黄みがかった蜂蜜色の長い髪に、琥珀色の瞳。彫刻のような顔の造形は作り物めいていて、呼吸をしているのが違和感すらある。男とも女ともつかない空気は、彼に良く似合っていた。
アメジストのような中性的なものではない。アンバーは無性さを匂わせるほどに、神々しい存在だったのだ。
瞬きをすれば星が翔るようで、銀河を詰め込んだ瞳は吸い込まれそうに光る。色の白い肌は透明さを広げると、凛とした声は心に沈んでいくようだった。アンバーがもつ空気というのか輝きというのか、そこに立っているだけでもうすべてを浚われてしまうような衝撃すらある。
アメジストの背筋に雷が走る。射抜かれた心臓は高鳴りを増して、悦に塗れた面容で胸元を握りしめた。
「アン、バー……」
思わず感じ入った声が零れた。アメジストは黒の上からじりじりと焼く太陽光さえ気にならないほどに、見惚れてしまっていた。
太陽の光を全身に浴びて更に輝くアンバーに、どうしようもなく懸想している。まるで太陽の化身ではないか。アメジストが憧れてやまない空にある太陽そのものである。
焦がれても、触れるどころか見ることもできない。降り注ぐ恩恵のぬくもりは、アメジストにとって皮膚を焼くだけのものにしかならないのだから。それでもと乞うてしまうのは、きっと太陽が美し過ぎるから。
(気にすることもなく全身で太陽の光を浴びて、駆けまわって、昼寝できたら良いのに……なんてらしくないな、俺も)
一生縁がない話だ。ああいう風に好意を全面に表して話しかけることもできない。あの広場に行くことすらできないアメジストにとっては、こうして見ていることが関の山だ。
きらきらと輝く世界には、遠く及ばない。アメジストは砂利を鳴らすと、足元に視線を落とした。
帰ろう。世界が違う。一目見られただけでも良い。これでまた来月まで生きていける。網膜に焼きつけた金に想いを馳せて、過ごしていける。
木に寄りかかってアメジストは後ろへ顔を向けた。視界から除くように身体の向きを急激に変えたのが仇となったのか、それとも予想以上に強い太陽光が日陰ですら凌ぐほどに影響を齎したのか、アメジストの足元がぐらりと歪んだ。
やばい、と思った時点で既に遅かった。アメジストは激しい目眩に襲われるとその場に膝をついて倒れこんでしまった。
むわりとした熱気と世界を照らす太陽に、許容を超えてしまったのだろう。アメジストはぼやけていく視界にどうすることもできず、砂利に爪を立てた。苦しい、息が、苦しい。
どうせなら最後にもう一度だけアンバーの姿を見たかった。閉じた瞼には暗闇しか映らずに、アメジストは意識を飛ばしてしまった。
はちはちと、睫が上下する。ぐわんと鳴る頭は思った以上に太陽の光を吸収したからだろう。月光欲で活力を湧かすアメジストにとって、反する力は毒にしかならない。
指先ひとつすら動かすのが億劫だ。やたらときらきら目に眩しい部屋に、次いで違和が募った。
(ここは、どこだ……?)
ぐるりと視線を巡らせる。見たこともない部屋の内装にアメジストは不安を覚えた。世渡り上手と称されるだけあってそれなりに人付き合いが上手く、初見でも物怖じしないし臨機応変に対応できる術をもっている。
だが知りもしない場所に放り込まれたとなっては話は別だ。なにがどうなってここにいるのか、それすらわからないのでは対処の仕様もない。
アメジストは鉛のような身体を起こすと、身形を見て再び驚いた。黒魔導師のような衣服が脱がされている。どこへ捨て置かれたのか、肌触りの良いローブを着せられていた。
「ますますわかんないんだけど……」
取り敢えずどうにかするのが先だ。ベッドからおりようと、足元を床につけた。幾何学模様に縫われたカーペットは、品の良い感じを浮き上がらせている。よくよく目を凝らして辺りを見れば壁紙も雑貨も家具も、すべてに統一感があった。豪華なのは前提として、上品というのか見慣れないというのか、とにもかくにも選んだ人の個性がよりよくでている。
きっとこの部屋の住民は内向的で神経質、儚くて清廉な人に違いない。そう、アメジストが焦がれてやまない人物のような、いやアメジストが焦がれてやまない人とまったく同じような。
「あら、気がついたの」
しゃらり、と鈴の音がした。アメジストは声がした方向を向いて、驚きのあまり息を止めてしまった。だって、どうして、そこにはまさかの当人アンバーがいたのだ。
返事をすることもできず、ただただ見上げるアメジストになにを思ったのだろう。絹のような髪を後ろに流したアンバーは、病的なほど白い肌を惜しげもなく晒すと困ったように眉をさげた。アメジストの存在に戸惑っているのだろう。
だがしかし、一番困惑しているのはアメジストだ。太陽光に焦がされ倒れたと思えば、ずっと懸想していた相手の部屋にいる。なにがなんだかさっぱりとわからない。
言葉すら紡げないままアンバーを見つめるアメジストにアンバーは火の消えた香に再び火を灯すと、ふわりとあがる煙を見届けてから落ち着いたように視線を寄越した。
「なにも覚えていないの?」
「た、倒れたところまでは……」
「そう、そのあとね、空気がわって沸いたのよ。日陰といっても目立つでしょう? ただでさえ扱いが難しいあなたの属性を、皆あまり知らなかったのね。日光浴が苦手な宝石なんてここでは珍しいから対処の方法もわからないって言い出して、どうしようって話になったのよ」
はあ、と溜め息を交えてアンバーは言葉を選んで紡ぐ。どうやら随分と疲弊したのか、思い出しては苦渋の表情を露にさせていた。
「私は随分と自由にさせてもらっていたから。北の塔にひとりだけの別塔だなんて、贅沢だものね。まあ月に一度の不自由を強いられてもそれくらいならって、ああでもね、とにかくあなたの身柄の預かりが私になったのよ。宝石の扱いに長けているからっていう理由でね。そんなもの日の当たらない場所で寝かせておけば良いって言ったのだけれど……」
「え、えと、つまり、アンバーが助けてくれたってこと?」
「……ここまで運んだのはルビーよ。私、そんな体力ないから。まあルビーはなんだかんだいって面倒見が良いわよね。だったらルビーが見れば良いのに」
とげとげの言葉に、アメジストはぐっと唇を噛んだ。大勢の中のひとりに過ぎないとわかっていても、こうまであからさまにされるのは少し心が痛む。
なんだか気の乗らないはっきりとしない物言いに、流石のアメジストでもアンバーの心中が嫌というほどわかってしまった。もとより他人との接触を極端に嫌うアンバーのことだ、自分のテリトリーに誰かがいることが嫌で嫌で仕方がないのだろう。
月に一度降りてくる約束というのは、裏を返せば義務づけしなければ降りてくることすらしないということなのだから。
アメジストはシーツを握りしめると、打算的な考えを頭に巡らせた。
「……もう、平気でしょう?」
寄せられた眉が、物語る。扇で顔を隠すさまから推測するに、潔癖でもあるアンバーはアメジストの噂を知っている。どれほどこの身が穢れているのかということを。そうしてそういったものが極端に嫌いなアンバーは、きっと嫌悪感で塗れているに違いない。
このまま引き下がるのは至極簡単なことだ。ありがとうと礼を言って素直に帰れば、アンバーの中でも印象が悪くないままことを終えることができる。だが、それまでだ。それ以下でも以上でもない。すっぱりと縁が切れてしまう。
(だったら、チャンスは今じゃないか……?)
難攻不落なアンバーと触れ合うことができるのだとしたら、方法はこれしかない。
一か八か過ぎる。むしろ不利だ。負ける方が、大きいかもしれない。だがやらなければ一生日陰で見続けるしかない。
アメジストは足を組むと、そのままベッドに横たわった。しなを作って微笑んださまに、アンバーはぎょっと驚いてみせる。それを良いことに口端をあげて、婀娜っぽい表情を作りあげた。アンバーが娼婦と蔑むのなら、とことんそれにのってやろう。最低で最悪の娼婦になりきってやろうじゃないか。
現実がどうであれ、アメジストの貞操管理がなっていないのは事実なのだから。
「全然平気じゃない。動けない」
「は、はあ? あなたなにを言っているの? さっきまで平気そうにしてたじゃない。急にどうしたっていうのよ」
「外に出たくない。だって俺がこのまま外に行けば、渦中に飛び込むようなものだと思わないか? 神とまで崇められたアンバーに触れられたこの身が、憎いといって嫉妬を露にしてくる奴に囲まれるなんて真っ平ごめんだね。阿鼻叫喚としているだろうところに帰っていくのは、こわいな」
「そんなの私には関係がないわ。他人が私をどう思っているのか知らないけれど、私はそんな大層な宝石でもないの。それにお人よしでもない」
アメジストに触れようと伸ばされた手が躊躇をみせて止まる。ベッドからどかせたいと迷うてのひらは、それでも触れるのを戸惑ったのだろう。ここまで潔癖だといっそうのこと褒めてあげたくもなる。
桜色に染まった指先に視線を止まらせると、アメジストは感嘆の声を漏らす。アメジストがもつ美しさなどまやかしだと思ってしまうほどにアンバーは美しい。
きっと、情欲に塗れた姿はもっともっと美しく壮絶にエロチシズムを擽るに違いない。アメジストはそれが見たい。その表情を引きずり出したい。アメジストに欲情をしてもらいたい。
(エメラルドを跪かせる以上に、難しいのだろうけど)
伸ばしたてのひらで、アンバーの指先に触れた。びくりと戦慄く身体が皮膚を伝ってくる。嫌悪に塗れた表情が、今だけは堪らなく心地好かった。
「他人に触れられるのは嫌? 他人と接触するのも、関係をもつのも、絆を築きあげるのも、言葉を酌み交わすことも拒否するなんてアンバーはどうしてそこまで拒絶をするのかな」
「逆に聞くわ。どうして拒絶することを咎められなきゃいけないの? 私には私の生き方があるわ。誰の指図も受けない。好きに生きるの。あなたとは逆ね。他人と触れ合うなんて狂気の沙汰だわ」
「へえ、俺の噂知ってるんだ」
「あなたがどんな宝石か知らないほど、無知でもないもの。それなりに噂話はここにだって届いてるのよ。わかったならその汚い手を離してちょうだい。私に触れないで。穢れるわ。アメジスト如きが触れても良いとでも?」
潔白でいるために他人を排除する矜持の高さは想像以上だ。不快感をもってアメジストを攻撃する精神を考えれば、さぞかし耐えている方に違いない。そうまでして白に塗れた身体を、アメジストが黒で塗り潰してやりたい。
お伽噺のような、きらきらとしたものからは無縁の世界だ。
憧れてやまなかったアンバーの性格が歪んでいるのには気付いていた。ここまでとは思いもしなかったが、それなりに覚悟はしたはずだ。心に土足で踏み入って荒そうとしているものにする態度としては正しい。
「ねえ、アンバー」
蜜を含めたような、甘えた声。アンバーの眉間に皺が寄って、肌が粟立つ。性を彷彿とさせるものにはとことん不快感が募るのか、アンバーは初めてアメジストに触れられている手を払おうと力を込めた。
だが所詮アンバーは深窓の佳人。無茶ばかりしてきたアメジストの拘束から逃れられることができない。こうみえてアメジストはそれなりに力がある。
「穢したいな、アンバーのこと。純度が高い宝石でも、交わってしまえば同じじゃん? こんな閉鎖空間にずっといても仕様がないでしょ。気持ち良いこと、俺としようよ」
「嫌よ、気持悪い。私に触らないで!」
激情したアンバーが叫ぶ。思い切り振り払われたアンバーの手がアメジストの拘束から逃れて、宙を描いた。曲線を描いた指先はアメジストの頬に一筋の赤を描くともとの場所へと戻る。ちくりとした痛みを頬に感じて、そこに指を這わせればほんの少しだけふくりと膨れていた。
ああ、爪先が掠って傷を作ったのか。顔という場所はあまりないが、そう珍しいことでもない。
アンバーひとりが驚いたように自分の指先を見つめると、握り込むように胸の前でぎゅっと閉じた。そうまでして自分の殻に篭もりたいというのか。
(痛いな、これは)
ちくちくする頬の傷じゃない。ずきずきする心の傷だ。
これからもっともっと傷付くのだろう。これ以上の痛みを感じるのだろう。死にたくなるほどの痛みを抱えるに違いない。
だがこれを逃せば一生チャンスはもう二度と巡りあってこない。会うこともできなくなる。触れることもない。今までと同じく日陰の下でただきらきらと輝くアンバーを見つめることしかできないのだ。
そんなのは嫌だ。絶対に嫌だ。
なにもしないで後悔するよりは、なにかして後悔する方がずっと良い。例え心底嫌われたとしても、アンバーの中で特別になれるのだったら最悪でも良かった。
アメジストは傷になった頬をなぞらえて、立ち上がった。そのままアンバーとの距離を縮めると胸の前で合わさっている手に触れる。
「もっと穢してあげようか?」
「結構よ。さっさと帰ってちょうだい」
「嫌だ。俺決めたの、ここに住むって」
「はあ? 冗談はやめてちょうだいよ。ここに住むって、あなた自分がなにを言っているのかわかってるの? そんなこと罷り通る訳ないじゃない」
「決めたから、絶対に帰らない。アンバーとセックスするまで帰らない」
「は、はあ!? セックスなんて冗談じゃないわ! 俗世に私を巻き込むのはやめてほしいわね、そんな馬鹿げたことを私がすると思って?」
「思わないよ。思わないけど、そうさせるのも醍醐味ってやつじゃん? 俺は娼婦だろ? だったら、そうさせるのが仕事ってものでしょ」
するりと撫ぜあげるように首元に手を滑らせる。指を組んで距離を縮めれば、まるで抱きしめているようでもある。事実攻め寄って腕に囲っているのだから、違わないのだけれど。
戸惑ってなにもできないでいるアンバーを良いことにアメジストはそのまま押すように移動させると、ベッドへと押し倒した。柔らかな感触がアンバーの背を支えて、アメジストと二人分の沈みを作る。
「ちょ、ちょっと、なにするの?」
うつくしくも、儚いその人が、アメジストの掌中にある。これほど夢にみた現実もないだろう。
アメジストはアンバーに馬乗りになると、頬に指を触れさせた。光沢を帯びたそれは生きたものには見えない。白磁のような肌質は人形を通り越した宝石そのものだ。
「好きなんだ、アンバーのこと。だからもっと知りたい。だって俺はアンバーの表面しか知らないんだ。内面を見たい。触れたい。愛したい。そう思うのは不自然なことじゃないよな」
「世迷言を言うのも大概にして。私を巻き込まないでくれないかしら」
「アンバーに愛してもらえるまで、俺は諦めないよ。穢したいんだ、その肌も心も、からだも」
両頬を包んで、顔を近づけた。唇を擦るような口づけは甘い痺れをもってアメジストの身体を支配した。
ぞくぞくする。吐く息にすら欲が混じって、指先まで恋に塗れた。性を刺激するものはひとつとしてなかったが、それが余計にアメジストを興奮させたのだ。
禁欲的で排他的なアンバーと口づけをしている。それはアメジストの心を揺さぶるのには丁度良いリアルだった。
「だからこれからよろしくね、アンバー」
唇をぺろりと舐めあげた。大抵の宝石なら真っ赤に染まる場面も、アンバーには効かずに、ただただ顔色を真っ青にして固まってしまった。
今はそれで良い。蔑んで嫌って排除しようと躍起になれば良いのだ。完全なる憎悪でもアンバーの心に深く刻まれるのであれば、それはアメジストにとって幸せにしか過ぎないのだから。
最悪からは這い上がるしか選択がない。地に落ちた位置からは落ちることもない。
(アンバー、あいしているよ)
柔らかな唇の感触を楽しんで、アメジストはこれからの毎日に胸を馳せた。