だって、好きなんだもん! 03
 蓮見先輩に腕を引かれて、薄暗い廊下を無言で歩いた。 握る腕の強さから蓮見先輩の怒りが伝わってきて、僕は今すぐにでも逃げ出したかった。
 だけどここでこの腕を振り切って逃げる勇気もなければ、力もない。 幾ら綺麗でほっそりとした蓮見先輩でも、一応は男なんだし力だってある。 ただ僕が必要以上に腕力がないだけなのだが。
 連れて行かれたのはこのホテルの最上階にあるスウィートルームだった。
 まさかこの平々凡々な僕がスウィートルームに足を踏み入れるなんて、人生で一度だってないと思っていたから僕は場違いながらも少し楽しくなってしまった。 無駄に広いリビングに、奥に続くのであろういくつもの扉。 ただ泊まるだけの部屋なのにこんなにも広いなんて、お金持ちの考えることは僕には良くわからない。
 どうしてここに連れてこられたのかもわからない。 僕は黙って僕の腕を握る蓮見先輩に声をかけた。
「あ、あの……蓮見先輩」
「なに?」
「なにって、ここ、……」
「スウィートルームだよ、見てわからないの? 今日のパーティーは深夜まで続くからね、パーティーに招待された人はみんなここに泊まるんだ」
「こ、この部屋にですか!?」
「はぁ? 馬鹿じゃない? このホテルにだよ! この部屋にそんなに人が入る訳ないでしょ」
「……ですよね」
 がっくし項垂れて、僕はここに連れてこられた意味を知ることを逃してしまった。
 そっと盗み見た蓮見先輩の表情は苛立っていて、僕はなるべく神経を逆撫でさせないためにも自分から喋ることをやめた。 なにかを喋ってしまったら墓穴を掘ってしまいそうなのだ。
 ただでさえ今、僕は非常に追い詰められている立場なのだ。 蓮見先輩のお使いを破って三銃士といたのだから、僕がどうこう言えた立場じゃないのは明白だ。
 まあ、そのお使い自体はかなり理不尽だったし、三銃士の皆さんも結構強引だったのだが、今の蓮見先輩にはなにを言っても無駄なのだ。
 僕は蓮見先輩が再び口を開くまで、ぼーっとしていた。
「脱いで」
「は、……え? ええ? ぬ、脱ぐ……!?」
「その趣味の悪い服を脱いでって言ってるの。大体なにその服、似合ってないよ。全く君は自分がわかってないよね! そんなの着たってなにも変わらないんだから。髪だってなにそれ?」
「い、いた……」
 ぐい、と蓮見先輩に髪の毛を引かれて僕は鈍い痛みを感じた。
 確かに僕は格好良くも可愛くも美人でも顔が整っている訳でもない。 着飾っておしゃれしたって、中の上ぐらいにしかならない容姿だ。 綺麗なものに囲まれて、綺麗な人がたくさん周りにいる蓮見先輩から見たら中の上どころか下の上だってくらい僕にだってわかっている。
 だけどこの髪や服は、三銃士の人たちが僕のためを思って善意でしてくれたのだ。
 幾ら僕に似合ってなくても、そんなことを言われる筋合いはない、と思うのだ。
「早く脱いでよ、気分が悪いんだ。それに今日だって僕言ったよね? なんで僕よりあいつらを優先させるの?」
「そ、んなの」
「なに、口答えするの? 君は僕のなんだから口答えは許さないよ」
「……嫌です。この服は、岸谷先輩がくれたんです。髪だって水鳥先輩や三城先輩が、僕のために」
「それが? 僕には関係ないね」
 僕の服に手をかけ無理矢理脱がそうとしてくる蓮見先輩の手を、僕は思い切り振り払った。 蓮見先輩に初めて見せた、拒絶だった。
 蓮見先輩はそれに酷く驚いた様子で、僕の顔を呆然と見つめた。
 本当は、ずっと、言いたかったことがある。 平凡な未来を願っていても、少しぐらいの希望と夢だって持っていた。
 この人に出会って好きになって、僕のこと好きになってくれる確率は1%もないけどその少ない可能性に夢を見た日だってあった。
 だけど僕は臆病だから、砕ける勇気もなくてずっと逃げていた。
 水鳥先輩たちが僕を変えてくれたことが、本当に嬉しかったんだ。
 鏡に映る僕は決して綺麗ではなかったけど、前より少し自信がついた表情になっていた。 僕の変わった姿を見て蓮見先輩がなんらかのリアクションを取ってくれるのも、少しだけだったけど期待もしていた。
 しかし、やっぱり期待は期待のまま終わって、現実はそう甘くないのだと思い知らされた。
 幾ら蓮見先輩が僕のことを自分のものだと言っても、それは特別の意味ではなくただの気まぐれであってそこにはなにもない。
 僕はしっかりと蓮見先輩の目を見て、言葉を紡いだ。
 三銃士の皆さんごめんなさい。 やっぱり僕は臆病なんです。
「……もう、嫌です。こんなの、嫌」
「なに言ってるの」
「僕は蓮見先輩の玩具じゃないです。他の人、探してください……蓮見先輩ならたくさんいるんでしょう? 僕より綺麗で、順応で、蓮見先輩のこと、思ってくれる人」
「そんなの許さないよ。僕が飽きるまでって言ったよね」
「それは蓮見先輩の都合です! もう嫌です! これ、……返します」
 今日ずっと持ち歩いていた千円札を蓮見先輩に手渡すと、僕は蓮見先輩に背を向けた。
 これが一番良いんだ。 思いを伝えたって、きっと振られることもなければ受け入れてくれることもない。 蓮見先輩はただ笑って、僕になにをしてほしいの? と聞くだけなのだ。
 一歩一歩扉に近づく僕。 だけどやっぱりと言うべきかこのまま帰らせてはくれないみたいだ。
 蓮見先輩は僕の腕を掴むと、また無理矢理僕を引っ張って行った。 先程とは違い、僕も抵抗を見せてはみるのだけれど、この細い腕のどこに力があるのだろうか、というぐらい強い力で引かれ僕はそのまま奥の扉へと連れて行かれた。
 その部屋にあるのは大きなキングサイズのベッドだけ。
 まさか、という思いが本当のまさかだったりして僕は背中にひやりとした汗をかいた。
「い、嫌だ! どうしてこんなこと……!」
 ベッドに押し倒され、危機を感じた僕は無我夢中で暴れた。
 これが恋人同士だったら良いのだけれど、僕たちは恋人同士でもなんでもない。 キスはしたことあっても、流石にセックスはしたことがなかった。
 僕の両手をベッドに縫いつけ、慣れた手つきで僕を脱がせていく蓮見先輩に初めて本当の恐怖を味わった。
 いつだって僕の嫌がることをしても、どこか面白そうにしていたり、少し優しかったりした。 だけど今の蓮見先輩の表情は無表情で、瞳にはなにも映っていない。
 ただただ怖くて、僕は込み上げてくる恐怖にはらりと涙を一筋零れさせた。
「……どうして? こっちの台詞だよ。どうして泣くの」
「っ、は、すみ先輩が……こんなの、嫌だ……」
「なんで? なんで僕から離れるの?」
「……そ、れは……もう、嫌だって言ったじゃないですか……」
「僕のことが嫌いなの?」
「き、らいじゃ……ないですけど」
「じゃあなに? 嫌いじゃないんなら良いでしょ」
「そういう問題、ですか……? 蓮見先輩は、嫌いじゃない人なら誰でもこんなことするんですか? そんなの、可笑しい!」
 思い切り腕を振るった反動で、蓮見先輩の腕から抜け出すことができた。 僕は身体をずらすと蓮見先輩から少し離れ、ベッドの端まで身体を寄せた。
 直ぐにまた押さえ込まれると思っていたが、蓮見先輩はそこから微動だにせずただ俯いたまま乾いた笑い声を出した。
 なんだかそれが少し胸にずきりときたので、僕は懲りもせず自分から蓮見先輩に近寄ってしまったのだ。 そっと触れた肩が震えていて、それに酷く驚いた。
「は、すみ先輩?」
「……椿は、和樹が好きなの? それともアル? 啓二?」
「なに、言って……」
「僕より優先したんでしょ。僕よりも大事だったんでしょ。その似合わない格好だって、あいつらのためにしたんでしょ」
「……ど、うして」
 どうして、蓮見先輩が泣いているんだ。
 頬を伝う涙を見て、僕は思わずその華奢な身体を抱きしめていた。
 それに蓮見先輩はびくりと身体を震わせたが、その直ぐあとに僕の背中に腕を伸ばし、逆に抱きしめられてしまった。
 息がしにくい程に強く抱きしめられて少しもがいたが、もがけばもがく程蓮見先輩が腕に力を入れるので僕は大人しくすることに決めた。
 そのまま暫く蓮見先輩はだんまりを決め込んで、僕も口を開くのをやめておいた。
 どくどくと早く脈打つ心臓。 しかしそれ以上に蓮見先輩の心臓はどくどくと早く脈打っていた。
「……椿」
 やっと発した言葉の第一声が僕の名前。 愛しいものを確かめるように何度も僕の名を呼ぶと、その綺麗な指先で僕の顔をなぞり、その綺麗な唇で何度も僕の顔面にキスを送った。 鼻先や額、目元など肝心な場所には触れず、何度も何度もキスをするものだから、僕は焦れったくなって自分から唇にキスをしてしまった。
 本当はこんなことする予定じゃなかったのだが、蓮見先輩が悪いのだ。 好きな人にこんなことをされれば、誰だって可笑しくなってしまう。
 決心していたのに、絶対想いを口には出さないって決めていたのに、僕は胸の奥底から湧き上がる感情にどうしようもなくなって思わず言ってしまった。
「す、き……! 好きです! ……蘭丸が、好き!」
 言ってしまえば最後。 ではないのだが何故か僕はぼろぼろと涙を零し泣いてしまった。
 どんな意味を持つ涙なのかもわからずに、ただひたすらに泣く。
 こんなとき普通なら好きだ、とか、言っちゃった、とかそんな風に思ったりするのだろうけど、僕はどうしてだか呼び捨てで名前を呼んだことに怒ったりしないかなぁ、とか検討違いなことを考えていた。
 この告白に驚いたのは蓮見先輩だ。
 泣き止む気配のない僕の頬を両手で包むと、吃驚したような表情で問うてきた。
「……なんだって?」
「あ、ご、ごめんなさい……名前、呼び捨てにしちゃって……」
「そうじゃないよ。今君言ったでしょ、大事なこと」
「……好き、ですか?」
「そうだよ。それ、本当なの?」
「嘘吐いたって、意味ないじゃないですか……蓮見先輩がさっきから言ってるこの似合わない格好だって、三銃士の人が、蓮見先輩に気に入ってもらえると良いねって」
「……本当に?」
「本当です! だ、から僕、褒められたくて……でも、蓮見先輩は気に入ってくれなかったみたいですけど……」
「……似合って、なくもないよ。和樹の服を着るってのはナンセンスだけどね。今度は僕が見立ててあげるから僕の服を着なよ」
 少し上機嫌に頬を染めて嬉しそうに蓮見先輩がそんなことを言うもんだから、僕はいらぬ期待をしてしまう。
 本当は馬鹿にされたりとか、笑われたりとか、されると思っていたので思わず拍子抜けしてしまったじゃないか。
 だけど僕にとって一世一代の大告白についての返事は貰えていない。
 ここで返事を催促したって結果はわかっているし、聞きにくいことだってのも十分理解はしているのだが、どうももやもやしてしまう。
 少し悩んでみたが、やっぱり僕は臆病なので返事は聞けそうにもない。
 楽しそうに僕の髪を弄る蓮見先輩を見上げ、はぁと溜め息を吐いた。
 そうか、今日はいつになく溜め息を吐き過ぎたから幸せが逃げたんだな。
「……ねえ、椿? そろそろ蓮見先輩ってのやめない?」
「え?」
「椿になら普段から蘭丸って呼ばせてあげても良いよ」
「蘭丸先輩ですか?」
「……それでも良いけど。それより椿、君は僕のこと好きって言ったよね? なら良いよね」
「え、あ、ちょ……!」
 あっという間に蘭丸先輩に押し倒され、僕は再びベッドに身を沈めることとなった。
 確かに好きだとは言ったが、僕が好きなだけであって蘭丸先輩は僕のことを好きな訳ではないのだ。 だから好きだからと言ってセックスできる訳がない。
 僕はさっきと同じになるが、また抵抗を見せて蘭丸先輩の機嫌を損ねた。
「なんで抵抗するの?」
「なんでって……こういうのは好きな人同士がするのであって……」
「それぐらい僕にだってわかるよ。だからこうして今から椿としようとしてるんじゃないか」
「だか、ら……って、今なんて……」
「ああ、言ってなかった? ……僕も椿が好きだよ。だからしよう」
「な、な、なんかちょっとえー!? もうちょっと感動的! とかロマンチック! とか思う時間くらい欲しいです!」
「無理。そんなのは後回しだよ。だってほら触ってみてよ、さっきの椿の告白で僕のもうこんなのになってるんだ」
「っ……!」
 蘭丸先輩は僕の腕を引き自分の股間へと僕の腕を導いた。 かなり強引に触らされたそこはもう熱を持っていて、僕は全身が熱くなった。
 そのまま僕が抵抗できないことを良いように蘭丸先輩は僕の口を塞ぐと、ゆっくりと洋服を脱がしにかかった。
 本当はもうちょっと映画みたいに告白されて、その余韻に浸って感動してなんて夢見がちなことに憧れていたのだけど、僕の想いが実ったこと自体奇跡に近い。 だからあんまり贅沢を言うのはやめる。
 こうやって押し倒されてセックスするのだって、そこにはお互いの想いがあるのだから嫌だってこともない。 ただちょっと恥ずかしいだけだと、思うし。
 嗚呼、なんだかもう全て夢を見ているみたいだ。
 僕は未だに実感が沸かないまま、僕を愛おし気に見つめる蘭丸先輩にまた恋をした。 が、その恋すら蘭丸先輩は余韻にひたらせてはくれないみたいだ。
「っ、ちょ、ま……あー! 痛い痛い痛いんですけど! ちょっと待って! 痛いです! っぎゃー!」
「……椿、もうちょっと色気のある声出せないの」
「無理! 本当に無理! 痛いです! 本当に痛いんです!」
「大丈夫大丈夫。じきに気持ち良くなるから」
「あ、ま、ほ、ほんとに……っ! いったぁーい!」
 ぎゃああと僕の悲鳴だけが辺りに木霊して、甘いはずの初めてのセックスもなんとも色気のないものになった。
 まあ結局は気持ち良くなって、訳がわからないまま泣き叫んだような気もするけど。 幸せだからなんでも良いかなぁ、とも思ったりしたりして、まぁとにかく僕は幸せです。
 蘭丸先輩、明日起きたらもう一度言いますね。 大好きです、って。



 その頃、三銃士はみんな揃って蘭丸の部屋の前に佇んでいた。
 部屋の扉に耳をべったりとくっつけ中の様子を伺おうとしているのは水鳥。 その水鳥を岸谷と三城は呆れた表情で見ていた。
「アル君、いくらそうしたって中の様子は聞けませんよ」
「そうそう。いくら二人が激しいセックスしてても聞こえねーって」
「……残念。盗聴器でもしかけておくんだった」
「ま、蘭君が節操なしに椿君をどこででも犯すことがあるのなら見られる機会もあるかもしれないですけどね」
「ねーだろーなー。あいつああ見えて独占欲の固まりだしなぁ」
「俺たちあんなに頑張ったのに結果すら見れないのは理不尽だよね! そう思わない!?」
「まぁ良いじゃないですか。水島アルヴィ監修プロジェクトEXは成功ってことで終わったんですから」
「……なーんか腑に落ちないなぁ」
「それにしてもつばっちゃんも鈍いよなぁ。蘭丸結構わかりやすいと思うんだけど」
「フフ、そこが椿君の可愛いところですよ」
「そーだな! じゃあ二人もくっついたことだし、今夜は飲もうぜ!」
「未成年の飲酒は禁止されてますけど、そうですね、今日ぐらいは飲みたいですね」
「良い酒あんだよな〜」
 楽しそうにその場を後にする二人を目で追いながら、水鳥ははぁと深い溜め息を吐いた。
 なんだかもやもやするが仕方のないことだ。 とそう結論づけると急いで二人の後を追った。
「俺も飲むー! シャトーマンゴー!」
「シャトーマルゴーですよ。というかそんな高級なお酒はこの場にはありません」
「……残念」