秘密結社★アークモノー団 01
「うああ、仕事行きたくねえ……」
 電信柱に凭れ掛かって吐いた溜め息。燦々と照りつける太陽に晒されたスーツは社会人の証でもあり、無断欠勤など特例がない限りできもしなかった。
 草臥れた黒々しいスーツに身を包むのは雨乞 市(あまごい いち)。社会人四年目に突入したばかりの青年であった。
 職場での不満が募り転職しようと悩んで早三年。のらりくらりと悩みながらも働き続けて、気が付けば二十六歳。就職氷河期のこの昨今、手に職もない状態では新しい職場に踏み込むのにも躊躇われた。
 それになんだかんだ言って今の職場が性に合っているのか、会社でナンバーツーに上り詰めてしまい異例の出世をしていた。
 普通の職場ならば喜ぶべきことだろう。土日祝日は休みで、有休あり。ボーナスや給与だって申し分ない。残業は多いけれど、それでも他の職場からみれば天国のような待遇の良さだ。
 ナンバーツーということもあってか、下々に命令をするだけで良い場合もあるし、己の好きにすることだってできる。だけども転職を考えてしまうくらいには、全うな職業という訳にもいかなかった。
「……やべ、遅刻する」
 時計を見て、大袈裟に肩を落とす。雨乞は雲一つない晴れ渡る空とは違う鬱蒼とした気持ちを抱えて職場へと駆けて行くのであった。

 雨乞が働く会社は普通の会社とは異なる部分が多くあった。まず会社の入り口が森の中にあるということだ。
 陰気臭い森の奥に隠されたように建っている厳重な扉。そこに社員証を通すと重々しい音と共に鉄の扉が開く。そこから伸びるのは地下に続く階段。窓から漏れる光も全くない。雨乞の会社は全てが地下に隠されていた。
 カツカツと響く靴音、気持ちは下がる一方だ。今日さえ終われば明日は土曜日、休みである。今日一日の辛抱と耐えて、雨乞は幹部専用の扉に立つとその前で見張りをしている警備部に社員証を見せた。
「おはようございます」
「あ、イチ大佐おはようございます! 今日も格好良いですね!」
「はあ……」
 びしっと敬礼をされることにも、大佐と言われることにもいまいち慣れていない雨乞は朝からテンションの高い警備部に投げやりな言葉を掛けると、開いた扉に逃げるよう入っていった。
 全体的に別珍のような、そんな素材で造り上げられた幹部室はいかにもという雰囲気だ。配置だけなら普通の会社となんら変わりなどないが、それでも小物だとか置物だとか装飾がおどろおどろしく悪者っぽい様である。
 雨乞はこの部屋で上座にあたる一番派手で悪趣味な机に鞄を置くと、痛みを訴える眉間を揉むように押した。
 こういうところが、雨乞の気に食わないところであった。
 まず働く環境が悪い。もう少し明るい雰囲気で働きたいものの、こんなおどろおどろしいのでは元気も根こそぎ奪われる。そもそもこんな薄暗い部屋で書類やらPCを見つめていたら視力低下を辿る一方だ。
 優れない気分を抱えてスーツを脱ごうと肩を回した瞬間、背後に雨乞以上に陰鬱な空気をさせた男が立ちはだかった。
「イチ大佐、おはようございます。早く大佐服にお着替えになってください」
「あー……うん。着替える、けどよ……中佐、今日は現場じゃなかったっけ?」
「そうですよ。ですがイチ大佐の顔を見るまでは現場に行けないものですからね、ほら、早く着替えてください」
「わかってるっつの……あー、も、やだ」
 どこぞのコスプレ店員だと思わず突っ込みたくなるほどの黒と金と赤の衣装に身を包み、長い黒髪を頭上で一つ纏めにする中佐と呼ばれた男は、書類上雨乞の後輩であった。
 といっても歳は変わらない。同期であるが雨乞が出世をしたために後輩になったのである。
 そう、雨乞が働くこの会社、なにを隠そう秘密結社★アークモノー団と言い、悪の組織なのであった。
 なんでこんな会社で働くようになってしまったのか、それはすべて社会が悪かった。と思いたい。
 雨乞はごく普通の高校に通っていた。そして良くも悪くもない大学を出た。就職難と言われていたが、零細企業なら就職できるだろうと思っていた。
 しかし現実はそう上手くはいかない。社会は雨乞が思った以上に厳しく、内定ももらえないまま卒業証明書をもらってしまったのだ。
 新卒でプー太郎、ニート、無職。それは焦った。アルバイトをしながら面接を幾度も受けるが良い返事はもらえずに、どうしようかと公園で頭を抱えた。幾夜も公園で悩んだ。
 そんなときにスカウトされたのだ。アークモノー団に入社しませんか、と。
 まさに天からの恵みだと思った。このまま就職できずにいるよりかは、なんでも良いから就職したい。条件も給与も良かったからこそろくに説明も聞かないまま飛び付いた。美味しい話には裏があるだなんてこと、すっかり忘れていたのだ。
 そう、これこそが悪の組織秘密結社★アークモノー団に入ることになった経緯であった。
 コスプレをした男に囲まれながら世界征服を目指すと真面目な顔で言われた。逃げ出そうとしたけれど、元が小心者な所為かはっきりとした態度も取れぬまま既に四年が経ってしまったのである。
 真面目に頑張ってきたお陰かそれとも他が馬鹿なだけなのか、気が付けばナンバーツーで大佐と呼ばれ、正義のヒーローに要注意人物とされながら、アークモノー団からは慕われる。どうにもしようのない現状になっていた。
 しかし内情といえばほとんどを書類整理に費やし、現場は週に一ニ度。下っ端にはきらきらとした瞳で見つめられ、世界征服も悪の組織という割にはそこまで悪行でもない。可愛らしいものだ。
 なにより休みの多さと給与の良さ。それを考えたら、辞めるに辞められない。
 犯罪をしている訳ではないのだから、後ちょっと頑張ろう。そう思ってここまできて、雨乞はもうアークモノー団では欠かせない人物になっていた。
「イチ大佐? どうしたんです?」
「……なんでもねえ。ちょっと、考えごと、してた」
「そうですか。さ、どうぞ、大佐服です」
 手渡された大佐服。目の前の中佐より一層派手なそれは肩に無駄な飾りが付いており、長いマントでぴったりとした、そういかにも悪者ですといった衣装だった。
 悪の組織だからか、髪の毛は黒以外認められていない。それ故かこの組織全てが真っ黒だ。幹部も下っ端も。
「……仕方ねえよな。うん、これ仕事だし」
 嫌々ながら通した大佐服。精神が陰鬱なものから、獰猛なものへと変わっていくのがわかる。
 小心者でびびり、弱虫で泣き虫。そんな一面がある雨乞ではあるが、この大佐服を着るととても強くなった気がして自分が自分じゃなくなるようなそんな感覚を覚えていた。
 まさしく大佐の風格。うやうやとしていた目付きはすっと釣り上がり鋭いものへ変化する。ぼんやりと開かれていた口もきゅっと引き締まり、嫌味ったらしい笑みを浮かべた様は悪代官のようだ。黒々しいもったりした髪もさっと掻き上げて、ざっくばらんなワイルドさになる。
 高級そうな生地のマントをはためかせて仮面を被った雨乞は、先ほどまでうだうだと愚痴を巻いていた雨乞とは正反対に、物凄く悪そうで、物凄く格好の良い秘密結社★アークモノー団のイチ大佐へと大変身するのであった。
 余談ではあるが、これが出世の階段を昇るきっかけであった。
 大佐服を着ることによってオンオフのスイッチが入る雨乞は、普段とは別人のように仕事のときは雄々しくなる。それはもう下々のものが惚れるほどには男前になるのだ。
「イ、イチ大佐……麗しゅうございます……」
 うっとりと頬を染めて見上げてくる中佐の頬を張り倒し床にひれ伏せさせると、悪者らしい高笑いを浮かべて中佐の綺麗な顔に靴を近づけた。
「麗しゅう? なに当たり前のこと言ってんだ、あ? この私が! 美しくない日など! ないに決まってるだろうが!」
「イ、イチ大佐! 申し訳ございません! そんなつもりでは……!」
「中佐、私の気分は全て貴様次第だ」
 踏み付けるように頬をぐりぐりと靴裏で押し付けた。中佐は頬を紅潮させると息を荒くさせ雨乞の足に縋り付く。愛しいのだと、いうように。
「は、はい。イチ大佐、今日こそは必ず義神戦隊ギーレンジャーを滅してきます!」
「頼もしいな。貴様のその言葉、信じるぞ」
 口端を上げて笑った雨乞に、中佐は嬉々とした様子で頷くと身体を翻し颯爽と扉の奥に消えていった。
 今日の仕事は中佐がアークッカーと呼ばれるアークモノー団の隊員を連れて街で悪戯をして義神戦隊ギーレンジャーを呼び寄せる。そうしてまんまと罠に引っかかった義神戦隊ギーレンジャーを叩きのめす、という戦法だった。
 そう、建前だけなのだが。
「イチ大佐! 首領から大量に書類が送られてきたんですけど、どこに置いたら良いですか?」
「ああ、私の机に置いておけ。直ぐに片付ける」
「今日はどんな戦いになるんでしょうね〜。マンネリにならないよう気を付けないといけませんね」
「そうだな。新しい技や武器の開発は上手くいっているか?」
「はい! 抜かりはありません! 義神戦隊ギーレンジャーばっかり人気出ても困りますからね」
「仕様がないだろう。飽く迄私たちは悪者だ。嫌われるのも仕事のうちだろう。それに悪に恐怖がないと、悪ではないからな」
「でもネットでの調査によると、大佐が格好良いといってアークモノー団も結構人気があるんですよ。グッズとかたくさん出ると良いんですけどね。あ、じゃあ僕まだ仕事があるんで頑張ってください」
 人の良い笑みを浮かべた雨乞の世話役兼内勤のアークッカーはてくてくと歩いてきた道を戻ると、物々しい扉の向こうに消えていった。
 窓もないこの幹部室に残されたのは大量の書類と雨乞だけ。たまたまなのか幹部全員が払っている今、この書類を片付けることができるのは雨乞しかいない。
 しかしどちらかといえば内勤の方が好きな雨乞にとっては、好都合でもあった。
「ふん、……仕方ねえからやるか」
 重鎮さを感じさせる椅子に座り、判子を手に書類を一枚取る。こうして雨乞の大佐としての一日が始まるのであった。

 人生を賭けての大芝居だ。これはそう、芝居に近い。世界、いや日本中を巻き込んだ。
 秘密結社★アークモノー団と義神戦隊ギーレンジャーの仁義なき勝負のつかない戦いなのである。
 アークモノー団は絶対に義神戦隊ギーレンジャーに勝ってはいけない。義神戦隊ギーレンジャーは絶対にアークモノー団を滅してはいけない。
 最初から決まっていたルールを守りながら、日本をというより東京の一部を舞台に日夜戦い続ける。誰が始めたのか、終わりのない戦いはそれでも日本を刺激する重要な役割になっているのだ。
 義神戦隊ギーレンジャーは子供たちの憧れになり、目指すものとなる。その裏では商品化だとかの大人の事情もあるが。
 アークモノー団はそれに反し義神戦隊ギーレンジャーを盛り上げる役、といったところだ。悪があるからこそ正義もある。より正義だと知らしめるために日陰のものとして支え続ける。
 とはいってもアークモノー団と義神戦隊ギーレンジャーが仲良しかと聞かれれば、答えは否だろう。
 お互いに芝居だとわかっていても本気になってしまうものだ。特に中佐などは本気で雨乞に倒錯して日夜頑張っているし、義神戦隊ギーレンジャーもいかにこてんぱにするかで研究を欠かさないらしい。
 決して潰し合うことはないが、妙なライバル心が生まれて仲が拗れてしまったのである。
 それでもお互いに本名も知らなければ趣味も知らないし、素顔でさえ知らないのだから、噂の中で誹謗するといった程度なのだ。もしかしたら友達が義神戦隊ギーレンジャーかもしれないという、そんなスリルもある。まあないだろうけれど。
 こうして雨乞はいつの間にかなんとなく、そんな日々を過ごしながらアークモノー団の大佐として奮闘していたのだ。もちろん目下転職は考えているし、隙あらば普通の会社に勤めたいとも思っている。
 だって待遇は良いといえども悪の組織だ。義神戦隊ギーレンジャーでもそうだが、ここに就職しているということは機密事項なので誰にも言えないことなのだ。
 愚痴も満足に言えず、親にすら言えない就職先。年齢は二十六歳。そろそろ、な時期だ。いつまでこの会社が持つのだろうかという不安を抱えて雨乞は大量の書類の中、大佐に似合わない溜め息を吐くのであった。

 おどろおどろしいチャイムの音が幹部室に響く。内勤のアークッカーが顔を上げたのと同時に雨乞も大きく伸びをした。
「あー疲れた。おい、この書類全部に判子押したぞ」
「お疲れ様です。明日からやっと休みですね」
「ああ、貴様も休みか?」
「はい休みです。今日ちょっと残業したら土日に仕事やらなくて済むんで。大佐は残業なしですか?」
「ああ、ねえな。あ、でも週明けに新企画の会議あるんだっけ……」
 壁にかけられたカレンダーを見て呟いた。週明けの月曜日に、月に一回の新企画の会議がある。
 今の社会、大人も子供も存外シビアな生き物だ。同じような戦いや武器、登場の仕方などをしていたら飽きられてしまう上に批評までされてしまうのだ。
 そうならないためにも毎月新しいなにかを企画して、戦闘において増やしたり改良したりしている。今月の企画はイチ大佐の登場の仕方について、だったような気がする。
 己の登場シーンということもあってか少なからず適当でも良いから案を出さねばならないのだ。まあ適当で良いということで、そこまで真剣に考えなくても良い。企画部というものがあるのだから。
 引き出しに仕舞い込んだ登場シーンのラフ画を取り出し眺める雨乞に近寄ってきた内勤のアークッカーは、まじまじとそれを覗き込むと思い出したと言わんばかりに手を叩いた。
「そういえば来週のイチ大佐の現場は義神戦隊ギーレンジャーのレッドとの対決ですね。因縁の対決とあってか、凄く注目浴びてるんですよ。なんせ半年振りですからねえ」
「レッド、か……最近現場っつっても、戦闘じゃねえしなあ」
「そりゃ大佐なんですからほいほい戦闘してもらったら困りますよ。たまにだから価値があるっていって盛り上がるんですよね〜」
「ほお、じゃあそのときに新企画披露ってか」
「そうみたいですね。それと一緒にグッズも発売されるみたいですよ。アークモノー団も一躍人気になれると良いですね。でも大佐はイケメンで人気あるからグッズも売り上げ良いんですけどね〜。ネットでの調査では中佐との絡みが増えるとファンが喜ぶ傾向にありますね」
 いきなり内勤のアークッカーがそう言ったかと思えば、些か理解しがたい言葉を並べ始めた。
「意図的に狙ってみたらどうですか? ちなみに俺様大佐攻め×崇拝中佐受けが七割で鬼畜中佐攻め×強気大佐受けが三割なので格好良い路線狙ったら当たるんじゃないでしょうか」
「……良くわかんねえけど、取り敢えず中佐といれば良いのか?」
「はい。今度の現場中佐も連れてったらどうでしょう。首領と営業部に掛け合ってみますね。また結果出たらネットで調査しておくので、報告します!」
「……つーかそれも内勤の仕事なのか?」
「いえ〜僕の趣味ですよ。内勤たって書類整理とか、部同士の連絡とか、大佐のお世話とかしかすることないんで」
 ははは、と人好きする笑みを浮かべた内勤のアークッカーは雨乞の机に積み上げられている書類を手に取るとお辞儀をして去っていった。
 時計の針は五時十五分、勤務は終わっている。雨乞はごきり、と肩を慣らすと肩こりの原因にもなる重苦しいマントを脱ぎ去った。
「……呑みに行こうかな。今日は」
 金曜日の夜は呑むに限る。お酒は強くないが、それでも金曜日の夜に居酒屋でお酒を呑むということに意味があるのだ。なんとなくサラリーマンをしているような気にさせてくれるのには十分だったから。
 こうして雨乞は中佐が帰ってくる前に重々しい大佐服を全て脱ぎ去り、普段の黒い草臥れたスーツに着替えると颯爽と会社を後にしたのであった。