね? 昨日のもしかして彼氏〜?」
 遅刻して大学に行けば、誰よりも早く俺を迎えてくれたのは友人の倉持。 こいつは藤崎と違い高校からの友人なので、なんの気兼ねもなく相談に乗ってもらったりしていた。 見た目はヤンキーみたいだし女タラシっぽい顔をしている割に、意外と誠実だったりもするのだ。
 倉持にはなんでも話していたから全部知っているはずなのに、藤崎も一緒にいるときはわざと俺をからかう節がある。
 本人曰くちょっとでも藤崎が俺のことを意識するための作戦だと言っているが、逆効果のような気もする。
 それには黙って俺は倉持の頭を叩くとその隣に座った。 正面には藤崎が座っている。
「……雨沢彼氏いたの?」
「いねーって、つーか俺をホモにすんなよ」
「彼氏かと思った」
「あのな〜藤崎、俺をなんだと思ってるんだよ。あんな趣味のわりー男なんか好きになる訳ねーだろ」
 なんとなく親父だと言うタイミングを逃してしまった。
 そんな俺を見て倉持はけらけらと笑っているだけだし、本当にタチが悪い。
 俺はつるつるになった腕を擦ると、深い溜め息を吐いた。
 期待していた訳じゃないが、全身綺麗になったと気付いたのが倉持だけなのが少し残念な気もする。 倉持は俺の親父が美容外科だっていうのだけじゃなく、おかま、エステ通い、息子溺愛といった風になんでも知っているから、親父が俺を迎えにきた時点でなにをするかってわかっているのだ。
 やっぱり恋人同士じゃないと、些細な変化にも気付いたりはしないよな。
 カフェオレを口に含むと、目の前では藤崎と倉持が俺の話題で盛り上がっていた。
「それにしても昨日は驚いたよな。何度見ても驚いちまうぜ、慣れねーもんだなぁ」
「倉持は良く見てるんだ?」
「まーな、高校からの付き合いだし、昔に比べれば減ったもんだぜ」
「ふーん……」
「誰とか気になんねーの?」
「別に」
 藤崎は興味なさ気に持っていた紅茶を飲み干すと、立ち上がった。
「じゃあ俺、次あるから行ってくる」
「いってらー」
 にこにこを手を振る倉持とは反対に、俺は引き攣った笑みで藤崎を見送った。
 興味あるって言われるとは思ってなかったけど、こうもあっさりと興味がないと言われるのはかなりのショックだ。
 ずーんと暗くなる俺とは違い、倉持は俺の肩を豪快に叩くと、テンションの上がった声で俺に話しかけた。
「ちょっとは脈ありっぽくね?」
「どこをどー見て脈があると思うんだよ、馬鹿」
「俺にはわかるね、嫉妬してるんだよあいつ。昨日だってあのあと急に不機嫌になってさ、俺ちょー怖かったんだぜ」
「気の所為だろ。あーあ……なんで男に恋したかなぁ」
「そりゃお前女無理なんだろ?」
「女も無理だけど男も無理だっつーの」
 机に頬を寄せ楽しそうに話す倉持をどこか遠い目で見つめた。

 女が無理になったのは、俺が中学一年生のときだった。
 昔は良く親父の仕事場に遊びに行き、今から整形をする女と良く話をしたものだ。
 みんななにかしら自分に自信がなくて、その部分を変える為に整形をして綺麗になる。 綺麗になれば自信がつくし、卑屈になっていた自分自身も内面から美しくなれるのだと、そう語っていた人もいた。
 そりゃ中には俺みたいな子供がうろちょろするのに嫌悪感を抱き、無愛想な人だっていたけど、それなりに楽しく過ごしていた。
 しかしそんな楽しい時間もずっと続きはしなくて、とある一人の女によって俺は女嫌いにさせられたのだ。
 その人は親父の病院で医療事務の仕事を手伝っていた。 正直言って不細工だったけど、心が物凄く綺麗な人。
 頻繁に顔を見せる俺の良い話し相手でもあったし、俺自身その人を少し好きになりかけていたのだと思う。
 だけどあるとき急にその人は変わった。
 好きだった男に振られたらしく、親父に縋り付いて綺麗にしてくれと懇願していた。
 それほどまでに心を傷付けられ、自分自身の顔にメスを入れようと思ったまで好きだった人なんだな、と俺は少し寂しい思いをしながらも、その人がそれで良いなら俺も良いと思っていた。
 だけどその日から彼女の世界は変わってしまった。
 綺麗になったことで今までは見向きもしてくれなかった男共からモテ始め、最初は戸惑っていた彼女も次第にその変化に慣れ、男を弄ぶようになったのだ。
 そんな彼女に俺はどうしたの、と問うたら彼女は俺を見ることもしなくなり、いつの間にか病院を辞めていった。
 優しかった彼女にされた拒絶は、俺の心を深く傷つけ、女嫌いへと変えてくれた。
 今、どうして生きているのかは知らないが、少しでも彼女が幸せだったら良いと思う。
 昔の出来事に俺が思いを馳せていると、倉持が大声を出し、俺は急に現実世界へと連れ戻された。
「な、なんだよ! 心臓止まるかと思っただろ!」
「お前が俺の話聞かないから悪いんだろ。でな、俺もう帰るから藤崎が戻ってきたらデートに誘えよ」
「は……」
「親父さんも今日はこないだろ? チャンスは今日しかねーぞ。昨日の誤解を解くのも早い方が良いしな」
「……無理、二人とか、そんなの」
「なに弱気になってんだよ、昨日エステ行って全身綺麗にしてもらったんだろ? 告白するのにも丁度良いじゃん」
「男同士とかきもいし無理だって、告白なんかしたら俺死ぬ……」
「……噂だけどな、この大学のミス田中さんが今日辺り藤崎に告白するっていう噂聞いたんだよな〜田中さんって言えば雑誌にも載るほどの美人! 藤崎もぐらついちゃうかもな〜」
「う」
「どうするかはお前次第。だけどこのままじゃどっかの誰かに盗られるぞ。そうなって後悔してからじゃ遅いんだからな」
 がたん、と倉持は席を立つとにっこりと笑い帰っていった。
 残された俺は呆然と倉持が帰っていった方向を見つめ、ぐるぐるとさっきの言葉を繰り返し考えていた。
 田中さんが告白する、か。
 俺なんかより美人だし、性格も良さそうだし、なにより女だから藤崎もころっといっちゃうだろうな。 今まで藤崎に恋人がいなかったのも可笑しい話だし。 というか藤崎って好きな奴とかいたりするのだろうか、ここまで考えて俺はある事実に気付いてしまった。
 藤崎の恋愛話を聞いたことがない、ということだ。
 今好きな人がいるのかもわからないし、過去にどんな恋人がいたのかもわからない。 俺は藤崎のことなにも知らないんじゃないだろうか。
 藤崎の一番の親友だと思っていたが、実は親友でもなんでもなくただの知り合い程度じゃないのだろうか。
「……雨沢?」
 藤崎の声がするまで、俺はぼーっとしていたみたいだ。
 辺りをきょろきょろ見渡せば、目の前にいる藤崎がふんわりと笑った。 その顔絶対反則だ、と思いながら俺は藤崎の腹を軽く押した。
「笑うな!」
「寝てたのかと思った」
「寝てねーよ……考えごとしてたんだよ」
「なぁ、このあと暇? ちょっと付き合ってほしいんだけど」
 付き合ってほしい、という言葉にどきりとしたのを隠しながら俺は勢い良く顔を縦に振った。
 先程倉持がデートに誘えとか言っていたが、どうやら自分から誘わなくても良さそうだ。
 俺の一歩先を歩く藤崎の背中を見つめながら、そっと思いを馳せる。
 178cmの藤崎より5cmだけ低い俺。 体型は細いけどどっからどう見ても男の身体だし、顔だってどっちに似たのかわからない中性的な顔立ち。 柔らかくて小さくて、ふんわりとした可愛い女には近付きたくても近付けない。 近付ける訳がない。
 どう考えたって藤崎は男になど興味なさそうだし、付き合うとしたら女だよな。
 大学に付属されている図書館に着くまで、俺たちは一言も喋らずにずっと縦に歩いていた。
 大学の女共が頬を染めて、藤崎を見つめているのが嫌でもわかる。 俺もどちらかというとモテる方だとは思うけれど、こいつには勝てる自信もない。
 藤崎を見つめる女に嫉妬しながら、俺たちは人気のない場所に腰をおろした。
「……課題、手伝えば良いのか?」
「いや課題なんてないよ」
「は? じゃあなんで図書館にきたんだよ」
「だってここじゃないと話もできないじゃないか。他の場所は女が煩くて嫌なんだ」
「あー……じゃあ大学出れば良かったじゃん」
「そういう訳にもいかないよ。俺、まだ履修あるんだし」
「え、そうなんだ……」
 じゃあデートには誘えないかな。 そう思って少し残念な気持ちとほっとした気持ちが混ざった。
 そんな俺に気付いたのか気付いてないのか、藤崎はいつもより真剣な目をして俺の腕を掴んだ。
 握る手に思った以上の力が込められていて、俺は小さく声を上げた。
「いっ、てぇよ」
「ねぇ、雨沢って好きな奴いるの?」
「は? なんだよ、いきなり」
「いるの?」
「……い、いるけど……片思いだし、きっと無理だし」
 そう言った瞬間、藤崎の目が怖いくらい色を無くして俺は言葉に詰まった。
 だってこんな顔見るの、初めてだったんだ。 いつも藤崎は無表情だけど目は優しかった。 俺はこんな冷たい目を知らない。
「そう、いるんだ。……雨沢って、俺にはなにも話してくれないんだね」
 藤崎は自嘲的な笑みを浮かべ、俺の手を強く握った。
 俺はなんだか凄く怖くて、ここを立ち去りたい気持ちでいっぱいになった。 こんな藤崎もなにかを口走ってしまいそうな俺も、全部が怖かった。