「ふ、じさき?」
「どうして俺に隠すの? 俺じゃ嫌? ……倉持にはなんでも話してるのに」
「え、いや、倉持は高校んときから一緒だし……話してるっつーよりも知ってるっていうか」
「彼氏だっていること知らなかった。雨沢が男好きだってのも知らなかった」
「あれは彼氏じゃねーよ」
しん、とした図書館に俺たちの声が響く。
大きな場所で良かったとつくづく思う。
今は図書館を利用している人も少ないみたいだし、この会話を聞かれる恐れもない。
傍から見れば痴話喧嘩のようにも聞こえるが、藤崎はその気がないのだからただの喧嘩だ。
痴話喧嘩ならしたいのだけどな。
俺は不謹慎ながらも思ってしまった。
「なに、余裕だね」
「ちげーよ……あいつ、ほんと彼氏じゃねーし」
「じゃあなに?」
「……親父だよ」
「どうしてそんな嘘つくの? そんなに俺に話したくない?」
口数が少ないはずの藤崎が、いつになる饒舌になって俺を責めたてる。
楽しいときに饒舌にならずに、どうしてこの険悪なムードのときに饒舌になるのだろうか。
それにどういう理由で俺がこんなにも追い詰められているのか、さっぱりとわからなかった。
俺に彼氏がいようがいなかろうが藤崎には全く関係のないことだと思う。
だって俺は倉持に彼氏がいようがいまいがどっちだって良いのだ。
そりゃ藤崎は片思いしているから、彼氏がいた日には泣いてしまうだろう。
せめて女なら諦めもついたのに、と。
俺はどうしたら藤崎が元に戻るのかわからない。
親父だと本当のことを言っても藤崎は全く信じてないのだ。
確かにあれは親父には見えないが立派な親父だ。
はぁ、と溜め息を吐くと藤崎の眉間に皴が寄るのがわかった。
「ほんとに、親父なんだって……」
「どうでも良い。それより雨沢が男いけるって知らなかった」
「……いける訳ねーだろ、ノーマルだっつの」
「倉持に聞いたよ。好きな人、男なんだろ? それも近くにいる人だって、あの人なんだろ?」
お前だよ。
口の中で紡いで、もうここから逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
「だったらなんだよ、軽蔑すんのか? 好きになったのがたまたま男だったんだ。仕方ねーだろ!」
「やめとけよ。そんな雨沢見たくない」
「ほっといてくれ! やめれるもんならとっくにやめてんだよ!」
「……そんなに好きなの?」
「好きだよ、大好きでどーしようもねぇんだよ……」
泣いてしまいそうだ。
込み上げる涙を絶対に流さないように瞬きをせずに踏ん張った。
そんな様子を藤崎は黙ったまま見つめて、俺を掴んでいた手を離したかと思うと急に俺を抱き寄せた。
その手で俺を本当の意味で抱き締めてくれるのなら、どんなに幸せだろうか。
意味のないただの抱擁は苦しくなるだけで、耐え切れずに零れた涙が藤崎の肩に落ちた。
こんなに辛い思いをするなら恋なんてしなければ良かった。
「ごめん」
これ以上俺を嵌らせないで、嫌いにさせてほしい。
あやす様に俺の髪を撫でる藤崎の手を無理矢理引き剥がすと、その腕から抜け出した。
呆然と俺を見つめる藤崎に俺は流れていた涙を袖で拭って一大決心をした。
もう諦める、このままじゃ俺は狂ってしまいそうだ。
藤崎の目をしっかりと見つめると、俺は固く閉ざした口を動かした。
「……お前が、好きだった」
「え?」
「だけど諦める。もう好きじゃない」
「雨沢、待って」
「うるせー、もう俺に関わんな!」
なにかを言おうとしている藤崎を突き放して、俺は我武者羅に走った。
親友なら隣にいれるしずっと一番のポジションだし絶対に離したくないと、そう思っていた。
だけど俺は藤崎のこと親友という感情で、一度も接したことなどなかったのだ。
ずっと心のどこかで付き合いたい、俺を好きになってほしい、他の誰かを好きにならないで、そんなことばっかり。
気持ちだって墓場まで持っていこうと決めていたのに、藤崎が悪いのだ。
急に抱きしめたりするから。
あんなことをされれば俺だって言ってしまいたくなるだろ。
はぁはぁと途切れた息を整うこともせずに、携帯を取り出すと電話をかけた。
なんだかんだ言って俺は親離れできてないのかもしれない。
直ぐに携帯に出た軽快な言葉に俺は笑いながら親父を呼んだ。
助けてくれよ、と。
「どーしちゃったの!? 由也ちゃん大丈夫!?」
「うっせー……頭痛いんだから、そんなきんきん声で喋んな」
「だって心配じゃない……」
あのあと親父は十分もかからずに大学へと迎えにきてくれた。
人の目も気にしないで親父に抱きつく俺に、親父と周りの人は驚きに目を見開いていた。
親父は凄く綺麗だし美人だけど誰だって男だとわかると思う。
だって身体はしっかりしているし。
明日大学に変な噂まわったらどうしよう、とも思ったけど俺なんかの噂まわる訳ないよなと自己完結した。
結局抱きついて離れない俺に焦れた親父が、俺を抱き締めて車へと連れて行ってくれた。
途中俺を呼ぶ藤崎の声が聞こえたような気もしたけど、そんなの気の所為だってことにして聞かなかったことにした。
車内でぐじぐじしている俺に、親父は盛大な溜め息を吐く。
理由は言わなくてもわかっているみたいだ。
「あのね、由也ちゃん、パパだっていつも暇な訳じゃないのよ」
「知ってるし、……つーか俺が自主的に呼んだの初めてだろ」
「まぁ良いけどね。藤崎君となにかあったの?」
「……別に」
「好きだって言って振られちゃった?」
「うっせーな! 振られてねーよ! ……逃げただけだけど」
「まぁどっちでも良いわ。由也ちゃん、パパ藤崎君の顔見たことないけど大っ嫌いなの。殺してしまいたいわ」
「え……」
「パパの大事な由也ちゃんとられたみたいでね、すっごく苛々するの。でもね、由也ちゃんが好きなら仕方ないわ、パパも認める、そう思ったのよ」
「……親父」
「由也ちゃんが藤崎君のこと諦めたらパパ、藤崎君殺しちゃうかもしれないわ。だからね、藤崎君に死んでほしくないのなら藤崎君のこと、諦めちゃ駄目よ。返事ぐらいは聞かなきゃ。まぁパパの可愛い由也ちゃんを振る下衆野郎なら殺す価値もないけどね、ふふ」
脅迫めいた台詞だが親父なりに励ましてくれているのだと思うと、少し嬉しかった。
それと絶対に藤崎には死んでほしくないから、もうちょっと頑張ってみようかなとも思う。
さっき好きだと言ってしまったからこれからの関係がぎくしゃくしてしまうかもしれない。
だけど藤崎から嫌いだと言われるまで頑張ろう。
俺は親父の息子だし、な。
そう意気込むと俺は親父の手をぎゅっと握った。
本当は抱き締めて言いたいのだが、素面で抱き締めるほど俺はできた息子じゃない。
俯いて口籠るようにぼそぼそとお礼を言う俺に、親父は抑えた声で嬉しいわ、と言った。
なんだか物凄く二人して照れくさくなってしまったので、大声を出して場の雰囲気を変えてから移動することに決めた。
「由也ちゃん、食べたいものある? なんでもリクエストして良いわよ」
「うーん……じゃあ親父作ってよ」
「ああ、懐かしいわね……そうね、たまには料理しなくちゃね」
楽しそうにエンジンをふかす親父の前に影。
真っ赤なポルシェに轢かれても良いという覚悟で、いきなり人が飛び出してきた。
幸い発進はしてなかったから良かったものの、発進していたら人殺しになってしまう。
しかし親父はその人物を見た瞬間、轢き殺せば良かった。
などと末恐ろしい言葉を吐いた。
目の前にいるのは藤崎。
さっき親父は藤崎の顔を知らないと言ったはずなのに、どうして目の前にいるのが藤崎だと知っているのだろうか。
親父は窓を開けると、ぜえぜえと息切れをしている藤崎に向かって怒鳴った。
「危ないでしょ! 人殺しにするつもり? 貴方なら大歓迎だけどね!」
「す、すみません……雨沢君少しお借りしてもよろしいですか?」
「あら〜坊や、生憎ね、私も雨沢なのよ。私を借りたいの?」
親父の言葉に藤崎は一瞬だけ目を見開いたが、直ぐにいつものポーカーフェイスになった。
幸か否か、親父の言葉で俺たちが親子だと気付いたらしい。
確かに似ていないし、おかま言葉を喋るのが息子持ちなど誰も信じないだろう。
藤崎は親父の目をしっかりと見て、言葉を紡いだ。
「雨沢さんの息子さんの由也君をお借りしていきますね」
「……パパ、十秒だけ目を瞑るわ。その間にいってらっしゃい。だけどね、由也ちゃんを借りるんだからちゃんと返してね。今日はパパとご飯食べるんだから!」
「え、あ、ちょ……」
藤崎が反対側にまわったかと思うと、俺側のドアを開き俺を無理矢理引っ張ると歩き出した。
後ろ目で見た親父は手を振って待ってるわ、と言った。
この状況で帰れるのかどうかはわからないが、帰らないとどんな目に合うかわからないし帰った方が良いだろうな。
急に立ち止まる藤崎に俺も足を止めて、振り向く藤崎がした行動になんの反応も見せられないでいた。
だって早すぎるのだ、こんなの俺だってどうしようもない。
抱き締められた腕で頬を染めながら、藤崎が語る言葉に耳を澄ませていた。
「……俺も、好きなんだ。ごめん」
「え、え、ちょっと待て」
「嫉妬したんだ、あの人が親父さんだって知らなくて、俺、彼氏だって思ってた」
「……な訳ねーだろ」
「倉持にはなんでも話してるみたいだし、少し寂しかった」
「好きな奴に好きな人の相談できる訳ねーじゃんか」
「だよな」
ぎゅう、と抱き締める腕に力が入る。
まさか好きだなんて言われると思ってなかったから、最初は戸惑ったけどほんのりと耳が色付くのを見て嘘じゃないのだと思った。
「……、俺男だけど良いの?」
「知ってるよ」
「いや、そうなんだけど、さ……藤崎、そっちっていうか……」
「雨ざ……由也だから、好きになったじゃ駄目?」
「……別に。つーか展開急過ぎてついていけねーよ」
「そう? 俺は図書館で一番びっくりしたしね」
「だ、だよな。でもまぁ、……良かった」
そっと藤崎の背中に手を伸ばそうとしたら、急に名前を呼ばれて藤崎の目を見た。
俺より少しだけ高い位置にある瞼が閉じて距離を縮めてくるものだから、俺も慌てて目を閉じた。
そっと触れるだけの感触にお互い満足を覚えず、啄ばむように何度もキスを繰り返した。
そういやここどこだっけ、と考えると急に頭が冷えてきて、なおもキスをしようとする藤崎を突っぱねた。
いくら人影のない場所だとはいっても一応大学の中だし、どこで誰が見ているのかわかったものじゃない。
俺は不機嫌そうに顔を顰める藤崎に言い聞かせたが、納得しようとはせず顔を近付けてきた。
なんだか想像していた藤崎とちょっと違う。
もっとクールだとか思っていたけど意外に嫉妬深くてしつこいのかもしれない。
藤崎の頭を思い切り叩くと、俺はきっと睨み付けた。
「時と場所を選んでくれよ! 誰かにばれたらどーすんだよ」
「別に良いだろ。見せ付けてやれば良いじゃないか。せっかく両思いになったんだし、なにも制限されないだろ」
「そういう問題じゃねーだろ! つーか手ぇ入れるな! っあ……って変なとこ触んじゃねー!」
ぎゃーと俺が叫んだのが聞こえたのか、いきなり目の前の茂みから親父が飛び出してきた。
それには流石の藤崎も驚きを隠せなかったみたいだが、親父に見せ付けるように俺を抱き締めるとふんと顔を背けた。
親父も親父で顔に青筋を浮かべ物凄く機嫌が悪いようだ。
どうやらこの二人、馬が合いそうにない。
「さっき轢き殺しておけば良かったわ」
「残念ですね、俺、殺してもしなないタイプなんで」
「ゴキブリみたいね、貴方」
「そんなゴキブリに惚れたんですよ、由也は」
嫁姑争いみたいだ。
いつか昼にやっていたドキュメントを思い出しながら二人を見つめた。
思い浮かぶだけの嫌味と悪口を互いに言い合い、それにむかついてまた反撃する。
でも喧嘩するほど仲が良いとも言うし、これはこれで良いのだろうか。
俺は藤崎の腕から抜け出すと未だに言い争っている二人に声をかけた。
「俺、帰るな」
「やだ由也ちゃん、パパ貴方を迎えにきたのよ。これからご飯一緒に食べるって約束したじゃない〜」
「ちょっと貴方普通恋人を優先させませんか? 今日せっかく結ばれたんですから」
「なに馬鹿なこと言ってるの? 坊や、甘いわね。由也ちゃんはまだパパが一番なのよ」
「ハ、貴方こと馬鹿なことをおっしゃるのはやめていただきたいですね」
「はー……もう三人で食べれば良くね?」
その提案に親父は思い切り嫌そうな顔をして、藤崎は仕方がないなという顔をした。
結局俺たちは三人で食べることになり、急遽予定を変更してご飯も俺が作ることになった。
いろいろと揉めたことはたくさんあるのだが、揉めたのは親父と藤崎であって俺は関係ないのでここは割愛しておく。
ぎゃーぎゃー言い合いながらも、楽しそうな二人を眺めてなんだかほっとした。
親父も嫌いな人間は家に入れるなんてことしないし、藤崎だって喋ることもしないだろう。
毛嫌いしているだけであって、心の中ではお互いを認めていたりするのだろうか。
おかまな親父はちょっと世間から見れば可笑しい人だけど、俺にとっては大事な親父なんだ。
藤崎には悪いけど親父を認めてもらうことにしよう。
逆も然りで男の恋人だけど、藤崎も親父に認めてもらえたら良いよな。
二人は言い合い疲れたのか、少し休憩と言いたげに親父は部屋を出て行き、藤崎はソファに座った。
「ちょっと由也、なに考えてる?」
「別に」
「ふーん……それより、さっきの続き」
「な……親父いるんだから無理!」
「キスしかしないよ。なにか想像した?」
「あ? してねーっつーか俺、もしかして下かよ?」
「当たり前だろ。俺が下とかありえない」
「……こっちの台詞」
腕をがっと掴まれてにこりと笑う藤崎に、背筋に嫌な汗が伝った。
ここでする訳はないとわかってはいるが親父が扉の向こうにいるのだし、なんとなく気まずい。
目を逸らした隙に思い切り唇を奪われてしまって、俺は抵抗する暇もなく藤崎に組み敷かれた。
タイミング良く戻ってきた親父に藤崎が滅茶苦茶怒られたのは言うまでもなく、何故か俺まで一緒に怒られてしまった。
嬉しいような、嬉しくないようなそんな微妙な気持ちだ。
だけど藤崎とも付き合えたし、親父もなんだかんだいって優しいし、俺はかなり幸せだ。
こんな些細だけど幸せな日常がずっと続くことを祈って、俺は二人に笑いかけた。