玄関の開く慌しい音、暫しの時間だけ離れていた顔を慶が見せるやいなや恭介は拳を握りしめて玄関の前に立ちはだかった。
「きょ、恭ちゃんっ!」
犬のように飛び付いてくる慶の横っ面を恭介は少々手加減して殴り倒す。床にひれ伏したその姿を見て、満足そうに笑みを浮かべた。
「い、痛いわ……」
「で? なんで帰ってきたんだよ。どんな面下げてんだ? あ?」
「この面下げてよ」
「ふん、調子良いこったな」
くるりと背を向けた恭介がリビングへと遠ざかっていく。思ったより怒っていない態度にほっと安堵の息を吐いた慶は、玄関に倒れたままにやけた顔を隠すよう手で覆うと悶えたい気持ちを押さえ込んだ。
出て行け、とは言われなかった。それは恭介なりの迎え方なのだろう。
なにがどうなって出て行ったのかさえもうどうだって良い。顔を見合わせて話をすることや、時間を共有することができるのだからそれだけで十分だ。
にやけた面のまま玄関からびくとも動かない慶に心配をした恭介が戸惑いがちに唇を震わせると、迷いが浮き出た声音で呼びかけられた。
「……玄関に寝られたら邪魔だろーが」
「そうよね、そうよね! ごめんね、恭ちゃん。寂しい思いさせてごめんなさい! もう二度と出て行くなんて言わないわ!」
靴もおざなりに放り投げて、慶は罰の悪そうな表情を浮かべている恭介に飛びつくと己と背丈のあまり変わらない身体を思い切り抱き締めた。
強張った身体も一瞬で、嫌そうに剥がそうとする恭介の手が二人の間でもがいている。赤い顔で罵詈雑言を並べ立てても、慶にとっては可愛いものでしかない。
頬ずりして軽いキスを送って愛してると紡いで押すように室内に入る。
次第に抵抗することに疲れたのかぶつくさと文句は言うものの大人しくなった恭介は慶の腕の中呆れたような面持ちになった。
「恭ちゃん明日休みってほんと? ほんとよね、じゃあ今日はなにする?」
「……あ?」
「今の時間ならスポーツニュースやってるわよね。それ見てビールでも飲みましょ。それ終わったら一緒にお風呂入るのも良いわね〜。狭いけど久しぶりよね」
「お、おい」
「あ、でもその前に阪神勝ったって恭ちゃん苛めないと駄目だったわね。ふふ、ごめんなさいね。私から出て行くって言ったのに……まさか恭ちゃんから電話してくれるだなんて思わなくって、ああもう幸せよ」
マシンガンのように捲くし立てられる言葉のシャワーに、恭介は二の句を紡げずに頷くまま頷くと、取り敢えずというようにお互いの間に隙間を作った。
このままこうしていても慶に流されるだけだ。聞くに堪えない甘い言葉ばかり並べるのは恭介の心臓に悪い。
少しだけ熱を持った頬を掌で抑えると、恭介は冷蔵庫に視線を向けた。
「……、じゃあ飲むか? 丁度てめえの好きなつまみもあるしよ」
「恭ちゃん、許してくれたの?」
「許したっつーか……今回は俺も悪かった、から、おあいこ、ってことで」
「ああ、恭ちゃん……!」
「んだよ、んななよなよしい声で呼ぶんじゃねえよ」
「私もう我慢できないわっ!」
慶は高ぶった気持ちのまま恭介の手を引くと寝室へと強引に押し込んだ。
正直に言えば身体の疲労はピークに達している。明日休みではなかったらぶっ倒れても仕方ないほどハードな仕事量で過ごしてきていたのだ。
だがどうだろう。恭介の顔を見ただけで、先ほどまで強く感じていた疲労がどこかへいってしまったようだ。
存在するのは膨れ上がる愛しいという気持ちと、激しいほどの劣情。最近まで性欲より睡眠だといっていた己はどこにいったのだろうか。
この際どうだって良い。つまりは今、慶は恭介に欲情をしていてそれを埋めたいと思っている。それだけで十分だった。
「お、おい! なんだよ! 急に盛んなよ!」
「ごめんなさいね、今すっごくしたいの」
「ビールは!? スポーツニュース見んだろーが!」
もがく恭介の身体をベッドに縫い付けて、慶は深く掻き抱いた。首筋に当たる髪の毛の感触でさえ背筋に駆け上がる電流になる。
深く抱いた腕の感触でまた一つ知った事実。恭介の身体はここまで小さかっただろうか。己と体躯も背丈も変わらないはずだったのに、たった少し痩せただけでこんなにも違いが露になる。
慶は徐々に抵抗を激しくさせる恭介を宥めるよう瞼に口付けを落とし、スウェットの裾から手を忍び入れた。
「ちょ、てめえせめてシャワー浴びてこいよ。汗くせえ」
「あら? 恭ちゃん汗くさいの好きでしょ? 興奮するくせに」
「おいい! そんな変な性癖ねえよ!」
「嘘、もう反応してるじゃない」
曲げられた膝で少しの芯を持った中心を擦られて、恭介は喉にかかったような甘い声を出した。
悔しくも慶が出て行ってからというものの慶のことを考える時間が増えた。普段ならばいて当たり前の存在がいなくなったのだ。気にならなかったというのは嘘になる。
だからだろうか。帰ってきた慶が熱烈に己を求めてくれているということが、恭介の欲を煽るのかもしれない。
じわじわと這い上がるような熱情に息が篭る。いつも通りことが進んでいる、それだけなのにどうしてなのだろう。
薄い膜がかったような、ぼやけた視界で慶が舌なめずりをするのが見える。欲に濡れた瞳が恭介の姿を描いて、知らずの内に恭介はその首に手を回すのだった。
「くっ、は……、しつけえ、んだよ……、も、いい加減……っ」
耳に付くのはにちにちといった水が絡む音。慶はきつく締め付ける後孔に指を差し入れると、恭介の反応を楽しむかのようにぐるりと旋回させた。
良いとこばかりを外されて、焦らした先に時折触れる前立腺。燻られた熱をくべるかのような、そんな愉悦に恭介は背をしならせると浅い痙攣を起こした。
まだ一回しか達してないといえども身体は既に己のいうことを聞かないほどに疲弊させられている。いつもの数倍以上にねちねちとしつこい責め苦に恭介は抵抗すらままならない。
身体中どこもかしこも性感帯になったかのようだ。赤く熟れた乳首も、触れられるだけで痛みを催すほどに。
ねめつけるような慶の視線に晒されて、恭介は力の入らない手で慶の手を突っぱねてみるものの子供より力のない手でははびくともしなかった。
「恭ちゃん、凄くとろとろしてるのわかる? 直ぐ入りそうよ」
「だ、ったら、早くいれ、ろよっ」
「嫌よ。まだもうちょっと焦らしてみたいんだもの」
「馬鹿か、……! 慶っ、……」
切羽詰った声音で名を紡がれて、恭介は耐え切れないといった風に腰を揺らして精一杯慶を誘う。存外に白い肌も、色付く赤も、慶の目には毒で今直ぐにでもぶち込んでしまいたい気分にさせた。
触っていないのにも関わらずべとべとに先走りで濡れた恭介の性器は、触れてしまえば直ぐに達してしまいそうなほどそそり立ってもいる。
腹についたそれを指で掬って恭介の唇に塗り付けてみれば、かさついた唇が妙に色気付いて見えてそれに酷く興奮を覚えた。
「恭ちゃん、上に乗ってくれる?」
「は、……てめえ、最初から……それが目的、かよ」
「ええ、だって下から見る恭ちゃんの顔って絶景なんですもの」
恭介の隣にごろりと寝転がった慶はにっこりと笑うと、恭介の頬を指先で撫ぜた。
「恭ちゃんだって、早く欲しいんでしょう?」
その言葉に降伏せざるを得なかった恭介は渋々といった態度ながらも起き上がると、慶に跨った。
慶とて恭介と同じほどには欲しているはずだ。だが我慢強い慶と違って恭介は忍耐というものを知らない。散々焦らされたことが白旗を上げる一因にもなった。恭介はまんまと慶の言いようにされてしまったのである。
ズボンを押し上げる慶の性器に、喉をごくりと嚥下させるとぞくぞくと駆ける期待に眩暈がする。この十年で慣らされた身体は隠していても慶を欲していた。
ズボンのジッパーをゆっくりと下げ、パンツ越しに慶の性器に口付ける。篭った空気と濡れた感触に、恭介は堪らずパンツをずらすと勢い良く飛び出した性器を口に含んだ。
びくびくと脈打ち、熱く芯を持ったそこは恭介の口腔で震えると解放を求めるように浅く動き始める。
このまま達すまで口淫しても良いが、どうせなら中に注ぎ込まれたい。先走りが止め処なく溢れるそこから唇を離すと、そのまま手で握り締め乗っかった。
「あら、絶景」
「うっせえ、黙ってろ」
そのまま先端を後孔に宛がい、ゆっくりと腰をおろす。先ほどどろどろになるまで慣らされたそこは少しの抵抗をみせたもののすんなりと慶の性器を迎え入れとすっぽりと咥え込んだ。
性器がどくどくと脈打つのが肉壁を伝ってリアルになる。堅い切っ先で身体を裂かれたような感覚には未だ慣れることなどないが、それでも熱い性器で中を擦れば気持ちが良いというのは十分に知っている。
そっと腰に添えられた手。緩く腰を動かし始めた慶に恭介はストップをかけると、慶の顎を足の指で擽った。
「焦んじゃねえよ。最初は俺の好きなようにさせてもらうぜ」
「珍しいわね。恭ちゃんがリードしてくれるの?」
「ああ、だから黙って寝とけよ」
足を左右に大きく開いてバランスを取った恭介はゆっくりと出入りする卑猥な場所を見せ付けるよう腰を動かすと、ゆっくりとしたスピードで慶の性器を刺激した。
腰に力を入れて絞るように締め付ける。ぎりぎりまで抜いた性器の出っ張りで入り口を擦り付ければ、恭介が好きな愉悦が身体中に広がった。
内臓が引き摺られるような、そんな感覚に近いのに恭介の理性を吹っ飛ばすには十分な刺激。浅ましいほどに欲情を貪る己にも興奮を覚えて、恭介は次第に見せ付ける動きではなく欲を求めるような動きに変えた。
激しく抽送を繰り返すたびにぐちぐちといやらしい音が寝室に響く。唇を噛み締めて堪えた喘ぎ声と、慶の荒くなった吐息だけがはっきりと耳に聞こえた。
「は……恭ちゃん、も、……我慢できない」
それまで恭介が言った通りびくとも動かなかった慶が恭介の動きを止めると、腹筋を利用して起き上がった。間近になった顔の距離にどくりと鳴った心臓。そのまま引き寄せられるように唇を合わせた。
慶の背中に腕を回して唇を貪る。焦った口付けでだらしなく零れた唾液が顎を伝って太股に落ちた。
「け、い……」
甘えたような声。恭介は鼻先を恭介の頬に擦り寄せると声なき声で求めた。
それに慶は理性を砕かれた。前髪を掴んで痛みに歪む顔に興奮して高ぶった性器のまま下から強く突けば、恭介の顔は綺麗に歪む。痛みと快楽が織り交ざったような複雑な表情は慶の興奮剤なのだ。
無理に突いた所為かじんわりと滲み始める恭介の瞳に欲に塗れた己が映る。慶はそのまま恭介の目尻に舌を這わせると、目の玉を舐めた。
少ししょっぱい目の玉。慶の舌には甘く広がって、怯えたように見上げる恭介の瞳に満足した。
「恭ちゃん、私のお願い聞いてくれる?」
「っ、てめえの被虐趣味には付き合わねえぞ」
「それは昔の話でしょ。あの頃は若かったものねえ」
「……じゃあなんだよ」
「朝までいちゃいちゃしたいわ〜。もう腕も動かないってくらいセックスするの。丁度良いでしょ? 明日は私も恭ちゃんも休みなんだし」
「は、あ!? お、おい、明日は休みだけど俺ぁ出かけるつもり」
「だーめ。もう恭ちゃんが有休取ったって聞いたときから私朝までいちゃいちゃするつもりだったんだもの。簡単に逃がさないわよ?」
どんっと肩を押されて恭介は後ろに倒れる。見上げた視界ではしてやったり顔で口端を上げる凶悪そうな慶の顔。こうなってしまえばもう恭介に抗える術はない。
慌てて体勢を立て直そうとしてみるものの時既に遅し、恭介に圧し掛かられて身動きすら取れなかった。
性欲がなくなったといっていたのはどの口だ。そう悪態を心の中で付きながらも結局は付き合ってしまうのだろう己が一番どうしようもない。
恭介は突き上げられる感覚に目を瞑ると、唇を薄く開けた。
窓の隙間から漏れる朝日が目に痛い。忙殺されるような仕事を経てやっと得た休みも、ずっと恭介の身体を甚振っていたために休息すら取れていなかった。
それなのにも関わらず慶はどこかほっとしたような、そんな安息を覚えている。
「ふふ、恭ちゃん」
慶は隣で深い眠りに入っている恭介の前髪を梳くと、優しげな手付きで頬を撫ぜた。
せっかくの休みだがそれも直ぐに終わってしまうだろう。目を閉じたら最後、泥沼にはまるように眠りから戻ってこられない自信がある。今ですら脳が睡眠を訴えて落ちそうになっているのだ。
年甲斐もなく頑張った所為だろうか。慶は吐く息に力を込めると幸せそうな表情で頬を緩ませた。
「恭ちゃん、私って結構愛されているのね。わかっていたけど、昨日でしみじみ実感したわ」
語りかけても相手は夢の中。返事など最初から期待していない。
「休みを無駄にしてごめんなさいね。でも、私は満足だったわ。恭ちゃんが素直に甘えてくれたし、お互いが必要だってありありとわかったし、それに……そう、いつもの惰性な関係だって悪くないって思えるようになったもの」
素肌をシーツに巻きつけて眠る恭介の唇に甘く噛み付く。うんともすんとも言わない恭介の眠りはきっと、慶と同じよう夕方まで覚めることがないのだろう。
それでもなにもしなくても顔を合わせて眠るだけの、そんな時間が愛おしい。
慶は恭介に巻きついているシーツを剥ぎ取るとその胸に顔を埋めて、二人隠れるようシーツを被せた。
恭介が素直に疲れただのしんどいだの、頼ってくれることはこれからもそうお目にかかることなどないのだろう。誰よりも対等を望む恭介の頭は変なところで堅い。
だけれど、小さなサインを見逃さずに話し合えば、きっと遠回りながらも甘えてくれることもある。
「恭ちゃん、頼りにしてるわよ。私を甘やかしてね」
もの言わぬ胸に頬を擦り寄せて慶は瞼を閉じた。鈍くなる思考の中、瞬時に睡魔が襲ってくる。
先に起きるのはどちらだろう。寝起きの悪い恭介を優しく起こすのも悪くないし、乱雑に蹴られて恭介に起こされるのも捨てがたい。お互い同じタイミングで目を覚ますのだって、もしかしたらあるかもしれない。
慶はまどろみながら、そんなことを考えて夢の深淵まで落ちていくのであった。