乙男ロード♡俺は腐男子 05
 そんなこともあり吉原とは仲良くなったのだが、今日みたいなことは初めてだった。
 吉原は風紀委員に所属のため特別寮、和泉は普通の寮。 それ故にお互いの寮は離れており、寮で会うことはない。 食堂やその他の場所で会うことならたまにあるのだが、今日はたまたま会ったのではなく、吉原から会いにきたのだ。
 相談なら神谷や森屋にするだろう。 和泉はどんな用なのかさっぱり検討もつかなかった。
「え、同人誌関係? よっしー出演させてほしいの? ……でもこの間よっしー本出しちゃったしなぁ」
「出した……そもそも前から気になってたんだけどお前なんなの? 同人誌とか原稿とか修羅場とか、オレちょっとわかんねーんだけど」
「まぁ世の中には知らなくて良いこともあるのだよ、君。詳しくは神谷先輩に聞いて? あの人、妹が俺と同じみたいで詳しいんだ」
「……わかった。今はどうでも良いしな」
 心なしか元気がないように見える吉原に、ますます和泉はどうして良いのかわからなくなった。
 ふざけた感じで言ってみても反応は今の通り薄い。 というより興味がなさそうに見えた。 それに同人関係じゃなければ一体なんの用なのだろうか。
 本来ならこれから原稿を書いて、お気に入りのサイトをチェックするという王道コースが待っていたのにと和泉は思う。
 だけどこんなにしょ気ている吉原を放っておけるほど、和泉は性悪でもない。 ほんの少し、粉砂糖を一つまみするぐらい分だけ、しょ気ている吉原に誘い受け萌えしてしまったが、それを言うとまたややこしくなるので黙っておくことにした。
「もう……俺も忙しいの。部屋くる? そこでゆっくりしたらどう?」
 和泉の提案に吉原はこくりと頷くと、和泉のあとについて望月と和泉の部屋に入っていった。
 この部屋に住人以外を入れたのは初めてだ。 本来ならあまり入れたくないのだが、この状況じゃ仕方がない。 望月にばれても怒られはしないだろうが、なにかしら言われるのだろうかと少し不安になった和泉は吉原に共有スペースで大人しくしてろとだけ言い、急いで作業に取り掛かった。
 サイト巡りはこの際いつでも良いのだが、新刊だけは落とす訳にはいかない。 もうスペースを取ってしまったし、サイトにも告知してしまった。 コピ本だけはどうしても避けたいので仕上げるしかないのだ。
 和泉は必死になって原稿を書き始めたが、傍らでぼうっとしている吉原にどうも気を削がれてしまい思うように手が進まない。
 いつもだったらなにかしらちょっかいをかけてきたり、邪魔してきたりするのに今日はなにもしない。 もっと怒鳴ったり偉そうにしたりしても良いものの、なにかをする気配すら見せない。
 変な薬や食べ物でも食べたに違いない。 そう思い和泉は意を決し吉原に声をかけた。
「……で? もう我慢できないよ! なにしにきたのさ!」
 それでもなにも反応を示さない吉原に、温厚な和泉も物に当たりたくなる。
 なにがあったのかは知らないがこんな態度はないだろう。 大体どうして和泉を訪ねてきたのかもわかっていないし、それを言う気もなさそうだ。 どうしても深い悩みがあるのなら神谷や森屋に言えば良い。 和泉はそう思いながら吉原を見つめた。
 これ以上ペースを乱されるのは同人誌にも影響が出るし、和泉自身も耐えられるものではない。
 吉原の側に行き、話しかけてからその身体を玄関の外に出すことにした。
「……ほら立って! 俺は今から真面目に原稿を書くので用がないなら出てってください」
 大きな身体を無理矢理立たせ、和泉は玄関まで引っ張って行く。
 吉原がダダを捏ねて歩かないんじゃないのだろうか、という心配もただの杞憂で終わった。
 玄関まで連れ出し靴を履くように指示していると、それまで無反応だった吉原がやっと反応を示した。 さっきまで酷く落ち込んでいた表情が少し明るくなり、なにか大きなことが吹っ切れた様子だ。 それがなんなのか聞くほど仲が良い訳でもないし、今はそんな状況ではない。
 和泉はそれには反応せずに吉原の目を見た。 吉原はいつものように和泉を見下した表情で、にやりと笑って見せた。
「……ざまぁねーな」
「なにが? もうほんとに迷惑かけないでよね」
「ハ、それは約束できねーな。これからもーっと迷惑かけてやる予定だ」
 その言い草にかちんときた和泉は顔を上げたのだが、それが悪かった。
 ぎらぎらした目付きの吉原と目が合い、やばい、そう和泉が思ったときには既に遅い。 ぐいっと腕を引かれ、しゃがんだ吉原の唇と和泉の唇が触れ合ってしまったのだ。
 その間数秒。 抵抗する暇もなく、和泉のファーストキスは奪われてしまった。
 それに触れ合うだけならまだ良い方だ。 犬に噛まれたとでも思っておけば良い。 第一和泉は女でもないしロマンチストでもない。 ファーストキスぐらいでぐだぐだ言う性分でもないのだ。
 しかしなにを思ったのか、吉原はキスだけでなく、和泉の身体を壁に押し付けると深く唇を貪り始めたのだ。
 それだけは勘弁だというように和泉は抵抗をしようと腕に力を入れるが、力の差が歴然としている所為か吉原はびくともしない。 生温かい吉原の舌が和泉の舌を捕らえ、その感触に背筋がぶるりと震えた。
「ン、……よっし、や……め」
 少し鼻にかかった声が和泉の口から漏れ、吉原はその声に興奮が増すと更に舌を吸うように和泉の口内を蹂躙した。
 なにがどうなってこんなことになっているのだろうか。 和泉は回らなくなる頭でぼんやりと考えていた。
 こういうシチュエーションを書いたことは何度もある。 その度に萌える萌えると悶えていたのも記憶に新しい。 だけどこんなことを自分がするなんて夢にも思っていなかったのだ。
 和泉にとってホモとはある意味近い存在でもあったが、果てしなく遠い存在でもあった。
 誰が思うだろうか、男にキスされるなどと。 人生でそんなことに危機感を持つことなど一生ないと高をくくっていたのだ。 女になら襲われるかもしれないけれど男に襲われるなど、ペガサスと遭遇するぐらい和泉にとっては有り得ない出来事だった。
 早くこの有り得ない現実から抜け出したくて足掻いてみるが、吉原はびくりともしない。 空手で鍛えた力を入れてもそれ以上の力で押し返されてしまう。
 和泉はそんな吉原に恐怖さえ覚え始めていた。
「かわい……」
 ぽつりと吉原はそう呟き、和泉が恐怖を覚えていることなど知らずに和泉の顔を盗み見しながら唇を合わせていた。
 時折苦しそうに歪む顔とか赤く染まる頬とかに興奮は増すばかりで、上限がない快楽のようだ。
 こんなに興奮を覚えたのも久し振りかもしれない。 止まらない蹂躙を和泉の所為にして、吉原は思う存分和泉の舌の感触を味わっていた。
 このキスは完全なる吉原だけ良い思いをするキスだ。 和泉の恐怖は増すばかりだし、なんだか得体の知れないものに侵食されているような気がして可笑しくなりそうになる。
 吉原は未だにしつこく舌を絡めるし、その手は和泉の腰周りを怪しい手つきで触り始めている。
 このままでは本当に貞操の危機かもしれない。 我慢の限界が越えた和泉は、それから逃げたい一心で吉原の舌を思い切り噛んだ。
 最初からこうすれば良かったのだ。 噛んでから和泉は思った。
 肉を噛む感触を味わった和泉と違い、吉原は激痛に眉を顰め和泉から唇を離すと舌を出して痛がった。
 そんな吉原を冷たい視線で見つめ、和泉は大きな声を出した。
「っ、なんのつもり!?」
「ハ! オレ様がキスしたかったからしたんだよ、わりーか?」
「あのね、今あんたがしようとしてたのは犯罪っつーか暴行罪! だっけ? あーもうなんでも良い! まじきっしょい最悪死ね!」
「とか言ってちょっとは感じたんじゃねーの?」
 悪びれもせずにのうのうと舌が痛いとか感じたんだろ、などと言う吉原に和泉は噴火しそうになる。
 一方的なキスに感じる訳もないし、感じる義務もない。 どうして和泉がこんなことを言われなくてはならないのだ。
 吉原は自分が悪いことをしたなどとは露にも思っていないのだろう。 そう思うと和泉は苛々が最高潮になった。
 口の端に垂れた涎をごしごしと拭い、消えないリアルな感触に吐き気すら覚え始める。
 和泉の中でずっと燻っていた悩みが、今ここになってはっきりと浮き彫りになった。
 いつだって和泉は恋ができないと思っていた。 可愛いなと思う女の子はいるけれど、キスしたいとか守りたいとかそんなこと思ったこともなかった。 それに対して悩み苦悩する日々だってあったけれど、望月が和泉の悩みをそっと胸の奥に閉じ込めてくれたのだ。
 恋はしようと思ってするものじゃないよ。 いつか自然にできるものだ。 和泉にそう言ってくれた望月の言葉を信じて、和泉はそれ以来特に焦らずに生きてきた。
 和泉だって恋はしたかったけど好きになれないものはしょうがないし、焦ったってなんの解決にもならない。 だから和泉はいつか和泉の趣味を理解してくれる女の子と恋をする機会を伺って、特に気にせずに腐男子ライフを送ることができたのだ。
 なのに吉原の所為で、和泉の計画が無残にも崩れ去ってしまった。
 人生のメモリアルに男とキスをした出来事が入る予定などなかったのだ。 これじゃあキスする度に男とキスをしたことを思い出すではないか。
 ちょっぴり女みたいな思考だと和泉は思ったが、この際女でもおかまでもなんでも良い。
 取り敢えず目の前で偉そうにしている吉原をぎゃふんと言わせたくて仕方がなかった。
「死ね! 掘られてしまえ! 馬鹿! あほ! なすび! うんこ! ぎゃふんって言えよ!」
「いって! 蹴るんじゃねぇ! オレ様の綺麗な顔に傷がいったらどうすんだよ!」
「知るか! てめーの顔の価値なんざ俺の同人誌一冊分にも満たないね! 没になった原稿に使ったトーンの残りカスの価値すらねーよ!」
 和泉は思い付くだけの罵詈雑言や、蹴る殴るの暴行を吉原にするが、それをいとも簡単にするりと抜けられ逆に手を押さえ込まれてしまう。 その触れる感触に和泉は過敏に反応してしまい、バッと吉原から離れた。
 さっきのキスが和泉の脳内で駆け巡り危険信号を絶えず出しているのだから、触れられたりしたら和泉の脳内がオーバーヒートしてしまいそうだった。
 和泉は触れた手をじっと見つめ、吉原は罰が悪そうに目を逸らした。 その一瞬から生まれたなんともいいがたい微妙な雰囲気に、息がつまりそうになる前に口を開いたのは和泉だった。
「……冗談、するなら他の人にしてよ。あんなことするなんて、頭どうかしてるんじゃない?」
「ハ、あれが冗談? てめーこそ冗談言うのはなしにするんだな」
「そういう態度は嫌われるよ? もう、まじで最悪! よっしー見損なった! 誰でも良いの!? こういうことするなら他の人あたってよ、俺そんなので近づいたんじゃないし!」
「オレだってちげぇーよ。昔は誰でも良かったけど、……お前のは、……じゃねーといけねぇんだよ」
「は? 日本語喋って!」
「だから好きだって言ってんだろ!? 文句あるのかよ!」
 その一言で和泉は大きな声を上げ、本日一番驚いた出来事になった。
 まさかこんな展開があるだろうか。 いやこんな展開は少女漫画か小説にしかない。
 いつの時代にキスしてから好きだという馬鹿がいるのだろうか。 最近の少しエッチな少女漫画の糞展開じゃないのか。 それにさっき吉原は絶対キスだけで終わろうとはしていなかったのだ。
 ああいった類の漫画ではイケメンに犯されて喜んでいる女共がたくさんいるが、現実世界にはどこを探してもそんな女も男も存在などしないはずだ。 イケメンは婦女暴行、強姦といったレッテルを張られ女はトラウマを背負うだけだ。
 和泉は頭の中で少し脱線をしながらも今までの出来事を整理して、少し耳を染める吉原を唖然とした表情で見つめた。
 出会って一ヶ月ちょっと。 仲良くなって数週間。 和泉は吉原に対してぞんざいな態度ばかり取ってきた。 飽くまで和泉にとって吉原はホモ妄想の対象とちょっとした知り合い程度なだけなのだ。
 本人はあまりわかっていないだろうが、和泉の脳内では水島と吉原のうふんあはんな妄想を繰り広げていた。
 それにこういう男子校での恋物語というのは春と夏と秋を越え、世間が寒くなる冬の日に告白するのが王道だ。 春にキスを無理矢理する展開はあっても、春に告白する展開はない。 早くても初夏からと和泉の脳内では決まっている。
 もはやなにがどうなってこうなっているのか全く持って和泉には理解ができなくて、真面目に考えようとしてもホモ妄想のことばかり考えてしまう。
 苦し紛れに吉原の告白に対して出した返事は、返事にすらならなかった。
「つーか趣味わる!」
「うっせーな! オレ様もそんなことはわかってんだよ! なんで貴様に惚れたのかこっちが聞きてぇよ。オレ様のタイプはなんでも言うことを聞くすらりとした長身美人なんだよ!」
「そんなこと知らないよ! つーかよっしーは受け! 黒川タイプとはCP妄想できない! かいちょーとくっついてくれないと……」
「あ? なに言ってんだよ、貴様脳味噌溶けたか?」
「それに好きだって言われても困る……ちょっと無理! よっしー無理! もう駄目! 帰れこの腐れ外道め!」
「は? っあ、ちょ……」
 有無も言わせないまま和泉は吉原の身体を押して外に出し、玄関の扉に鍵をかけた。
 深い溜め息を吐いて安堵するも、その時間は短くて、吉原は外からもう一度和泉に好きだと言ってきた。 それ以上その言葉を聞きたくなくて、和泉は耳を両手で塞ぐとその場所に蹲った。
 何度も何度も好きだと言う吉原になんの反応も示さない和泉。
 暫くそれが続いたが、なにも言わない和泉に吉原は諦めたのか、素直に立ち去った。
 ほっと息を吐き和泉は安堵をすると、少し顔をあげこれからのことをぼんやりと考えた。
 今、考えなくちゃならないのは吉原のことではない。 吉原は逃げないし消えないしどうにもならない。 考えても答えは出ないので考えるだけ無駄だと思うことしよう。
 和泉の中での一番優先させなくてはいけないのは、原稿なのだ。 しかし残念ながら吉原の所為で今から書くはずだった原稿も、書く気が全くなくなってしまった。
 初めて告白されたのだ、男性に。 幾ら原型を留めないほどに腐ってしまった和泉でも、このときばかりは気軽に妄想などできる訳がなかった。
 このままじゃ落としてしまう。 そう思うものの頭から吉原が離れてくれない。
 さきほどの体験をいかしてホモ話を作れるほどまだ大人じゃなくて、だけどホモになる予定はないのだから体験などこれからもする予定もない。
「好き……? 遊んでるくせに、たちわるい」
 どうせ本気で言っている訳がないのだ、和泉の反応を見たかっただけなのだ。 そう思うと凄く苛々してきてどうしようもなくなっていく。
 顔が可愛いからこんなことになるのだろうか。 今までモテなかったけど、顔だけは好きだという台詞を何度も聞いた。
 確かに顔だけなら和泉自身も可愛いと思ってしまう。 それはナルシストではなくて、本当に可愛いのだから仕方ない。
 頭をがしがし掻きながら、言葉を口に出して整理していく。
「あー……べろちゅーなぁ、あんま気持ち良くなかったな」
 現実逃避をしてしまいそうだ。 和泉はぼんやりと天井を見上げて深い溜め息を吐いた。
 早く望月が帰ってきてくれないだろうか。 ご飯を作ってくれたりお風呂沸かしてくれたり、原稿で戸惑っている和泉を励まして手伝ってくれたり、そうしてほしい。
 和泉は望月がいないとなにもできないのだ。 和泉にとって親友でもありお母さん的な存在でもある望月が、初めて恋しくなった。
 望月ならこの場合どうしたら良いのか答えを教えてくれるような気がして、和泉はいてもたってもいられずに指を床に置きトントンとリズムを刻んだ。
 いつもは早く過ぎる時間も、待つということでいつもより何倍も遅いスピードで過ぎていく。
 それからというものの、望月が帰ってくるまで和泉は玄関で蹲りながらぐるぐるといろんなことを考えていた。
 考えないようにしていても考えることでしか暇を潰せない。
 もうそろそろ望月も帰ってきても良いだろう。
 和泉の脳内で考えるキャパシティも崩壊寸前になったころ、玄関の開く音がした。 望月が帰ってきたのだ。 そう思うものの、考えごとが頭の片隅に残っていて望月が話しかけてくるまでぼんやりとしていた。
「どうした? なんかあったのか?」
 待ちに待ったその声で和泉は完全に現実世界へと引き戻された。
 目の前には少し困った表情を浮かべて、和泉を見つめる望月。 その優しい手が和泉の頭を撫でふんわりと笑った瞬間、和泉は酷く安心して零れた涙を拭うこともせずに望月にしがみつくと十分にその身体を抱きしめた。 望月の匂いや温度が和泉を包んでくれて、さっきまで悩んでいたことが気楽に思えてきた。
 そう、今こんなことで悩んでいる場合ではないのだ。 和泉は一大決心をすると、驚いている望月の顔を見上げ笑ってみせた。
「よし! 充電完了〜さ、柚斗原稿書くよ! まだ白紙なんだから今夜は寝かせないゾ☆」
「……え、ええ? おま、さっき泣いてたけど大丈夫なのか?」
「キニシナーイ! もう良いの良いの。ほら、原稿書く!」
「まぁ、良いなら良いけど……ってかちょっとは進めとけよなぁ」
 そう言いながらもなんだかんだ手伝ってくれる望月に感謝をした。
 それから望月と和泉は原稿に取り掛かろうとするが先程あった出来事をぽろりと言ってしまった所為で、望月と和泉は三時間もそのことで話しこんでしまった。
 結局そのあと二人は時間の無駄遣いに気付き、大慌てでお風呂にも入らずご飯も食べずに原稿に勤しみ徹夜したのだった。 もちろん学校などは行けるはずもなく、二人仲良く揃って休んだのだった。