ロマンチスト・ダーリン 03
 うつらうつらとしていた迅の意識に、控えめな音が聞こえた。こんこんと躊躇いをみせたノック。
(……ノック? 誰だ?)
 ぼやけた思考を徐々にクリアにしていく。ソファに横たえるような形で眠りに落ちていた迅は時計に目を走らせると、時間を確認した。十二時をとうに過ぎ一時になりかけた深夜。
 予想よりは少し遅めか、だけどあのノックは尚人ならば可笑しい。尚人はこの部屋の鍵を持っている。それにあの尚人が控えめにノックなんて変だ。有り得ない。
 鍵を使わなくて扉を開ける方法を取るというのなら、確実に尚人は扉を蹴るか叩くか、もしくはなにも言わず佇むかをするだろう。
 支配人からの連絡もないし、怪しげな人物ではないはず。重要な案件でもなさそうだ。迅はのろりと起き上がると、念のためと用心を重ねて覗き穴から外の様子を見た。
「あ、……」
 そうして見えた姿に慌てて扉を開く。そこには疲れ果てた顔をした四柳が、尚人を支えて立っていたのだった。
「夜分遅くに申し訳ございません。坊ちゃんが迅さんと約束しているとおっしゃるものですからここに連れてきたのですが……よろしかったですか?」
 遠慮がちに言った四柳の言葉に迅は頷くと、尚人へと視線を落とした。珍しく全体重を四柳に預けてうっとりと頬を染めている尚人の姿があまりにいつもと違い過ぎた。
 ここまで泥酔するのも珍しい。噎せ返るような酷いアルコールの匂いが寝起きの迅には少しきつかった。
 怪訝な表情をしていた迅をどう思ったのか、四柳は尚人を抱え直すとハテナ顔の迅に詳細を話してくれた。
「坊ちゃんから本日の予定は聞いてましたか」
「あ、はい。なんか裏賭博に見学に行くから……こないかもしれないとか言ってましたけど」
「ええそうなんですよ。裏賭博に見学に行ったんですけどね、そこは坊ちゃんの兄弟分の経営するところとあってか坊ちゃんも少々はめを外し過ぎてですね……途中からその兄弟分の言われるままに」
 言って全てを思い出したのか、四柳は酷く頭が痛いといった仕草をしてみせると項垂れた。尚人の教育係も兼ねている彼には、尚人の奇天烈な行動に少しついていけない部分もあるのだろう。
 ぽつりぽつりと教えてくれる経緯を聞いて迅は尚人らしいとも思ったが、尚人らしくないとも感じた。
 やはり尚人は途中から真面目に勉強することを放棄して、兄弟分と肩を組んで遊びに夢中になったらしい。堅実な兄弟分は手堅くルーレットで、一発逆転を狙う尚人は大きくバカラで。
 最初こそ尚人は負け続きで真っ赤になっていたそうだが、途中から運の女神に祝福されたのか規制がかかってしまうほどボロ勝ちしたらしい。
 派手で目立つことが大好きな尚人だ。裏賭博中の視線を集められたことにすっかり気を良くして、稼いだ金をばら撒き高級酒をちゃんぽんしながら客に振舞ったらしい。
 その行動のなんとまあ現実離れしたことか。尚人がそこまでするほどの原因を担っていた迅としては素直に四柳に同調できない話だったが、気苦労なら痛いほどに理解してやれる。
(……だからってそこまで呑むことはねえだろうが)
 尚人を見てそう思った。アルコール依存症のザル中のザルの尚人が酔ったとなれば、呑んだ酒の量はえげつないはず。想像しただけでも泣けてくる。
 迅は機能すらしていない尚人の身体を四柳から受け取ると、しっかりと両腕の中に閉じ込めて温もりを確保した。
「坊ちゃんのこと、よろしくお願いします。多分もう落ち着いているとは思いますが、もしなにかあれば私は下で待機しておりますのでなんなりと」
「……いつ、ですか」
「午前までです」
「わかりました。またなにかあればお願いします」
 一礼をした四柳がそっと扉を閉め、迅は鍵をかけると尚人の身体を引き摺るように中へと連れて行った。
 予定はどん狂いだ。酔っぱらっているだろうとは視野に入れていたが、泥酔していることは予想外だった。ほろ酔いで寂しいと喚く尚人を宥めて、薔薇の花束を渡しセックスで甘やかしてやろうと考えていた迅の計画も無残に散った。
(……まあ良い。煩く喚かれるのも惜しいが、こうして帰ってきてくれただけでも)
 尚人をベッドに寝かせて寝顔を覗き見る。泥酔だから安眠とはまた違ってくるのだろうけれど、夢の中では幸せであってほしい。熱を持った頬を撫ぜて髪の毛を梳く。
 着替えさせてやりたいのは山々だけど、もう少しだけこうすることを許してほしい。
 迅は胸が愛おしさに満たされるのを感じていながら、なにも紡がない唇を擽ったり、閉じたままの瞼をなぞったり思う存分楽しんだ。
 起きれば理不尽なことで攻め立てられ、あやしても機嫌が直らず喚くだけ喚いて、だけど自己嫌悪して独りで傷付いたりするようなそんな面倒くさい尚人だからこそ、穏やかな時間のときはそうっとしてやりたい。
 前までならば、身体を繋げることだけにしか意味を見い出せなくて、ひらすらにそれを求めて安心を得ていた。性欲は減退していないが我慢を覚えたのだ。相手を思いやるという気持ち。
 身体を繋げなくても、言葉を交わさなくても、顔を合わせなくても、安心を得られる方法を迅は見つけていた。あとはそれを尚人が自分で発見できれば言うことなどなくなるのだけれど、それはなかなか難しいだろう。
「……尚人、……」
 愛の言葉は音になる前に消えた。気恥ずかしさが勝った。迅は居心地悪そうに頭をかくと、着替えさせようと思い立って立ち上がった。
 ベッドがきしりと軋む。尚人に背を向けた瞬間、迅は物凄い力に引っ張られてベッドに逆戻りした。
 ぼすんと音が鳴って、背には柔らかなシーツ。頭上にはいつの間に起きたのやら、顔を真っ赤にしながらも不機嫌そうな尚人がこちらをじいと見つめていた。
 これは無理に起き上がらない方が良さそうだ。迅はそのまま手を伸ばすと尚人の頬に寄せ、唇を動かした。
「おはよう。なんでここにいるか記憶はあるか?」
「……知らない。起きたらここにいた」
「四柳さんが泥酔したお前をここまで運んできたんだ。バカラでボロ勝ちして酒呑み過ぎただと? 尚人、あまり呑んでやるなよ。胃の調子悪いって言ってただろう」
「煩い。うるさい。うるさい! 迅の顔なんて見たくなかったのに! 最悪! フフ、でも迅は僕に会いたかった? 誰よりも会いたかった? そこらにいる女より、ねえ」
 肩をゆさゆさと揺さ振られる。不機嫌になったり怒ったり、機嫌が良くなったり笑ったり、本当に忙しい奴だ。酔っ払いというのはタチが悪い。迅はされるがまま頷くと、尚人の手を握った。
「尚人のことずっと考えて待っていたぞ。こなかったらどうしようかって思ってた」
 はっきりと言葉にしてやれば、尚人は嬉しそうに笑って迅の腹の上に馬乗りになった。加減も知らず勢い良く乗るものだから胃が圧迫され嫌な感覚が身体を襲う。
「うっ……おい、尚人」
「フフ、でも駄目。許さない。迅のこと許してあげない」
「……はあ?」
「僕の許可なしに女に触れるなんて最低、最悪。迅は誰のもの? 僕のものだろ? お仕置きが必要だよね」
「だから仕事だと……はあ、もう良い。なんでも好きにしてくれ」
 それで尚人の不安が消えるのなら、喜んで。迅は抵抗することを選択肢の中から排除すると、観察するようにじいと見つめてくる尚人を見返した。
「フフ、メンテしてあげる」
「……誰が? お前がか? 誰を」
「僕が、迅をメンテするんだろ。フフ、もう他の子になんて目がいかないくらいにね、調教するんだから。大人しくしてなよ」
 酷く酒に酔っている所為だろうか、色気が増したように思う。迅からしてみれば尚人がなにをしていても発情できるのだが、今の尚人はそんなことを抜きにして今までで一番妖艶な姿だった。
 賭博場で散々暴れたのだろうよろよろになったスーツ、頬や唇は酒でほんのりと紅に染まって、もとより色が白いから余計に際立って見える。尚人は鬱陶しげに髪の毛をかき上げると、ネクタイを外した。
「だあめ。お触り禁止」
 伸ばしかけた迅の手を尚人は叩く。そのまま上体をゆっくりとおろすと、唇に可愛らしくちゅっと口付けた。
 唇の淵を舌でなぞって確かめる。誘うように薄く開けば、尚人から舌を潜り込ませた。いつもは翻弄されている立場が逆に。だけど全て迅が仕込んだ尚人の愛技は、未だに拙いままだ。
 数多の人を乗り越えてきた迅と違い、尚人が身体を許したのは迅だけ。許されない過去を除いて。
「ん、……っ」
 迅がするように見よう見まねで絡め合わせれば気持ち良いというよりは触れ合っていることに幸せを感じてしまう。
 尚人は拙い口付けを送りながら、震える指先で迅のスーツに手をかけた。アルコールの取り過ぎか、思うように指先が動かずなかなか脱がすことができない。かといって迅に手伝ってもらうのは趣旨が違う。
 弛緩した脳は脱がすことを諦めると、左右に思い切り引っ張ってシャツのボタンを引き千切った。
「おいおい……おろしたてのシャツだぞ、これ」
「うるさい」
 ふくりと膨らませた頬。そうっと顔を下に滑らせると、出した舌で迅の首筋を舐めた。きつく吸い付いて、キスマークを付ける。この身体が誰のものかわからせるためにだ。
 迅が浮気をしないことも、仕事でもセックスをしないことも、尚人はこれでも理解している。それでもやはり戯れであってもメンテという仕事をしてしまった迅を許すことができない。
 苦肉の策だ。こうして迅に我儘を言って縛り付けて、好きにするようでその痛みが消える訳ではなかったが少しだけ軽くなるような気がした。迅を自由にできるのも尚人だけなのだと。そうして迅が触れても良いのは、尚人の身体だけなのだと。
「は……っァ」
 迅の身体に舌を這わせているだけで興奮する浅ましい肉体。尚人は焦れたように迅のベルトを外しにかかった。流石にベルトは引き千切ることはできないが、ボタンを外す緻密な作業じゃないので震えた指先でもなんとかできる。
 重たい腕でそれを引き抜いて、ズボンを寛げる。既に隆々とパンツを押し上げているほど勃起していた性器を見て、尚人は悦が混じった息をほうっと吐いた。
「フフ、もう興奮してるね、迅の。はしたない」
「尚人のそんな姿見てたら興奮もするだろう。……お前だってそうだろ?」
 迅が膝を上げて尚人の股間を押し上げてやれば、小さく喘いで快感に打ち震えた。唇を薄く開いたそのさまに迅は襲い掛かりそうになったが、尚人のことを考えてぐっと我慢した。
 正直生殺しだ。早く繋がってしまいたい。だけどその気持ちは尚人も同じだった。
「あ、迅……迅……もう、だめ……」
 襲っているはずなのに、尚人は疼く身体を止めることができなかった。
 迅の性器を取り出して軽く上下に扱く。濡れそぼったそこは音を立てると滑りを良くさせ、尚人の手に馴染んだ。熱くて、硬くて、愛おしいもの。
 尚人は殊更色っぽい息を吐くと、性器から手を外して迅の先走りで汚れた掌をぺろりと舐めた。
「不味い」
「こういうときは美味しいっていうんじゃないのか」
「馬鹿? こんなの美味しい訳ないでしょ。でも……嫌いじゃ、ない」
 本当に尚人はどうしてしまったというのか。あまりにいつもと違い過ぎて、迅はアルコールだけの所為ではないと気付いた。
 良くわからないけれど尚人なりになにかを消化したいらしい。尚人を刺激しない程度に迅は腰に触れて誘うように緩く撫ぜた。
「……もう終わりか? メンテは」
「フフ、まだ。本番はこれからでしょ?」
「そうこなくっちゃな」
 上手くベルトを外せないでいる尚人の手の動きだけ手伝ってやり、迅はベルトを引き抜いた。尚人はスーツのジャケットとズボンとパンツを脱ぐと、再び迅に跨る。
 シャツは、と迅が手をかけたがまたもや振り払われる。どうやらシャツは着ていたいらしい。
 どこから取り出したのか、潤滑クリームを手に取ると掌に馴染ませている。アルコールで弛緩していてもそこには気が回るようだ。尚人は迅に跨いだまま、まるで見せ付けるかのように後ろ手で後孔にそれを塗りつけた。
「ん、は……っう」
 喘ぎを零す尚人の表情が扇情的だ。後孔がどうなっているのかを見てもいたいし、触りもしたい。温度を確かめたい。むしろ迅が解してやって、快楽に蕩ける尚人の顔をじいと見つめたい。
 だけど自ら進んで後孔を解して上に乗ってくれるなんてことはそうそうない。どちらかといえばこっちの方がレアなのだ。
 静かな部屋には尚人の上がった声と、濡れた音が響く。ティシャツの裾から見え隠れする尚人の性器も天を向いて、濡れていた。
「尚人」
 掠れた声で呼ばれた。愉悦に染まった視界で見た迅は、尚人と同じように欲情していた。同じ形で、同じ性で、同じ固体でありながら互いを求める異質さに非難をされたとしても、まざまざと間違いだと知らされても、それでもやめることも引き返すこともできないところまできてしまっている。
 後孔がきゅうと締まった。指先を締め付けて、もっと奥深くの刺激を求めている。こんなものでは足りない、足りないのだ。
 指を引き抜いて、迅の腹に手を付いた。大きな深呼吸をして舌なめずり。焦らして、焦らして、焦がれさせてやろうと企んでいたのに結局この始末。迅も大概だろうが、尚人も限界だった。
「迅、ほしい?」
「ああ、……尚人がほしい。尚人じゃないといらない」
 迅は尚人のほしい言葉をきちんとくれた。嬉しくなって、感極まって、唇をぎゅっと噛んだ。これで、胸もすいた。わかっていたことを脳が飲み込めたような気がしたのだ。
 この先、きっとまた何度もそういうことがあって、それ以上に辛いことがあって今よりも死にたくなるかもしれないけれど、それでも迅が尚人を欲している限りは上手に息も吐ける。吐くことが、許されている。
「じゃあ、あげる」
 腰を浮かして、迅の性器を握り締める。焦点を合わせて性器の切っ先を後孔に擦りつけた。ぐるぐると刺激して、遊んでいても結局直ぐに欲しがって挿れてしまいたくなる。
 尚人はぐっと腰をおろすと、太い部分を中へと押し込んだ。やはり一人で慣らすと準備不足みたいだ。いつものように楽にはいかなくて、痛みばかり齎した。
「ぁ、……く、じん……あ、ぁ」
 無理だと言おうとしたが言うのをやめた。これは飽くまで尚人が迅に対してメンテをしているのだ。迅の手立てなど必要ではない。どうせ一回限りで終わるはずがない。迅に愛されるのは、もっともっと夜半で良い。
 身体も脳も蕩けきって、思考を奪われて、ただの尚人になれば素直に迅に甘えることができる。心の内全てを吐き出してそれを叶えてもらえるのだ。それまでは、尚人が主導権を握る。言うことを聞かない犬を躾けるよう。
「きついな……尚人、ちゃんと慣らさなかっただろう」
「フフ、だって、はやく一緒になりたかったんだよ。僕がそう思っても良いでしょ? 迅と繋がって、迅を調教……ン、するんだ」
 全てを収めた尚人は慎重に息を吐き切ると、ゆっくりと足を開いてM字開脚をしてみせた。これもアルコールの所為か、それとももっと別の理由があるのか、どちらにせよ迅からすれば眼福以外のなにものでもない。
 ふるふると内股が震えて、唇は真っ赤。噛み締めても愉悦を零す吐息が迅の下半身を熱くさせる。
 色っぽくて、可愛くて、時に格好良くなって、それで目に入れても惜しくないほど大切な迅の尚人がどうしようもなく好きだ。愛おしくて堪らない。
「尚人」
 大切に名を呼んで手を差し出した。絡め合わせた手は汗でしっとりと濡れていたが、触れた先から温もりが広がってとてつもない幸せを運んできてくれた。