乙男ロード♡俺は腐男子 15
『起きろ、デートに行くぞ』
 望月がテニスの全国大会のためにこの学園を出て二日。
 部屋には和泉一人しかいないため、和泉の生活リズムは狂いに狂ってどうしようもなくなっていた。
 昨日も朝方まで起きており、寝たのはついさっきである。
 軽快なメロディとは裏腹に、電話で起こされた和泉の機嫌は最高に悪かった。
「は……無理……寝る」
『このオレ様を待たせる気か? 早くしろ』
「……嫌だ」
「ほう、良い度胸だな」
 さっきまで電話から聞こえていた声が急に側から聞こえたようで、和泉はゆっくりと起き上がった。
 目の前には扉に寄りかかり、にこにこしている吉原の姿。
 鍵を渡していないのにどうしてここにいるんだ。 という疑問が浮かんではきたものの、あまりの眠さで正常に頭が働かない。
 呆然として吉原を見つめていると、吉原は窓に近づきカーテンを思い切り開いた。 容赦のない日光が部屋中に差し掛かり、あまりの眩しさに和泉は目を細めた。
 吉原と出会ってもうすぐ四ヶ月。 その間に学んだことといえば、吉原の性格はとにかく自己中心的で俺様で我儘だということだ。
 それは和泉にもいえたが、自分では気付かないものなので和泉が気付くはずもなく、吉原の性格を恨むだけであった。
 ベッドから動こうとしない和泉に痺れを切らした吉原は、無理矢理に和泉のパジャマを脱がすと、タンスから適当に取り出した服を着せ始めた。
 手のかかる子供と、お父さんのようにも見える二人。
 和泉は次第にクリアになっていく思考の中、靴下をはかせる吉原にやっと現状が掴めてきたようだ。
「え、つかなにしてんの。どうしてここにいるの?」
「言っただろう、オレ様が寂しい蓮のために夏休みデートしてやるって」
「鍵は?」
「ふん、貴様オレ様を誰だと思っている。風紀委員長に不可能なことはねえ!」
「威張っていうことじゃねーだろ、馬鹿! プライバシーの侵害だっての!」
 吉原の頭を拳骨で殴ると、和泉はすたすたとリビングに移動していった。
 今のやりとりで和泉の眠気はすっかりと去ってしまったようだ。
 未だ寝室で頭を押さえ悶えている吉原はそんな和泉の背中を見ながらも、行く気であることに安堵するのだった。
 吉原が用意した朝ご飯を軽く食べた二人は、部屋から出ると玄関に向かって歩き出した。
 吉原はどこか上機嫌に鼻歌を歌い、和泉は渋々といった様子で吉原の後をついていく。 行き先もなにも知らされておらず、どこに行くのか全く検討もつかない和泉はその背中に話しかけた。
「つーかどこ行くの?」
「蓮が決めるんだろうが。どこ行きたい?」
「今昼過ぎでしょ? こんな時間にこの山から降りて街行くって言ったら着くの夕方だし……行くとこないと思うんだけど」
「じゃあオレ様の行きたいとこに行くぞ」
「最初からそのつもりなんじゃないの?」
「……文句あるか?」
「別に、ないけどさ」
 外に出ると一気に襲ってくる真夏の空気に、和泉は一人眩暈を覚えた。
 ただでさえ外に出ることが少ない上に、この二日間吉原が作ってくれた昼食しか食べていない。 おまけに睡眠不足とくればこうなるのも当たり前だ。
 それに気付いた吉原は和泉の手を引くと、自分が被っていた帽子を被せた。
 和泉がその行動に目を開き吉原の顔を窺うと、にっこりと笑い返した吉原は和泉の頭を軽くぽんぽんと叩いたのである。 その一連の動作に和泉の胸がどきりと鳴ったが、気付かないふりをして吉原に引かれるまま歩いていく。
 外に晒された吉原のピンクゴールドの髪が、太陽の光に当たりきらきらと光っている。
 ここは山の中だから下界よりは涼しいはずなのに、何故か和泉はいつもより暑く感じて、吉原に気付かれないように俯いた。
「ついたぞ」
「……ここ、って駐車場じゃん」
「ほら、あのピンクの原付あるだろ。あれオレ様の」
「へえ、それがどうかした?」
「今からあれに乗ってドライブに行く」
「ドライブってこんな炎天下の中!? それに原付って……二ケツ無理でしょ」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃないって」
「知ってるか? この山は全部颯の家が所有してるんだ。だから大丈夫」
「……もう、知らないからね」
 悪戯っこのような笑みを見せ、吉原はヘルメットを取り出して和泉に手渡した。 原付のボディと同じピンク色をしたヘルメットは、和泉の頭にぴったりとフィットする。
 どうやら吉原はピンク色が好きらしい。 改めてそのことに気付いた和泉はヘルメットを被っている吉原を見上げた。
 予想外に吉原のヘルメットはピンク色ではなく何故か黄色である。 その似合わなさに和泉はぷっと吹き出した。
「笑うんじゃねえよ! この色しかなかったんだよ!」
「ごめんごめん」
「ふん、まあ良い。蓮、光栄だと思え。免許はつい最近取ったんだ」
「そうなんだ」
「この原付も新品だし、そのヘルメットは蓮専用だ。嬉しいだろう!」
「……ねえ、今日のためにわざわざ免許とったの?」
「な訳ねえだろ、馬鹿か。確かにこれに乗せる人は貴様が初めてだが! まあ本来原付は二ケツできねえしな、うん」
 吉原の耳が真っ赤に染まっているのを見て、なんだか和泉は言いようのない気持ちに囚われていた。
 素直じゃない吉原だけれど、こういうところが可愛いのだ。
 和泉は前よりも増して吉原と過ごす時間や、吉原が与えてくれるものに嬉しさを感じていた。 一体それがなんの意味をもたらすのかは和泉が知る由もなく、ただ胸がほんのりと温かくなるのだった。
 本来原付は一人乗り用で、二人乗り用には作られていない。 そのため原付に二人が跨ってしまうと非常に窮屈になり、密着して座らなければ落ちてしまいそうなのだ。
 薄着のためなのか背中に感じる和泉の存在がいつもよりリアルに感じ、吉原は胸がどきどきするのを隠すようにエンジンをふかした。
 遠慮がちに吉原の服を握っていた和泉だったが、いざ原付が動き出すとそのスピードにおされてしまい躊躇うことなく吉原の腹に腕を回した。
 その感触に驚いたのは吉原で、びくりと身体が揺れるのと同時に原付も少し揺れた。
 二人を乗せた原付は整備された山道を走りぬけ、頂上を目指していく。
 和泉はどきどきと早く高鳴る吉原の心臓の音を聞きながら、心地の良い風に吹かれそっと目を閉じた。
 原付は徐々にスピードを増し、辺りの景色も徐々に変化を見せる。 さきほどまでいた学園が遥か遠くになってしまい、辺りは木々に囲まれた森になっていく。
 木々の隙間から差し込む光と、森の新鮮な空気、原付が走るエンジンの音。 吉原はそれらを遠くに感じながら、背中から伝わる小さな温もりに胸がいっぱいになっていった。
 落ちないように必死にしがみつく和泉が可愛くて、わざとスピードをあげてみたり、たまに怒って抗議をしてくる声でさえ愛しいと思える。
 後戻りできないほどに和泉を好きになって、吉原はそんな自分の感情が怖くもあり、そして嬉しくもあった。
 ずっとこの温もりを感じていたくて、吉原は遠回りをすると目的地へとゆっくりとしたスピードで近づくのであった。
 原付を走らせて早二時間、遠回りをしてたどり着いた場所は平たい丘になっていた。
 真夏の太陽をしっかりと浴びた草むらは夏の花を辺り一体に咲かせ、空はどこまでも青く続いていた。
 吉原は原付を止まらせると和泉をおろし、そこに原付を止めた。
 ヘルメットを外し驚いた表情で草むらを見つめている和泉の顔を見ながら、吉原はそっと肩に手を置いた。
「綺麗だろ、ここ、結構穴場なんだぜ」
「凄いね、夏なのにちょっと涼しい」
「結構高い場所だしな。それにこっから見る日の出と日没は最高だ」
「……いつもよっしー一人でくるの?」
「ああ、この場所はオレ様の秘密の場所だからな。おい、蓮、秘密だぞ?」
「うん、わかった」
「よーし、じゃあ遅いけど昼飯食うか。オレ様が作った飯だからな、美味いぞ。光栄に思えよ」
 吉原は原付のメットインを開き中からお弁当を取り出した。
 甲斐甲斐しく用意をする吉原の姿からは、普段の姿が想像もつかない。
 そんな吉原をぼんやりと見ながら、和泉は無意識に吉原の髪に手を伸ばしていた。
 ほんの少し透けて見えるピンクゴールドの髪は、和泉の目にはとても綺麗に映った。 痛んでいると思われていた吉原の髪は意外にもさらさらとしており、指通りが良く和泉の指をすり抜けていった。
 吉原は和泉の行動にどきりとするものの、純粋に髪の毛を見ている和泉を見てなにも言えなくなる。
 小さく開いたその唇にキスをしてしまえば、どんな表情をするのだろうか。 できるはずもないのに吉原はそんなことを考えては、頬が熱くなるのを感じていた。
「……タコさんウインナー、入ってる?」
 和泉の手を握った瞬間、ぽろりと零したその台詞に吉原は軽く笑った。
 そういえば前に望月が言っていた言葉を思い出したのだ。 和泉はお弁当に入っているタコさんウインナーが大の好物だ、と。
 吉原のお弁当は意外にも大人嗜好で作られてあるため、タコさんウインナーなどの類は一切入っていなかった。
 だけどもお箸を握り、もくもくとお弁当を食べ始める和泉の姿を見て吉原はほっと安心した。
 どうやら和泉の舌に合ったらしいお弁当は、徐々に減っていく。
 時折、和泉の様子を伺う吉原に和泉はお箸が止まるけれども、ただ心配しているだけとわかれば直ぐにお箸の動きも再開された。
「そんなに見なくても」
「……気になんだよ」
「美味しいよ。柚斗の次によっしーのご飯が好き」
「望月、の次ね。……ふーん」
「今度食べてみる? 美味しいよ」
 風の音だけが響く草むら。 それからお互いに言葉を発することなくただ穏やかな時間を過ごしていた。
 あっという間にお弁当を平らげた和泉は軽く伸びをすると、その場に寝転んだ。 食べたらなんだか眠くなってきたのである。
 丁度今日は睡眠不足だったし、こんなに心地よい風に吹かれれば瞼も重くなるもの。
 和泉はだんだんと暗くなる視界に、呆れたような吉原の表情を見て慌てて吉原の手を握った。
 自分よりも大きな手の感触に安心を覚えながら、和泉は眠りへと落ちていくのであった。
 規則的な寝息が聞こえてくるまで、吉原はその場を動けず硬直していた。 和泉に握られた手が異常に熱く、全身の神経が指先に集まったような錯覚に陥る。
 そろそろと指を動かしてみれども、和泉が強く握り返してくるので手を引こうにも引けない状態だ。
 嬉しいのだけれど、苦しい状況というのはこういうときのことをいうのだ。
 目の前には無防備な姿を晒して眠る和泉の姿。 吉原にとっては想いを寄せる人物でもあるので、あんまり安心されると辛いものがある。
 だけれど無理矢理ことを進めて、嫌われてしまうのだけは絶対に避けたいことなので、これ以上なにもすることができない。
 吉原はこう見えても立派な健全男子なのである。 和泉に惚れる前までは好き放題遊んでいたし、それなりにセックスもしてきた。 なのに惚れてからというもの、格好の悪い話、一人で処理するしかしてこなかったのである。
 和泉に握られていない手の方で和泉の頬を緩く撫でると、言いようのない愛しさに唇を噛み締めた。
「……蓮」
 恋を知らない和泉だからこそ、吉原は我慢もできたし、穏やかなペースで接していけたのだ。
 だけどいつ、この手が違う人を選ぶのかはわからない。 吉原が和泉に惚れたように、和泉も吉原以外に惚れることがあるかもしれないのだ。
 そうなったらきっとなにもかも崩れてしまう。 いつもよりセンチメンタルな気分の吉原は澄み切った空とは反対に心は曇っていた。
 和泉の薄く開いた口から漏れる小さな寝息。 吉原はその唇とそっと撫ぜると指を頬に移動させた。
 余程眠たかったのだろうか、起きる気配は全くない。
 辺りを窺うようにきょろきょろと視線を彷徨わせると、吉原はゆっくりと屈んだ。
 そのままなにかに吸い寄せられるように、和泉の唇に自分の唇を合わせた。 軽く触れるだけのキス。 和泉と吉原は三回目のキスをした。
 もちろん和泉の意識はなかったので、吉原の記憶にだけ残された三回目のキス。
 触れるだけでそこから甘い痺れをもたらし、吉原はその感触と事実にうっとりとした。
「好きだ、……蓮」
 ホモ妄想して悶えている姿も、ご飯を食べて幸せそうにする姿も、理解不能な行動をする姿も、どんなことをしていても、和泉に対する吉原の恋心が薄まるときなどない。
 寧ろ日に日に増して濃くなっていく恋心に、どうしようもなくなっていくのだ。
 吉原はそのまま壊れ物を扱うかのように、和泉の身体を抱きしめると目を閉じ眠りへと入っていくのだった。

「ん、……」
 なにかに包まれる感触に目を覚ましたのは和泉だった。
 ゆっくりと目を開くと、目の前には眠っている吉原の姿。 普段冷たい印象やら怖い雰囲気を纏っている顔の吉原も、寝顔だけはあどけなく歳相応に見えた。
 微笑ましいと思うのも一瞬で、急に自分の置かれている状態に目を見張ると、さきほどまでのリラックスした身体が嘘のように硬直してしまった。
 和泉は一人で寝たはずなのに、起きれば自分を抱きしめながら寝ている吉原がいる。 あんまりにも気持ち良さそうに眠るものだから、押し退けることもできない。
 ばくばくと激しく鳴る心臓の音が聞かれるのが嫌で、和泉は起こさないように必死に身体をずらすと吉原の腕から抜け出した。
 触れられていた場所が熱い。 和泉は頬に手を当てながら膝に顔を埋めると大きく息を吐いた。
 腕の温もりがなくなったからだろうか、吉原が宙を抱きしめた。 そのなにもない感触を不思議に思ったのか、ゆっくりと目を開く。
 映るものは草だけで和泉の姿がない。
 視線を上げると体育座りをして、膝に顔を埋める和泉の姿が映った。
 躊躇いがちに声をかけると、ばっと顔を起こし、和泉は少し赤くなった頬で吉原をしっかりと見返してきた。
「はよ……わり、寝てたわ」
「う、ううん。俺も寝てたし」
「……あー! やっべ、日、蓮、後ろ! 日、落ちてる!」
「え? あ、あー! ほんとだ! すっげ、きれー!」
 慌てて吉原が指した方向には、山の後ろにゆっくりと落ちていく太陽。 幻想的な風景に一瞬の気まずさも吹き飛び、二人は見とれるようにずっとその様を見つめていた。
 本来、和泉をここに連れてきたのはこれを見せるためだったのだ。
 思わず眠りに入ってしまった吉原だが、これに間に合って良かったと安堵の息を吐いた。
 日没に見とれる和泉の横顔を見つめながら、ここにこられて良かったと本当に思う。
 ただ外に出かけるだけのデートじゃつまらないし、和泉の記憶に強く残らない。 だけどこんなデートならきっと和泉の記憶に強く残るだろうし、次の誘いもしやすいのだ。
 吉原は世界に二人だけになった感覚に浸りながら、日が落ちるまでずっと和泉の横顔を見つめていた。
 時間も経ち、日が落ちてからの二人の行動は素早かった。
 なにしろ寮には門限があるのだ。 外出届は出していたが外泊届けは出していない、つまりは門限以内に帰ってこないと駄目なのである。
 こう見えても風紀委員長である吉原なのだ。 違反をしないにこしたことはない。
 遠回りして帰りたかったものの、夏の日没は遅い時間のためそんな余裕はない。
 和泉にしっかりと掴まるように指示をすると原付を走らせ、猛スピードで寮へと帰っていった。
 この山に警察がいないことにつくづく安堵しながら、和泉は落とされないように必死で吉原にしがみついていた。
 寮につき、駐輪所に原付を止めると吉原と和泉はお互いを見ながら笑って部屋まで一緒に歩いた。
 次は日の出を見る約束を取り交わし、部屋の前で別れると和泉は自室に入る。
 何時間かぶりに帰ってきた自室はシーンとしており、先ほどまでの楽しい時間が嘘のように感じた。
 部屋に入っても誰も和泉を出迎えてはくれない。 側にいてくれない。 望月は遠征中だし、吉原はさっき別れたばかりだ。
 生徒会の人間や風紀委員の人間と夜を共にするほど仲良くもなければ、和泉の神経上よろしくもない。
 寂しい気分に襲われた和泉は望月の部屋へと入ると、そのままベッドに寝転んだ。
「ゆずと、……」
 吉原に抱きしめられていた感触が忘れられない。 さっきまでは確かに腕に感じていたのに、今ではなにも感じられない。
 和泉は可笑しくなっていく自分の気持ちに戸惑いを隠せなくなり、早く望月に会って安心がしたかった。
 なにも変わっていないよ、とそう望月が言ってくれるのを待ちながら夜は更けていった。