乙男ロード♡俺は腐男子 06
 一方の吉原は廊下を一人歩きながら後悔の念に苛まれていた。
 あんなことをするつもりだった訳じゃない。 そう思っても、時間を遡ることはできない。 いくら吉原が後悔しようと、してしまったものはしてしまったのだ。
 後悔先に立たずとは良くできた諺だと、改めてしみじみと実感した。
「……ほっんと、趣味わりー」
 いつからだったのだろうか。 吉原は和泉のことが気になるようになっていた。
 人の気持ちを考えずに行動して、意味のわからない単語を喋り、マイペースな性格は吉原が一番嫌いなタイプだった。
 吉原にとって好きな性格とは、吉原の言うことを聞き、大人しく振舞い、忠実に尽くすタイプだ。
 和泉の第一印象は最悪だった。 吉原が演説しているときに大きな声で叫んだ望月を制した和泉。 それから廊下で再会し、無礼な態度を取られた。
 次の日に苛々しながら水島と電話をしていると、和泉がまたやってきたのだ。 しかも無断で風紀委員室に入ってきたではないか。 吉原が唖然としている間に神谷と仲良くなり、いつの間にか吉原の憩いの空間にたまるようにもなっていた。
 それから和泉の所為で、吉原の生活スペースが乱されることになり、苛々する日々が増えていった。
 女が抱けないからその代わりにと、男を抱いてストレス発散を試みるもどうもうまくストレスが発散できない。
 風紀委員の名を盾にして暴れてみても、水島と勝負をしても、吉原は苛々を止めることができなかった。 和泉にきつく当たったり、無視をしたりもしたけれど、そんなことなどお構いなしに寄ってくる和泉に少しずつ吉原は心を開きかけていた。
 吉原に惚れている訳でもないのにどうして側に寄ってくるのだろうか。 そんなことばかりを考えている毎日になっていた。
 それから数日が経った。 和泉に心を許したのは、吉原の愛猫ルルを見られた日だった。
 授業がつまらないのでさぼっていた吉原は、秘密で飼っていたルルをこっそり散歩をさせようと中庭に連れてきたのだ。 ルルは子猫の癖に遊び心があまりないのか、吉原の足に擦り寄りそこから動こうとしない。 内心悶えるような思いをしつつ、吉原は威厳を保つために仏頂面をしながらルルにささ身を与えていた。
 そのとき、急に聞き覚えのある声がした。 後ろには和泉がいて、ルルの餌の与え方に文句をつけてきたのだ。
 最初は吉原が否定されたような気分になったが、ルルの命は掛け替えのないもの。 吉原は半信半疑ながらも和泉のいう通りにルルを育てた。 そうしたら、前より動くようになり元気になったのだ。
 それから吉原は和泉に対しての態度が一ミクロン程度だけ柔らかくなった。 自分から接するようになっていったのだ。
 傍から見れば弱いもの虐めのようにも見えるそれ。 小柄で弱そうな和泉に、ピンクの頭をした強そうな吉原がまとわりつき、電波だの気持ち悪いだの言うのだから。
 仲間内では構って欲しくて言っているのだとわかっていたので周りは和やかな目で見ていた。
 吉原にとっては和泉に電波だ、気持ち悪いと言いながら和泉と話すのがひと時の至福だったのだ。 いつしかそれが違う方向へと形を変えていくなんて、吉原でさえ止めることができなかった。
 最初は少し気になる程度で済んでいたのだ。 あんな人種はなかなかいないだろうし、ただの好奇心だろうと思っていた。
 そもそも吉原のタイプは男も女も細身で高身長、美人タイプなのだ。 和泉みたいなタイプなど論外だし、吉原にとってルル同様の感情しか持ちえていない。
 しかし吉原にとっては遊びの男女より、ルルの方が大事。 遊びの男女より、ルル同様の和泉の方が大事になっていた。
 それもそうだろう。 この水島デルモンテ学園には女がいないので、男を代用品にしていた。 その代用品と比べられたら堪ったものではない。 男とのセックスもなかなか愉しめるものがあるが、友人やルルに勝るものはない。
 そう、そんな程度の感情だった。
 だけど次第に覚える違和感。 吉原にとって、はっきりと和泉に対する思いがわかったのはある出来事がきっかけだった。
 その日は授業をさぼり、吉原を誘ってきた同級生とベッドを共にしていた。
 タイプドストライクではないが、まぁまぁ吉原の好みのタイプだったのでやることにしたのだ。
 最近はなにかと忙しく、誰かと肌を重ねることもしていない。 吉原にとって、久々のそれは激しくなる予定だった。
 しかしどうだろうか、いざベッドに入って愛撫をしてやり挿入の準備をするが、肝心のものが反応を示さない。 吉原自身が全く持って形すら変えないのだ。
 その様子を可笑しいと感じたのは吉原だけではなく、ベッドを共にしていた同級生も異変に気付いていた。
 吉原の肩にするりと手を回すと、その唇を耳に近付け囁くように言ったのだ。
『柳星……どうしたの?』
『うっせぇ、ほっとけ! 喋りかけんな』
『元気ない? 口でしてあげようか?』
『……触るんじゃねぇ!』
『な、なに? 機嫌、悪い? 勃たないから?』
『貴様に魅力がねぇから勃つもんも勃たねぇんだろ? 元気なかったらやろうとしねぇよ』
『そ、んな酷い! 柳星がするっていうから!』
『誘ってきたのは貴様からだろ? もう良い、出ていけ!』
 吉原はその男の服をかき集め、男と一緒に外に放り出した。 自分でも八つ当たりの行動だとは思うのだが、何故か釈然としないものがある。
 行為の名残りが部屋中に充満していて、気分の悪くなった吉原は、空気を入れ替えるために窓を全開にした。 入れ替わるように入ってくる新鮮な空気を吸い込み、足元でじゃれついているルルを抱き上げた。
 男に魅力がなかった訳じゃない。 吉原のタイプな上に、こなれているので面倒くさくもない。 いつもなら確実にやれていたし、吉原自身だって反応を示していたと思う。
 だけど途中、何故だか思いも寄らぬ人物が吉原の脳内を掠めて一気に萎えてしまったのだ。
『和泉だと……? 笑わせんな』
 呟いた台詞が全てを物語っていた。
 さっきの意味がなんなのかも、吉原ができなかったのも、全ては和泉に恋をしてしまったからだ。
 吉原はこの事実を全否定したい気持ちでいっぱいになった。
 恋をするのは嫌ではないがどうして寄りによって和泉などに恋をしてしまったのか。 もうちょっと他の人物でも良いはずなのに、吉原は自分が信じられなくてどうしようもなくなる。
 認めてしまえば少しは楽になるのだろうけど、吉原は和泉に片思いをすることになってしまう。 それだけはどうしても避けたい事実だが、今更気持ちに目を瞑る訳にもいかない。
 吉原はその日ずっと考えた。 そして出した結論は認めるということ。
 認めてしまえばこの気持ちも少しは楽になり、もやもやしていたものも晴れたようだった。

 気持ちを認めた日から、数日が経った。
 あの日から和泉は急に風紀委員室にこなくなり、吉原の前に姿を現さなくなった。 こんなことは初めてで、いてもたってもいられずにどうしても会いたくなってしまった吉原は和泉に会いに行ったのだ。
 水島に聞けば生徒会室には顔を出しているのに、どうして風紀委員室にはこないのか。 ただそれだけを知りたいだけだった。
 だけど会ってしまえばどうしようもなくなる理性には勝てず、吉原は和泉の手を引きついキスをしてしまったのだ。
 後悔してももう遅くて、和泉の傷ついた顔を見たとき吉原はしてはいけないことをしてしまったと、やっと理解するのであった。
 ぐだぐだ考え事をしながら歩いていたから、いつもより風紀委員室に着くのが遅くなった。 大きな溜め息を吐き項垂れる吉原に誰も近づこうとはせず、ただ不思議そうな目を向けるだけ。
 そんな視線ももろともせず、吉原は大きな扉を開き中に入っていった。
「……あ、柳星遅かったな。どこ行ってたんだ?」
 吉原が風紀委員室に入るやいなや森屋が話しかけてきた。 吉原はそれを横目でちらりと見ただけで素通りする。 その態度に気付いた森屋と神谷は、吉原に話しかけることをせず再度仕事に取り掛かった。
 機嫌の悪いときの吉原には関わらない方が良い。 二人はそれをわかっている。
 吉原は自分の趣味で置いてある大きな豹柄のソファに身を沈め、目を瞑った。
 和泉に恋をしたけど叶いそうもない。 相手はホモが好きなだけでホモではないのだ。
 吉原だってたまたま好きになったのが和泉であり、元はホモではない。 男相手にセックスはできるが、この現状ではいたしかないことなのだ。 だが、ホモに偏見などはない。
 和泉を好きな気持ちに蓋を閉じて他の男や女とやりまくれば、少しは気を紛らわせてくれるだろう。 だけれど吉原は薄々わかっていた。 和泉に恋をした時点で、他の人とはできないし簡単に消えてくれる思いではないのだと。
 やろうと思えばできる。 心がついていかないだけで、反応するのは身体だけの空しい行為になるのだ。
 だから恋は嫌いだった。
 吉原が唯一勝てないもの。 恋をすれば、自分が自分じゃなくなり強さを保てなくなる。 セックスだって思うようにできなくなるのだ。
 吉原にとって人生で経験してきた二度の恋に、良い思い出はあまりなかった。
 一度目は家庭教師の先生。 吉原にとっては初めての相手でもあり初めて恋をした人でもある。 幸せだった期間は短い。 二人の関係も長くは持たず、先生は内緒で付き合っていたお金持ちの彼氏と出来婚し、急に吉原の前からいなくなってしまった。
 吉原にとっては大事で守りたい存在だったのに、先生はただの火遊び程度の軽い気持ちだったのだ。
 二度目は水島デルモンテ学園に入ってからだ。 とある生徒に恋をして付き合ってはみたが、その相手は吉原じゃなく吉原を通して他の誰かに想いを馳せていたのだ。 あんなに自分のことを好きだと言っていたのに、それが嘘だったなど今でも信じられないでいた。
 それから吉原は恋をすることをやめて遊びに走った。 もうあんな辛い思いはしたくなかったのだ。
 しかし気持ちでは抑えつけていても、恋は突然にやってくるもの。
 三度目は和泉。 水島デルモンテ学園の生徒でもあり、下級生でもあり、なにより電波だった。
 前回の相手より性格は悪いが遊ばれる心配はない。 それ以前にそれすらいかない状況ではあるが。
 吉原は大きな溜め息をわざとらしく吐くと、全てを曝け出す覚悟を決めた。 というより、誰かにこの胸の内を聞いて欲しいのだ。
 案の定、吉原の思惑通り森屋が反応してくれた。
「お前、最近可笑しいぞ?」
「ほっけよ、どーせくだらない理由だって。ルルが反抗期だとか、オレ様に靡かない男がいた! とか、オレ様の顔に吹き出物ができた! とか」
「……第三者が冷静に言うと馬鹿らしいな」
「馬鹿らしいじゃなくて馬鹿なんだよ、わかるか?」
「っ、空! オレ様を誰だと思ってる!」
「何様オレ様柳星様?」
「ハ! 良い度胸だなぁ、貴様! 手加減はしねぇぞ!」
「はいはい。つーかなにがあったんだよ? 柳星らしくねーぞ」
 神谷の一言に吉原は言うべきことを思い出したらしく、借りてきた猫のように大人しくなった。 わざわざソファに座りなおしてから、ポケットに入っている煙草を取り出し火をつけた。
 意外に常識人な森屋は煙草を止めようとその手を伸ばすが、吉原の言葉に固まることとなった。
「恋わずらい、つーか、うん」
 ぶふぉっと噴出したのは神谷。 綺麗な顔がひん曲がって見えるほど、顔を歪めて吉原を見つめた。
 森屋も我が耳を疑ったのか、驚いた表情を見せて神谷の方を向いた。 お互いに顔を暫し合わせ、呆然と立ち尽くしたのだ。
 いつもなら吉原が馬鹿なことを言って、神谷がそれに突っ込んで、森屋が宥める。 そういうパターンなのだが、どうやら今日はそうもいかないらしい。
 吉原が言った台詞が冗談なら良いのだが、顔つきからしてどうも冗談ではなさそうなのだ。
 どんな反応を見せたら良いのか迷っている森屋に、神谷は頭の中である線が浮かんだ。 そういえば最近、思い当たる節がいくつかあったのだ。
 ただの予想で終われば良いのだが、神谷は人より感が良い。 どうも事実のような気がする。 言うことにかなりの躊躇いがあったが、この状況じゃどうせ聞くことになるのだ。 神谷は意を決し口を開いた。
「柳星……まさか、相手、は、和泉か?」
「正解! 貴様ただの馬鹿じゃねーんだな。褒めてやるよ、光栄に思え」
「冗談言ってる場合じゃねーだろ! なんでよりによって和泉なんだよ!」
「こっちが聞きてぇよ」
「柳星、恋が実る確立ちょー低いぜ!? あいつ、難しいと思うし、和泉はやめとけって!」
「やめれるならやめてる」
「はぁ……そうだよな、仕方ないか。まぁ応援はしてやるけど、和泉にはまだ言うなよ。あいつ多分男に告白されたことないだろうし、いきなりは驚くだろ。それにしても和泉ねぇ……悪い奴じゃないけどさ」
「……空、オレ様の性格を考えてものを言え」
「ま、さか」
「ああ、さっきキスしてきた」
 ガシャンという音を立て、神谷は持っていたコップを床に落としてしまった。
 吉原の手が早いことは神谷も森屋もわかってはいたが、まさかキスを済ませてきたとは露にも思わなかった。
 なにしろ相手は普通の男子生徒ではなく、どうしようもないオタクで、男を妄想の対象としか見ていない和泉なのだ。 和泉に惚れるだけでも肝を抜かれたような事実だが、キスをしたということはそれ以上に二人を驚かせてくれた。
 震える手をなんとか持ち直し、床に散らばった破片を集めながら神谷は盛大な溜め息を吐いた。
 どんな状況でキスをして、和泉がどんな反応を示したのかもわかってしまうのが嫌だ。
「……最悪な展開だな」
「仕方ねーだろ、和泉の顔がキスして良いよって言ってたしな」
「言ってねーだろ、普通に」
 吉原の開ききった言い分に神谷は頭痛まで併発しそうになる。 ただでさえ吉原は良くも悪くも目立つので頻繁に問題を起こすのだ。 それで被害を被っているのは水島だけではない。 後始末やら隠蔽やらを少なからず風紀委員で補って色々と大変なのだ。
 それだけでも疲れるのに、またもや神谷を悩ませるというのか。 なんだか無性に全てを放棄したい気分に駆られてしまう。
 森屋をちらりと横目で見たが、どうやら先程から固まって動こうともしない。
 神谷は仕方なく立ち上がると吉原の頭に拳骨を入れた。
「っ、なにすんだよ貴様!」
「こっちの台詞だろーが! 言うけどな、和泉と付き合える確率は日本の政治が大統領制になるのと同じくらいの確率な訳! あいつはホモ好きだ。良いか? ホモが好きなんだ。決してホモな訳じゃねーんだ」
「知ってるに決まってんだろ」
「良いや、わかってねぇ! お前には黙ってたが、和泉がもっとも好きな組み合わせは水島とお前だ! つまりは水島に喘がされているお前が好きなんだ! そう和泉にとってお前は受けだ!」
「……は?」
 一瞬、神谷の言っていることがわからなくて、吉原は頭の中が真っ白になった。
 水島と吉原がいちゃついているのが好き、というのはつまり吉原が受けな訳であって、しかし吉原にとって吉原は攻めである。
 大体和泉がホモ好きだとは知っていたが、まさかそんな妄想をしているとは青天の霹靂だ。 というよりどこかでホモ好きだということを信じていなかったのかもしれない。 そう吉原はぼんやりと思った。
 次第にクリアになっていく思考に、神谷の言った台詞が反響していく。 吉原は本日で一番大きな声で叫んだのであった。
 それから落ち込んでしまった吉原と、未だに動こうとしない森屋の処理に神谷は一人、奮闘するのである。
 吉原には仕方ないが和泉は諦めてもらおう、と神谷は思った。 神谷にとっては和泉より、吉原の方が大事だ。 吉原にはなるべく傷ついてほしくない。
 吉原はある意味純粋だから恋に溺れやすく、傷つきやすいタイプなのだ。 この脈のない恋で幸せになれる訳がない。
 和泉は良い子だとは思うが吉原とは相性も良くなさそうだし、それに和泉自身が受け入れることもないだろう。 そうなると吉原には悪いが諦めてもらうしかないのだ。
 それは吉原の為であり、神谷が吉原にできるこの恋の唯一の脱出方法だった。
 神谷はそのことを伝えるべく、その夜、吉原の自室を訪れ話し合いをした。
 しかしある意味予想通りか、吉原はその案を受け入れることなく神谷を無理矢理部屋から追い出すと一人、物思いに更けながら煙草を吸った。
「……ルル、どーした? 煙草臭いか?」
「にー……」
「ハ、らしくねーって? オレ様が諦めると思ってるのか? んな訳ねーだろ、……空の奴、オレ様を誰だと思ってるんだ。柳星様だろ? このオレ様に不可能なことなどねーんだよ」
 可能性がないのなら、その可能性を少しでも増やせば良いのだ。 1%、いや0.1%でも可能性がある限りは絶対に諦めたりなどしない。 そこで諦めてしまったら、ただの人になってしまう。
 吉原はただの人で終わりたくない。 そう誰もが一目置いて尊敬され崇められてしまうような人になりたいのだ。
 紫煙をゆっくりと吐き出し、口端をあげると短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
 始まりが悪ければ悪いほど、やりがいもでてくるものだ。 いつかあの可愛い顔をぐちゃぐちゃに歪ませて、その唇から好きだと言わせてみる。 吉原はそう決心をするとルルを胸に抱き上げた。
「心配すんな、お前も愛してやるからよ」
 ルルの小さな額に唇を落とすと、吉原はベッドに潜り込んだ。
 どうか和泉の夢が見られますようにと、曇りのない夜空に願い目を瞑る。
 明日からは忙しい日々になりそうだ。 どうやって落とすかも考えなくてはいけないし、水島にも報告しないといけない。 それに和泉の側にいる望月にも協力をお願いしなくてはいけないのだ。 ある意味、望月が一番手強そうなのだが、それはそれで楽しいことでもある。
 吉原は色んな感情を胸に秘めると、ゆっくりと夢の中へと意識を飛ばしていった。