自由に遊ぶためには、まず超えなければならない壁がある。
望月はそう自分に言い聞かせながら、スパルタ教育で勉強を教える和泉を涙目で見上げた。
期末テストまで三日と迫った今、望月は必死に勉強をしていた。
この一週間部活に行くことを禁止され、息抜きもなにもなしでずっと勉強をしてきた。
正直もう勉強などしたくないのだが、それを言ってしまうと目の前にいる和泉は般若のような顔をして怒ってしまうのだろう。
和泉が怒るのだけはなんとしても避けたいことのため、望月はそれを口に出すことなく数式を頭に叩き込むのである。
一方、その和泉はというと望月に勉強を教えながら、その傍らでにこにことしているこの場に相応しくない人物を見て軽く頭痛を覚えていた。
和泉たちと違い二年生だというのに、何故か和泉の勉強会に参加しているのは吉原であった。
和泉が愛用している髪ゴムで前髪を結び、シャープペンシルを握って熱心とは言い難い様子で勉強をしていた。
百歩譲って勉強をするのはわかるのだが、どうしてこの場所にいるのであろうか。
もうそれさえ聞く気力を持たない和泉は、吉原を視界に入れないようにして望月を見つめた。
なんにしろ、吉原は一週間も前からずっとこの部屋で勉強をしていたのである。
望月に時間がかかる課題を与えると、和泉は締め切りが迫っている原稿に取り掛かることにした。
「おい、蓮! この問題の意味教えろよ」
「そんなの知らないよ。俺、一応よっしーより年下なんだけど」
「貴様、せっかくこのオレ様が聞いてやってるんだ。素直に教えたらどうなんだ?」
「あーもうはいはい、わかりました。ってこの問題昨日やったでしょーが! この数式を当てはめて、こうして」
「眼鏡かけてる蓮も可愛いな」
「……人の話を聞け!」
吉原の頭を持っていた定規で思い切り叩き、和泉は盛大な溜め息を吐いた。
この一週間ずっとこんな感じのため、望月も集中できないし、和泉も一向に原稿が進まない。
得をしているのは吉原だけのような感じがするのだ。
いくら和泉に会いたいからといって、望月の邪魔をするのは和泉にとって許せないことなのである。
望月がテストで赤点を取ると夏休みが補修で奪われてしまう。
そうなったら望月自身が楽しみにしているテニスの大会にも影響がでるし、和泉の原稿、イベント、趣味にまで影響を及ぼしてしまう。
その事態だけはどうしても避けたいので、こうやって勉強会を開いているのだが、こうも邪魔をされると堪ったものじゃない。
なんとかして吉原には出て行ってもらいたいのだが、嬉しそうに和泉に話しかける吉原を邪険にするのもなんとなくだが気が引ける。
どうすることもできない状況に和泉はペンを机に置くと、吉原に向き直った。
「……いったい、なにがしたいの」
「蓮と一緒にいたいだけに決まってるだろ」
「テスト終わったらいつでも会えるじゃん」
「でも直ぐに夏休みに入るじゃねーか。……蓮は実家帰るんだろ? そうなったら会えないしな」
「……夏休み終われば会えるでしょ」
「オレは貴様が好きみたいだしな、いつでも会ってたい。早く蓮をものにしてえんだよ」
「な、……だから、そういうこと、言わないでって言ってるじゃん!」
吉原は和泉の手を取り、真剣な表情をして好きだと言った。
好きだと言われることも、あからさまに好意を持たれることも初めての和泉はどう対応して良いのかわからずあたふたとその手を払いのけた。
どうも体育祭辺りから和泉の調子はどことなく崩れ、吉原に対して態度が寛容になった気がする。
この間の風紀委員室閉鎖のときのこともあるのか、和泉は胸の辺りに燻る正体のわからないもやもやにぐうの根も出ない。
お互いがお互いにどうして良いのかわからずに見つめ合っていると、和泉の前からごほんというわざとらしい咳が聞こえた。
振り向いてみると居心地の悪そうな表情を浮かべた望月が、言いにくそうに言葉を紡いだ。
「……お取り込みのとこ申し訳ないんだけど、……そういうことするときは俺のいないとこでしてくれないかな」
「っ、違う違う! 俺は関係ないし! よっしーが勝手に言ってるだけ! もう、よっしーの所為で柚斗に嫌われちゃうだろ!」
「あ? 知らねえよ、オレ様は言いたいことを言ったまでだ」
「もう集中できないし、よっしーは退室! 一人で勉強して!」
「……一つだけオレ様の言うことを聞いたら出て行ってやっても良いぜ」
「なに? 変なこと?」
「二年生は現在237名いる。で、オレ様はいつもテストで237名中230位ぐらいだ」
「うっわ、リアルで馬鹿なんだ。本当に馬鹿だとは思ってたけど、すっげー馬鹿なんだね」
「うるせえ! でだ、今度のテストで50以内に入れたらさ、あれだ、あれ」
吉原はそこで言葉を切ると、口籠らせ続きを言うのを躊躇った。
第一印象で怖いといったイメージを持たせてしまう容姿をもった吉原が、もじもじしている姿はなんとも気持ち悪いものがある。
心なしか頬を染めているのもできれば見たくない光景だ。
訝しげな目で和泉が吉原を見つめると、その視線に気付いたのか吉原は意を決し口を開いた。
「な、夏休みデートをしろ」
「……は?」
「も、も、もちろん! オレ様は心が広いから蓮の行きたいとこに行ってやる。紳士だからな、変なこともしねえ。……ただ会うだけで良いっつーか、まああれだ、暇潰しだ」
「というかできるの? 無理でしょ、あと三日しかないよ」
「蓮が良いって言ってくれたらできる。オレ様に不可能なことなどねえんだよ」
「まあ、会うだけなら良いよ」
「ほんとか!? その約束忘れるなよ! おい、望月! 貴様が証人だからな!」
「は、はあ……」
「じゃあオレ様は蓮とのデートのために、勉強を本気でするので今日は帰ることにする。蓮、またな! テスト楽しみにしてろよ!」
吉原は言いたいことを言うと満足したのか、上機嫌で和泉の部屋から出て行ったのである。
あとに残されたのは呆然とする和泉と、なんとなくだがこの一週間ここに通いつめた理由がわかってしまった望月。
望月は扉の方を見つめる和泉を見やり、溜め息を吐いた。
最初の頃は本気で嫌がっていた和泉だが、どうも最近はそこまで嫌がっている様子でもない。
そのことに気付いていない和泉はどうも鈍いようだ。
さっきのやり取りだって望月からすればただの馬鹿っぷるの会話にしか聞こえない。
それを言ってしまうと、和泉の機嫌が損なわれてしまうので絶対に言えないことだが。
徐々に吉原のペースに引き込まれていっている様を間近で見ている望月は、どんな態度をして良いのか全くもってわからないのである。
友人として応援してやるべきか、友人として止めてやるべきか。
全てはなるようになってしまうので、きっとこれからも望月はただの傍観者としてしか和泉に接することしかできないのだろう。
未だにぼうっと呆けている和泉の肩を叩くと、望月はわからない問題について聞いた。
期末テストまであと三日。
吉原が和泉と約束したことも、望月の補習がかかっていることも、全ては三日後にわかることだ。
今はただ目の前にある原稿と、教科書をひたすらこなしていくことしかやることがないのであった。
「あ〜……どきどきする……どうしよう、俺、補修だったら」
「大丈夫だって。俺がみっちり勉強教えたでしょ?」
「だけどさ、あー……緊張だな」
期末テストを終えて連休を挟んだ月曜日。
今日は期末テストの結果が張り出される日である。
勉強に自信のある和泉はなんの心配もいらないが、いつも欠点ぎりぎりの望月にとってはひやひやしたものがある。
自分のためにも、和泉のためにも、なんとしても欠点だけは免れたいのだ。
朝、学校に登校する時間を少し早め、二人は期末テストの結果が張り出されている体育館へと足を運ぶのであった。
期末テストの結果を知りたいのか、走って体育館に向かう人もいれば足取り遅く嫌々といった感じで向かう人もいる。
和泉は足取りが遅くなっている望月の手を引くと、潔く体育館の中へと入った。
辺りはざわざわと煩く、皆自分自身の期末テストの結果に喜んだり落ち込んだりしていた。
和泉は一年生の結果が張り出されている場所に足を向け、一番前から自分の名前を探した。
今回のテストは全部で11教科あったため、満点で1100点になっている。
和泉はもちろん一番前に名前が載っており、1100満点中1096点と驚愕の点数を取っていた。
傍らにいた望月はおろか、いつの間にか側にきていた相澤までもが尊敬の目で和泉を見つめていた。
「凄いね、和泉君! あと4点で満点じゃない! すごいな〜やっぱ和泉君には勝てないのかなぁ」
「相澤も1076点で2位じゃない。凄いと思うよ。でもやっぱ1100点ほしいよね」
「そうだよね〜いつか全教科満点とりたいなぁ」
隣で交わされるハイレベルな会話に、望月は改めて和泉とは違う脳みその作りなのだと実感する。
私生活の和泉を見ていると、絶対頭が良くなさそうに見えるのに実際はいつだって1位なのだから感心せざるをえない。
望月の脳みそじゃ500点いければ良い方なのだ。
吉原よりは頭が良いとは思うのだが、そんな低レベルの戦いなど恥ずかしいものだ。
望月は諦めた様子で後ろの方から自分の名前を探しだし、235名中150位、712点という少し低めの順位であることがわかった。
思ったよりは点数が良いのだが、平均すると1教科64点である。
なんだか微妙な結果にがっくりと肩を落とした望月だが、和泉は珍しくなんの曇りもない笑みで望月を迎えてくれた。
「柚斗、赤点じゃなくておめでとう! 凄いじゃん、64点が平均でしょ? 中間のときは45点だったから、19点も平均あがったね〜」
「……お前、良く覚えてたな」
「そりゃ柚斗のことだもん。次は70点目指して頑張ろうね」
「おう! ありがとな。……じゃあ、二年の見ていくか? 吉原先輩と約束してるんだろ」
「そうだね、見に行こうか」
二人は相澤に手を振り別れると、二年生の結果が張り出されている場所に向かった。
和泉は吉原のことも気にかかるのだが、生徒会や風紀委員のメンバーの結果も気になる。
頭の良し悪しでこれからの同人活動内容にも関わってくるのだ。
どちらかといえば和泉は馬鹿×優等生より、優等生×馬鹿が好みなのである。
だから期末テストの結果である意味、攻め受けを交代しなくてはいけなくなる可能性も出てくるのだ。
望月に言わせればどうでも良い。
友人でホモ妄想するな。
なのだが和泉の立派な耳にはそんな小言も入らないのであった。
和泉たちは後ろの方から名前を探すことにすると、一人一人の名前を確認していった。
「お、神谷先輩と樋口先輩発見。237位中……低いなおい」
「220位に216位か……欠点だね」
「だな。大丈夫なのかな」
次々と見知る名前を発見しては、二人は各々の感想を述べていた。
森屋は意外と頭が良いのか150位で、澤田は134位、水島と黒川は言うまでもなく1位と2位である。
和泉は水島の1100点中1087点という数字を見て、密かな優越感と、からかう材料を手に入れたことにほくそ笑んだ。
プライドが高い水島をからかうのはなんとも言いがたい楽しさがある。
自分でいうのもなんだが、和泉は自分自身の性格の捻くれさを改めて実感するのであった。
そんな和泉を見て望月は声をかけると、吉原の名前を探した。
「……吉原先輩、50位以内にいなくね?」
「ああ、うん。65位だったよ。頑張った方だとは思うんだけどね」
「現実は上手くいかねえのな。ま、蓮も安心だな、夏休み会わなくて済むじゃん」
「……そうだね」
望月はつまらなさそうに欠伸とすると、その場を離れ教室へと向かった。
和泉も慌てて望月のあとを追うのだが、なにか気になることでもあるのか後ろを振り向きもう一度二年生の期末テストの結果を見つめた。
何度見直しても吉原の名前は65位にある。
前回が230位で今回が65位、随分頑張ってテスト勉強をしたのだろう。
きっと寝る間も惜しんで勉強したのだと思う。
和泉はそう考えると少し居た堪れなくなり、正体不明のもやもやにまたしても襲われた。
きっとこの場に吉原がいないのも、誰よりも先に期末テストの結果を見にきたからなのであろう。
遠くの方でいつも吉原の側にいる神谷と森屋が笑っている姿があったが、その傍らにはいるはずの吉原がいない。
和泉は深く溜め息を吐くと、教室へ向かうはずだった足を違う方向へと向け吉原の姿を探しに出かけた。
予想が当たっているのであれば、きっと中庭でルルと二人でいるはずだ。
いつの間にか吉原の行動パターンを覚えている自分に、少し居心地の悪さを感じた。
「……やっぱりいた」
案の定というべきか、中庭にルルはいないが吉原の姿があった。
どこか暗い雰囲気を漂わせ、ベンチに寝転んでいた。
和泉は決心をし、吉原に近づくとベンチの前でしゃがみこみ、声をかけた。
「よっしー泣いてんの?」
「ハ! オレ様が泣く訳ないだろう」
「テスト、残念だったね。65位だっけ?」
「無理だった。まあ、勉強してねえからな」
「どうしてそんな嘘つくの。勉強したんでしょ? 隈できてるよ」
「この隈は徹夜でゲームしたからだ」
「はいはい。……でも頑張ったね、すっごーく順位あがってるじゃん」
「50位以内じゃねえと、意味がねえんだよ、……最悪」
「……俺さ、結構夏休み暇なんだよね〜誰か誘ってくれないかな〜」
「あ?」
「誰でも良いんだけど、暇な人、いないかな?」
「オレ様は暇だ! とっても暇だ」
「じゃあ、どっか連れてってくれる?」
「お、おう! 蓮の行きたいとこ連れてってやるよ! 仕方ねえなあ、特別だぞ! オレ様は暇だからな!」
意気消沈していた吉原が嘘のように元気になると、目をきらきらとさせ起き上がった。
その様子に和泉は内心ほっとすると、吉原に甘いなあと思っていた。
こんなことをするはずではなかったのだが、何故か口が勝手に動いてしまったのである。
しかし嬉しそうにする吉原を見ていると、悪くないかもしれないという思いも湧き上がってくるから不思議なものだ。
いつしか吉原と過ごす時間が、和泉にとって居心地の良いものとなっていた。
好意を前面に出されたり、和泉が吉原を意識してしまったりしたら居心地は悪くなるのだが、そうでなければとても快適だ。
吉原の意外な一面を見れば見るほど、和泉の中の腐男子萌えゲージもあがり、水吉の妄想の糧にもなる。
やっぱり吉原はどう見たって受けだ。
攻める姿は想像もつかない。
意気揚々とする吉原を腐った目線で和泉は見つめると、内心萌えて萌えてどうしようもなくなっていた。
そんな和泉の心境など露にも知らない吉原は、和泉が遠まわしに誘ってくれたことに有頂天になり幸せでどうしようもなかった。
和泉に言ったら怒られるであろうが、和泉とデートをするのだ。
それは吉原にとっては想像もつかなかった世界であり、結果でもある。
50位以内には入れなかったけれど、必死で努力をした結果がこれなのだから良しとしよう。
いつか絶対50位以内に入って和泉を自ら誘えるようになるまでは、勉強を頑張ることにした。
吉原はいつにもなく機嫌の良さそうな和泉を見つめ、自然とにやけてくるのを止めることができなかった。
「あ、そういえばかいちょー元気?」
「あ? 颯? あー……元気っちゃあ元気なんじゃねえの?」
「最近会ってないの?」
「いやテスト勉強あいつに教わったからな、ずっと一緒にいたぜ。すっげえスパルタでさ、もう死ぬかと思った」
「は、激しかったんだ!」
「ああ、すっげえ激しかった。もう勘弁してくれって感じだよな。オレ様に指示をするなんて颯も偉くなったものだな」
「し、指示! あーん、もう、ビデオ録りたかった! きゃー! あー! 萌えるー!」
「……あん?」
「今度三人で会おうね! 絶対ね! よっしーといっぱい話したいし!」
「仕方ねえなあ。そんなにオレ様と喋りたいんなら喋ってやるよ」
どこか食い違っていく会話のズレに二人とも気付くこともなく、各々の思いを抱えたまま会話はヒートアップするのであった。
和泉は水島と吉原の破廉恥な妄想が頭の中を駆け巡り、進まなかった原稿も今なら一気に描けそうだ。
吉原は珍しく自分に懐き、質問をしてくる和泉が自分に少し惚れてしまったんじゃないだろうかという、幸せな妄想をしていた。
お互いともが間違った妄想を繰り広げ、勘違いしたまま幸せを噛み締めていたころ、和泉を置いて先に教室に戻ってしまった望月は未だに和泉の姿が見えないことに心配をしていた。
多分大丈夫だとは思うのだが、望月にとって和泉はどんな性格であろうと可愛い弟のような存在なので異常に心配をしてしまう。
どんなに腐っていても、どんなに妄想ばかりしていても、どんなに馬鹿でも、どんなに望月に対して攻め受けいっても、望月は和泉を目の中に入れても痛くないほど可愛がってきた。
それが和泉の態度を助長させることだとわかっていても、止められないのである。
とことんMな望月はこの授業が終わっても和泉が帰ってこないのであれば、授業をさぼって和泉を探しにことを決心した。
その肝心な和泉は望月のことなどすっかり忘れ、中庭で吉原と勘違いトークを延々と繰り返していたのであった。
望月に発見されるまであと45分足らず、望月に怒られることとは知らずに和泉は吉原と一緒に熱い妄想を繰り広げていたのである。