ドラァグクイーンの憂鬱 02
 結局あの後、大志が戻ってくることはなかった。
 携帯に連絡しても通じない、大学に戻ってくる気配もない。雅もそこまで悪人ではないだろうが、あまりのしつこさとうざったさに辟易してぼこったり消したりしていないだろうか。そんな不安が秋平を襲った。
 もの凄く心配している訳ではないが、ほんの少しちょっぴり一摘み分程度だけ気に掛かってしまったのだ。これは性だ、仕様がない。
 秋平は大学の授業をきちんと受け終えてから、大志の自宅へと急いで確認をしに行った。
 大志のことだ、どうせ家で寝ているというオチなのだとわかっている。わかっているけれど、それを目で確かめたい。
 いつも通り無用心な大志は部屋の鍵を開きっぱなしにしていた。秋平は慣れた様子で呼び鈴を押すこともなく中へと入ると、周囲を見渡す。視界に入るのは案の定万年床に丸まるようにして寝ている大志だった。
 秋平が呆れたのは言うまでもない。
「……やっぱこういうオチかよ……。おい、起きろ! 馬鹿大志!」
「ううん……眠い〜です〜」
「眠いじゃねーよ! んの馬鹿!」
 いやいやと駄々を捏ねる大志の頭を容赦なく叩くと、秋平は布団を引き剥がすようにべりっと奪い去り、ことのあらすじを問い質した。
 結果はこうだ。雅に上手いこと撒かれてしまった大志は大学に戻るのが面倒だった。二日酔いの身体で走り回った所為か、異常に気持ち悪くなり吐きそうになったので自宅に戻って寝てしまった。そして今に至る、と。
 明日からは真面目に行くから、という常套句を口にする大志を秋平は初めて見捨てたくなった瞬間でもあった。
 余程しんどいのかそれともただ単に面倒なだけなのか、バイトすらも休むと言い出した大志を秋平は容赦などする訳もなく無理に引っ張って出勤させた。のだが、使いものにすらならない大志はカウンターにギャルソン姿のままで座ると秋平にカクテルをオーダーした。
「秋平くうん、オーダーお願いしま〜す! ジントニックで! あ、もっち薄め」
「つーか仕事中だってわかってんの?」
「んーや、今日の大志くんは閉店! ガラガラ! もうね〜呑まないとやってられねー訳ですよ、仕事も」
「仕事してねえじゃん」
「ばっかだな〜秋平は。俺がここに座っていること自体が仕事じゃねーの。目の癒し? ってやつ? アイドルだから俺」
「それ言うなら目の保養な。つかお前見ても保養にも癒しにもならねえよ!」
 グラスを丁重にダスターで磨き上げ、大志のお喋りに付き合ってやる。平日ともあってか客入りは疎らで常連客ばかりだ。大志がカウンターに座っていても誰も文句など言わないし、寧ろ構っている節がある。
 馬鹿が取り得の大志は客受けが良いのでアイドルとまではいかないがそれなりに貢献はしているのかもしれない。
 オーナーも既に大志がさぼっていようと放置することにしているのか、秋平にカクテル作ってやれば? なんて言う始末だ。全くもって大志に甘い人が多い。だからこの馬鹿が付け上がるのだって何故誰も気付かないのだろう。
 その第一人者が己だと気付きもせず、秋平は酒好きの癖に下戸な大志にアルコール度数の低いカクテルを作ってやった。
「それ呑んだら仕事に戻れよ」
「ジントニックじゃない! もー秋平ったら仕事怠慢ですか〜? 仕方ねえから呑んでやりますけど〜あ、それより秋平、雅ちゃんのタイプってどんな男だと思う?」
「……好きな女じゃなくて?」
「俺結構いけてる路線だと思うんだけど! ほらやっぱりタイプってあるじゃん? 雅ちゃんストイックそうだし、なんかこう……漢! みてえなのが良かったりすんのかなっていうさ」
「知らねーよ。そもそもそんな知り合いじゃねえし。っていうかさ、まじで言ってんの」
「なにが?」
「ほんとに惚れちゃった訳? 相手男だろ? 顔は綺麗でもな、脱いだら俺らと同じもん付いてるし、見目だけじゃわかんねえとこだってあるんだぜ? ちゃんと考えてんの?」
 たった三口程度呑んだだけでほんのりと頬を赤くさせた大志は、目をとろりと溶けかからせている。相変わらず酒の弱さには驚かされるばかりだ。
 大志は秋平の質問をゆっくりと脳内で反芻させると、ああだのううだの唸ってグラスをぎゅっと握り締めた。
「可愛いは正義! ……だろ?」
 ドヤ顔である。意味もわからない。秋平は返事をすることもできずに無言でグラスを拭いた。
「雅ちゃんちょお綺麗だもんな〜やっべえよな〜あの顔は反則だぜな〜あんな可愛いのそうそういねえもんな!」
「……そうだな。もうなにも言わねえよ。精々頑張れ」
 いずれ飽きるだろう、大志も。振られ続ければ諦めるか興味が他に移るはずだ。それまでの辛抱だと思えば気も楽だ。少し煩くてうざいのさえ我慢すれば。ああでもどこか釈然といかない心境もある。
 一体どうなっているのだろう。考えたくもない。秋平は思考を放棄することにすると、仕事に打ち込んだ。だがその所為か一杯呑んでも仕事に復帰せずぐだぐだ管を巻くだけ巻いて潰れた大志の世話をすることになってしまった。本当に迷惑である。仕事をしろ、と言いたい。

 それからというものの、大志はストーカーよろしくというように雅を追っかけ回した。
 夜の方の雅は上手い具合に逃げ遂せているようだが、如何せん昼は同じ大学だ。逃げるといっても大学には必ずこなければいけないので逃げる場もなく、大志に発見されては追いかけられていた。
 最初は傍観していた秋平も口を挟みたくなってくるほどにしつこい。しつこ過ぎる。
 不登校というかさぼり癖で留年が近かった大志が恋一つで大学にくるようになったのだけは良いことなのだが、理由が理由だ。良いのか悪いのかさっぱりわからない。
 聞く耳持たずの大志は今日も今日とて秋平の忠告を聞き流すと、雅の姿を見るやいなやダッシュで走り去った。
「みっやびちゃ〜ん!」
 雅の薄い肩がびくりと強張る。おそるおそるといった形容詞が合う動作でゆっくり振り返った雅は、その硝子玉のような瞳に大志の姿を映すやいなや呆れを通り越して酷く迷惑そうな顔をした。
 だがそんな態度や冷たい言葉に大志はめげたりなどしない。良く言えばポジティブな大志は絶対零度の雅の空気なんてなんのその、横に並ぶと嬉しそうにぴょこぴょこと跳ねた。
 相変わらず完璧な雅には隙も抜け目もない。私服までハイセンスで、ステテコパンツでさえ上手に着こなせそうな雰囲気だ。まさに神々しいというのか神のようである。
 隣に並ぶのは相変わらずの大志の姿で、上下毛玉の付いたスウェットと寝癖の付いたままの髪。仮にも好きな人の前なんだからもう少しきちんとしろと注意したいのだが、残念ながらそれを注意できる人はここにいなかった。
「俺たちって赤い糸で結ばれてると思うんだけど〜? 雅ちゃんはどう思う? ってゆか、その服ちょお可愛いね」
 一方的な会話でも成り立っているのが怖い。返事どころか視線すら向けない雅の横で、ただ延々と喋り続ける大志。
 これでも随分と懐柔した方だ。最初は大志の姿を見るやいなや雅は直ぐどこかへと行方を眩ましていたのだから。隣に立って歩いているだけでもある意味奇跡ともいえた。
 大学の名物ともなった光景に好奇の視線が向けられる。注目されることに慣れた二人はそんな視線を浴びても気にしているところなんておくびにも出さない。ただ受け流すだけ。
 大志の口がいつも以上に饒舌になる。あまりに楽しそうにぺらぺらと口を動かし続ける姿になにかを思ったのか、雅は立ち止まると視線を落とした。
 10cmは差があろうかと思われる身長。モデルばりに高く、そして足の長い雅に対しそれなりの身長で普通体型の大志。丸くなった靴先が大志に向けられるのと同時に、大志にも視線が向けられた。
「……雅ちゃん?」
 形の良い唇が薄く開く。なにかを紡ごうとしていたが躊躇ったのか一度閉じて、また開くと息を吐くように声を出した。
「しつこい、いい加減」
「えええ! 雅ちゃん声もちょお綺麗! 想像通りってゆーかーねっ? へっへ〜え〜喋ってくれたのすっげえ嬉しいんだけど〜大志感激〜」
「……人の話聞いてるの」
「雅ちゃん、大志って呼んでみてよ。俺の名前なんだけど〜雅ちゃんに呼んでほしーな!」
「あんた……、頭可笑しいんじゃない……」
 すっきりとした眉頭が歪む。苛立っているのか理解に苦しんでいるのか、さらさらとした黒髪をくしゃりと握り締めるとああと嘆息も漏らした。何度か唇を噛むと深呼吸して、きっと大志を睨み付ける。
「あんた、確か三谷の連れだよね」
「え、秋平のこと知ってんの!? ちょおすっげ俺らまじ近くにいたんだね! まさに運命ってやつこれキタァアア」
「……ほんと碌な連れいないね、あいつも……。っていうかさ、あんたのやってることストーカーっていうの。わかってる?」
「立派な愛の伝道師です俺は!」
「意味わかって言ってんの……? あーもう、やっぱやめやめ。もう話しかけないでよ、ほんとにもう」
 神経質そうに眼鏡を中指で押し上げた雅は大袈裟に溜め息を吐いてみせると、また大志に背中を向けてすらこらと歩みを早めた。懲りずに後を追っかける大志だが、もう構ってくれる気配はなく無視された。
 振られても振られても、へこたれるどころか逆に燃え上がる。屈強な精神を持っていた、大志は。雅からしてみれば迷惑極まりない話だが。
 連日に寄るアタック活動もといストーカー行動が功を成したのか、あの日からというものの決して友好的ではないが会話が成り立つようになっていた。
 最も鬱陶しい大志のラブコールを悉く却下するだけのものだが、大志にしてみれば大きな進歩である。逃げ回っても大学に在学しているうちは無駄だと諦めたのか雅もそれなりに学習はしたようだ。
 構内の名物ともなりつつある今、大志に応援の声が掛かったり雅にも軽い声が掛かったりする。からかわれるのが心底嫌な雅は不機嫌を露にした表情で睨み付けてみるものの、横にいる大志の馬鹿っぽい行動で全てが無駄になってしまう。
 今日とて誰にも見つからないよう人気のない裏庭へとわざわざ足を運んだというのに、どこから嗅ぎ付けたのかお弁当を持った大志がにっこりと立っていたのである。ある意味恐怖だ。流石ストーカー。
「みっやびちゃ〜ん! お昼!? 俺もお昼ーっ!」
 硬直した足が逃げようと一歩を踏み込んだものの無駄な体力を消耗することすら馬鹿らしくて踏み止まってしまう。だけどこの馬鹿の相手をするのも二重の意味で苦痛だ。
 どうしようかと、そんな思考が脳内をぐるぐると駆け回っているうちにも大志は雅の隣に並ぶとにへらっと馬鹿面で笑った。
「雅ちゃんもお弁当? ま、まさか手作りだったりなんかしちゃって、……え!? も、もしかして俺のために……!」
「な訳ない」
「うっそー! ほんとに〜? 照れることないんだぜ?」
 調子に乗り出した大志を横目にベンチに座った雅は弁当を取り出した。手作りといっても手作りと言うのがおこがましいほどの出来だ。弁当箱に白飯を詰めてふりかけをふっただけのものなのだから。
 あまりこの弁当に対して突っ込まれるのも面倒だし、なんとなく人前で食べるのが嫌で隠れていたというのに大志は遠慮の欠片もない。
 大志も大志でお弁当を膝に置くとぱかりと蓋を開けた。中はそれなりに見栄えの良い弁当だったが肉が中心で、というより肉と白飯しかなかった。
「雅ちゃんそんだけしか食べねえの」
「作るの面倒だし口に入れるだけだからなんでも良い。安上がりにしようと思ったらこれしか思いつかなかった」
「えーなんかそういうとこ一般的じゃんね! 意外〜! でも良いね、ギャップ萌え〜」
「……あんたこそそれ手作り?」
「え? うん〜一人暮らしだし〜俺も節約っていうの? 秋平が無駄遣いするなって煩いしな〜ってゆかほんと給料だけじゃやってけねーからしゃあなしなんだけどさ〜」
「仕送りとか、ない訳」
「あ、俺両親いなくてさ〜大学だけは親戚のおっちゃんが行かせてやるって言ってくれたから行かせてもらってんだけど、流石に生活費とかもらえねーじゃん? だからバイトで生計立ててんの。っても大学もさぼりまくってるから留年近いんだよねーへっへ。やっべ〜ちょお申し訳〜」
 茶色くて味の濃そうな肉を箸で突き刺した大志はあっけらかんと笑いながらそう言うとそれを口の中に放り込んだ。
 もぐもぐと咀嚼する顔は別段美味しいという表情でもなく、見劣りはするものの雅同様口に入れられればなんでも良いといった様子だった。
 馬鹿で馬鹿でどうしようもない人間だと思っていたが、ほんの少し見直しても良いかもしれない。ふりかけしか掛かっていない白飯を見ながらそう思った雅であったが、絆されそうになっていることに気付いて慌てて首を横に振った。
 違う。そうじゃない。いくら大志がどんな目にあってどんな努力をしてどんな大変な道を歩んでいたとしても、それはまた別の話だ。現在進行形で付き纏われているのだ。それを迷惑だと感じているのだ。
 ゲイでもないのに、男が好きだと言った覚えもないのに、男に付き纏われるなんてなんたる悲劇なのだろう。
 生まれもって整い過ぎた顔に生まれたということだけで、他に特筆すべき点もなければ他人と全く同じのどこにでもいる平凡な人間なのだ。皆が勝手に神聖化して理想を押し付けるから他人と係わり合いたくなかった。
 雅のことを気にしているようでまるで気にしていない大志は、肉だらけの弁当を突きながらただただ一方的な会話を繰り返した。
「でも〜まじでこうやって飯食えてるの夢みてー」
「……別に普通でしょ」
「だって雅ちゃん直ぐいなくなるんだもん。だからさ〜こうやってるのすっげえ夢ってゆかね、ちょお緊張もの〜。心臓が死んじゃうううう」
「あんた、……俺をなんだと思ってるの」
 ワックスで動きを作った大志の髪がひこんと跳ねる。箸を舐ったまま行儀悪く雅を見上げた大志は質問の中に隠された真意になど気付きもしないのだろう。何度か瞼を瞬きさせるとううんと首を捻った。
「雅ちゃんじゃないの?」
「当たり前。……そうじゃなくって俺は別に、そんな」
 喉が痞えて、それ以上言葉を紡ぐことができなかった。一体なにを言おうとしていたのか、犬のように纏わりつかれた所為か少し情が移ってしまったらしい。
 誰とも係わり合いになどなりたくなかったのに、少し気を許してしまえばこの様だ。仕様もない。
 ぐ、っと不機嫌そうに唇を噛み締めた雅はふりかけの味しかしない白飯がいつも以上に旨味をなくしていっているような気がしてどうしようもなくなった。
「あ、ってゆーかね、俺ね、バーで働いてるってゆーか〜知ってる?」
「……知らないよ」
「実は雅ちゃんに出会ったのも仕事中でさ〜歌舞伎町歩いてたっしょ? すっげえオーラっつーの? なんつーのかな〜雅ちゃんが輝いて見えたってゆか、俺の隕石落ちてきて地球がどっばーんてさ、なっちった」
「……は、あ?」
「雅ちゃんもあっこらへんでバイトしてんの? それとも遊びにきてただけ? 今度うちの店にきてよ。サービスするからさ〜、秋平が」
「あんたほんと馬鹿。日本語喋ってくんない」
「うううううん、今日の雅ちゃんも可愛いっ! 怒った顔も素敵だぞっ」
「……、もう良い」
 調子に乗りまくった大志は甘辛く煮た肉を雅に押し付け、独りハイテンションでマシンガントークを繰り出した。それを聞き流しながらも時折相槌を打ってやりながら構っている雅も随分と絆されている。
 誰もいないからこそ、衆人の目がないからこそ、こうやって相手をしているのだ。そうじゃなきゃ完全無視に徹している。今だけが特別。暇潰し。そう心で唱えながらも、少しだけ穏やかな気持ちにもなれる。
 あまりにも大志が馬鹿過ぎるから、雅も普通の大学生なのだと教えてくれる。最も大学生には変わりないのだが夢を目標として私生活を犠牲にしているからこそ、そうそう感じられなかったことなのだ。
 特筆すべき点もなにもないどうしようもない馬鹿な大志と、完璧過ぎる見目を持った雅が和気藹々とまではいかないがそれなりに会話のキャッチボールをしていることを知ったら、きっと秋平辺りは驚くのだろう。
 大志のいないところで大志の心配ばかりしている秋平は、雅に構ってもらえて幸せを感じている大志が午後の授業を放棄することなど今はまだ知らない。
 こうして大志は確実に、留年への道を辿っていくのである。そんなお話ではないけれど。