水島の軽い挨拶で始まった午後の部は、クラブ対抗戦から始まった。
和泉は体育祭への興味が薄くなったのか、親友の望月が戦っていようと我関せずといった様子で新しいネタを考えていた。
望月がテニスの大会に出る場合なら観に行くのだが、たかが体育祭じゃもう見所もない。
そう思っているので生徒会が出ようと風紀委員が出ようと、一切グラウンドを見ることをしなかった。
今日はうざったいほどに構ってくる吉原も大人しいので、つまらない思いをしながら望月の競技が終わるのをただひたすらと待つ。
クラブ対抗戦に、学年リレー、クラス対抗リレーなど望月は本当に忙しい。
走るのが速いのは得だよな、そう思いながら和泉は浅い眠りにつこうとしていた。
うとうとと眠りに誘われそうになった瞬間、耳元で大きな声がした。
和泉は声を上げ、辺りを見渡せばしたり顔をしている神谷と目があった。
「神谷先輩、そういうのやめてよ。口から心臓が出るでしょ」
「なに言ってんだよ。俺は呼びにきたんだよ、お前を。もうすぐ騎馬戦だぞ」
「げっ……もうそんな時間?」
一体どれくらいぼうっとしていたのだろうか。
体育祭もそろそろ終盤に近付き、騎馬戦で体育祭が締めくくられようとしていた。
グラウンドの端に置かれた看板では、どのチームも互角に点を取っている。
チームは一年から三年まで混合でA・B組が赤、C・D組が青、E・F組が緑に別れていた。
和泉はA組のため赤だ。
今のところ辛うじて一位だが他のチームとも僅差のため、どのチームが勝っても可笑しくはない状況だ。
まさに騎馬戦で勝負が決まろうとしている。
そんな重大な競技に参加するのも気が引けるし、なにより吉原が言っていたことが一番引っかかっていた。
この調子じゃ吉原も勝ってしまいそうな上、和泉は絶対負けると自分自身で思っている。
する前から諦めているのは良くないことだが、下手に期待してしまうのもダメージが強い。
和泉は重苦しい溜め息を吐くと、仕方なく立ち上がり神谷を見上げた。
「……よっしーも出るんだよね」
「そりゃなぁ。あいつああ見えてこういうの好きだし、誰よりも張り切ってんじゃないかな」
「なんかむかつく! どっか足りなくても良いのにさ」
「ハ、あいつの足りないとこならあるだろ?」
「あるっけ?」
「頭。ちょー頭悪いじゃん。ナルシストだし、馬鹿だし、自己中だし、終わってるぜ」
「あー……確かに」
二人してくすくすと笑いながら、騎馬戦の集合場所へと歩いていった。
道中、見事一位を総なめにした望月と会い、励ましてもらったため和泉は少しだけ自信を持つことができた。
負けるかもしれない。
だが負けても大丈夫だ。
吉原も負ければ良いのだから。
和泉は吉原が負けるように念じながら自分のチームの場所へと並んだ。
現在は文化クラブによる演舞が行われていて、その次が騎馬戦だ。
和泉は頭の鉢巻きを締めなおすと、意気込んだ。
深呼吸をし、心を落ち着かせていると今和泉を最も悩ませている人物が目の前に現れた。
今日はいろんな人と会うものだと感心しながら、和泉は嫌そうな目をその人物、吉原に向ける。
その視線ですら嬉しいのか吉原はにっこりと笑うと、和泉の頭をくしゃくしゃと撫ぜた。
「よぉ、蓮、調子はどうだ」
「さ、い、あ、く。絶対絶対ぜーったいよっしー負けてよね!」
「ハ! オレ様を誰だと思ってるんだ。このオレ様が誰かに負ける訳がないだろう?」
「……神谷先輩の言った通りほんと、頭悪いんだから」
「なんだって?」
「別に! それより並ばなくて良いの? こっちじゃないでしょ」
「まだ時間あるだろ。最近会えなかったし、ちょっとぐらい良いじゃねーか」
まるで付き合っているみたいな言い方をする吉原に、和泉はかちんときた。
望月に騎馬戦の内情事情を聞くまでは、和泉も吉原に懐いていたのだからあんまり冷たく言えない。
好きだと言われたのにどうして懐いていたのだろうか。
和泉は自分を不思議に思いながら吉原の横顔をそっと盗み見た。
男から見ても格好良いし、モテる吉原は共学などに行ったら物凄くモテるだろう。
男女に不自由しない吉原なのにどうして和泉を好きになったのだろう。
その疑問がずっと和泉の中にはあった。
だけど口にしてしまうのが嫌で、和泉は聞かないことにしている。
そのことの真相を今の和泉は知る由もなく、気にもしていなかった。
吉原がこっちを向き、お互いの目が合った瞬間、集合のホイッスルが辺りを響かせる。
慌てたように吉原は和泉に軽く手を振ると、自分のいるべき場所に帰っていった。
とうとう騎馬戦の時間がやってきた。
和泉は自分を担ぐ三人の後ろに並び、自分の身長を恨んだ。
背が高かったら上に乗らなくて済むのだろうか。
いや吉原も上だから身長は関係ないのか。
グラウンドの中央付近までくると、三人は体勢を整え和泉を乗せる準備をした。
どきどきと脈打つ心臓。
掛け声がされ和泉は上に乗り、ホイッスルが鳴らされる。
運命の騎馬戦がスタートした。
「うおぉおおおおお!」
男臭い雄たけびが辺りを制し、応援席も興奮が最高潮になる。
和泉はその異様なムードに蹴落とされながらも、騎馬戦に集中することにした。
次々と和泉を襲う腕に和泉はげんなりとする。
和泉を選んだのは絶対に人選ミスだ。
だって騎馬戦の上に乗っている人は誰も皆身長が高いため、和泉みたいに身長が低い人はなかなか鉢巻きがとれない。
鉢巻きを取られないようにするので精一杯だった。
いっそこのままわざと負けてしまっても良いのだが、如何せんそんなことをすれば周りにもわかってしまう。
和泉はまさに四面楚歌の状況を、身をもって味わうのだった。
「い、和泉君大丈夫?」
和泉を支えている三人の内一人の相澤が声をかけてくれたが、和泉はいつものように冗談を言っている状態でもない。
なにしろ六月の真っ只中。
夏は近いし梅雨の時期でもあるため、異常に蒸し暑い。
暑いのが苦手な上、インドドアな和泉は早くもくたばりそうである。
だから和泉はスポーツが嫌いなのだ。
和泉が好んでやっている空手も十分スポーツだと思うのだが、空手は好きなので我慢ができる。
和泉は自分の体力のなさを呪い、くらりと眩暈がするのをどこか遠くで感じていた。
それから間もなく、和泉は襲い掛かる腕に反応を示すこともなく、吉原ではない知らない人に呆気なく鉢巻きを取られるのであった。
どうせ負けるのなら吉原に負かされたかった。
和泉は遠のく意識でぼんやりとそう思いながら相澤にしがみつくのであった。
「ほっんと、情けねーなー。蓮、午後一個しかでてないだろ」
「うっさい! ほっとけ!」
「まさかへばるなんてな……はは、傑作だ!」
和泉は望月にからかわれながら、今にも地団太を踏みたい気持ちになった。
現在和泉がいる場所は保健室のベッドである。
情けない話、あの後和泉は気を失ってしまい相澤によって保健室に連れてこられたのだ。
気を失った原因は軽い脱水症状。
水を余り取らなかった和泉に罰が当たったのだ。
もちろん体育祭などとっくに終わっているし、今はみんな片付けをしている時間だ。
和泉は聞きたくないけどどうせいつかはわかってしまうことだ、とそう言い聞かせて望月に例のことを尋ねた。
「ね、ねぇ、ダーリン……騎馬戦どうなった?」
「蓮の想像通り」
「よっしー負けたの!?」
「あのな、……勝ったよ。大勝利。ちなみにチームも吉原先輩がいる青が優勝しました、とさ」
「うっそーまじでーありえないんですけど〜……じゃあ、命令権も?」
「ああ、吉原先輩と他三名に与えられたよ。まぁ吉原先輩がどんなことを願うのかまでは知らないけどな」
「俺に関係ありませんよーに!」
「はは、まぁそうだな。元気でなにより。じゃあ俺、片付け手伝ってくるから蓮もう少しここで休んどけよ? 楽になったら勝手に帰っとけ」
「はーい」
「晩ご飯作ってやるし、元気出せよ」
手をひらひらさせながら、望月は扉の奥へと行ってしまった。
和泉は一人保健室に残され静かな部屋を見渡す。
ここで逢引とか行われているのだろうか。
そうした場合このベッドでやったりするのだろうか。
そう思った瞬間なんだかベッドが汚く感じ、和泉はゆっくりと立ち上がると窓の方に移動した。
いくらホモ妄想が好きだからといって、やっているであろうベッドで安眠できるほどの神経は持ち合わせていない。
和泉は窓の外を見つめ、体育祭の後片付けをしている生徒を見つめた。
あっという間に終わってしまった体育祭だが、少しは楽しめるものもあった。
来年はもう少し楽な競技に参加して体育祭を楽しめたら良いな、と和泉は暢気なことを考えていた。
「でも、倒れたのは恥ずかしいー!」
和泉は一人羞恥に悶えながら、明日相澤に謝ることを覚えておかなくてはと脳内にインプットした。
揺れるカーテン、漂う消毒液の匂い、外から聞こえる生徒たちの声、夏の独特的な午後の空。
不思議な気持ちを抱えながら、和泉はソファに寝転がるともう一度寝ることに決めた。
寝過ごしても望月が迎えにきてくれるだろう。
望月は物凄く心配性な上、部屋に帰っていないとわかったら飛んできてくれるのだ。
和泉はそういった安心感から直ぐに眠気に襲われて、本日何度目かの転寝をすることにした。
そんなに時間は経っていないだろう。
和泉はまたしても深い催眠に入る前に身体を揺すられ起こされた。
望月は微妙なタイミングでやってくるらしい。
いらっとしながらもゆっくりと目を開け、和泉は文句を口に出した。
「柚斗、タイミング悪い……眠りそうだったのに」
「じゃあもう一回寝るか? オレ様の腕で」
「はは、柚斗、よっしーみたい……ってよっしー!?」
「よぉ、起きたか?」
てっきり望月だとばっかり思っていた和泉は、目の前にいる吉原に驚きを隠せなかった。
確かに望月が出て行ってからそんなに時間が経っていないので、迎えにくるのが早いとは思ったが、まさか吉原が迎えにくるなどと誰が思おう。
吉原は迎えにきた訳じゃなさそうだが、和泉はとにかく驚いた。
目をぱちくりさせ、目の前で威張っている吉原を見て溜め息を吐いた。
「なにしにきたのさ」
「お前もわかってるんだろ? オレ、騎馬戦で勝ったんだよ。意味わかるな?」
「できればわかりたくないけどね。柚斗にも聞いた、命令権も出たんでしょ?」
「フン、頭が良いな。つまりはだ、命令する、お前に」
「……やっぱり。もーちょー嫌! 変なこと命令したら絶交だからね! 喋ってやんない!」
強がってはみたものの、和泉は内心ビクビクして気が気じゃなかった。
漫画みたいな展開でセックスとか強要されたらどうしようか。
犯罪のような気もするが否定権はない。
第一変なルールだ。
もし犯罪などに悪用されたらこの水島デルモンテ学園はどう責任を取るつもりなのか。
ルールなので我が学園では一切関与していない。
知らなかった。
虐めがあるとは知りませんでした。
などとテレビで良く見かけるコメントをしたりするのだろうか。
そうしたらあの理事長はモザイクで出るのか。
素顔を出すのかどっちなのだろう。
和泉は脱線していることを考えながら、吉原を見た。
まさか和泉がそんなことを考えているなどとは、露にも知らない吉原は意を決し口を開いた。
吉原が放つ言葉に和泉は今にも心臓が溶けてしまいそうだった。
「……もう、決まってあるんだけどな」
「もう、早く言ってよ! 早く早く!」
「貴様はほんと、ロマンチックじゃねーなぁ」
「この場合にロマンチックなんか求めないでしょーが、普通」
「オレ様にとっては一世一代の大決心なんだぞ、良いか一回しか言わねーぞ」
告白するみたいな素振りに和泉はどきりとしながら、吉原の言葉を待った。
次の瞬間、吉原が発したお願いに和泉はあんぐりと口を開けるのだった。
「……キスさせろ」
「え。そんだけ?」
「そんだけってなんだよ。貴様なに考えてんだ? それにそんだけってことは、キス誰にでもさせんのか?」
「ち、違うし、させないし、……変なこと考えるのやめてよ」
「じゃあなんだよ、その反応」
「え〜いや……もっと酷いこと強要されるのかと」
「酷い?」
「いや、あれとか付き合えとか……そんなの!」
その和泉の言葉に一瞬だけ吉原は瞳に翳りを映させたが、またいつものように不適な笑みを浮かべ自信たっぷりの笑顔を作った。
言ってはいけないことを言ってしまったと和泉でもわかっていたが、つい口から出てしまったのだ。
「ご、ごめん」
「別に、気にしてねーよ。それにそういうのは強要したんじゃつまらねぇ。いつか振り向かせてみるって言っただろ?」
「振り向く確立ちょー低いよ?」
「フン、今はそう言ってろ。いつか絶対好き、抱いてくださいって言わせてやるからよ」
「さいてー!」
くすくす笑う和泉を見て、吉原は頬が少し熱くなるのを感じていた。
最初はそういう願いもありだとは思ってはいたが、和泉を泣かせるようなことはしたくない。
第一お願いで付き合ったり、抱いたりしてもきっと吉原だけが道化の虚しい行為に決まっているのだ。
この間のキスで懲りた吉原はそういう願いをせずに、ささやかなお願いをすることに決めた。
和泉にとってはささやかではないかもしれないが、吉原はどうしてもキスがしたかった。
いつか絶対に自分のものにすると心で誓い、和泉の細い腕を掴んだ。
それにびくりとする和泉の目を見ながら少しずつ距離を近付けていく。
和泉は嫌がると思っていたが、予想外に大人しくなり目を伏せて少し頬を赤らめた。
そんなのは卑怯だ。
可愛いじゃないか。
キスだけではおさまりそうもない。
吉原はなんとか理性と保たせると薄く開いた和泉の唇にそっと唇を合わせた。
舌は入れない、ただ触れ合うだけのキスに吉原は今にも泣き出したい気持ちでいっぱいになった。
いつかこういう幸せなキスが同意でできたら、きっと幸せなのだろう。
名残惜しそうに唇を離す吉原に、和泉は感じたことのない感情を胸に抱えた。
「……っと、空から呼ばれてるんだったな〜そういや」
「え?」
「……それと危ねーんだから自己管理だけはしっかりしろよ。望月にでも頼んどけ。お前が倒れたとき心臓止まるかと思ったぜ」
「あ、う、うん」
「じゃあな」
そそくさと言い訳がましい嘘を吐いて急いで保健室を走り去る吉原に、和泉は少しの物足りなさを感じていた。
いつもみたいに偉そうにしたり強引にしたりしても良いのに、今日の吉原は少し変だった。
あんな吉原を見たのは初めてかもしれない。
和泉は吉原とキスをしてしまった唇に指を這わせ、先ほどのことを思い返していた。
キスされると思った瞬間、何故か抵抗をすることもせず受け入れてしまった。
それに前回と違い今回のキスは少し可笑しなキスだった。
吉原が優しいキスをするから、和泉は少し可笑しくなってしまったのだろうか。
何故かどくどくと脈打つ心臓を押さえながら、そっと唇を体操服で拭った。
「……倒れて可笑しくなったのかな」
早く脈打つ心臓も、唇が熱いのも、吉原が見せた表情も頭から抜けないまま、和泉はずっと膝を抱えて考えた。
キスをするなら前みたいに無理矢理してほしかった。
和泉は理由もわからない涙をほろりと零させると、望月が迎えにくるまで唇をずっと拭っていた。