灼熱の太陽が容赦なく降り注ぐ七月下旬の某日。
和泉と望月は冷房の効いた体育館でだらだらと話をする理事長の声をBGMにお喋りをしていた。
真面目に聞いている人は少なく、皆どこか浮き足たった様子でそわそわとしている。
何故なら今日は世間でいう終業式であった。
明日からは全校生徒が待ちに待った夏休みが始まるのだ。
全寮制の生徒にとって大きな休みはこの閉鎖的空間から解き放たれることも意味しており、通常の学校よりは皆の喜びも尋常ではない。
一部の生徒は寮に残り、補修やら部活でこの場に留まるのだが、やはり帰省する生徒が多い。
皆、夏休みにすることなどを相談しながらお喋りに夢中になっていた。
「このあとSHRで終わりだっけ?」
「うん、そう」
「蓮は夏休みどうすんだ?」
「取り敢えず八月中旬ぐらいから二週間だけ実家に帰ろうかなあって。イベントは実家から行った方が近いしね、ここ山だし」
「確かに山だな。……じゃあ俺もその辺に帰るかな〜」
「テニスの大会とか大丈夫?」
「まあ、いけるだろ。つーかお前ん家泊まっても良い?」
「良いっていうか、強制だよ? 原稿たーくさん抱えとくから!」
「……おっけ」
和泉の中の夏休みにはバーベキュー、海、プール、花火、祭りなどは一切なく、原稿、合宿、イベントのみで埋め尽くされている。
だからいつまで経っても和泉の肌は日焼け知らずだ。
この容姿だから受け入れられるものがあるが、見た目がアイドル顔じゃなければ本当にただのオタクである。
和泉が参加する予定のイベントを指折りで数えていると、壇上から聞きなれた声がしたと共にどこか懐かしい黄色い声も聞こえてきた。
身近にいすぎていて和泉も望月もすっかり忘れていたが、生徒会も風紀委員も一般生徒の憧れである。
誰かが喋れば辺りにいる男子生徒は、うっとりとした表情で壇上を見つめていた。
そんな様子に引いてしまう望月とは違い、和泉は興奮した様子で望月の肩を荒く揺すった。
「ちょっとちょっと! このネタいけんじゃね!?」
「はいはい、どんなネタですか?」
「きゃーきゃー騒がれてるかいちょーを見てよっしーが嫉妬するの! で、拗ねた感じで壇上にあがれば自分もきゃーきゃー言われてすっかりご機嫌。そんな様子をかいちょーが見てまた嫉妬するの! でね、でね、お仕置きプレイ! 縛り付けたよっしーを」
「わかった! わかったから! それ以上は喋るな!」
「なんでよ、こっからが良いとこなんじゃん。やっぱ濡れ場は最高だね!」
「……つーかそのネタ、ベタすぎねえ?」
「ベタなのが一番好き! いや〜それにしても柚斗もわかるようになってきたね、腐男子三段昇進おめでとう」
「ありがと……っていうと思ったか馬鹿め!」
「い、いたーい! 家庭内暴力はんたーい!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人は、この閉鎖的空間の男子校の生徒から見れば痴話喧嘩をしているように見えた。
微笑ましいなと見ている人もいれば、地味に人気のある望月なので羨ましいと思う人もいる。
もちろん和泉を羨ましがる人が多数の中、望月を羨ましいと思う人物が一人だけいた。
それは壇上にて演説をしていた吉原である。
どこにいても直ぐに和泉を見つけ、見入ってしまうほどに惚れてしまっていた吉原はずっと和泉を見つめながら演説をしていた。
最初は可愛いなあとか思っていたのだが、時間が進むにつれ隣にいる望月とじゃれ始めたではないか。
吉原にはそんな態度をしてくれたことは一度もないのに、望月にはいとも簡単に心を許している姿に少し胸が痛んだ。
あの二人がそういう関係でもなければ、そういう関係に発展する可能性もない。
だから心配や嫉妬などする必要はないのだが、思考とは裏腹に心は簡単に理解してくれない。
望月のポジションを羨ましく見ていた吉原だが、直ぐに頭を振ってその考えを打ち消した。
自分は自分なりに自分だけの関係を和泉と築こうと思い直すと、機嫌良く饒舌に演説を開始した。
そんな吉原に気付いたのか、和泉は一瞬だけ吉原を見るとにこっと微笑んだ。
その笑顔がもろにつぼに入ってしまった吉原は幸せ気分のまま、水島に止められるまで話すのをやめなかったのである。
「さっきの萌えたね〜! かいちょーよっしーに抱きついたよ! ねえ、見たでしょ!?」
「あー……抱き、ついたのか? あれは」
「お前の声を人に聞かせるのは嫌なんだ! 颯、ったくお前は……そんなことで妬くなよ。うるさい、お前の全ては俺のものなんだ、俺以外に話しかけないでくれ! ……仕方ねえなあ。なんて! なんて! きゃはー! うっほー!」
「あの二人そんなキャラだったか?」
「そして夜はお、し、お、き、プ、レ、イ!」
「蓮さん、柚斗さんは貴方についていけないんだけど」
長い終業式も終わり、教室に向かっている最中、和泉は先ほどの光景を思い出し一人芝居をしながら身悶えていた。
そんな奇行をする和泉にどこか居心地の悪そうな望月は重い溜め息を吐くと、仕方なく和泉の話に付き合っていた。
一度テンションのあがった和泉を止められることは非常に難しい。
和泉にとっての萎え話や、好きCPの逆CP、シチュエーションなどの地雷を話せば一気に和泉のテンションは下がり、大人しくなってくれるのだが、それをしてしまうと口を聞いてくれなくなる危険性もある。
感情の一喜一憂が萌えと萎えで決まるのだから、望月にとってオタクの世界は全く訳がわからなくて不思議なものである。
取り敢えず話題を逸らそうと望月が口を開いた瞬間、前方から聞いたことのある怒声がした。
その声の持ち主とは先ほどまで和泉が萌え萌え言っていた人物、吉原である。
見たこともない怒った表情で、誰かと話をしていた。
丁度吉原と話している人物はここからは陰になっていて、見ることができない。
和泉と望月はとっさに物陰に隠れると、悪いとは思いつつ二人の様子を観察することにした。
少し場所を移動すれば、吉原と話している人物は生徒会副会長である黒川ということがわかった。
妙な組み合わせに首を傾げる和泉と望月は、お世辞でも良い雰囲気とは言えない二人を見て声を潜めて話し出した。
「どうしたんだろ、よっしー変だね」
「うーん……こっからじゃ声あんま聞こえねえなあ」
「それにしても変な組み合わせ。」
「そうだな……って思い出したんだけど、確か吉原先輩のタイプって黒川先輩みたいなタイプだったよな」
「自分のいうことなんでも聞く長身美人健気タイプだっけ? でもよっしー受けだもん!」
「昔になんかあったのかもなあ。蓮に惚れるまでは手が早いって聞いたし、なんか雰囲気可笑しいしさ」
「……柚斗がホモに興味もつなんて珍しいね」
「そうか? 知り合いの性事情とかちょっと気になんじゃん」
「げー悪趣味!」
「いや、友人でホモ妄想しているお前には言われたくない言葉だ」
「これは立派で素敵な趣味です!」
「げえ〜蓮ちゃん悪趣味〜!」
「真似するな!」
けらけらと笑う望月を見ながらも、和泉は吉原が気になって仕方がなかった。
普段の吉原とは違う雰囲気、和泉の知らない吉原がそこにはいて、黒川と話をしている。
どちらかといえばあんまり綺麗だとはいえない感情が和泉の中で湧き上がってくるのを感じながら、自分が変になってしまった錯覚で居心地が悪くなる。
その感情の名前を知らない和泉はテンションがさがっていくのがわかりつつも、吉原から目を離すことができずにいた。
頭の中で何度も吉原は受けだとそう言い聞かすけれども、黒川の前に立つ吉原の表情は男そのもので。
直感的にあの二人は昔に、なにかがあったとわかってしまった。
和泉の予想が当たっているという確信はないが、そういう関係だったんだと推測される。
そう思った瞬間、先ほどまで近かった吉原が急に遠くに感じ、和泉はそれ以上見たくなくて無理矢理視線を逸らした。
そうこうしている内に吉原が大きく舌打ちをして、黒川に背を向けてその場を去った。
後に残された黒川は辛そうな表情をして唇を噛み、吉原が去った方向とは逆の方向へと足を向けて去っていった。
いつもとは違う雰囲気の二人に和泉は少なからず動揺を覚え、創作意欲が一気になくなってしまった。
つまらさなそうに立ち上がる望月に声をかけられるまで、和泉はずっとその場を見続けていたのである。
「蓮? 教室戻るぞ?」
「あ、ああ、わかった」
「それにしてもさっきの気になるな〜」
「そうだねえ、今度聞いておくよ。それより、今日は原稿のためにも夏休みの課題しようね」
「げ……」
嫌そうに顔を顰める望月を見ながら、和泉は上手く笑えているか心配になる。
どこか気分の乗らない自分を打ち消すためにも、話題を逸らし頭の中を整理することにした。
くだらない話で盛り上がると、いつの間にかすっかりと吉原のことがどうでも良くなり、楽しくしている和泉がいたのであった。
先ほど感じたもやもやも、きっと同人活動に影響を及ぼす内容だったからテンションがあがらないのだ。
和泉はそう自己完結させた。
望月と教室に戻り、先生の小言を聞きながらゆっくりと時計の秒針が進むのを見た。
本日をもって水島デルモンテ学園の一学期は終わり、夏休みへと突入をする。
量の多い夏休みの課題を抱えながら、和泉と望月は雑談をして自分たちの部屋へと戻った。
和泉も望月も夏休みに入ったからといって直ぐに帰省はしない。
望月はテニスの大会やらで学校にいなくてはいけないので、帰りたくても夏休み中旬までは帰ることができないのだ。
一方の和泉は特に学校行事でしなくてはいけないこともないので、帰ろうと思ったら直ぐに帰ることもできるのだができれば実家には帰りたくない。
異常なほどの過保護であるのも理由の一つなのだが、望月が帰らないというのが一番の理由だ。
なんだかんだいって和泉にとっては生活の一部となった望月の存在なしでは、生きていけないような気がしていた。
高校生活が終われば実家に帰るかもしれないけれど、この高校生活は一度しか味わえない。
和泉は後悔しないようにやりたいことを、我慢せずにやることに決めていたのだ。
それに和泉にとっては生活のサイクルに入っている同人活動も、望月なしでは上手いこと進まないのである。
そういった面でもやはり、和泉には望月が必要なのであった。
「よーし、できた!」
自室に帰るやいなや、望月はテニスの練習へと行ってしまったので、残った和泉は夏休みの課題をやりやすいように仕分けていた。
その作業がやっと終わり、和泉は軽く伸びをすると息を吐いた。
今課題をやってしまっても良いのだが、どうせなら望月に教えながらやる方が早い。
課題は夜にやることに決め、和泉はなにをしようかと悩みながら辺りを見回した。
原稿もそれほど詰まってはいないし、帰省の準備もしなくて良い。
やることがなくなってしまった和泉は手持ち無沙汰にソファに座ると、昼寝をすることに決め目をゆっくりと閉じた。
少し身体が重く感じるので早く眠れるだろう。
そう思っていた最中、扉の方から遠慮がちにノックの音が聞こえた。
それにはっと目を開くと、和泉は重い身体を起こし玄関へと足を運んだ。
この部屋に訪れる人がいるなど珍しいことだ。
そう思いながら扉を開けると少し焦ったような表情をした吉原が立っていた。
手に握られた携帯電話が、やけに印象的に見える。
終業式のあとの出来事を見てしまったのが原因か、どうして良いのかわからずじっと見つめる和泉に、吉原は意を決したように口を開いた。
「……携帯」
「え?」
「番号、聞いてなかったから。聞きにきてやったぞ」
「あー……え、それ必要?」
「な、必要って……必要、だろ!」
「ふーん、ちょっと待ってて」
少し傷ついた表情で携帯を握り締める吉原の姿が、なんとなく可愛く見えた。
和泉は気分が良くなるのを感じながら、リビングに放置してある携帯を手に取り吉原の元へと戻った。
普段からあまり携帯を使用しない和泉にとっては、新しい番号が増えるのは新鮮である。
実家にも中学のときの友達にもあまり連絡をとらない上、一番仲の良い望月は毎日会っている。
同人関係などは主にPCやサイト経由で連絡をとるため、正直携帯を持つ意味がないと思っていたので新しい番号が増えることは嬉しいものである。
和泉は赤外線で吉原と番号を交換しながら、ふと疑問に思ったことを口にした。
「つーか、番号交換しなくても毎日会えるじゃん」
「夏休み帰省すんだろ。会ってやるって言っただろうが」
「でも帰省するの二週間だけだし」
「……は? 今日帰んじゃねえの?」
「帰らないよ。八月中盤まではずっとここにいるけど」
「ふーん。じゃあ、貴様暇なんだな。そうかそうか、仕方ねえなあ。オレ様が会いにきてやろう」
「はいはい、どうぞご勝手に。あ、原稿中のときはこないでね」
「……つーか、今思ったんだけど、蓮ちっせえなあ」
俯きながら携帯を弄る和泉の旋毛を見ながら、吉原は改めて身長差に気付いた。
180cmを超える吉原と違い、和泉は出会った頃よりは身長が伸びたといえど160cmあるかないかである。
胸にすっぽりと収まってしまいそうな和泉を見て、吉原は沸きあがってくる衝動に耐え切れなくなり、和泉の頭を優しく撫でてみた。
さらさらで癖のない髪の毛は吉原の手に恐ろしいほどに馴染み、ずっと触っていたい感覚にしてくれた。
こんなことをすれば怒るだろうと覚悟していたものの、吉原にとっては予想外か、和泉は嫌がる素振りも見せずに黙ってそれを受け入れていた。
心なしか目を細めて気持ち良さそうにする和泉に、吉原は胸がどきどきと高鳴っていく。
「猫みてえ」
「煩いな、さっきから小さいとか猫とか、馬鹿にするな!」
「ハ、褒め言葉だろう。蓮はそうだな、猫にするとソマリだな」
「ソマリ? なにそれ、種類?」
「ああ、性格がちょっと似ている」
「まあ俺が猫なら、飼い主は絶対に柚斗だけどね」
「あん? じゃあオレ様はなんだよ」
「よっしー? よっしーはそうだなあ、魚! 俺の餌!」
「なっ、オレ様のような高貴な人間が魚!?」
「えー不満? じゃあマグロにしてあげるから、しかも大トロ! 十分でしょ」
くだらない話を吉原としていると、和泉は次第に気まずさを感じなくなっていった。
吉原の過去がどうであれ和泉にとっては関係がないし、ただ穏やかに同人活動ができればそれで良い。
本当は真相を聞いてしまった方がすっきりとするのだが、心のどこかがそれを聞くのを躊躇っている。
知らないままなにも気付かないふりをして、和泉は同人活動をしていくことに決めた。
それをネタにしてしまうほど割り切れてはいないが、いつかそれをネタに話を作るのも良い。
携帯をポケットにしまう吉原を見ながら、和泉はアドレスが一件増えた携帯をしっかりと握った。
「よっしーって、結構趣味悪いよね」
「あん?」
「それより、ねえ、お腹減ったんだけど。なんか作ってよ」
「蓮の話は飛んでばっかだな」
「俺、うどんが食べたい」
「よりによってうどん……」
「無理なら他の人に頼むけど」
「わ、わかった! 仕方ねえなあ、特別だぞ? ったく、ほんと、ああ、そうだな、オレ、趣味悪いかもな」
溜め息を吐きながら、でもどこか楽しそうに笑う吉原の表情に和泉は胸がどきりと鳴った。
新しい萌えの感情なのだろうか、胸を抑えながら吉原の背中を見てそこから動けずにいた。
和泉と望月の部屋に吉原がいて、和泉のために鍋を取り出し料理に取り掛かっている姿が見慣れないこともあってか酷く新鮮だ。
自分の部屋なのにどこか落ち着くことができない。
なにもすることがない和泉は仕方なくソファに座ると、手に持っていた携帯を弄った。
もうすぐ和泉のために昼ごはんを作りに帰ってくる望月に、メールをしなくてはいけない。
今日は吉原が昼ごはんを作ってくれることになったため、望月は作らなくても良くなったのだ。
帰ってきてからそれを伝えたのじゃ遅い。
なので和泉はボタンを操作すると望月にメールを送った。
きっと今はまだ練習中だろうが、練習が終わったらメールを見てくれるだろう。
用のなくなった携帯を閉じ、机に置くと、不意にこちらをじっと見ている吉原と目があった。
「なに? ご飯できたの?」
「オレ様といるのにメールとは良い度胸だな」
「業務連絡です。あ、っていうかね、俺、天かすうどんが良い」
「天かす? あーっと、ここにあんのか?」
「……よっしー良いお嫁さんになるよ」
「なりたくねえよ、蓮がオレ様の嫁にくるんだろ?」
「ハハ、面白くない冗談だね」
和泉がそう言って笑ったのを見て、吉原は残念そうに肩を竦めるとうどん作りを再開することにした。
夏休みの始まりは、天かすうどんを作る吉原を見つめる和泉という可笑しな光景で始まったのであった。