乙男ロード♡俺は腐男子 08
 パーン、と辺りを響かせる体育祭開始の空気銃の音。 体操服に身を包んだ生徒たちは、体育祭への期待と不安を抱えて競技に挑むのだ。
 そんな中、今にも逃げ出す気で満々の生徒が一人いた。 言わずもがな和泉である。
「お前なぁ〜往生際悪いぞ」
「柚斗に言われたくない! 俺、絶対負ける自信ある! 第一オタクは文科系なんだ!」
「そう決まった訳でもないだろ、ほら、な? 蓮が抜けるとクラスだって困るだろ」
 吉原が和泉にお願いをする、というのを聞いてから和泉は毎日ビクビクとしながら生活をしていた。
 望むのは吉原が負けるということと、体育祭がこないということ。 そんなのは無理だとわかっているけども願わずにはいられない。
 こういうパターンでは絶対にお願いはエッチなことなのだ。 和泉は軽い偏見を持ちながら待機場所から一歩も動こうとしなかった。
 それに望月が焦れて、和泉を説得しているのが今の状況だ。 遠くの方で和泉が参加するパン食い競争の集合がかかっている。  望月は決心をすると、嫌がる和泉を引き摺って集合場所へと連行した。
「パン食い競走は吉原先輩出ないんだから出ろよ」
「いやぁあああああああ〜走るの嫌いぃいいいいい〜」
 和泉の絶叫が辺りを響かせ、それを見た生徒が微笑ましそうに笑っていた。
 朝から夕方までかけて行われる水島デルモンテ学園の体育祭は、少し可笑しいところもあるが極一般的な体育祭だった。 理事長と生徒会長の挨拶で始まり、競技、昼休憩、競技、結果発表、終わりの挨拶で締めくくられる。
 基本的にクラス対抗リレーと学年リレー、クラブ対抗戦などに出席し、そして一人他の種目を三つ行う形式である。
 和泉はそれに物凄く駄々をこねた。 その結果、水島に脅しをかけて特例でクラス対抗リレー、学年リレー、クラブ対抗戦のいずれも参加しなくても良いようにしたのだ。
 しかしどんなに駄々をこねようと、三つの種目だけは絶対に出なければいけない。
 参加する種目はパン食い競争。 これはグラウンドの半分まで走り、そこに吊るされてある少し高めのパンを咥えてゴールをする種目だ。 基本的にパンを咥えるのに時間がかかるので足が遅かろうが、早かろうがあまり関係はない。 最も特殊な学園なのでパン置き場になにかが仕掛けてあることは、望月でもわかっていた。
 嫌がる和泉を無理矢理集合場所に並ばせると、望月は和泉に軽く手を振りその場を去っていった。 望月も次に出る種目の準備などと、いろいろ忙しいのだ。
 和泉はそんな背中を見ながら、心細そうに溜め息を吐いた。
 そのとき後ろから聞き覚えのある声が和泉を呼んだので、くるりと振り返ると見知った顔がそこにはある。 生徒会の書記澤田と、会計の樋口だ。
 二人はにっこりと微笑むと和泉の隣へと腰を降ろした。
「蓮ちゃーん! 相変わらずちょ〜可愛いね! 今度一発どう?」
「こら、塁! この間颯に怒られたばっかじゃないか! それに今、俺達は付き合ってる設定なんだから、もっと自覚を持ってもらわないと」
「うっさいなぁ、言っておくけど、陸だってヘマしたじゃない。僕だけが悪い訳じゃないでしょ」
「はぁ……蓮は吉原が狙ってるんだからやめとけ」
「別に良いじゃない、まだ付き合ってないし、ね〜蓮ちゃん?」
 傍から見れば痴話喧嘩のようにも見える二人に、和泉は内心微笑ましく思う、たまではない。 微笑ましく思うどころかホモ妄想をしているなどとは、本人のみぞ知るところだ。
 どっちをタチにしようか。 などと真剣に悩んでいる和泉の表情を見た澤田は深刻な問題と勘違いをし、樋口の肩を叩く。 それに気付いた樋口は少し驚いた表情をしてみせ、澤田の方を向いた。
「……吉原に参ってるのかな〜?」
「そうかもしれないね。結構アピール凄いって噂だし」
「学園中で噂されてるんだから、蓮ちゃんは辛いよねぇ……」
 ホモ妄想で悩む和泉を、吉原のことで悩んでいると勘違いしている二人は、和泉を切なげな目で見つめ頭を撫ぜた。
 訳のわからないといった表情をする和泉に、ただ二人は頷くだけで和泉の謎はますます深まるばかりであった。
 そんなことをしているといつの間にか列は動き出し、パン食い競争が始まる。 心臓がいつもより波打つのを感じながら和泉は二人と別れ、一年生のコースへと並んだ。
 パンを直ぐに咥えることができますように。 と願いながら順番を待つ和泉にとうとう順番がやってきた。
 定位置に着き、笛が鳴った瞬間和泉は走り出す。 元々走りが得意ではない和泉はみんなより少し後ろを走りながら、今にも泣き出したい気持ちでいっぱいになった。
 空手を学び、苦労して得た黒帯。 体力と瞬発力に長けた和泉だが、力だけはあまりない。 だけど頑張って強くなれたのだ。 いろんな努力をした。 いろんな経験もした。 しかし空手に走りの速さだけは全くの無関係だった。
 和泉は自分の鈍さを恨みながらも、少し遅れてパンが置いてある場所へと走った。 まさにそこは阿鼻叫喚と言っても過言じゃない状態だ。
 パンの位置が高い上に、パンを吊るす棒の地面一帯に生ゴミなどがおざなりに置かれていた。 その数が結構なため生ゴミを踏まなくては前に進めない状態だ。 生ゴミなどを踏みなくないために生徒はそこで騒然とし、立ち尽くしていた。
 和泉だって生ゴミなど踏みたくない。 臭いし汚いし、なにがあるのかわからにのだ。
 しかし頭は良いのだ、こう見えて。 和泉はなにかを思いつくと辺りを見渡し、見事生ゴミを踏んでパンを取った勇者である生徒へと近付きそのパンを奪い取った。 反則ではないか、と思われるがルールはなんでもありなのでこれでもOKなのだ。
 呆然としている生徒ににっこりと笑うと、和泉はパン置き場を後にして走り出す。
「ごめんね! 俺、生ゴミ踏めないんだ!」
 そう言って走り去る和泉に辺りは大歓声をあげた。 やはり普通のパン食い競争じゃ物足りないのか、生徒たちはハプニングが大好きなようだ。
 和泉は少し知恵を使い、見事一位を勝ち取ったのである。
「蓮、やったじゃん! お前やるな〜まさか奪うなんて思わなかったよ」
「だってあれ、可笑しいでしょ。生ゴミだよ、生ゴミ。つーかこの体育祭、先行き不安なんだけど」
「……俺もそれは思う」
 和泉は望月がいる場所へと戻り、奪い取ったパンをもしゃもしゃと食べながら望月と談笑していた。
 見所のある競技はほとんどが午後のため、テニス部エースでもあり足の速い望月は午前中暇なのだ。 和泉も三つの種目だけなのであとは午前に借り物競争、午後に問題の騎馬戦のみ。 という状態で比較的暇を持て余していた。
 生徒会や風紀委員も午後がメインのため、午前は本当に見所がない。
 ぐだぐだと管を巻きながら和泉はいつの間にか騎馬戦のことを忘れ、体育祭を楽しんでいた。
 それから数々の種目が行われ、午前最後の競技は和泉参加の借り物競争のみとなった。 和泉が借り物競争の待機場所で待っていると、またもや知り合いを見つけたので今度は和泉から歩み寄って行く。
 目の前にはおどおどしている相澤。 そして少し離れた場所に森屋の姿が確認できた。 どちらに話しかけようか悩んでいた和泉だったが、同じ一年でもある相澤にターゲットを決めるとそろそろと近付いた。
 気付かれないように後ろに忍び寄ると、耳元で思い切りわっと声をあげる。 それに驚いたのか、相澤は飛び上がると後ろに勢い良く振り返った。
「び、びっくりしたぁ……和泉君じゃないか」
「噂の和泉君でーす」
「和泉君も借り物競争に出るの? なんだか不安だよね。さっきから見てるんだけど、まともな競技がないように思えてきたんだ」
「確かにね〜誰が考えたんだか」
 競技は全く持って普通の競技なのだが、その競技に仕掛けてあるトラップが酷い。 落とし穴だの、激辛飴、襲い掛かる執行部員、などなどあげたらキリがないぐらいトラップが仕掛けられていた。
 借り物競争のトラップは恐らく紙に書かれてあるであろう、借り物だ。 きっととんでもないものを借りてこなくてはいけないのだろう。
 二人はそれを思うと少し気が憂鬱になったが、それもそれで楽しいと思うようにする努力をしてみる。
 相澤は少し悩む素振りをすると、思い切って和泉に気になっていたことを聞いてみた。
「ねぇ、和泉君って勉強はしてるの?」
「してないよ」
「凄いね、どうやったらそんなに頭良くなるの? この間の試験だって全教科満点だったじゃない。僕、尊敬するなぁ」
「……今度教えてあげるよ。勉強のコツ」
「ほんと? ありがとう!」
 あまりにも純粋な相澤に和泉はからかう気力がすっかりと失せ、普通の友人らしい会話をした。 それに驚いて反応を示す人物が陰に一人。 存在感のあまりない森屋だった。
 和泉がまともだ。 などと少々失礼なことを思いながら森屋は定位置へと戻っていった。
 借り物競争も基本的に三年から順番にこなしていき、最後は一年がこなす形だ。 和泉たちは順番がくるまで他の人たちの借りてきた物に青ざめながら、ずっと静観していた。
 やはり水島デルモンテ学園は一筋縄ではいかない。 ベタに好きな人から始まり片思いしている人、恋人だった人、挙句の果てにはヤったことがある人などとんでもない借り物が多数を占めていた。
 カツラや全身タイツなど至って普通のものもあるが、こんな場所にないだろうってものばかりだ。
 ほとんどの生徒は借りることができずに、紙を読み上げ降参をした。
 借りられなければ直ぐに逃げて降参すれば良い。 と和泉も最初は思っていたが、降参をした人に下される罰ゲームを見てなにがなんでも借りようと決心をする。
 デコピンやら好きな人やら、そんな生温い罰ゲームではないのだ。 降参した人は女装。 しかもスクール水着やブルマなど、少々男には不釣合いな格好をさせられ、その上その格好のままうさぎ跳びで校内を一周しなければならないといった罰ゲームだった。
 二度恥をかかされ、校内の見世物になるなんて絶対にご免だ。
 和泉は早くも逃げたい気持ちを抑え、スタート位置に着くと誰よりも先に走り出した。
 運が左右する競技。 自分のクジ運だけを信じて机に置かれている紙を取った。
 祈るようにおそるおそる開き、そこに書かれてあった文字に和泉は盛大に溜め息を吐く。
 書かれていた文字、それは“生徒会長の眼鏡”。 普通の生徒なら恐縮して借りられないものだが、和泉が恐縮などする訳がない。
 和泉は生徒会枠のテントに猛ダッシュで近付くと、有無さえ聞かずに水島がかけている眼鏡を分捕ったのだった。
「い、和泉君?」
「かいちょーこれちょっと借りるね! 俺、コスプレ大好きだけど女装だけは勘弁なんだ!」
「ちょ、ちょっと待て! 俺はそれがないと見えな」
 言葉を紡ごうとしている水島を振り切り、和泉はゴールへと一直線で走った。
 一位でなくても良いのだ。 とにかく罰ゲームさえしなければこっちの勝ちだ。
 和泉は少し走るペースを抑え、見事二位でゴールした。
 ちなみに一位の人が引いたクジは“自分”だった。 なんて簡単な借り物なのだろうか。 和泉は少し一位の人のクジ運を羨ましく思ったが、罰ゲームを脱しただけでオールOKということにしよう。
 余談だが相澤も森屋も遅れたものの見事借りることができ、罰ゲームを脱した。 生徒会と風紀委員という肩書きを背負っているため、意地でも負けることなどできなかったのだ。 もし負けたならば、どんな目に合うかわからない。
 和泉は少し気の毒に思いながらも、水島から借りてきた眼鏡をかけて望月のいる場所へと戻る。 その様子からして、水島に借りた眼鏡を自分から返しに行く気はさらさらなさそうであった。
 望月のいる場所へと戻るときには借り物競争の罰ゲームも終わり、午前の部が終わったという知らせのチャイムが鳴った。 今から午前の部の軽い片付けをし、昼休憩を取ってから午後の部へと移行する。 どこにも所属していない和泉と望月は片付けをしなくても良いので、たっぷりと休憩をとることができるのだ。
 特に午後から忙しい望月にとっては有難いことだった。
「つーか蓮、お前それ会長のじゃねーの?」
「うん。結構、度がきついね」
「度がきついなら尚更返さなきゃなんないだろ……。会長今頃困ってるぞ」
「いや、俺も返す気はあるんだけどね、ちょっと忘れてて。俺はここにいるんだし、かいちょーが取りに来れば万事おっけー」
「……良い性格してるよ」
「これくらい図太くなきゃ! それよりお昼〜柚斗なに作ってくれたの?」
 和泉が目をきらきらと光らせて、望月に攻め寄った。 眼鏡のことを考えていた望月だが、和泉にご飯の内容を期待されたら眼鏡どころじゃない。
 和泉は本当に美味しそうにご飯を食べてくれるので、料理をする望月にとっては和泉みたいに食べてくれることが一番の醍醐味なのだ。
 望月は少し照れながらもお弁当を取り出し、二人して中庭のベンチに腰掛けた。
 一時間少々昼休憩があるため、大分のんびりとしていられる。 お弁当を開きながら、望月は嬉しそうにしている和泉を見てお手拭とお箸を手渡した。
「はい、これも」
「ありがと〜! 柚斗ってお母さんみたいだよね」
「お前みたいな息子はいらないけどな」
「ひどーい! 結構、親孝行だと思うんだけどなぁ」
「ま、良いじゃん。それより美味しい?」
「ちょー美味しい! やっぱ柚斗のご飯が一番だよー!」
 にこにこ微笑みながらお弁当を食べる和泉に、望月は内心癒されていた。 いつもこんな風なら苦労はしないのに。
 和泉が機嫌良くお弁当のウインナーを食べようとすると、目の前に影が揺らめいた。 走ってきたのだろうか、いつもと違う雰囲気を漂わせながら水島がやってきたのだ。
 その隣には生徒会副会長の黒川。 眼鏡がない所為で見えにくい水島のフォローをしているようだった。
 水島は和泉を見つめ、威勢良く腕を組みなおすと顎でしゃくる仕種をする。 和泉も最初は素直に返してあげようと思ってはいたものの、こんな態度をされれば素直に返すものも返したくなくなってしまう。
 元はと言えば返しに行かない和泉が悪いのだが、そのことは和泉の脳内で消去されていた。
「かいちょー怖い! そんな顔してるとモテないよ〜」
「五月蝿い! 貴様その減らず口を少しは直したらどうなんだ?」
「も〜眼鏡でしょ? かいちょーそんなんだと、若くしてはげちゃうよ」
 はい、と眼鏡を渡す和泉に水島はぴしりと固まった。
 水島は、はげると言われるのを物凄く気にしていたのだ。 澤田や吉原、神谷などに散々はげるはげると言われてきたため、水島ははげるという言葉に誰よりも敏感になっていた。
 その理由を知らない和泉ははげと言った。 それに対して黒川は内心溜め息を吐きながら水島の肩を叩く。
「会長、午後の部のことで話が……仕事も溜まってますし、そろそろ行かれた方が……」
「そ、そうだな。……和泉君、今度じーっくりと話をしようではないか。逃げるなよ!」
「だから会長、そういうのはやめた方が……」
「五月蝿い! はげと言われたんだ! 眼鏡も勝手に奪われた上、俺が取りにきたんだぞ! なにかしないと気がすまない!」
「はぁ、……後で話聞きますから」
 機嫌の悪い水島を引っ張り、黒川は和泉と望月に一礼をすると元来た道を戻っていった。
 望月は少しずつ生徒会と風紀委員の内情事情がわかってきたため、複雑な気持ちを抱える。 副会長というポジションも楽なものではないのだな。 望月はそう思いながら和泉を見るが、全くなにも気にしていません、と言いたげにお弁当を食べていた。
 和泉は脳を良く使うからなのか、食欲が人より少し旺盛で、三人前程度をぺろりと平らげていた。 テレビに出てくる大食いの人からしたらまだまだなのだが、そこまでいっては望月も困る。
 なにしろ和泉は食堂より望月のご飯の方が好きなのだ。 従って望月が和泉のためにご飯を作るので大食いだと手間がかかって面倒くさい。 普段は一人前程度で我慢してくれているから助かっている。 だからたまには多く食べても大丈夫だろう。 望月はそう思いながらお弁当箱を回収していった。
 和泉はそんな望月を見ながら、疑問に思っていたことを口に出す。
「柚斗ってドMなの?」
「……は?」
「結構世話焼きだし、俺の我儘なんでも聞くし、お母さんみたいだし、なんつーか柚斗もはげそうだよね」
「お前……なぁ」
 望月は和泉を心配するのが馬鹿らしくなったが、生まれ持った性なのか和泉を心配することをやめることができない。 つくづく和泉には弱いよな。 と望月は思いながら二人の楽しい昼休憩は過ぎていくのであった。