隕石が落ちた。というのを非現実的だと誰が決めた訳でもないが、誰しもが理解していることだ。隕石が落ちないという絶対的な根拠もないのに落ちないと思い込んでいる。
いつ如何なるとき隕石が落ちて人類が滅亡するかなんてことは誰にもわからないのに。それこそ確立は低いものの、現実として有り得ないことではない。もしかしたら明日隕石が落ちるかもしれない。まさかの、話だが。
そうそんなまさかは、案外そこらへんにあったりする。
絶対に有り得ない、一生体験することなどない、なんて高を括っていてもその瞬間が訪れるのはほんの一瞬だ。本城 大志(ほんじょう たいし)はまさに身を持ってそれを体験した。
電流? いやいやそんな軽いものじゃない。稲妻だ、身体に稲妻が落ちた。
「秋平ェ……俺、俺、やっちまったかもしんねえ!」
ビールケースを運び終え、一息ついた三谷 秋平(みたに しゅうへい)は背後から大袈裟に騒ぐ友人、大志の声に顔を上げた。布石もなく急に叫んで興奮しだした様子に若干押されながらも、秋平は落ち着かせるよう肩を叩いて宥める。
「落ち着けって、どうしたんだよ? とうとう女でも襲った?」
「ちげえよ! 一目惚れだよ、ひ、と、め、ぼ、れ!」
「……頭沸いたか?」
「お前も見てみろよ! すっげえ美人なんだって!ほら、あの人! あのちょ〜綺麗な」
「男ォ!?」
大志が指を差す方向にはマネキンのような人形のような、端整な作りをした整い過ぎる顔を持った男が歩いていた。
綺麗だ、確かに美しい。何時間見ていても飽きない顔だろう。それは認める、大いに認めても良い。だが問題があるだろう。秋平は心で叫んだ、男だ、あいつは男なのだ。もちろん大志も男だ。
「身体にな、なんかずどーんって! ずどーんってきた! なんかきた! 隕石落ちた! 俺の心臓にな、隕石落ちたんだよ!」
ハイテンションでぴょんぴょん跳ねる大志が上下に動く度に髪も一緒に跳ねる。カラーリングで派手に色付けされた髪は闇夜でも目立つほどで、綺麗にセットしたのであろうそれも力仕事をしていくうちにへたれてきたのか残念なカーブを描いていた。
良くも悪くも目立つのだ、大志は。裏路地にいようともちらちらと人の視線が刺さって秋平は恥ずかしくなった。
「ちょ、ちょっと落ち着けって。話聞いてやるからもうちょっと声のボリューム落とせ」
口を塞いだ秋平の手に、大志は不満げに眉を顰めると頬を膨らませた。取り敢えずは落ち着いたようであるが、男がやっても可愛くのない仕草だ。
実はと前置きする話でもないが、大志は非常に馬鹿であった。顔からして馬鹿っぽい。なんというかヤンキー顔というのかちゃらいというのか、なんともいえない顔立ちなのだ。立ち振る舞いも喋り方も全てが馬鹿っぽいというより馬鹿なのだから仕方ないが馬鹿だ。
付き合いが長いので良い加減慣れたが、なんだかなあなんて思いつつも秋平は話を聞いてやることにした。
「で? いつ恋したの」
真剣に問うた秋平に対し、大志はふざけて恋する乙女のような動きでくねくねとしなを作った。思わず頭を拳骨で殴ってしまうと、秋平は再度落ち着け、と言った。
「もーノリ悪〜い! だから言っただろ? 今だよ、今!」
「は〜お前ってほんとそんなんね。呆れるわ。で、お前あれのこと知ってんの?」
「知る訳ねーだろ? 今見たんだから」
「だよな〜ってゆかお前男いけたっけ?」
「いんや、いけねえんじゃねーの? でもあれはいける。だって綺麗だもん。綺麗かったらなんでもいけるっしょ」
「ふうん? あれねえ……あれかあ。お前よりによってあれに恋したのか……まあお前のことだから直ぐに冷めるんだろうけどさ〜」
「え、秋平なんか知ってんの!?」
胸倉に掴み掛かるようにしてぐっと寄ってきた大志に、秋平は渋りをみせるとううんと呆けてみせた。
こんな悠長にコントのようなやり取りをしているが、現在仕事の真っ最中なのだ。週末の十時過ぎのバーともなれば今が一番忙しい時間だった。
本来なら直ぐに戻らなければいけないのだが、この様子じゃ大志はまともな仕事などしないだろう。
人格がそうさせているのかキャラの問題なのか、オーナーに気に入られている大志は多少のことなら許された。なので少しくらいさぼっても大志がいるのだから怒られることはないだろう。
ワックスでふわふわにさせた大志の髪の毛をぽふぽふと撫ぜると、秋平は肩を組んで耳元に唇を寄せた。
「良いか、よ〜く聞け、一回しか言わねえぞ?」
「お、おう! 耳おっきくして聞いてる!」
「言うべきことは一つだけだ。あれだけはやめといた方が身のためだと思う」
「……は、え?」
「まあいずれわかると思うけど、あれはおすすめしねえな〜俺は」
「なんだよそれ! 教えてくれるんじゃなかったのかよ!」
「まあまあ、わかるって。嫌でもさ〜とりあえず今は忠告しといたし仕事戻るぞ」
大袈裟なリアクションを取って駄々をこねる大志の首根っこを掴みながら身体を引き摺った秋平は、開いた扉から二人を呼ぶ声に返事をした。
ギラギラネオンが輝く夜の歌舞伎町。人並みだけは多く、誰もが無関心で歩いていく。ケバいお姉さんはキャバクラに出勤して、いかついお兄さんはホストクラブに出勤。酔っぱらったサラリーマンは風俗に行くのか、大勢で歩く若者はどこへ行くのだろう。
そんな大都会のネオンに埋もれながらも夜に輝く店の一つお酒を提供するバーに勤めているものとして、明け方まで誠心誠意働こうではないか。
「おっしゃー仕事すんぞー! 夜はまだまだこれからだ〜!」
「おい秋平〜! 話逸らすなよ! 勿体ぶらずに教えろよ!」
「あ? しゃあねえな〜ってゆかお前ここで働いててあれ見たことねえの? 結構有名よ?」
「そんなん興味ねーし、俺さ俺以外興味ねーもん」
「……そういうやつだったな、お前。まあヒントってものでもねえけど、あれ、一緒の大学だぜ」
「え、え、え、えええ!? うっそん!? 一緒の大学!?」
目を大きくさせてオーバーなリアクションを取った大志に、秋平は呆れをみせると裏口に放置するやいなやさっさと中へと入った。これ以上さぼりに付き合うのはごめんだ。
背後から煩いほどにぎゃんぎゃん騒ぐ声がする。今日もここだけは平和で、犯罪都市歌舞伎町でものほほんとしていられるものだ。
馬鹿な大志と違って仕事を多く請け覆っている秋平は、今からシャカシャカとシェーカーを振らなければならない。名を連呼されるのを無視して仕事に戻れば、焦ったように半べその大志が後ろにくっついてきた。
「秋平〜置いてくなよー! それになんで有名か教えてもらってねえ!」
「煩い! 仕事しろ! ただでさえ仕事できねーんだから、せめて真面目に立ってろよ」
「ひでえ! 仕事ぐらいできるし!」
お客さんがくすくす笑う。最早名物ともなった取っ組み合いを楽しみにしているお客もいるのだ。なんだかんだ言いつつじゃれあいながら仕事をしていれば、大志もしつこくあれについて聞いてくることもない。
こうして長年の親友から衝撃的なことを告白されたが、案外すんなりと受け入れて処理している。なんて大志と親友になった瞬間から唐突さには慣れていたので今更でもあるが。
隕石は落ちてこなかった。だが心に落ちた稲妻は、確実に大志を変えた。それは凄まじいほどの変化であり事実であり衝撃であり答えであり現実であった。
週明け、一間目から授業があったはずの大志が大学にこなかった。元より遅刻癖やさぼり癖が激しい大志のことだ、どうせ寝ているんだろうとわかっていても秋平は少し心配をしてしまう。
代返やノートを取ることは苦痛ではないがただでさえ馬鹿なのだ、これ以上馬鹿になったら将来どうするのだろうという不安がある。友人の将来なんてどうだって良いはずなのに、思わず心配してしまう己も馬鹿なのか。
三間目過ぎに寝癖ぼさぼさで浮腫んだ顔のままスウェットで大学にきた大志に、秋平はなにも言えなかった。大学やバイト先を同じにしてまで面倒を見ている時点で秋平も立派な大志馬鹿という名の馬鹿なのだから。
「おっぱお〜秋平なんかちょお元気そうだな……朝っぱらから爽やかだ」
「朝じゃねーし、何時だと思ってんだよ。つーか涎のあと付いてるしなんだその服、やる気あんの?」
「いや、急いできたんだって。まじ起きたてほやほや大志くんだから俺。勘弁してよほんと朝弱いんだって〜」
「その言い訳聞き飽きたっつの。つーかほんと留年しても知らねーぞ」
「ううん……な? 昨日な、呑んだっていうか、呑み過ぎた」
「はあ? 話飛び過ぎ。誰と呑んだの?」
「ダチにコンパ開いてもらって〜仕事休んだじゃん? 三次会までいっちゃってさ〜、あ、エッチしてねえけど、男だけで飲んだら記憶ねえみたいなあれ? うーん、起きたら路地裏に寝てたってゆうかそんな感じで家帰ってばふーんみたいなあれ」
「……お前と話してると頭痛くなるから良いわ。まあ午後からは真面目に授業出るんだろ?」
ふああ、と欠伸をして頷いた大志の髪の毛を、秋平は適当に撫ぜ付けて手直ししてやった。
大志同様見目からすれば秋平もちゃら男の部類だ。大志のようなヤンキー臭さはないものの遊んでそうだとか、女の子騙してそうだとか、第一印象は結構最悪なものなのだ。
それなりに顔が整っていてもちゃらければ真面目にモテない。遊んでいないし、根も真面目だが容姿が全てを決める。加えて大志の世話焼きばかりしている所為か妙な噂もたっていた。
男友達にここまで献身的になるのは変だなと理解していても、幼少期から培った癖はなかなか直せないものだ。
一体いつになったら大志は秋平の元から巣立つのか、親心のような心境で秋平は服の袖で大志の涎あとを拭き取った。
「んあ、あ、ああ!? お、おい秋平……!」
きゃあ、と空気がさざめく。少し大志に構い過ぎたか、と思った秋平だったがどうやら違うようだ。
頬を紅潮させた大志が指を差す方向と、大学構内を歩いていた学生が視線を向ける先が一緒だった。真っ直ぐと視線を辿ればその正体が露になる。
「あ、あれ……!」
あれが、いた。まさしくあれだ。正真正銘あれ、闇夜に紛れてもなお存在感を損なわない凛とした男。
整い過ぎた顔はビスクドールのようで、纏う空気は絶対零度。人を寄せ付けないオーラや美し過ぎる顔立ちから遠巻きにされているが、それでもその顔を一目見ようとこっそりとした視線を送る人は多い。
今だって無関係な秋平ですら強い視線や意識が向いているのがわかるのだ。これじゃまともな生活は送れないだろうと案じても本人はどこ吹く風で気にした素振りもなく歩くので、ある意味図太いなとも思った。
「な、なあ本物!? あれ本物!?」
「本物って……大志が昨日言ってたんだろ? 一目惚れしたんじゃねえの?」
「まじですっげえ! 一緒の大学だったんだな! なんで今まで気付かなかった俺!」
「知らねえよ。つーか大学もそうだけど夜の方でもあれに気付かない方が可笑しいんだって」
「んなこと言われても知るかよ〜、って名前は? 名前なんてゆーの!」
「あ? ああ確か……え、っと、高屋 雅(たかや みやび)じゃなかったっけな。名前が芸名くさいよな」
艶めいた黒髪に透き通るような肌の白さ、細フレームの黒縁眼鏡を掛けて神経質さを際立たせている。立っているだけで溜め息の出るような綺麗な顔は作り物っぽくもあり、雅はその容姿もさることながら名前までもが作り物のようだった。
夜の顔がカラフルなだけに昼のモノトーンさが意外だと感じても、雅の顔を知る人はそうそういないだろう。なぜ秋平がそれを知っているのかはまた別の話になるのだが、昼と夜の雅の人物像に接点がないので皆が気付く気配もない。
ミーハーのように綺麗だ美しいと喚く大志はあれを見てもそう言えるのだろうか。最も一過性の流行病のような感情だと思っているので、余計なことは言わないでおいた。
本気の恋なんてするはずがないと、思っていたんだ。
「雅、ちゃん……」
落とされた声が思ったより震えていた。どきどきと鳴った心臓が早くなる。一歩踏み出せばあとは簡単だ、だがその初めが難しい。何事も最初が肝心と言い聞かせても、難しいものは難しいんだから。
周りがしんと静まっていく。声が聞こえなくなる。大志はふらふらとさまようような足取りで雅に向かって歩いていった。
猪突猛進そんな大志だ、秋平は慌てて止めようとしたが大志は秋平の手を通り抜け雅に近寄っていく。
眼鏡越しの切れ長の瞳が大志に向く。硝子玉のような目はなにも映していなくて、大志を見る瞳にも不審さはない。なにもない。見てもいない。意識が向いたのが、ほんの一瞬だった。
だけどそれさえ気にならなかった。気が付けば叫んでいた。それは小学生のような、稚拙な告白だ。
「俺の、彼女になって!」
波紋のようなどよめきが広がる。良い意味で有名な雅に悪い意味で有名な大志が告白したのだ。それも男同士。最も雅が美し過ぎるので同性という点は気にもならないが。
結果など見なくてもわかったがそれでも気になるのが人の性、立ち止まってあからさまに見るものも多い。一体どんな風に振られるのか、それが気になっていた。
だって雅は滅多なことでは口を開かないのだ。そう見目通り人形のような雅は全く喋らなかった。問い掛けも質問は全て無視、もちろん告白も。友人らしい友人もいないようだし、いつも一人で行動している昼の顔の雅が声を出すのは授業の発表のみという本当に必要最低限だった。
だから雅と同じ選択授業を取っているものは耳が幸せになるだとか、そんな話もある。
かくいう雅の数々の噂は置いといて、大志は硝子玉のような雅の瞳を覗き込んでなにも答えない雅に催促を強請った。
「な、なあ、だめ? お願い! なんでもするし! な、ね?」
まるで駄目な男だ。募るように雅の手を握った大志は詰め寄って押しに押した。無表情だった雅の顔に変化が出る。眉間に皺が寄って、唇が下がって、どちらかといえば不機嫌だといわんばかりの表情だ。
「背、おっきいね〜。俺よりでかい? あ、でも俺、自分より身長高いとか気にしないし! 全然無問題ってゆーか、ね!」
「……」
「付き合う上に大事なのはハート、ハートが大事! そう思うっしょ? あ、俺良いこと言った? いやーでもほんと惚れました! 一目で恋に落ちました! 隕石をキャッチしちゃった気分です! 好きです! 俺の、俺の彼女になってください!」
「……、……嫌」
小さな、声だった。大志以外には聞こえない程度の音量だ。
疲れたような顔付きの雅はしつこく握られている手をやや乱暴に振り解くと、そのまま見向きもせず大志の横を通り抜け歩いていった。
だがそんじょそこらの生温い男や女と違い大志は一筋縄ではいかない。良く言えばポジティブ本当のところで鈍感、いや馬鹿。馬鹿の長所といえば? もちろん打たれ強いところだ。
犬のようだった。躾のできていない馬鹿犬。
「あ、待って! なあもっと話しよ? 俺たち分かり合えたらきっとうまくいくと思うんだけど!」
すたすたと早歩きで逃げるように去っていく雅を、追い掛ける大志もとい馬鹿犬。秋平が止める間もなく消え去っていく。
「雅ちゃん! 待って〜! ねえ、今日デートしよう! まずはお互い知ろ! な? なんもしないし! デートするだけだから!」
「……」
「大丈夫、心配ないって! 変なこととかしないから安心してよ! 俺、ちょお優しいし、紳士だからさ!」
「……」
「もしかしてツンデレってやつ? うっわ〜ギャップ萌えじゃんそれ、ね! さっすが雅ちゃんかっちょいーね!」
見ていて痛々しい。モテないナンパ師のようだ。実際モテないので事実に近いけれど。
完全無視の雅にしつこく付きまとって、秋平の視界から消えて行った大志。どうなるのか想像しなくても結果は見えていた。いずれ雅を見失って戻ってくるのだろう。
あの調子じゃ暫く煩くなりそうだ。秋平は午後の大志の授業の代返をするべく渋々と足を建物へと向けた。
隕石が落ちた。それによって大志の地球はどう変化していくのだろう。嗚呼だけども見える未来としては、上手くいかずに自爆しちゃうなんていう結果なんだろう。そういうものだ、恋ってやつは。