「お久しぶりですね、商人。貴方の噂は遠路遥々東洋にまで広がっているそうじゃありませんか。さぞかし大忙しなのでしょう。それでもどこかに腰を据える気はないのですか? 捜すのに一苦労しましたわ」
「公爵夫人、相変わらずお美しいままお変わりがないようで。いやはや私はこれでも隠れてやっている身、居場所が露見しては困る商売なのは貴方様が一番わかっておいででしょう? 私を呼びつけることができるものにしか、商品をお渡しするつもりはございません」
「おほほ、相変わらず口先ばかり達者ですね。ますます気に入りました」
時は中世ヨーロッパ、公爵の称号をもつ貴族の夫人の元に宝石商人は訪れていた。世界を転々としながら宝石を売っている宝石商人には拠点というものが存在しない。危ない橋を渡っている故に雲隠れしているというのに、一体どうやって居場所を特定し連絡を寄越してきたというのか。そこはかとない恐ろしさを感じてしまう。
目前でにこにこと優雅に微笑む公爵夫人の正体に薄々気付いているが故に、大きくもでられない。見目だけならばどこにでもいる貴婦人と片付けられるのだが、そうではないから困ったものだ。
公爵夫人と会談するのはこれで三度目。風の噂で聞いた宝石商人のことが気になったらしく、こうして呼び寄せられたのだ。今思えば初見のときから、彼女の怪しさは随所に出ていた。
宝石商人も人ならざるものを扱っている身として普通の人間とは異なる性質をもっているのだが、公爵夫人はその人ならざる身そのものなのだ。特に美しくもない顔が、胸元に飾られているダイアモンドで引き立って傾国の美女に変えられる。
じりじりと責められるような視線に射抜かれて、宝石商人はとうとう根をあげた。小競り合いは苦手である。
「今回も光り輝く宝石ではなく、存在する宝石をお求めですかな? 夫人、貴方様の宝石箱に誰を所望とされますか」
扇がばさり、と広がる。孔雀の羽をあしらったそれは目に毒だ。けばけばしくあるものの不思議なもので、公爵夫人がもつだけでどこか中和されていく。それも胸元の宝石が一因しているのだろう。宝石商人同様に宝石の扱いに長けた公爵夫人は、誰よりも宝石の使い方を熟知していた。
「いいえ。わざわざ呼びつけたのは、宝石を買い求めるためではありません。商人、私の宝石箱のお話は覚えておいでですか?」
「ええ、もちろん。存在する宝石が暮らす宝石箱の話でしょう。以前私がお譲りしたトパーズの様子は如何ですかな」
「ご心配なく。幸せそうに暮らしていますよ。商人、私は存在する宝石を集め、生かす術をもっています。ですが世の中にそれが知られると厄介な時もあります。……それにメンテナンスだって、大変なのです」
「……ははあ、まさか夫人、ご冗談を」
「いえいえ、本気ですのよ。商人とて見たこともない存在する宝石を目にする良い機会なのではなくて? 頼めるのは貴方しかいないのです。どうか商人、私のお願いを聞いてくださいませんか。もちろん無償とは言いません。財宝なり地位なり、名誉なり……宝石なり、貴方の好きなものを差し上げましょう」
孤を描いた公爵夫人の唇に、宝石商人は負けを確信した。もとより断れる術もない。どうしてだか初見から宝石商人は公爵夫人に滅法弱かった。
期間は一ヶ月。南海諸国に宝石を買いつけにいく公爵夫人に代わって、留守の間だけ公爵夫人の宝石箱の番人を仰せつかった。中身が存在ある宝石なために、迂闊に事情を知らぬものに託すことができないのだ。それをわかっているから、宝石商人も断れなかった。
本音をいえば興味もある。宝石商人を営んでいるくらいだ、宝石が大好きだ。触れたことのない宝石を手にできるこれとないチャンス。メンテナンスまでできるとなれば、宝石商人としての腕も鳴る。
「ああ、言い忘れてましたわ。アンバーの様子が少し可笑しいのです。あの子はもとよりどの宝石よりも脆い。よりいっそう気にかけてやってくださいまし」
はい、では、さようなら。言うなり部屋のベルを鳴らし、公爵夫人はあっという間に退室した。描いたシナリオ通りにすべてことが運んだのだろう。やはり末恐ろしい存在だ。給仕に生活のあり方の説明を受けながら、宝石商人は宝石箱が保管されてある部屋に移動した。
嗚呼、これこそが宝石たちの世界。人が入ることを許されていない、絢爛豪華な夢物語。儚く美しく、幻想的で非現実。
さあさあ、箱を開ければ別世界。宝石たちの世界を少しだけお見せいたしましょう。
*
蓋を開ければ、そこは絢爛豪華な宝石箱の世界が広がっていた。宝石たちが暮らす狭い世界、一国のようでもある。
南に外へと繋がる大きな門を構え、その先には緑美しい森が広がる。宝石が団欒する中央の広場から向かって東にあるのが透明度の高い下級宝石の塔、西にあるのが透明度のない下級宝石の塔だった。北には東と西の塔に繋がる、城郭で覆われた強大な建物が建ち聳えていた。これこそが高級宝石が住まう城。
公爵夫人が所有する宝石箱は一件変哲のないものに見えて、その実隠された秘密があった。それこそが “存在する宝石”。知る人ぞ知る隠語を指し示すそれは、人と同じように生きている宝石を意味していた。
本来宝石とは人を飾り立てる鉱物でしかない。だが時折長い時間を経て、露命を宿してしまった宝石がいる。そんな宝石を集め、然るべき場所へ届けるのが宝石商人の仕事であり、公爵夫人はその存在する宝石を保護する宝石マスターであった。
人と同じように生活をする宝石箱に存在する宝石をしまい、観察するのが公爵夫人のなによりの楽しみ。初めはひとつだった宝石も時間とともにふたつみっつに増え、質素だった造りも豪華絢爛なものへと変わっていき今や一国を築きあげてしまった。
しかしなかなかどうして、宝石世界もシビアである。人と同じように、階級がある。宝石には様々な種類がいた。
透明度が高い下級宝石にはトパーズ、アメジスト、ガーネット、アクアマリンなどがおり、透明度のない下級宝石にはキャッツアイ、翡翠、珊瑚など。高級宝石はダイアモンドを筆頭にパール、オパール、サファイア、ルビーなどがいた。北の塔に関してだけ透明度は関係がない。
宝石箱の中は三分化していた。東と西の仲が悪いことはさることながら、北が東と西を極端に見下し、同じ宝石箱に住んでいるというのに係わり合いすらもとうとしない。
そんな閉鎖的な世界で逞しく生きる世渡り上手な宝石がいた。今回はその宝石が主人公である。
「アメジスト、もう帰るの?」
ベッドのシーツが波を打つ。艶めかしい息を吐いて足を投げ出したアクアマリンは、しどけない格好のまま水差しを掴んで飲み干した。直ぐ後ろでは組んず解れつ絡み合っている宝石がいるというのに暢気なものだ。
アメジストは身体を伝う汗を布で拭うと、髪をさらりと流した。
「馬鹿じゃん。何時間ヤってると思ってんの。もう俺限界。あんたほんと絶倫だよな。性欲馬鹿直した方が良いんじゃない」
「は〜? アメジストだって大概じゃん。ビッチだって自覚あるんでしょ?」
「あんたには負けるよ。ほんと好きものだね」
先ほどまで散々セックスをしていた所為か、身体が妙にかったるい。アメジストは無駄に豪華な装飾品で飾り立てられているソファに腰をおろすと、水煙管を引き寄せて口をつけた。
ここは北の城にあるエメラルドの一室である。色情魔として名高いエメラルドは以前からサファイアに恋をしていたのだが、サファイアにこっぴどく振られてからというものの輪をかけて色事にのめり込むようになった。
アメジストとアクアマリンは東の塔の住人だ。北の城は北の住民の許可がないと足を踏み入れることができない上に、中へ入れたとしても許容される範囲はほんの一部でしかない。
東の住人である二人がどうしてここにいるのか、答えは簡単。かねてよりエメラルドの性の相手をしていたからだ。
宝石箱とは美しいのは名だけで、蓋を開ければ爛れた世界だ。閉鎖的で変化がない空間に飽きた宝石たちは、気持ち良いことにのめり込むようになった。もちろん性に興味をもたず、普通に暮らしているものもいる。
東の塔きっての快楽主義者であるアメジストとアクアマリンは、見目だけならば北の城の住民と並ぶほどに美しく、派手であった。それが北の城の住民の性をそそったのだろう。
「はあ、疲れた。いっぱいヤったし眠りたいな」
下品な言葉を吐くのはアメジストで、男役女役どちらもこなすが挿入は許可しておらず、オーラルセックスを好みとしている。
長い睫が上下に瞬く。漆黒に近い深紫の艶めく髪に、薄紫の透き通った瞳、薄づきの唇は桃色に染まって、中性的な顔立ちは美少年そのものである。ユニセックスの空気をもつ彼は、しなやかな体躯を惜しげもなく晒すと大きく伸びをした。
「でも僕も疲れた〜! そっち行っても良い?」
ふわふわの金糸を揺らして笑ったのはアクアマリンだ。女役のみで挿入ありのセックス依存症、睡眠よりもなによりも性欲を優先する気違いともいえる。薄水の瞳が光によってきらきらと輝き、女のような愛らしい顔作りと少年特有のあどけない肉付きが特徴的の宝石だった。
二人はその実大の仲良しで、今のようにセックスの場ですら共有することが多い。特にエメラルドとのセックスは複数プレイが主なので、途中で抜けたり参加したりすることもできるくらいには開放的で刺激的でもあった。
「アメジストはこの後どうするの? 帰る?」
「帰る、ねえ」
床に脱ぎ捨てられた衣服を、足先を伸ばして手繰り寄せた。しわくちゃになってしまったが着られないこともない。
「帰ったところでなんもすることないよね〜」
「トパーズは? 最近面倒見てるそうじゃん。あれ、可愛いよね」
「駄目! トパーズに手出したら本気で怒るから!」
「出さねえよ。だってあれ、サファイアのでしょ? 俺殺されるって、ほんと」
「ほんとにね〜でも二人見てたら羨ましくもなるんだよね〜。僕にも春がこないかな」
「春がきたって一人に絞れないんじゃ、意味ねえよ」
アクアマリンに言った言葉が、自分に言い聞かせているように聞こえて自嘲した。この世界じゃ叶えるのも一苦労なこと。
脳裏に過ぎった姿に慌てて否定をかける。そういうのじゃない。彼は、そういう視線で穢して良いようなものじゃない。
アメジストは伸びた足を見て、折り曲げた。傷一つないしなやかで白い足を、美しいと褒めて舐めてくれた人はたくさんいた。踏んでほしいとか、蹴ってほしいとか、もしくは折ってしまいたいなんて。
ある意味狂気染みた世界でもある。セックスするだけで殺戮を体感できるなんて、ここくらいのものじゃなかろうか。
アメジストは皺になった衣服を手で引き上げると、のっそりとした動作で着衣し始める。吸っていた水煙管はアクアマリンに押しつけた。
「げえ、ほんとアメジストの服だっさ〜い」
「これがないと外歩けないんだから仕方ないだろ。今は太陽も昇ってるし」
「まだ日中? うっそお、何時間セックスしてたの?」
「だからあんたはもうちょっと外に出たら? 最近はそのトパーズの世話でも忙しいんでしょ? 嘗てのセックスの相手が本気になった相手の世話ってのも変な話だけどな」
「良いの! サファイアには気持ち良い思いさせてもらったし、トパーズ可愛いし〜僕幸せだし〜」
漆黒の衣服を見に纏う。足先から爪先まで、黒に覆われたアメジストは一見しなくとも怪しさで満点だった。二人の背後の大きなベッドで未だ絡み合っていたエメラルドを筆頭とする宝石たちも、セックスを中断してアメジストに視線を送る。
「なに。あんまじろじろ見ないでくんない」
顔すら黒い布で覆われたアメジストの美貌は今やどこに。黒魔導師のような出で立ちに、婀娜っぽい声音でエメラルドが笑った。
「いつ見ても気持ち悪いね、それ」
「……煩いな、あんたもうセックスだけしてろよ。ったく、じゃあ俺は帰るから。エメラルド、あんたとは暫くヤんないからね!」
きゃあ、うふふ、なんて馬鹿らしい喘ぎ声がエメラルドの下から聞こえる。アクアマリンは手を振ってソファに寝そべると、大欠伸を零した。本当に排他的な空間だ。
アメジストは笑われた格好のまま外に出ると、真上に昇る太陽を睨みつけた。
(くっそう、月光浴なら大歓迎なんだけどな……)
ヤり過ぎてしまったアメジストにも原因がある。渋々と日陰を歩くと、逃げるようにして北の塔から立ち去った。
いくらエメラルドの許可を得て中へと入っているといっても、全員に好かれている立場な訳ではない。高級宝石は基本性にだらしないものが多いが、プライドも総じて高い。少しのことで妬みを受け虐げられることだってある。
これが美しくのない面であったのなら、蔑まれて指を差されて笑われるだけだろう。しかしアメジストは下級宝石といっても水晶変色種の中では、随一の美しさと高級さを誇っていた。
現に妬みを受けたのは一度や二度だけではない。ルビーのように偏見をもたず正義を主張してくれるものならば助けてくれるものの、基本は見て見ぬ振りだ。
ぎらぎら輝く美しい光の視線が、アメジストは好きになれない。殺人光線、それにしかならないから。アメジストにとって焦がれた太陽は、身を焼き尽くす業火にしかなれぬもの。
恨めしい気持ちを抱えたまま、石畳の廊下を急いで駆けた。
北の城の前の広場は北の住民の所有地ではあったが、宝石箱の住民ならば出入りが可能な共有場所である。だが矜持が高く嫌味な北の住民に、進んで関わりたいと思う下級宝石もあまりいない。よって意味のない場所にもなっている。
アメジストは未だ動けずに、広場に植えられてある木陰で膝を折っている状態だった。
あまりにも紫外線が強く日陰がないので、ここから動けないのだ。全身黒で覆っていたとしても、ここまで酷いのであれば意味もない。
実のところアメジストは太陽光と相性がかなり悪く、浴びれば浴びるほどに毒を齎されていた。
(……エメラルドのところに戻るのは嫌だしな)
太陽の下で伸び伸びと談笑をしている美しい宝石が目に映る。今の格好が随分と薄汚れているために、出るにも出にくい。
なにも好きでこんな格好をしているのではない。皆にとって日光浴とは宝石としての価値を高める浄化になるのだが、アメジストにとっては劣化にしかならない。強過ぎる光が肌を焼き、色を退化させ、宝石としての価値を消し去ってしまうのだ。いわば死の光線といっても間違いではなかった。
だからアメジストは基本日中は睡眠を貪って太陽が沈んだ月下に動き出すのだが、セックスに没頭してしまえば時間を気にしなくなってしまうがために今回のようなことが多々あった。
本来ならばエメラルドの部屋なりで時間を過ごすのだが、今日ばかりはどうしても外に出なければいけない理由があった。身を挺してでも、瞳に焼きつけたい景色があったのだ。
(ここからじゃ見えないし……ああ、もう)
意を決し、一歩を踏み出した。目指すのは中央広場にある噴水の近く。あそこならばアメジストの隠れる場所も多くある。
じりじりと肌を焼き尽くす太陽に喘ぎながら、走った。息が途切れる。それでも足を止めずに向かって、直ぐ日陰へと逃げ込むと視線を一点へと向けた。少し遅かったか。いや、丁度ぐらいかもしれない。
わいわいといつも以上に空気が蜜を含んでいる。蕩けるような甘い雰囲気は、わらわらと群がりをみせている宝石の真ん中で遊惰に笑う宝石から発せられていた。
「ああ〜ん、ほんと美しいよね〜」
「ほんとほんと! 目の保養になる〜」
目をハートにして両手を握って騒いでいる宝石の視線の先も、アメジストと同じだ。皆一様に中央を見つめると感嘆の声をあげるばかり。
今日は月に一度、北の城にある別塔からとある宝石が下城してくる日であった。普段はその姿を隠すように別塔に引き篭もって、宝石と会うことをほとんどしないと聞く。交友関係も少ないらしく、北の城でも見かけるのがレアだとか。
ある意味究極に閉鎖的な宝石であったが、その圧倒的存在感と美しさ、そうして神秘さに誰からも一目置かれていた。
「アンバー様になら、抱かれても良い!」
「駄目だよ。アンバー様はそういうの嫌いって言うじゃない」
潔癖症で、神経質、宝石嫌いで無関心。それではいけないと、月に一度だけ中央に集って宝石と触れ合うことを義務づけられた異質の宝石、それがアンバーであった。
この宝石箱で唯一の鉱物ではない、宝石。そう彼は気が遠くなるほど時間をかけて、ゆっくりと作り上げられた樹脂からなる宝石だったのだ。
硬度が弱く、非常に脆い彼はそのもの通り繊細で儚げだ。吸い込まれそうなほどの琥珀は純度が百で、混じり気さえない。アンバーは琥珀の中でも随一を誇る美しさと神秘さ、そうして絢爛さを兼ね備えていた。
高級でもなければ鉱物でもない不思議な存在。故に扱いに困った宝石は、彼に別塔を与えた。腫れもの扱いだった入城当初の様子はどこへやら、今ではきゃあきゃあと騒がれるほどまで地位を確立している。
アンバーはこの宝石箱で、ある意味ダイアモンドよりも位の高い宝石だった。