けたたましい音で起こされ、重い目を開けば目の前には和泉の頭があった。
望月は冷静になり昨夜のことを思い出すと溜め息を吐き、未だ鳴り止むことをしない和泉の携帯の電源ボタンを押した。
夏休みに入って少し、毎日この着メロの音を聞いているような気がする。
毎朝必ず七時になる和泉の携帯。
メールを送る主は和泉に片思いをしている趣味の悪い男、吉原だ。
毎日この着メロに起こされて、毎日和泉の旋毛を見ているそんな繰り返しだ。
何故だかわからないが、夏休みに入ってから和泉は望月のベッドで寝ることが多くなった。
リビングで原稿をし、そのあと眠ってしまう和泉をベッドに運んで一緒に寝るという生活パターンだ。
この生活を吉原に見られたら、軽く殺されてしまいそうなので望月は絶対に口が避けてもこのことは誰にも言えなかった。
すうすうと可愛らしい寝顔を見せる和泉の肩を揺らすと、耳元で声をかける。
「蓮、ダーリンからのメールだぞ」
「ん、……」
「起きろ、ダーリンが呼んでる」
「……ゆ、ず……と?」
望月の言葉で起きたらしく、目を擦る和泉に望月は携帯を差し出した。
和泉はぼうっとした頭で携帯を弄ると、その画面を見て酷く嫌そうな顔をして携帯を閉じてしまった。
大体のメールの文章の予想がついてしまうのは嫌だが、これも慣れてしまったようだ。
吉原はストーカー並みに毎日毎日和泉にメールを送っていた。
昼夜問わず送られてくるメールに和泉が返信をすることはごく稀だ。
それでも携帯アドレスを変えないのには、和泉なりの考えがあるらしい。
望月は不機嫌になった和泉の頭を撫でてやると立ち上がり、部活に行くための用意をすることにした。
「つーか、ダーリンじゃないし。俺のダーリン柚斗だし」
「それ、吉原先輩の前だけでは言わないでくれよ」
「あーもう、メールうざい! だるい! めんどくさい!」
「今日はなんだって?」
「なんか、風紀委員室にきても良い許可を与えてやる、だって。馬鹿じゃねー。お断りだよね」
「そうか、じゃあ弁当作ってやるから昼ごはん一緒に食べてこいよ。蓮の好きなタコさんウインナー入れてやるし」
「え、ちょっと、待ってよ! 行かないってば!」
「会長も呼んだらどうだ? 二人の萌え補給でもしとけ。俺、今日は部活あるし」
「えー……」
望月はそう言いながら爽やかに寝室を後にした。
ここ最近、望月はテニスの練習がつまっているため付き合いが悪い。
朝と夜しか会えないのである。
それになんとなく寂しさを覚えていた和泉は頬を膨らますと、仕方なく出かける準備をした。
だだをこねてもなにをしても望月は構ってくれないから、大人しく従うしかないのだ。
部屋に篭っていてもやることがない和泉は、吉原に会いに行くことを決めるとパジャマを脱いだ。
夏休みに入っても吉原との関係は変わらず、良い状態を保っていると思う。
吉原もたまに想いを口にすることはあれども、強引に結果を聞き出したり、関係を発展させようとは思っていないみたいだ。
和泉はときどき吉原が自分のことを好きなことを忘れるくらい、吉原との関係は普通なのであった。
Tシャツとハーフパンツに着替えると、和泉は望月の部屋を出てリビングのソファへと座った。
昨晩から用意をしていたのかお弁当を作る望月のスピードは尋常じゃなく、ぼうっとしている間にもお弁当ができてしまった。
それを望月から手渡され、一緒に部屋を出る。
部屋を出て右に向かう望月とは違い、和泉は左だ。
テニスバックを持ち、日に焼けた肌を晒す望月は少し成長して見える。
その姿になんとなく寂しさを感じた和泉は望月の髪の毛を引っ張ると、満足そうに笑った。
「いって! なにすんだよ、蓮!」
「ちゃら男め……身長伸びた?」
「あー……身長ね、伸びたかも。やっと夢の170cm代だ。目指せ180cm!」
「無理無理、絶対無理! 俺が先に180cmいくんだから」
「お前の方が無理だろ。ま、毎日牛乳飲めよ」
「うるさい! 言われなくても飲むし! もう、今日は早めに帰ってきてよ!」
「はいはい。じゃあな、吉原先輩によろしく〜」
和泉に背を向け、手を振る望月の背中を見ながら和泉はお弁当をしっかりと抱え込むと風紀委員室へと向かったのであった。
なんだかむしゃくしゃするので吉原に当たることに決めた。
そう決心をしながら歩くスピードを少しあげ、エレベーターへと乗り込む。
窓の外は炎天下。
容赦なく降り注ぐ太陽の光に目を細めながら、和泉は急に行き先を変更することにすると、風紀委員室の近くにある大きな扉の前に立った。
どうも自分は夜型のような気がするので、この眩しい光は目に毒だ。
ノックをすることもせず、躊躇うことなく扉を開き中に入ると、和泉がくることを予想していなかったのか中にいた水島は眼鏡の奥にある切れ長の瞳をまん丸にさせ持っていた書類をばさりと床に落とした。
どうやらこの部屋には一人しかいないようである。
和泉はそんな水島ににこりと微笑むと、ソファに腰を降ろしてから水島に喋りかけた。
「かいちょー元気? あ、なんだか疲れてるね〜! よっしーとやりすぎてんじゃない?」
「な、な、なんで貴様がここにいる! ここは原則として生徒会以外の生徒が立ち入る場所ではない!」
「そう硬いこと言わないでさ、ねえ、お茶は出ないの?」
「あ、すまない……じゃなくて!」
慌てて和泉に近寄る水島の目に映るものは、和泉が大事そうに抱えているお弁当だった。
どうやらここで食べるらしい。
それをなんとしてでも止めなければいけない。
だけどもお弁当を広げ、可愛らしい顔でお茶と呟く和泉に水島はそれを言い出すことができず、渋々お茶の用意に取り掛かるのであった。
そう水島は和泉の顔に滅法弱かった。
黙っていれば水島のタイプストライクど真ん中の顔なのである。
手荒に動ける訳がない。
和泉にお茶を出し、その前にどっかりと腰をおろすとここにきた理由を問うた。
「柳星のとこに行かなくても良いのか?」
「うん、別に約束してないし。今日はかいちょーの気分なの。本当は行こうと思ってたけど、やめた」
「そうか、まあ弁当を食ったら出てけよ。俺はこう見えて忙しいんだ」
「仕事? あ、もうすぐ学園祭だっけ?」
「まあな。……なんか貴様と普通の会話をしていることが不思議でならんな」
もぐもぐとお弁当を食べる和泉の顔を見て、水島は変な気分になっていた。
こうやって落ち着いて話すことが今までなかったから、新鮮さを感じるがどうも居心地が悪い。
吉原は和泉のどこに惚れたのだろうか、と必死で考えたりもするが理由など検討もつかない。
いくら顔が水島の好みでも、性格が全く持って受け付けられる範囲じゃないので不思議でならなかった。
やっぱり顔も大事だが、一番大事なのは性格だ。
水島が改めてそう思っていると、和泉が急に箸を止め、言いにくそうな表情をして水島を見た。
その表情におや、と眉を顰めた水島だが、和泉が口を開くまで辛抱強く待つことにすると言いやすいように表情を和らげた。
そんな水島を見て、決心のついた和泉は顔を俯かせると小さな声で言った。
「よっしーって、……黒川さんと、付き合ってた?」
その質問に水島は驚いて、喉をひゅっと鳴らせてしまった。
どうしてそのことを和泉が知っているのかも疑問だが、なにより驚いたのは和泉の表情だった。
不安げでどこか泣きそうにも見える和泉が、少し可愛いと思ってしまって水島は慌てて頭を振るとにっこりと笑って口を開いた。
「何故だ?」
「勘。……まあ、確信、あるけど、ちょっと気になってさ! ほら、同人活動に影響でちゃうでしょ」
「影響がでるなら聞かない方が良いと思うが」
「……なんで、別れたの?」
「さあ? それは俺の口からは言えないな。聞きたいなら柳星に聞けば良いだろう。あいつが一番知っている」
「別に良い、そこまでじゃ、ないし。……ちょっと、ね、なんで俺なんだろうって、思ってたりもした、から、さ」
「ああ、柳星のタイプは確かに和泉君みたいなタイプじゃないな。でもそれも柳星にしかわからない」
「ふーん! ま、俺はかいちょーとよっしーがいちゃつくの期待してるから!」
和泉は話題を思い切り吉原と水島のことに変えると、意気揚々としてホモ話を語りだした。
その話にひくりと口端が震える水島だが、先ほどの和泉の態度を見て少し嬉しくなっていたので我慢できた。
絶対に和泉が吉原に落ちることはないと思っていたが、どうやら可能性が少しだけ出てきたようだ。
和泉は吉原と黒川の関係が気になる上に、その事実にもやもやしている。
そのことに和泉は気付いていないだろうが、吉原にとって良い風が吹いてきている。
水島はそのことを吉原に言っても良かったのだが、和泉の先ほどの態度を見て言わない方が良いだろうと判断した。
全てはなるようになるので、外部者がどうのこうの言うことでもない。
少し和泉に対しての苦手感が減った今、少しは普通に接することができそうだった。
お弁当を再度食べだした和泉を見ながら、水島は少しの手伝いぐらいは良いだろうと思い吉原にメールを送ってやるのだった。
それから何分経っただろうか、扉の奥から吉原の声が聞こえてきた。
「おい! 開けろ! 颯! 10秒以内に開けないとこのドア蹴り倒すぞ!」
水島が確認してみると先ほど吉原にメールを送ってから三十分。
やっと吉原が生徒会室へとたどり着いたようだ。
どんどんと激しく扉を叩く音が静かな生徒会室に響いている。
水島はやれやれと肩を竦めると、扉の前まで行きとその扉を開けてやった。
その扉の向こうに待ち構えていた吉原は息を切らせながら、水島をぎっと睨んだ。
「どういうことだ、さっきのメールは」
「軽いジョークだ。まじにとるなよ」
「嘘でもあんなこと言うなよ! 心臓止まるかと思ったし」
「本当に好きなんだな。ああ、その肝心の和泉君だがどうやら寝てしまったようでな、ほら」
水島が指した場所には、ソファに蹲るようにして眠っている和泉の姿。
普段ハイテンションでぶっ飛んでいる話ばかりをする和泉だからだろうか、寝顔は非常にあどけなく、普段とのギャップが際立って見えた。
吉原は起こさないように和泉に近寄ると、その柔らかな髪を指で梳いた。
そんな吉原と和泉を見て背中がむず痒くなった水島はうへえと表情を歪ませると、向かい側のソファへと身を沈めた。
自覚はないだろうが、和泉と一緒にいるときの吉原の表情は非常に甘い。
水島の知っている吉原ではないのだ。
いつもなら相手が嫌がろうと直ぐに自分のものにして、相手を夢中にさせている。
だがどうだろうか、今の吉原は手間取っているどころか驚くほど慎重にことを進めていた。
本気と遊びの違いだろうか、良くわからないが水島にとって気持ち悪いことこの上ない。
和泉の髪に唇を落とし、愛しそうに見つめている吉原に耐え切れなくなった水島は口を開いた。
「俺の前ではそれ以上するな。きもい」
「うるせえ。そもそもなんで蓮が颯のところにいるんだ」
「俺が聞きたいぞ、それは。困っていたからお前にメール送ったんじゃないか」
「もっと普通のメールをしろ。生徒会室に和泉君がきた、可愛いからやっても良いか? ってメールがきたら誰だってびっくりするだろうが」
「本気にする方が悪い。……まあ、良かったな」
「あん?」
「あのことがあって以来、お前は恋をしないと言っただろう」
「……ああ、そうだな。だけどこいつとあいつは違う。それに、……あれだ、今まではオレの気持ちばっか押し付けて、それが当たり前なんだと思ってた。だけど、こいつは、……まあオレ様も成長したもんだ」
「お前からそんなことが聞けるとは、気持ちの悪いものだ」
「うるせえ! とにかく、ゆっくり進めるって決めてんだよ!」
「ふん、仕方ない、助言をしてやろう。良いか、絶対に今のペースを崩すな。その調子でいけばうまくいくかもしれん」
「どうしたんだよ、急に」
「取り敢えずそうしとけ。……あと、……いや、なんでもない」
黒川のことを言おうと思った水島だったが、それは言うのをやめておいた。
言ってもなにかが変わる訳でもなければ、絶対に良い方向へは向かわないのだ。
向かうとすれば悪い方向だ。
水島はふっと笑うと和泉の寝顔を見た。
目の前で不思議そうな表情をしている水島の親友は、この顔だけ可愛い和泉に夢中のようだ。
これから先、二人がうまくいくかなど誰にもわからないが水島はうまくいけば良いな、と思ってもいた。
やはり親友の恋はうまくいってほしいものである。
穏やかな時間がゆっくりと過ぎていき、水島も吉原もそれ以来言葉を発することなく各々がやりたいことをすることにした。
水島は学園祭に向けての生徒会の仕事をし、吉原はそれを手伝いつつたまに起きる様子のない和泉の寝顔を見つめていたりしていた。
時折寝言を言いながらもぞもぞと動く和泉に驚かせられたりもするが、平和な時間に二人とも時間が経つのを忘れるほどゆったりと時を過ごした。
それからどれくらい経っただろうか。
水島も吉原も和泉の寝顔につられ、夢の中へと落ちそうになっていった瞬間、和泉が急に起き上がったのだ。
先ほどまで起きる様子が微塵も見られなかったため、二人はその急な動作に胸がどきりと高鳴ると和泉へと視線を向けた。
和泉は和泉でびっくりした様子で水島と吉原を見やると、目を思い切り擦り嬉しそうに笑った。
その笑顔が可愛い。
そう水島が思うのは一瞬で、起きて第一声の言葉にやっぱりと苦笑いを零すしかなかった。
「な、なにしてたの? 二人で……あ、俺のことはお構いなく! 続けても良いよ!」
「和泉君、何度も言うようだけど俺と柳星はそんな」
「おい、蓮。貴様どうしてこんなとこにいる。朝メールで言っただろう」
「だって急にかいちょーの気分になったんだもん。つーか最初からよっしーの気分じゃなかったし〜」
「仕方ねえなあ、明日からはオレ様が迎えに行ってやるから、部屋で大人しくしてろよ」
「えー……」
「昼ご飯作ってやるよ、嬉しいだろ、このオレ様の手料理を食べられるんだ。もっと喜べ」
「はいはい。あ、かいちょーもくる?」
「あ、いや、俺は遠慮しておこう。……柳星に殺されたくはないのでな」
「え?」
「いやこちらの話だ」
吉原と和泉のへんてこな会話に、水島は再度苦笑いを零した。
吉原も吉原で素直に毎日会いたいと言えば良いものの、どうも和泉の前では素直になれないようだ。
だがそんな吉原のことをわかっているのかいないのか、和泉は吉原の扱い方がうまくなっている。
結構良いコンビだとは思ったものの、意気揚々と水島と吉原のホモ妄想を語る和泉に苦手意識が戻ってきそうだ。
水島は引き攣った笑みで軽く相槌をうつと、吉原の様子を伺った。
肝心の吉原は慣れているのか、軽くその話題をスルーしつつ嬉しそうな笑みを浮かべ和泉の髪を梳いていた。
傍から見れば異様な光景である。
だけどなんとなく二人の仲が急接近する理由が掴めてきた水島は、吉原のことを少しだけ尊敬の眼差しで見つめた。
自分なら絶対に好きな人が自分と他の人の恋話を嬉しそうに語っていたら、不機嫌になると思う。
なのに吉原は嫌な顔を一切見せず、側にいてやっている。
だからこそ二人はうまくいくのだな、と水島はそう思うと二人を放置することに決めてポケットに入ってあった携帯を開いた。
新着メールが一件入ってあったので、何気なくそれを見た水島は尋常じゃないくらいに焦りだした。
近くにおいてある学園祭の書類を急いで纏めると、水島は不思議そうな顔をしている二人に用事ができたと言い、書類を片手に生徒会室から慌てて出た。
先ほど受信したメールの内容を見て、急いでここから出なくてはと思ったのである。
タイミングがかなり良かったのか、生徒会室の数メートル向こうには水島にメールを送ってきた人物が手を振ってこちらに向かってきていた。
「会長、わざわざ迎えにきてくれたんですか? ありがとうございます。じゃあ書類を纏めましょうか」
「ああ、そのことなんだが……別の部屋でやらないか?」
「え? どうしてですか? 生徒会室でやった方が便利じゃないですか……」
「ちょっと、な。まあいろいろあるんだ。黒川、俺だってたまには息抜きがしたい。食堂でお茶でもしながら書類を纏めよう。食堂なら生徒会専用スペースもあるし、そうだな、全員集合させてお茶会でもしよう」
「変な会長ですね。お茶会だなんて。まあ、別に良いですけど……」
「なら善は急げ、だ。他のやつらに連絡を頼む」
「わかりました」
間違っても黒川が部屋に入らないようにと、水島は黒川の背中を押しながら生徒会室を離れていった。
あと数分見るのが遅れていたらと、考えただけでも恐ろしい。
せっかくうまくいっているのに、あの二人に黒川を交えるのはまだ早い。
新たな悩みの原因ができてしまったことに、水島は胃が少し痛くなったものの、吉原がそれで幸せになるのなら良いか、と思った。
水島が裏で頑張ってくれたことなど露にも知らない二人は、ちぐはぐな会話を交わしながら午後を存分に満喫していた。