だって、好きなんだもん! 01
 僕の高校には、女王様って言葉がぴったり似合う生徒がいる。
 女性顔負けの綺麗な顔を持ち、目は切れ長で平行二重。 睫毛なんかバサバサで天然マスカラをしているみたいだし、すっと通った鼻筋、小さくて綺麗な形をした唇なんかはお人形みたいだ。 髪の毛は産まれ持ったものなのか、淡い栗色をしていてさらさらしている。 身長は178cmで体型は細身。 しなやかに伸びた足は誰もがうっとりしてしまう。
 凄いのは容姿だけじゃない。 家柄も頭脳もスポーツも全てを兼ね備えた人なのだ。
 でもなんで女王様になるのか、その答えは性格にあった。
 とにかく我が侭で横暴で、世界が自分中心で回っていると本気で思っている。
 性格が良いとは言えないけれど、それ以外パーフェクトだから彼を尊敬し、陶酔をする人が後を絶たない。
 その余りに酷過ぎる様に彼を守る隊、三銃士って呼ばれているんだけど、その三銃士が彼をお守りすることで彼はますます付け上がり女王様的な性格に拍車をかけていった。
 ここは男子校、女子がいないから男子をそういう対象で見てしまうのもなんとなくわかる。 だけど僕は異常だと思うんだ。
 僕に関係のないことなら全然構わないのだけど、関係が大有りなので大分困っている。
 こうして今日も僕は自分の意思とは反して、その女王様に振り回される日が始まるのであった。
「椿? いるんでしょ? どこにいるの? ねぇ〜椿ったら!」
 近くで僕を呼ぶ声がしたので、慌てて茂みに隠れた。
 僕、桐嶋 椿(きりしま つばき)を呼ぶ人物はこの高校で有名な女王様こと蓮見 蘭丸(はすみ らんまる)だ。
 その有名な蓮見先輩が何故なんの取り柄もない僕と知り合いなのかというと、それは物凄く些細なことがきっかけだった。
 あの日、僕は普通に裏庭の掃除をしていた。 裏庭の掃除は僕の密かな楽しみでもあった。
 穏やかな午後に箒を持って裏庭に行けば、四季おりおりの綺麗な花を見ることができる。
 花に興味もないし、好きって訳でもなかったけど、裏庭に咲く花は何故か僕を癒してくれる。 だから裏庭に行って掃除をするのが楽しみだった。
 いつも通り箒を持ちながらコンクリートで固められた地面の掃き掃除をしていると、蓮見先輩が三銃士を引き連れて裏庭にやってきた。
 僕と掃除をしていた奴らは大はしゃぎになって、蓮見先輩たちを取り囲んでお喋りをしだした。
 僕が思うにこのとき、他のやつらと一緒に騒がなかったのがなによりの人生の失敗だったと思う。
 床を掃いている僕の前に急に影ができたかと思うと、蓮見先輩が嫌な笑みを浮かべて僕の前に立っていた。 そしてこう言ったのだ。
『君を今日から僕の下僕にしてあげる』
 普通なら嫌だ、お断りだ、と言っていたのだが、如何せん僕は気が弱い。
 その言葉に返事を返すことすらできなくて、ただ呆然と蓮見先輩の顔を見つめていた。
 それ以来、有言実行というのか、蓮見先輩は僕に纏わりつき我が侭ばっかり言うのだ。 周りには羨ましがられて無視されるようになるし、蓮見先輩はどうしようもないし、僕の高校生活はあの瞬間から地獄へと変貌したのだ。
 まぁ、その三銃士って言われている先輩たちだけは優しいので、ちょっとだけ救われた気分なのだが。
 僕は昔を思い出しながら、茂みで溜め息を吐いた。
「……椿、ここにいるのはわかってるんだよ。返事しなかったらどうなるかわかってる? 君の」
「わぁあ! ご、ごめんなさい! ここにいます!」
「やっぱりいた。ねぇ、椿、僕から逃げるってどういうこと!?」
 蓮見先輩の脅迫に耐え切れなくなった僕は慌てて茂みを抜け出し、蓮見先輩の前に姿を現した。 残念なことにこの場に三銃士はおらず、蓮見先輩一人だ。
 こうなってしまえば誰も僕を助けてくれないし、蓮見先輩の言いなりになってしまう。
 びくびくと怯える僕に蓮見先輩は眉を潜め、僕の手を握った。
「どうして怖がるの? 僕なにもしてないじゃない」
 その笑顔が怖いんです、とは言えずに口籠もった。
 どうして僕ばっかりちょっかいをかけるのだろうか。 どうして僕ばっかり構うのだろうか。
 そんなことを聞ける訳もなく、ご機嫌で僕の手を引き歩き出した蓮見先輩にぶるりと身体が震えた。
 どうせ僕の部屋を掃除してとか、お茶を淹れて、とかそんなことなんだ。
 自分でできるだろうにわざわざ僕を探して僕にやらせるんだから、蓮見先輩はとっても暇なのかもしれない。
 僕は蓮見先輩のために増設された個人部屋に着くまで、どんな言いつけを言われるのかずっと考えていた。
 南校舎の一番上に作られた通称女王部屋の役割は、よりよい学校を作る生徒会のサポートというのが表向きだ。 実際はなーんにもしていないのだが、理事長までもが蓮見先輩の我が侭を通してしまうのだからこの高校は大分変だと思う。
 蓮見先輩も自分の思ったことが実現してしまうから、調子に乗ってしまうんだよな。
 こんなこと口が裂けても言えないので、僕は心の中だけで悪態をついた。 だって僕はなにもしていない、なのにこんな扱いは酷いよ。
 蓮見先輩専用の大きな一人がけソファーに蓮見先輩が腰を降ろすと、僕を目の前に跪けさせた。 見上げて見る蓮見先輩は嫌な笑みを浮かべ、僕の手を再度取った。
「なにしようか?」
「え、なにって……なんか用があったんじゃないんですか?」
「そんなものはないよ。ただ僕、すっごーく暇だったんだ。だってね、聞いてよ椿、今日は三人とも用事があるからって僕に構ってくれないんだ。酷くない?」
「はぁ……」
「僕より優先させる用事ってなにさ、失礼しちゃうだろ? ねぇ、その分椿は僕の言うことなんでも聞いてくれるよね」
「……は、い」
 嗚呼、なんだってここで嫌だと言えないのだろうか。 幾ら気が弱いからってこんなに理不尽で我が侭な人の相手は、してられない。 蓮見先輩以外なら絶対に断れる自信もある、多分だけど。
 そう最大の問題は僕にあった。
 どうしてか僕は蓮見先輩に弱い。 この顔を見ると拒否ができなくなる。 顔だけの問題じゃないんだ、僕自身蓮見先輩のことが好きになっていた。
 いつ、どうして、なんで惚れたのかは未だに僕だってわからない。
 僕が思うに僕は究極のマゾ体質で、こんな風に言われるのが癖になってしまっている。 とも考えたけどなんだか違うような気もする。
 僕は蓮見先輩にとってただの下僕でしかないし、僕が勝手に惚れてしまったんだ。 今更この扱いが嫌だとか、構って欲しくないとか、言えないんだ。 なんだかんだ言っていつも逃げているけど、最終的にはこの人の前に跪いてしまう。
 僕はどうしてこんなにも無謀な恋愛をしてしまったのだろうか。
 僕の頬に指を寄せる蓮見先輩をぼうっと見ながら、早くもここから逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
「……椿、名前呼んで」
「蓮見先輩?」
「な、ま、え」
「……ら、んまる先輩」
「可愛いよ、椿。ねぇ、君の一番嫌がること教えてよ」
「……蘭丸先輩が、僕に構わなくなること」
「ふふ、嘘ばっかり。僕が椿の一番嫌がることをするってわかっててその答え出したんでしょ? そう簡単には逃がしてあげないよ、ねぇ、椿、君は僕のものって言ったでしょ」
「知りませんよ……、僕ものじゃないです」
「そういうの屁理屈っていうの。椿、ほら、舌出して」
 おずおずと出した舌を蓮見先輩に噛まれて、僕は痛みのあまり目をぎゅっと瞑った。
 その瞬間を待っていたかのように蓮見先輩は僕の頬を両手で包むと、その柔らかい唇を僕の唇に押し付けた。 少し湿った感触がして、なんとも言えない感覚に僕は怖くなった。
 何度したって慣れない蓮見先輩とのキス。
 蓮見先輩は僕が逆らう度にこうやってキスをして、僕を黙らせる。 僕はこのキスが大嫌いだ。
 だけどごく稀に、ふとした瞬間に、このキスを思い出してしまって無性にキスをしてほしくなるときがある。
 きっと蓮見先輩は僕にとっての麻薬で、僕は段々とこのキスにはまってきているのかもしれない。
 何度も何度も角度を変えて僕に触れる唇。 進入もしない、たまに甘噛みをされる程度の優しいキスに僕はすっかりと酔い痴れて、蓮見先輩の首に手を回した。 指先に当たる柔らかい髪が気持ち良くて、ぎゅっとその腕に力を入れる。
「……椿」
 僕が一番素直になれる瞬間。
 蓮見先輩が僕を優しい声で呼ぶ。 そろそろ終わりだよ、というサインだ。
 いつも通りの展開、それをされると僕は決まって首を横に振るのだ。
「あと、ちょっと……」
 きっと、蓮見先輩は僕が蓮見先輩を好きなことを知っている。 僕がそう言ったら決まって蓮見先輩は意地悪そうな顔をして笑うのだ。
 まるで僕を馬鹿にしたような笑み。 だから僕はいつもここで気付くのだ。
 どんなにキスしようと、どんなに優しいキスだろうと、蓮見先輩にとってこれはただの暇つぶしで軽いお遊びなのだと。
 女王様は退屈凌ぎに僕を選んだ。 それは僕が従順で女王様を拒否することがないのだと、踏んでの決断だ。 女王様の目は正確だ。
 だって僕はまんまと女王様の罠に引っかかり、その上女王様に恋をしてしまったのだから。
 蓮見先輩の指先が、僕の後頭部をなぞるように動く。 さらりとした小さな音に僕は目を伏せて、ゆっくりと落ちる唇をただ見つめた。
「椿、ねぇ……僕以外と話せなくなったでしょ」
「……無視、されますからね」
「ふふ、そうなの? 可哀想な椿、誰にも相手されないんだね」
 ぷちりと一段だけ外されたボタン。 蓮見先輩はボタン一段で隠された鎖骨に唇を寄せ、痕が残るようにきつく吸った。
 この痕がなにを意味するかはわからない。 ただ僕が蓮見先輩以外に目を向けないようにするための痕だと、僕は勝手にそう解釈している。
 そこについた痕を満足そうに眺めると、蓮見先輩はボタンを止めなおし身体を起こす。 それは可笑しな行為が終わることを意味していた。
 蓮見先輩はさっきまでの顔とは違う顔を作り、にーっこりと笑うと手を叩いた。
「椿、今日は珈琲が飲みたい。ついでにドーナッツも食べたい。もっと言えば新聞も読みたい」
「……はい」
「早くしてよね。僕だって暇じゃないんだからさ。直ぐに戻ってこないと駄目だからね」
 手渡されるお札に目を落とし、僕自身も気分を入れ替えるために大きく深呼吸をした。
 これはただのお遊びなのだ。 飽き性の女王様がいつ僕に飽きても可笑しくはない。
 だから僕はこれ以上、蓮見先輩を好きになっては駄目だし、蓮見先輩に気に入られることをしてもいけない。
 僕が願うのは蓮見先輩が僕を見てくれることではなく、蓮見先輩から離れ、昔のような平穏な日常を取り戻すこと。 どうやったら元のように戻れるのかを少しずつ考えながら、行動しなくてはいけない。
 お札を握り締めると、僕は蓮見先輩に頭を下げてから女王部屋を後にした。
 取り敢えずは買い付けを頼まれた品を一品忘れるか、間違って買ってくるかにしよう。
 とぼとぼ歩きながら購買に向かっていると、前方に見慣れた姿を見つけた。 その人は蓮見先輩を守る三銃士の一人、水鳥 アルヴィ(みずとり)だ。
 水鳥先輩は三銃士の中でも一番僕に優しく、そして蓮見先輩に対する態度が普通だと思われる人だ。 というよりも面白い物事が大好きでなんにでも首を突っ込むので、ただたんに蓮見先輩には興味がないだけだと思う。
 水鳥先輩曰く蓮見先輩とは保育園からの仲だというし、幼馴染だから傍にいるのだろう。
 僕は水鳥先輩に頭を下げてからその場を横切ろうとしたが、水鳥先輩は僕の腕を掴み話しかけてきた。
「どーしたの? また蘭丸に苛められた?」
「苛めっていうか……お使いです」
「ふーん。どーせ珈琲にお菓子に新聞、でしょ!」
「凄いですね、正解です」
「こんなことに正解してもなぁ〜……それより、顔色悪いけど大丈夫? 悩みあるの? お兄さんが聞いてあげるよ」
 水鳥先輩は綺麗に伸ばされた長い髪を指で梳くと、気の良さそうな笑みを浮かべた。
 蓮見先輩ばかり見ていたのであんまり意識したことがなかったのだが、水鳥先輩も負けず劣らず顔が整っていた。 北欧系と日本のハーフ。 しかもお互いの国の良いところばかりを集めた顔をしている。 くどすぎない堀の深さに、透き通るようなブロンドの髪、まるでどこかの王子様のようだ。
 やっぱり蓮見先輩の周りには美系が多い。 ここにはいない残りの三銃士の人も、例に習ってとても綺麗な顔をしていた。
 僕はふと窓に映った自分の姿を見て、ずうんと気分が沈んでしまった。
「……どうしたの、そんな溜め息つくなんて」
「なんていうか、やっぱり僕は平凡な顔だなぁって。身長も体型も顔も頭もなにもかも平凡なんですもん」
「椿ちゃん、……なにかあったの?」
 ますます落ち込む僕に、水鳥先輩は少し焦った表情を浮かべて僕の手を取り歩き出した。 向かう先は恐らく裏庭、なんだか振り出しに戻った気分だ。
 それにしても水鳥先輩と歩くと僕が目立ってしまい、非常に居心地の悪さを感じる。
 そりゃあ僕みたいな平凡な奴がこんな美系の人と歩いていたら嫌でも注目を浴びるのだけど。 僕だって綺麗な顔に産まれてくることができたのなら、そうしたかった。
 身長は可愛いと言われるほど低くもなく、高いねと言われるほど高くもない微妙な高さ。 体系だってマッチョでもなく細身でもなくしなやかでもない、ちょっと頼りなくアバラが浮いて出てしまう貧相な身体。 髪の毛は日本人らしい黒色で髪質も普通。 無造作に伸ばされた髪の毛は顔を半分も隠し、なんだか陰険な雰囲気を漂わせていると良く言われた。 顔は言うまでもなく普通だと思う。
 唯一の自慢らしい自慢は色白なこと。 だけどこの身体にこの顔じゃ色白でもオタクくさいだとか暗いオーラが漂っているとしか言われないので自慢とも言えない。
 僕と水鳥先輩はベンチに座ると、青い空を一緒に見上げた。
「悩み事って、やっぱ蘭丸のことだよね」
「……そんなにわかりやすいですか?」
「君が蘭丸に惚の字だってこと? ま〜気付いてないの蘭丸くらいじゃない?」
「別になんだって良いんです。僕、諦めるつもりですし」
「じゃあなにに悩んでるの」
「どうしたら蓮見先輩に飽きられるのか、とか……。でも矛盾しちゃって、もうちょっと綺麗になれたら蓮見先輩は僕のこと見てくれるのかなぁ、とか……頭の中ぐちゃぐちゃなんです」
「青春だね〜! 俺なんか楽しくなってきちゃった! やっぱ恋は良いよ!」
「……あ、あの水鳥先輩?」
「そうとなったら水島アルヴィ監修プロジェクトEXの発動だね! 他の奴にも連絡して協力を願おうじゃない!」
 急にいきいきし始めた水鳥先輩に僕は不安になって水鳥先輩の顔を覗き込んだ。
 他の奴とは考えるまでもなく、三銃士の人たちだろう。 この三銃士が揃うとろくなことにならないから僕は凄く嫌なのだが、水鳥先輩は異常にやる気で溢れている。
 なにをするのか全くわからなくて、僕は水鳥先輩に声をかけた。
「……なにを?」
「決まってるじゃん、椿ちゃんを綺麗にしよう大作戦だよ! これで蘭丸も君の掌中さ!」
「はぁ……そんな馬鹿な話あったら世界中の人が蓮見先輩のことものにできますけど」
「まぁまぁ、俺に任せなさいって! 俺にかかれば解決できない事件はなーい! フハハハハ!」
 完全に向こうの世界にいっている水鳥先輩に深い溜め息が漏れた。 悪い人じゃないのだけど、突っ走ると誰も止められないので後が大変だ。
 この作戦でどうなるかわかったことじゃないけれど、願うなら平穏な日々に戻れば良い。
 こんなことを企んでいる僕に蓮見先輩が愛想を尽かしてくれるのなら、僕はそれだけで良いんだ。
 諦めることは簡単なことだ。 僕は諦める。 そうただこの現状から一刻も先に逃げ出したい。 臆病だから気持ちを伝える勇気もない。
 だけど変わろうとも思わない。 僕がなにを思われようが言われようが関係がない。 そう、ただ願うのは平凡な日常だけなのだ。