土曜日、望月が目覚めた時刻は午後六時だった。
春と言えど外は薄暗く一日損をした気分だ。
実際損をしているのだがこの際気にした方が負けだと思おう。
軽く伸びをして和泉を目で探すがその姿はここにはない。
仕方なく重い腰をあげ共有スペースに移動したら、可愛らしい笑顔を晒して望月を出迎えてくれた。
「おはよう! おそよう、かな? そうそうもう荷物片付けといたから。部屋に入って右が柚斗の部屋で左が俺の部屋ね。一応仕事道具とか資料は俺の部屋に持ち込んだんだけど」
「いやそれ当たり前だから。……でもさんきゅ」
「まぁ修羅場はほとんどここでする予定なんだけどね」
水島学園の寮は一階が食堂、カフェ、コンビニ、談話室、エントランスになっており、二階がジムや勉強部屋、大浴場。
三階が一年生の部屋。
四階が二年生の部屋。
五、六階が三年生の部屋になっていた。
ちなみに地下にはプールや駐車場があるらしい。
一、二年生は二人一組での共同生活になるため、希望を出せば誰と住むかを指定できるようになっている。
和泉はもちろん望月を指定し、こうして二人の寮生活が始まったのだ。
「しっかし流石金持ち学園だよなぁ。両親がラブホ経営してないとこんなとここれなかったな」
「良いよね、ゲイカップル見放題で。うちなんて後釜を狙う気持ち悪いメス豚ばっかりだよ」
「蓮とこ茶道だもんなぁ……ま、次男なだけ良かったじゃん。結婚しないで済むし」
和泉の趣味で持ち込んだ高級感溢れる黒皮のソファーに座り、和泉がいれてくれた珈琲を口に含んだ。
お互いにほどほど金持ちの家に産まれたため、贅沢を言ってグレードの高い部屋を指定した。
本来なら大きな部屋の左右にお互いのベッドを置き生活する形なのだが、そんなのは嫌だと和泉が言ったためお互い個室を持てる部屋にすることにした。
玄関から入り共有スペースに行くまでの廊下の右に脱衣所とお風呂。
左にトイレと靴の保管スペース。
共有スペースに入るとそこはリビングとなっており、奥にベランダがある。
これなら自由に生活できるし過度のストレスも感じない。
望月とは長年の付き合いだが、和泉は意外と神経質なために部屋だけは別々にしてもらった。
暢気に珈琲を飲む望月を見て軽く溜め息を吐くと、和泉は立ち上がり髪を結んでいたゴムを外した。
「え? 寝るの? 飯は食ったのか?」
「ちょっとだけ、ね。今日は疲れたからもう寝る」
「寝るって、さっきまで寝てたんだろ? ちょっと寝過ぎじゃないのか」
「良いの! それより明日、生徒会室に潜入してくる! 柚斗はどうする? 寮見て回る?」
「……明日考える。つーか日曜なのに生徒会室に生徒会の奴らいんのかー?」
「それがもう直ぐ新入生歓迎会とクラブ紹介が一緒にあるらしくて、それで今かなり忙しい状態みたいなんだ。だから全員揃ってるって聞いたよ」
「お前凄い情報網だな……ま、疲れたんなら早く寝ろ。目ぇ覚めたとき用になんか飯買ってくるしさ」
「ありがと、じゃあおやすみダーリン」
冗談を言って扉の向こうに消えた和泉に、冗談を返す気力は望月にもう残っていなかった。
今朝までやっていた作業が思いの他身体に負担をかけたらしく、嫌なだるさがまだ抜けていないみたいだ。
ペン入れと修正を和泉がして、望月は色塗りを担当した。
タダで綺麗に色塗りを出来るアシスタントなんて世界中探しても望月だけだろう。
そう自分で過信しながら、望月は立ち上がり食堂に向かうことに決めた。
どうせなんだかんだいっても明日ついていくことになるんだ。
体力をつけておかなければどうなるかわからない。
望月は盛大な溜め息を吐いて、部屋を後にした。
翌日、けたたましい目覚ましに和泉はハっと目を覚ますと勢い良くベッドから飛び出した。
時間に制限がある訳ではないが今日は生徒会と会って調査してから、風紀委員をもう一度調査しなくてはいけないのだ。
自室の扉を開き望月を起こそうとしたがそれは果たされることなく、逆に望月にせかされる立場になってしまった。
共有スペースに出たら優雅に珈琲を飲んでいる望月がいたのだ。
「はぁ? なんで俺より先に起きてんの?」
「俺はお前と違って低血圧じゃないからな、ほら早く用意をしろ。可愛い顔が台無しだぞ」
「可愛いって言うな!」
「事実なんだしそろそろ認めてそれを武器に……って、良く利用してるか」
「まぁね。できることならかっこよく産まれたかったけど」
間接をポキポキ鳴らしながら和泉は軽く笑うと、洗面台に向かい用意をし始めた。
その間することがない望月は昨日コンビニで買い揃えた食材を、共有スペースにある簡易キッチンで調理して朝ご飯を作ることにした。
和泉は放っておけばなにも食べないから直ぐに体重が落ちてしまう。
修羅場が続いた日など見られる状態じゃないほど痩せこけていくのだ。
同室になったことだし、この際だから望月は和泉の食事管理をすることを決めていた。
和泉が完璧な状態で戻ってくる頃には朝ご飯も作り終えており、それを二人で食べてから部屋を後にして生徒会室に向かった。
今日の和泉のテーマはエリート系ファッションらしい。
実際知能はかなり高いのだが常識はかなり低い。
黒縁眼鏡をかけてふんふんと鼻歌を口ずさむ和泉は、中学生に見えないこともなかった。
「蓮まじで……黙ってると幼いよな」
「身長が低いって言いたいの!? 文句は親に言ってよね!」
「身長もあるけど顔つきとか、あと前髪のゴムが一番の決め手だと思うぞ」
「これは気分! っていうか、前髪が邪魔だからこうしてるんじゃん」
「じゃあ切れよ」
飛び跳ねるような足取りで歩く和泉の一歩後ろ。
望月はだらだらと歩きながら窓の外を眺めた。
入寮したばかりだからだろうか、生徒たちは自室には引き篭もらずに寮探索などしている。
望月もこのあと寮探索をしようと決心し、目の前を歩く和泉に声をかけた。
「俺、今日風紀委員とは会わねーからな」
「えー? 俺一人〜? 良いけど」
「ちょっと寮見回ってくるわ。面白いもん見つけてくるな」
「できれば美少年同士の禁断の逢引現場を見つけてほしいな」
「それはできないお願いだな」
むきーっと吠える和泉の手を引き、生徒会室へと急いで駆けた。
生徒会の人と会うのは楽しみだが、なにしろ和泉がいる所為で普通の会話にはならないだろう。
和泉がいなければこうやって会いに行くこともないのだが、できれば普通に会話をしてみたいものである。
望月はこう見えて頭の良い人間と会話をすることが好きだった。
縦に長い豪勢な扉を前に和泉は深く深呼吸をする。
とうとう辿り着いたエリートオアシスの部屋の扉。
ここを開けば黒髪鬼畜眼鏡がいるのだ。
そう思うといてもたってもいられずに、ノックをする暇もなくその扉を思い切り押し開いた。
「たのもー! 一年の和泉です〜! これからお世話になるのでご挨拶に伺いましたぁ」
にっこりと笑顔を浮かべてどんと立つ和泉に対し、望月は額を押さえ溜め息。
生徒会室の人々は目を丸くして和泉を凝視した。
そりゃそうだろう、こんな挨拶の仕方があるか。
望月は帰りたくなる衝動をなんとか抑え、声をあげようとしたがそれよりも先に和泉を見て反応した人物が二人もいた。
「君は和泉君じゃないか! どうしてここに!? 僕に押し付けた仕事、惜しくなったの? ていうかやってくれるの?」
「和泉……あ、柳星が言っていた可笑しな奴か。君、主席だったのに生徒会の仕事断ったんだって? 相澤が困ってるじゃないか。本来なら君がだね」
「え〜蓮そんなの知らなーい」
今にも泣きそうになっている相澤と説教をし始めようとする水島をその一言で黙らせると、後ろの方でぽかんとしている三名に目をつけた。
相澤はともかく生徒会も上玉揃いで腕がなる。
これは執筆活動も進んでくれそうだ。
どの人たちを組んでCPを作るのかは未だ決まっていないが焦ることもない。
時間はまだまだ腐るほどあるのだ。
和泉はがっくりと項垂れる相澤の肩に手を置いて、にっこりと微笑んだ。
「君には凄く感謝してるよ、だってこんな素晴らしい仕事をやってくれるって言うんだから。だから俺は渋々君にこの仕事を譲ることにしたよ、惜しいけど」
「え、え? 和泉君してくれるの?」
「いやいや俺みたいな主席の脳味噌は常識を逸しているから、君みたいな次席の方が合っているんだよ。自身を持って! 君ならできる!」
「そうかな? ……ありがとう」
嬉しそうに頬を染めて笑う相澤は決して美形ではないが、なにか可愛いものを感じる。
そのほんわかとした雰囲気に癒されながらなにかを言おうとしている水島を素通りし、先ほどからおどおどしている細い人に声をかけることにした。
美味しい獲物は最後に食べるとそう決めているのだ。
「初めまして。副会長さんだよね〜?」
「は、はい。黒川 涼(くろかわ りょう)です……あ、あのなにか?」
「凄く美人……だけど性格は暗そうだね。うーん属性は健気受けか幸薄受けかヘタレ攻め? 攻めはないかなぁ、うーん」
びくびくとこちらを見つめる黒川は恐ろしいほどに綺麗な顔をしていたが、何分性格が暗くおどおどといった印象を受けるのでオタク臭いと思われそうでもない。
さらさらとした漆黒の髪は項を隠し、程良く出ている色気。
身体はがりがりだが着物を着せたら似合いそうなのでそこはOKとする。
今にも泣きそうなその瞳がなにか悪いことをしているような気分にさせ、なんだか微妙な気分になりそうだ。
「別に取って食おうとか考えてないよ。調査しにきただけです。黒川先輩は終了したので下がってください」
「は、はい。ありがとうございました……」
黒川にタメ口で話す和泉に、和泉に敬語で話す黒川、これじゃあどっちが先輩かわからない。
望月は張り切って仕事をする相澤と、なにが起こっているのか未だに把握していない水島と、しょんぼりと今にも消えそうになっている黒川を見つめ、なにも起こりませんようにと神頼みした。
一方和泉は望月がそんなことを思っているなどとは露知らず、残りの二人に近付き挨拶をした。
和泉より少し小さくて可愛らしい人と、ホストっぽい人はお互いを見つめくすりと笑うと友好的に手を差し伸べてきた。
「吉原から話は聞いてるよ。俺は、澤田 陸(さわだ りく)。生徒会書記をしている」
「僕は樋口 塁(ひぐち るい)、会計だよ。好きなものは可愛いものと綺麗なもの。嫌いなものは醜いもの。君、すっごく可愛いね。僕のタイプだよ」
「こら、お前ちょっとは自制できないのか」
「だって〜食べちゃいたいんだもーん」
澤田と樋口も例外なく和泉が興味を示すほど、整った顔立ちをしていた。
澤田は背中まで伸ばした髪を綺麗な茶色に染めそれを結うことなく靡かせており、身長は190cm近いだろうかかなり高くすらりとした長い足が印象的だ。
顔は少し堀が深く、ハーフとも取れるほど綺麗な顔をしていた。
一方樋口は澤田とは正反対で、どちらかといえば和泉に近い感じだ。
和泉より数cm低い身長にふんわりとした雰囲気。
身体は小柄で顔は天使のように愛らしく、女の子だと言っても通じるぐらいだ。
だけどその可愛い顔に反して漏れるオーラはドス黒く、性格は捻じ曲がってそうな印象を与えた。
「ふーん、澤田先輩も樋口先輩もタチか、うん。澤田先輩は上辺付き合いがうまそうだね。それに比べ樋口先輩は直ぐに態度にでそう。浮気攻めに女王攻めに、まぁ受けもいけなくもないか。それにしても生徒会は攻めが多いなぁ、困った」
「……い、和泉くん?」
「ねー陸、僕はすっごく気に入ったよ! だって可愛いんだもん!」
「塁は本当に節操なしだな。だけどこの子、一筋縄ではいかないと思うけどな」
「そうそう、俺はそっちの人間ではありません。第三者です。柚斗、大体把握したよ! 無理矢理にでも黒髪鬼畜眼鏡本作ってみる」
抱きつこうとする樋口をさり気なく押し返し、和泉は水島に問いただされている望月の元へと戻った。
どうやら水島は吉原から和泉の噂を聞いていたのか、差して驚いた様子ではないが動揺はしているらしい。
昨日の今日で噂の本人が会いにきたのだから、そうなる気持ちはわかるが和泉にいってほしいと切実に望月は思った。
がくがく揺さぶられる望月を見てなにを思ったのか、和泉はとんちんかんな台詞を吐き、望月と水島を引き剥がした。
「ちょっとかいちょー、うちの柚斗は残念ながら受けじゃありません」
「は、……違う! そうじゃないんだ! ってかお前柳星の言ってた通りだな! 頭の螺子どっかに落としてきたんじゃないのか!? 質問に答えてもらおう、どうしてここにいる!」
「生徒会室にきたからここにいるんだよ、そんなこともわからないの?」
「そういう意味ではない! 理由だ、ここにきた理由!」
「きたいと思ったからきました、以上!」
「あぁあああ! もう! 貴様と話しているとこっちが可笑しくなりそうだ!」
がしがしと頭をかく水島を見て和泉は落胆の溜め息を吐いた。
生徒会長はもうちょっとクールでなにごとに対しても大人な態度で接しないといけないのに、目の前にいる水島はクールどころか頭が可笑しい人に見える。
未だに仕事をする相澤。
部屋の隅でうじうじしている黒川。
和泉をきらきらした目で見つめる樋口。
樋口を止めようとしている澤田。
そして頭を抱えている水島。
余りのカオスな空気にいてもたってもいられなくなった望月は和泉に軽く頭を下げると、先にこの部屋を出て行ってしまった。
差して気にも留めない和泉は望月に軽く手を振り、どうしようかと悩む。
「人数が多いとめんどくさいなぁ。風紀委員は楽だったんだけどなぁ。ねぇ、かいちょーもう飽きたから帰るね」
「はっ!? 話はまだ終わっていないぞ!」
「もう本も出せそうだし今日は良いよ。後日ゆっくりと話をしよう? 嫌だって言っても無駄だからね、樋口先輩が俺に会いたいみたいだし〜」
「っ、塁! お前は節操が本当にないな!」
水島は矛先を和泉から樋口に変えると、その小さな身体に向かってぎゃあぎゃあと説教をし始めた。
樋口も大人しくしている性格じゃないため、口論は激しくなり悪化するばかり。
原因を作った和泉はそれを見て楽しそうに笑うと、引っ掻き回すだけ引っ掻き回して生徒会室を後にした。
バタンと大きな扉を閉め、今度は風紀委員の部屋に向かおうと決めた直後、その扉が再度開き中から顔を見せたのは意外にも澤田だった。
「和泉くん、下の名前蓮だったよね? 蓮って呼んでも良い?」
「好きに呼んでくれても良いけど」
「じゃあ蓮、俺も蓮のこと気に入ったから、また遊びにきてね。今度は颯……あ、会長ね、颯のこと大人しくさせとくし。あと、俺のことは陸って呼んでね」
「うん。じゃあ陸先輩またね」
「……そういえばどこ行くの?」
「よっしーのとこ。よっしーからかうの結構はまりそうなんだぁ」
「そっか、吉原にもよろしくね。あと敬語は俺たち以外には使った方が良いよ。俺は気にしないけど、嫌がる奴もいるしね」
「大丈夫だよ。俺馬鹿じゃないし、ね」
きょとんとする澤田に手を振り和泉は背中を向けて風紀委員たちのいる部屋へと向かった。
和泉はこう見えても知能は高いのだ。
望月は常識がないと良く嘆くが、茶道という常識の世界で育ってきたため和泉は望月が思っているほど非常識ではない。
ただ望月の前では自由になれるから、甘えたり我儘言ったり馬鹿したり好きなことをしているだけだ。
今の自分が一番自分らしい。
そう和泉は思っていた。
敬語を使ってはいけない相手、それは即ち和泉にとって興味のない人間。
風紀委員や生徒会とは当初の予定から仲良くなるつもりだったため敬語を使わずに近付いてみた。
思った通り、彼らは和泉に壁を作ることなく面白い奴や変な奴、非常識な奴と印象づけた。
第一印象はなるべく悪い方が良い。
その方が後から接しやすいものだ。
「最悪、からは上にしかいかないしね」
一人ほくそ笑むと生徒会室とは反対側にある風紀委員室の部屋の扉を捻った。
まずは風紀委員から落として生徒会室に馴染めるようにしよう。
和泉はそう決心し中へと躊躇うことなく入っていったのだった。