筒子が思い描いた通りになったのかは定かではないが、それなりに忙しい年始だった。戦争とまではいかないが卓上ゲーム界のかき入れ時である。忙しいのは目に見えてわかっていたが、予想以上の慌しさに休む暇すらなかった。
余裕ぶっていた索子が悪態を付くほどには、人間界に必要とされたのだ。
筒子の眼鏡が更にきらきらと輝き、楽しげに指揮を取って模擬戦争をする。一つに集中して戦えればそれは楽なのだが、依頼要請は一件だけではないのだ。
山のようにある要望に答えながら、各々の模擬戦争をチェックして指揮を取るということは慣れていても辛い。皆体力を消耗して次第には軽口すら叩けない状況となっていった。
そんな正に猫の手も借りたいほどの時間は、とてつもなく長いようで一瞬のようでもあった。
主に忙しいのは大晦日から三箇日までだ。それを過ぎたら忙しさは終息へと向かい、人間界の冬休みというものが終わるまで下降を辿る一方なのである。
それぞれが計画していた戦術や戦法、結果には思うようにならなかったり忙しさのあまりミスをしてしまったりもあったが、大方人間界は満足したようでそれなりの評価を得た。
風牌も久し振りに大技を出すことができてよほど満足なのか、それを何度も思い返してはしまりのない面を晒した。
一月も三日を過ぎればただの日常。五日目になった今、正月モードもすっかり抜けて麻雀国にも緩みが蔓延していた。休むことなく働き詰めだった軍もローテーションで休みを与え、主たる面子も少しずつ休憩を取っている。
いつも通りへと戻りつつある中、大喝采を受け熱望されていた花牌が再び忽然と姿を消した。
花牌は珍しくも、大晦日から三箇日に掛けては文句を言うことなく表舞台へと顔を出していたのだ。花牌がいなくとも部下でもある軍が存在しているので人間界的には問題はないのだが、やはり長ということもあってか花牌には華がある。
存在しているだけで圧倒的な空気と華美さを備えた花牌は、人間界のアイドルのようなものなのだ。
きゃあきゃあわあわあと騒がれ持て囃され思う存分遊惰な仕事をしていた花牌も、飽きがきたのかそれとも嫌になったのか、三箇日を過ぎると再び裏へと引っ込んでしまったのである。
残ったのは花牌の軍だけで、主がいないのにも関わらず坦々と真面目に仕事だけをこなしていた。
「頑張ってたのにね。やっぱりあいつは引き篭もりだよ」
突如と声が掛かる。忙殺されていた日々から穏やかな日常に戻った風牌はぼんやりと城下町を眺めていたのだが、その声にはっとすると顔を上げた。
花牌の軍から視線が外れる。振り向けばどこか疲れた顔をした三元牌が立っていた。
「三元牌か……お前も休憩か?」
「流石に休まないとやってらんないもん。ってゆーかー、筒子の馬鹿が張り切って要望とかほいほい受けるからこんなことになるんだって! 正直人手不足なんだから考えてやってほしいよね」
「筒子はトップになると言ってたからな。でも結局全体的に見ればどっこいってとこだろう?」
風当たりの良い、場所だ。大きな窓は城下町全体が見渡せて、ゆっくりと時間を過ごすのには最適とも言えた。
ぼうっとしていれば寝てしまいそうなそんな空気感が漂いながらも、二人は呼気を整えると向かい合って席に座った。
風牌トリオのようにべったりと行動を共にしている訳ではないが、それでも字牌という括りにいる風牌と三元牌の仲は良い。付かず離れずの距離を保ちながら、ずっとやってきたのだ。
だから言葉にしなくても、わかることだってある。三元牌は置かれてある風牌のお茶を奪うと口を付けた。
「あいついつも引き篭もってなにしてんの? 退屈じゃないの?」
「さあな。僕にもわからない。まあでも四日間外に出ただけでも進歩した方だと思う」
「どうやって説得したのか、……聞きたくはないよね。想像つくし? 筒子辺りは不思議がってたけど〜」
「別に説得した訳じゃない。くる気になっただけだろ」
「へえ? 風牌以外とは口も聞かないあれが参加するなんてよっぽどだと思うけどね。ま、どうでも良いけどさ〜、それより索子が麻雀国全体で新年会やるって言ってたけど参加するの?」
つまらなさそうに足を組んでぞんざいな態度の三元牌。そのような言い方をする辺り、三元牌は参加などしたくないのだろう。
主催が騒ぐのが好きな萬子ではなく索子というのが気になる点ではあるが、風牌は良くも悪くもローテンションだ。緩く指を横に振ると、溜め息のような笑みを出した。
「僕が参加する訳ないだろう」
「言うと思ってたけどね〜僕も参加しないけど。あ、でも軍の子は参加させるんでしょ?」
「ああ、それは自由だろう」
「じゃ、あいつにも言っといてよ。あいつもこないと思うけど一応ね」
それが言いたかったのか、三元牌はほっと胸を撫ぜると役目が終わったとばかりに立ち上がった。
「よろしくね〜。あ、今度トランプ国に旅行行くんだけど強制ね。あいつにも許可取っといて。風牌いないと手つけらんないらしいし」
手を二三回振り、スキップをしながら去っていった三元牌にどこか既視感を覚えた
遠ざかっていく後姿を見ながら、そろそろ動かなくてはいけないと思いつつも疲労を訴えた身体はびくともしない。
潔く仕事に戻るかそれとも花牌のところに行くのか、どちらにしても疲労しか見えないのだから動く気がしないのだ。どっちに転んでも疲れるだけならもう少しだけここにいよう。
そよそよと、心地の良い風が風牌の頬を撫ぜる。人間界のような四季はここにはないけれど、過ごしやすいのならなんだって良い。
うつらうつら、落ちていく瞼に抵抗すらせず風牌は穏やかな眠りに誘われた。
(誰かが、呼んでいる)
シャンシャンと耳障りな音がする。心地の良い音色も、眠りの最中にいる今は煩いだけでしかない。だけど酷いほどに聞き覚えのある音だったので、風牌は起きざるを得なかった。
「……花牌……?」
表舞台というより城内ですら滅多に出歩かない花牌が、薄目を開いた風牌の視界にいる。
めんどくさそうにしながら長いスカートを引き摺って、だるそうに歩くのは紛れもなく花牌だった。空気も衣装も見目も派手で煩くて、どこにもいない奇抜さだ。
身を起こした風牌に花牌も気付いたのか、不機嫌そうだった顔を笑顔に変えて小走りで寄ってきた。
「風牌! なにしてんの〜?」
「なに、って……少し転寝をしていただけだ。お前こそなにをしてたんだ? こんなところにいるなんて珍しいな」
「筒子から呼び出されちゃってさ〜だるいから無視してたら強制連行された〜」
向かいにソファがあるのにも関わらず、敢えてなのかわざとなのか風牌の隣に腰掛けた花牌は身体を寄せてくると眉間に皺を寄せて苦み走った顔付きになった。
「よっぽどの用かと思えば説教っていうか〜もうちょっと現場にいろだって! 僕の軍優秀なんだから僕がいなくたって平気なのにさあ、ねえ? だから外って嫌い。煩いし、汚いし、面倒くさい」
「でも四日間頑張ったじゃないか」
「風牌がいたから頑張っただけだし〜もう飽きちゃったからおーしまいっ。来年まで仕事しないって決めたもの」
「……変わらないな。お前が自主的に外に出た訳じゃないって知って納得した」
「本当なら外に出るつもりもなかったんだけどね〜。もーあの部屋に鍵付けたいくらい! でも付けたら風牌が会いにきてくれなくなるから我慢、我慢」
「……もうちょっと、真面目にしてくれれば誰も文句は言わないんだろうけれど。まあ、それでも、お前はお前のままだ」
「風牌さえいれば良いよ。僕は麻雀なんてもの、興味ないもの」
甘えるように擦り寄ってきた花牌の髪の毛を梳いてやる。気分屋な花牌のことだ、数分後には別のことを捲くし立てるのだろう。誰より時間を共にしていても、花牌のことに関しては風牌はなにも知らないのだ。
これだけ一緒にいても謎だらけ。全てが不透明で曖昧のまま、甘い空気だけで成り立っている。
風に乗って焚き込められた香の匂いが漂う。染み付いているのだろう、花牌の身体に。透き通って、輝いて見えたその肌に風牌は指の腹を乗せた。
「気持ち良い」
吐くように呟かれた言葉に、ほんの少しだけどきりとした。止まりそうになった指先だったが、花牌がもっとと強請ってみせたので風牌はたどたどしいながらも再び動きをみせた。
確かめるような、そんな触り方だ。あやすようでも快感を呼び起こすものでもない。存在しているのが嘘のようだから、本当かどうか確かめているだけ。
頬を幾度かなぞって、色付いた唇を押してみる。それでも花牌は緩く笑うだけで、当て擦るように額を風牌の肩に付けた。
「風も気持ち良いし、風牌の気配も好き。……でも、やっぱり、気持ち悪いね、外」
「そうか? 僕には理解できないな。のどかな午後としか思えない」
「煩いのに。声が、するの。煩いの嫌い〜。もう、僕、部屋に戻る。風牌は? 風牌もきて、一緒にいて」
「仕事がある……って、花牌」
「麻雀なんか、一つ欠けたってできる。ちょっと足りないだけ、ね? 風牌一緒にいて、僕を優先してよ」
「……少しだけだからな。僕にもやることがあるから、直ぐ帰るぞ」
「うん、それは良いよ〜。じゃあ行こう、ここは嫌い」
立ち上がった花牌に手を引かれ、足が攣りそうになりながらももたもたとした足取りで連れられていく。
風が止んで、城内独特の空気に変わる。閉ざされた廊下を少し足早に歩きながら、好きじゃないとそう話す花牌の声に耳を傾けていた。
表舞台に出ない花牌は、良い意味でも悪い意味でも目立つ。容姿もさることながら空気や存在が、麻雀国にとって異質なのだ。
意識すればちらちら向けられる視線が刺さる。花牌を見ようと牌がさざめいているのがわかる。物珍しいものに興味を引かれる心境は少しならわかるものの、あからさまな視線を向けられるのは少し嫌な気分もした。
(ああ、だから、……でもそれだけじゃ、ない)
どうしてここまで出不精になったのか、風牌は教えてもらえない。大した真実などそこにはなくても、口にしない限り秘密になるのだ。気になる、気になる、風牌の心を奪うための策略にすら思えてくる。
どっぷり浸かっているのは花牌のようで、本当のところは風牌の方がどっぷり浸かってしまっているのだ。
引いてくれる腕がないとどうしようもない。花牌だけが風牌を強く強く必要としてくれているから、この手を離せそうにもないのだ。
(三元牌、もう手遅れだ。……お前の言うことが、一番正しい)
呆れたように高笑いする三元牌の顔が脳裏に浮かぶ。この場面を見ればさぞかし面白おかしく騒ぎ立てるのだろう。
一所懸命仕事に打ち込んで、いらない牌だなんて言われないよう努力して、日夜どうすれば良いのか研究して、もっともっと必要とされたくて、人間界に媚を売っている。誰よりも、執拗に、強く。
だけどそんなことも花牌の一言で後回しにできるほど、放っておけるほど、捨ててしまえるほど、花牌に惹かれている。
持っているものがほしい。だけどなりたくはない。溶けてしまいたくもない。別々のままで良いけれど、融合して混ざりたくなりたい気持ちのまま、離れ離れでくっついて共依存。
古めかしい階段を上る。レッドカーペットの下の石畳がじゃりじゃり鳴った。灯りは左右対称で、上がってより空に近くなって、あの扉を開いてしまえば、二牌で一緒に入ってしまえば、風牌の意思はなくなる。
「あ〜疲れた〜、早く早くっ」
がちゃり、と開いた扉に離された手。花牌は風牌を置いてさっさと部屋に入っていく。最後の一歩は己で踏まなければならないのだ。
入ったとてなにが変わる訳でもないが、それでも心境の変化としては大きなものだ。
全て投げ打って捧げてきた麻雀国への存在と価値を捨ててまで一緒にいることを望んでいる。風牌が数時間離れたところでなんの害もないけれど、それでも少し勇気が出ることなのだ。
「風牌? 早く、入っておいで」
誘われるような声に、風牌は一歩を踏み出した。後ろは振り向かない。ここに入れば風牌は風牌ではなくなる。麻雀のためだけでなく、ただ己の意思だけで存在しているものになるのだ。
(なんてことないのに、こんなにも……煩い)
花牌が外を煩いと言ったような感覚なのだろうか。煩いほどに耳に届く音を風牌は聞きながら踏み出した。
相変わらず目に痛い部屋だ。どこもかしこも色で溢れ返って、風牌にはないものばかり。息を吹き返したかのように目に輝きを戻すと、窓枠まで駆け寄っていった。
「……完璧に引き篭もりだな」
「僕の城はここなんだもの。一歩も出たくなかったんだけどね〜ほんと筒子ちょおだる〜い」
「そう言ってやるな。あいつもあいつで、麻雀国のこと考えているだけだ」
「発展、だっけ? 僕には関係ないね。発展しようが衰退しようが、僕の位置は変わらないし?」
「……お前らしい言葉だよ」
置きっぱなしにされた煙管を手に取って、火を燻る。一本の線が上がるようにして灯されたそれを酷く美味しそうに咥えた花牌は、元の通り婀娜っぽさを兼ね備えた空気を携えた。
もくもくと舞い上がる煙と共に漂うのは良く焚きこめられた香の匂いに似ていて、花牌の独特の匂いがした。
「僕と、楽しいことする?」
傷のない白い足を晒して笑った花牌に、風牌は鼻で笑うと煙管を奪って口付けた。
「しない」
「積極的〜なんて思ったのに? ぬか喜びさせてお預けなんて酷い〜」
ぶうぶう言う花牌の頬を引っ張って、慣れない煙管の味を肺に吸い込んだ。どこか甘くて、でも苦くて慣れない味。美味しいとは思えない、そんな煙の味だ。
苦み走った顔になって煙を全て吐き出した。舌先に残る苦い味が気に食わなくって、だけど口を消すためにする口付けも慣れなくて、つまらなさそうに唇を尖らせている花牌に煙管を突っ返した。
「もう良いの? もっと吸っても良いけど〜」
「いらない。僕には不味い。苦いのは、……好きじゃない」
「ふうん? 苦いの、ねえ」
漂うのはどこかで嗅いだ香の匂いで酩酊感に似た酔いはなく、ただただくらくらりと足元が歪むだけ。
言葉を閉じた花牌は取り戻した煙管を咥えて煙を吐いた。舞い上がるそれを見つめて窓側まで歩いた風牌は眼下に広がる城下町を眺める。
今日も明日もきっと明後日も、未来も過去も変化のない景色に日常。繰り返すのは同じことばかりで、変化をつけてみてもそれはいつかの再現だ。
麻雀なんて、卓上ゲームなんて、所詮そういうものだ。この先もずっと同じこと、同じ戦い、同じ世界で、最果てを探している。終わらない世界なのだ。
(その中で、この部屋だけが……非日常で変化のある世界)
明日も花牌はここに風牌を招いてくれるのだろうか。求めてくれるのだろうか。考えないようにして生きてきた。求められても、求めなかったのは変化が怖かっただけだ。
「風牌」
だけどきっと明日は言ってくれるのだろう。そうやって甘えた声で、婀娜っぽい目付きで、誘うような唇で、呼ぶのだ。
名を呼ばれる。振り向く。そして、笑う。
永遠に交われないからこそ、惹かれ合うのだろう。花牌は今日も誰よりも美しく、人間界を、麻雀ですら魅了し続ける。