国士無双 01
「良く聞けえ! もう直ぐ、年に一度の祭典……戦いが行なわれようとしている!」
 ドンと机を乱暴に叩き、大きく出たのはインテリジェンスな眼鏡がきらりと光る神経質そうな男、筒子(ぴんず)だった。
「……え? もうそんな時期? 早いねえ、あっと言う間だねえ」
「そんな悠長に構えている場合ではない! 良いか、良く聞け、あと少しで年明けを迎える。これは我ら麻雀国が活躍する大切な時期である!」
 のんびりとせんべいを貪る胡散臭い風貌の索子(そうず)を尻目に、筒子は机にたくさんの資料を広げると今の状況をいまいち把握していないであろう他の面子にも言い聞かせるよう声を張り上げた。
「春夏秋冬古今東西、我ら麻雀国は長い時間を掛けて大きな発展を遂げ、何千年という歴史を刻んできた。今や人間界、全世界から熱烈な支持を受けている最もポピュラーな卓上ゲームだと言っても過言ではない」
「おっさん人気でしょ、所詮。まだまだルールの認知は低いと思うけどねえ」
「黙れ索子! ごほん、で、だ。そんな我らが一番活躍するのはいつだ? そう、年明けだ。年明けといえば人間界、気も緩みだらだら過ごす中、親戚内で遊んだり仲間内でふざけたり……そんな関係性に我らの存在が必要だ。そう、どの国が一番人間界に求められているのか競い合う卓上ゲーム界の戦争なのだ!」
 ヒートアップする筒子は資料をばらけると、指を差し丁重に説明をした。
「良いか、ライバル候補は二国だ。老若男女に愛され続けた西洋生まれのトランプ国、年明けに関しては負け知らずで圧倒的な軍事力を見せ付けるかるた国! 我ら麻雀国の最大のライバル国だと思われる」
 確かにオセロ国やチェス国、将棋国や囲碁国などと比べると圧倒的に軍事力が高くて強敵なのはわかる。だが何故筒子がここまで熱くなっているのか、それがこの麻雀国の主たる面子には理解ができなかった。
 まずはそこなのだ、何故そんなにまで熱心になるのか、という問題だ。
 確かにこの卓上ゲーム界にはいろんな国が存在し、人間界に愛されるために求められるために日夜いろいろな努力をしてアピールをし続けてきた。人間界に求められてこそ生きる意味のある我らにとって、それは頷ける話だ。
 だが麻雀国は今やこの世界でも屈指の軍事力と軍資金を保持している。刻んできた歴史も長いし、多方面から愛され続けてきたし、規模が縮小するどころか広がり続けている。最早なにもしなくても、安定した国と言えた。
 筒子が言うように年明けがこの世界にとってのかき入れ時だとわかっていても、人間界は麻雀国がなにもしなくても麻雀を所望してくれる。戦いが見たいと言ってくれる。ライバルだとかそんなもの、目でもない。
 第一トランプ国もかるた国も、麻雀国とはターゲット層が違う。なので争ったとしても土俵の違う戦争なのだ。それに戦ったところでなんの利益もないし、害すらない。意味のないことだ、ただのプライドの問題である。
 麻雀国の要でもある筒子が年末に面子を集めてなにをするかと思いきやこんなくだらないことだったのか、面子は呆れてものも言えず、ただ熱く語る筒子を冷ややかな目で見るだけだった。
「風牌(かぜはい)! 聞いているのか!」
 ぼんやりと、窓の外を見ながらうとうとしていた風牌はびくりと肩を震わせると顔を上げた。
「……意味のないことをやって、お前はそれで満足なのか」
「意味がないことはないのだ。良いか、人間界にとって麻雀がポピュラーだといってもまだ男性層の支持が圧倒的に多い。子供や女性は麻雀など野蛮だと思っている」
「別にどうだって構わないだろ。わかる人にわかってもらえれば良い」
「だがそれではトランプ国に勝てない」
「勝つ必要はあるのか?」
「上に立ちたい、そう思うのが国の長の考えることだろう。私は卓上ゲーム界のトップになりたいのだ」
「……ご苦労なこった。僕はいつも通りやらせてもらうよ。どうせ麻雀は筒子、索子、萬子(まんず)の数牌(すうぱい)トリオが要だ、僕ら風牌と三元牌(さんげんぱい)にはあまり関係がないしな」
 筒子はその言葉に黙って腕を組むと、椅子に腰を降ろした。相変わらずマイペースな索子はせんべいを食べ続け、萬子に至っては爆睡している。
 これ以上ここにいて会議をしても得るものも得られるものもない。そう判断した風牌は用が終わったといわんばかりに立ち上がると、退屈そうにしている三元牌の首元を掴んだ。
「いった〜い! なにすんのさ!」
「帰るぞ。このままここに置いて帰っても良いがどうする?」
「帰るけど〜、もうちょっと丁重に扱ってよね!」
 深い緑の髪と、真っ白な肌、鮮やかな赤い唇が特徴の見目麗しい三元牌はつんと顔を背けると、風牌を置いてさくさくと歩いていった。残された風牌は、数牌トリオに会釈だけすると会議室を出る。
 年に数回、人間界の大型休みとされる期間と年末年始に麻雀国は活気を帯びて多忙になる。ほぼそれなりに一年中忙しい麻雀国でもその時期だけは他と比べるまでもないほど忙しくなるのだ。
 なのでその時期になると、筒子はいつも以上に張り切りをみせ執拗に麻雀国を人間界に売りにいくのだ。
 熱心に普及活動を行なっているのは筒子だけで、他の面子はそれほど乗り気でもない。風牌トリオは筒子寄りなので付き合ってはいるようだが、内心は面倒くさいに違いない。
 風牌は今の年末も多忙なのにこれ以上忙しくなってたまるか、と愚痴を零すと先々に歩く三元牌に声を掛けた。
「おい、部屋に戻るのか?」
「そうだよ〜。もう今日は疲れちゃったから休むの」
「仕事は終わったのか? お前のとこの軍の配置はどうなってる。字一色(つーいーそー)の戦術を求められたら直ぐに対応できるか? 丹念は怠っていないだろうな」
「あーもー煩いなあ! ちゃんとしてるってば! ってゆか年明けには字一色の戦術より大三元(だいさんげん)の戦術のが好まれるの! そっちこそ大四喜(だいすーしー)の戦術が難しいからって手を抜いてない?」
「抜かりない。……ま、お前に至って心配はないか。じゃ、僕は花牌(はなはい)のところに寄ってから帰るよ」
「……ああ、あの引き篭もりくんねえ。頑張って?」
 同情めいた表情になった三元牌を背に、風牌は独り階段を上がった。
 どちらかといえばネガティブで、病的。面倒くさがりの、内向的。持つ色彩は黒と白のみ、艶めいた黒の髪と真っ白な肌。今にも時が止まりそうなそんな雰囲気を持つ風牌。
 そんな風牌には、秘密があった。
 長い、長い階段を上る。隔離された塔を道なりに進めば、徐々に派手な装飾品が現れた。
 誰も足を踏み入れない滅多に顔を出さない、普段は引き篭もり、だけど人間界からは最も強い支持を受け、愛されて、求められる存在。麻雀国で唯一の万人に好かれる牌が、ここにはいる。
 金色のノブをそうっと握る。左にゆるりと回せば鍵がかちゃり、と開いた。古めかしい音、ギギギと鳴って開いた隙間から光が零れた。極彩色の部屋の中央に、極彩色を纏って遊惰に煙管を吸う花牌がそこにいた。
「花牌、今日は会議だって言っただろう」
 顔を見るやいなやそう言った風牌に花牌は顔を寄せると不満げに煙を吐いた。
「だって〜僕がいなくたって別に関係なくない? 独自の戦術も持ってないし、他の牌と陣形も組めないし、戦うっていっても僕の軍は特別枠な訳だし? 戦法にはいないでしょ?」
「それはそうだが……」
「大体僕の役っている? 人間界を喜ばすだけだよね。意味もないのにさあ、借り出されてまじ迷惑っていうか〜」
「そう言われると困るな。でもお前が人気なのも事実だろ。仕様がないと思うけれど」
「ふーん? それにしても人間界って変! 麻雀同士の戦争見て楽しいのかねえ」
「戦争ではない、模擬戦争だ。いろんな戦術や立ち回り、経過やドラマがあるからだろう。単純じゃなく僕たちも頭を使ってどう動くか、どう繰り出るか、どこで花を見せるかここでなにをすべきか考えるからこそ盛り上がるんだ。戦術が上手くいったり、喜ばれたりするのは、嬉しいしな」
 乱れた着物を手繰り寄せ、大雑把に着直した花牌は煙管をこつこつと机に叩くと興味がなさそうに笑うだけだった。
 全く持って噛み合わない空気、存在、全てが真反対だ。いや、麻雀界にとって花牌の存在が異質なものなのだ。
 人間界が好むのは、麻雀牌同士の戦争だ。筒子、索子、萬子の数牌トリオと三元牌と風牌らが揃って知恵を絞り戦う。各々の軍を持ち、その支配下にある牌を使って緻密な作戦を立て配置を考え、各々の戦術を繰り出す。
 結果だけがすべてではない。その経過にこそ、意味がある。表でもある東場での見せ場や、裏でもある南場でのどんでん返しなど。如何に美しく、有り得なく、予測不能な戦いをするのかが肝でもある。
 人間界に飽きられずに求められているのは、毎回結果が違い、時には有り得ない戦術、そんな芸術めいたものを魅せながら戦うからだ。それこそが麻雀国の面白さでもあり売りなのだ。
 普段はいらない牌と蔑まされている風牌でも、大きな戦術は持っているし軍だってそれなりに立派に育てている。時には人間界をわっと歓喜の渦に引き込むことだってある。
 それなりにこの仕事は楽しいと思っているが、それは飽くまで麻雀牌の戦いにポジションを置けているからなのかもしれない。
(……、戦うことができない気持ちを僕は知らない)
 絹の光沢がきらりと艶めくシーツに再び埋まった花牌の艶やかな姿を見て、風牌は大きな溜め息を聞こえるように吐いた。
「お前の存在が、たまに羨ましく思う」
「……またその話」
「だって僕は直ぐにいらないとか屑だとか言われるからね。最初から戦略外にされているし、僕がどんなに頑張って考えた配置も人間界から見れば余計なことらしいし……戦術だって、少ない」
「ネガだね、お前」
「それに比べお前は確かに戦術はないし戦争に参加はできないけれど、立っているだけで、存在しているだけで価値がある。お前がいるだけで人間界が選ぶ勝利が変わるし、捻って考えなくたって喜ばれるし……必要とされている」
「ふっ、なに、風牌ってば人間界に愛されたいの」
「……別にそういうんじゃない。ただ、羨ましいと思っただけだ」
 眉間を指先で揉んで椅子に腰掛けた風牌に、このタイミングだといわんばかりに花牌は煙管を壷に置くとじりじりと距離を詰めた。膝小僧がぶつかって柔らかな感触、悩ましげに横目で見やれば花牌が楽しげに下唇を舐めていた。
 また、だと心で呟いた風牌の声は音にならない。
「どうせ、いつもやってることでしょ? 悩んだって、考えたって、一緒。無駄。意味な〜し、ね? それより、さあ?」
 真っ白な風牌の掌に、決め細やかな花牌の指先が絡められる。爪先は綺麗に彩られて、鮮やかな装飾品が付いていた。
「……気分じゃない」
「風牌からそういう気分だっての聞いたことがない」
「そうか、もな……とにかく勘弁してくれ」
「断るね。だって、僕、暇なんだもの。こんなとこに閉じ篭っててもやること一つしか思い浮かばないし〜」
 ぎゅっと両手首を拘束される。真っ赤な舌を出して下品染みた笑みを浮かべた花牌は風牌の膝に乗り上げると、真っ白で血の気のない頬を一舐めした。
「たまにはさあ? 戦術のことなんて忘れて僕と一日中セックスしようよ」
「お前はそればっかりだ。たまにはそれ以外のことを考えたらどうだ」
「そっくりそのままお返しするね。だって僕とお前がまぐわったらすっごく綺麗だと思うよ。三元牌に見せてやりたいねえ、はは、あいつも綺麗な色持ってるけど、お前の色のなさが、僕には一番綺麗に見える」
 整い過ぎた爪先で、そうっと肌を辿られる。微かに粟立つ肌がどこか期待しているようにも思わせて舌打ちが零れた。
「……気付いてた? 褒められると、少し耳が赤くなるの」
「……さあ、僕を褒める奇特ものなんてお前以外にいないからね。良くわからないよ」
「あー、それって、ちょっと嬉しいかもしれない」
 大袈裟に手を叩いた花牌は乱暴に風牌の首元を掴むと、左右にがっと押し開いた。勢いが余ってボタンがはじけ飛ぶ。ころころと、高い音を立てて転がった黒色のボタンが寂しげに白の床を彩った。
 どこか他人行儀にそれを見つめた風牌は、花牌の楽しそうな表情を見ながら淡々とした声で嘲る。
「楽しい?」
「楽しいよ」
「変だ、お前。人形抱いているみたいで、つまらないくせにそう言うのか」
「人形は喋ったりしないもの。それに喘ぐだけが、セックスじゃないしね? わかりにくくっても、ちゃんと反応してるよ」
 胸を這いずり回る手の感触こそあるものの、風牌にはそれが気持ち悪いのか気持ち良いのかを知ることができない。
 触れられれば反応はする。立ち上がるし、濡れるし、挿入だってできる。だけれどなにも感じない。触れられる感触と温度しか、風牌は理解することができないのだ。
 厳かな儀式のようで、とても下品。ナメクジのように這う舌に濡れた肌が風に当たって少し冷たい。
 真っ赤な舌が風牌の胸を擽れば、柔らかかった突起が小さく芯を持ち始めた。歯を当て擦られて、少しだけくすぐったいような感触が伝わる。
「……それ、……良い……」
 金に輝く花牌の髪の毛に指を差し入れる。ぎゅ、っと握り締めてくしゃくしゃと掻き回せばうざったそうにしながらも、どこか気持ち良さそうな表情で花牌は目元を和らげた。
 幼く見えた顔付きに、胸がほんのりと躍る。とくとくと、あるのかないのかわからない心音が胴体に響いているようでもあった。
「そういうときは、気持ち良いって言うの」
「……気持ち、良い」
「そう、可愛いね。もっと、触って良い? ああでもいれたい〜」
 挿入するのは花牌の癖に、風牌の上に乗って腰を上下に振る姿に笑みが零れた。
「お前、馬鹿みたいだな」
「馬鹿だよ。風牌とセックスすることばっかり考えてるもの」
「麻雀のことも、少しは考えてくれよ」
「や〜だ。意味ないことは考えない主義っていうか、ね? 僕は今のままの位置で満足してる。だってあの筒子だって、僕には適わないんだしぃ? あいつの眼鏡が歪むの想像するだけで胸がすっきりとしちゃう」
「……悪趣味だな」
「そうだねえ。お前に思った以上、傾倒してるって意味ではすっごく悪趣味かもしんない」
 萎えかかった性器をぐっと握り込まれる。温度のない花牌の指が熱過ぎる性器に絡まって、温度が中和されていった。
 煩悩ばかりの馬鹿げたことをしているのに、雰囲気に欠けるこの空気。微量の熱が篭った息を吐けば、花牌が興奮したように腰を揺らした。
 ぎしぎしと揺れるのは椅子の音ばかりで、花牌は風牌の表面に触れるだけで中までは触れてこない。
 少しずつ、ほんの少しずつ、熱を高められているようでもある。なにも感じないのに、気持ち良くなんてないのに、そんな曖昧な境界線に置かれた風牌は脳がぼうっとしてくるのをどこかでわかっていた。
 いつも、そう。そうだから、こうなる。
 触れられる度に舐められる度に、麻痺していく思考。なにも考えられなくなる。良い意味でも、悪い意味でも、思考が奪われるのだ。
「風牌、もっと……狂っちゃえば良いよ」
 焚き込められた香が充満する頃合には、風牌は本当の意味でただの人形に成り下がる。
 手足が麻痺して動かせないのは、空気の所為か、花牌の洗脳の所為か、はてさて風牌の渇望する欲望の所為か、人工的な香の所為か。
 ただただだらりと伸ばされて、反応すらせず声も出さない風牌を、花牌は愛おしげに抱き締めるのだ。
「いれても、良い? いれたいなあ。ううん、染めたいのに、お前はいつまでたっても染まらないね」
 履物をずらされて、晒された足元。痛みも愉悦も存在しない触れ合いに、喜びを覚える花牌。ぐ、っと宛がわれた性器の堅さだけがこの空間で唯一の真実だ。
(……お前は、僕を抱いているようで、僕を抱いていない)
 言葉が豊富だったら、花牌が正常だったら、もっともっと違う真実になったのだろうか。最も三元牌の呆れた表情を思い出せば、風牌も相当花牌にのめり込んでいるというのだからお互い様かもしれない。
 人形にしかなれない風牌と、人形しか抱けない花牌なんて、ああ、考えれば考えるほど惨めでお似合いな組み合わせだ。