乙男ロード♡俺は腐男子 16
 あれから和泉は吉原と会うことがないまま、夏休みを過ごしていた。
 吉原は急に忙しくなった風紀委員の仕事に追われていたのだ。 夏休み後にある文化祭の警備体制のことや出し物など、生徒会を交えつつ真面目に会議し合っていた。
 いくら見た目が派手で素行が悪くとも、伊達に風紀委員長をやっていない。 口ではだるい、めんどくさい、などと言いつつも誰よりも一番張り切っているのであった。
 近況をメールで知らされていた和泉は吉原に会えなくてもなんともない、と思ってはいたものの、少しの寂しさに悩まされつつもあったのである。
 しかし先日、望月がテニスの大会の遠征から帰ってきたので、その悩みも直ぐに解消された。
 望月はやはりというべきか、初戦で敗退してしまい、あとは部活のメンバーと東京観光をして帰ってきた。
 遅いと怒る和泉にお土産をたくさん手渡し、ご機嫌をとったのである。
 夏休みも中盤に差し掛かった今、和泉と望月は慣れてきた寮を出て、実家に帰省した。 はしゃぐ望月と違い、和泉は嫌そうに最後まで渋々といった様子で寮を後にする。
 一応、吉原に知らせようかなとは思ったものの、用意などの忙しさに追われすっかりと連絡することを忘れ電車に揺られていた。
「あー……まじで帰りたくない」
「ああ、おばさん?」
「あの人、まじで頭可笑しいし。最近は父さんまで感化されてるしさ、頼れるの兄貴だけなんだよね」
「そういえば、凛さんに会うのも久しぶりだな」
「柚斗、兄貴に会ったら絶対原稿手伝わされるよ」
「はは、ほんとお前ら似たもの兄弟だな……」
 一人っ子の望月と違い、和泉には兄弟がいた。 和泉より一つだけ年上の年子の兄である。
 父親似な蓮と違い、和泉の兄、和泉 凛(いずみ りん)は母親似であった。
 普通母親似ならさぞかし女顔であろうと思いがちだが、凛は立派な男顔である。 なにしろ和泉の両親は性別が逆のように、父親が女顔で母親が男顔なのだ。
 茶道の家元が母親であり、父親は茶道教室に通っていた生徒で、周りに進められるまま婿入りしたのであった。
 それだからか、家での権力は和泉の母が握っており、誰も母に反抗できる人がいなかった。
 そんな中、和泉たち兄弟はオタクの道を歩み始め、BLが好きな和泉とNL、GLが好きな凛に育ったのであった。
 凛はなんだかんだいいつつも茶道にのめり込んでいるため、将来家元となるのは凛に決まっている。 だからこそ和泉は自由に遊ぶこともできたし、茶道をすることもなく、全寮制の高校へ入学することができた。
 自由だ、とは和泉は思うものの、家に帰ればお茶を飲まされるし、正座が鉄則だ。 お茶も正座も嫌いな和泉にとっては地獄であった。
 それに一番の悩みが、和泉の母が大の可愛いもの好きであることだ。
 それだけなら良いのだが、和泉は母に強要され、度々女物の着物を着せられることがあった。
 コスプレが大好きな和泉でも、立派な男子である和泉にとって女装はなによりの苦痛なのである。
 断ればねちねちと攻められ、いびられてしまうので結局は着なければいけない。 今からそれを思うと憂鬱で、実家へ向かう足取りも重くなってしまうのであった。
 ちなみに望月も和泉の母に迫られて、何度か女装をさせられてしまった嫌な過去がある。
 はあ、と深く溜め息を吐く和泉を見て、望月も少しだけ和泉の家に足を踏み入れたくなくなるのだが、結局は家にお邪魔してしまい、女装をするのだろうなあ、となんとなく思った。
「ま、まああんまり深く考えんなよ。原稿するんだろ?」
「……まあね。夏休み最後の最大イベントに向けて頑張るよ。落ちたけど」
「委託があるだろ! ファイトだ蓮!」
「そうだね、あ、ねえ、柚斗ん家にも遊びにいって良い?」
「おう、こいよ。母さん蓮のこと気に入ってるし、喜ぶと思うぜ」
「柚斗んとこのお母さん良いよね〜ケーキ焼いてくれるし、優しいし」
「まーお前だけに優しいんだよ。俺んときとかまじで凶暴だし」
 ぶるりと身体を震わす望月を見て、和泉は微笑んだ。
 望月の家はラブホテルを経営していた。
 父親は見るからにあっちの人です、みたいな見た目だが、意外にも女の子らしいものが好きらしく、ラブホテルの内装はラブリーなピンクなどの装飾になっている。 そしてなにより愛妻家なので、いつも奥さんと仲睦まじく楽しそうに暮らしていた。
 まるで新婚のような二人はいつまで経っても新婚気分から抜け出すことができず、望月はたまに居心地の悪さを感じながら過ごしていた。
 父親も母親も普通なのだが、あまりのラブラブさに、引いてしまうことが多々あるのである。 だけども楽しそうなので、望月も幸せそうな二人を見て楽しくなるのだ。
 二人はそれから家に着くまで、お互いの家の不満や良いところを話し合いながら時間を過ごすのだった。
「ただいまー」
 家の前で望月と別れてから和泉は自宅へと足を入れた。
 和泉と望月の家は隣同士に建っているので、会おうとすればいつでも会える距離にいる。
 まずはお互い自宅に帰ってから数日を過ごし、そのあと合流をする、という話でまとまったため和泉は一先ず一人で帰ってきたのだ。
 お昼を少し過ぎたこの時間の家は人気が多く、伸びた廊下の先にある部屋から女性の笑い声が聞こえてきた。
 格式のあるお茶の家元であれど、堅苦しい雰囲気は少しだけで、談笑の時間が意外と多いのである。
 美味しいお茶に見合ったお茶菓子、それだけで女性は何時間でも語っていられるのだ。 和泉には到底理解のできない世界だ、と思いつつ自室へと足を向けた。
 お茶のお稽古の時間が終わるまでは父も母も和泉に顔を見せないだろう。
 今のうちに片付けでもしとくかな、そう意気込みながら部屋の扉を開いた。
 なにも変わらない自室のはずだったのに、目の前に広がる光景に和泉は重い溜め息を吐くと床に寝転がっている凛の頭を思い切り叩いた。 ばしり、と良い音が響いたと同時に固く閉じた瞼がぱちりと開いた。
「兄貴、なにしてんの?」
「……目を覚ましたら可愛い妹が、おにいちゃん寂しいから構ってよぅ、なんて言ってくれるのは結局夢なんだな」
「はあ? まだそんなこと言ってんの? 俺は弟ですけど」
「知ってる。知ってるさ。ああ、わかってる。だけど男はいつでも夢を見るもんなんだよ」
「……なんかあったの?」
「最近、妹陵辱ゲームにはまっててさ〜! はは! 久しぶりだな、蓮! 相変わらずちっせーなあ」
 凛は起き上がると和泉の華奢な身体を思い切り叩き、きつく抱きしめた。
 一種の愛情表現だと凛は言うけれど、やられる和泉にとっては軽い暴力にしか感じられない。
 和泉とは全く似ず、筋肉のついた身体で思い切り抱きしめられては息もし辛い。
 ほんのりと焼けた小麦色の肌に、綺麗に染められた明るい茶色の髪、長めの髪を左右に跳ねさせた髪型、和泉の兄、凛は所謂ギャル男なのである。 その上、見た目は美少年、将来有望とあってか非常にモテている。
 実家を継ぐためにお茶のお稽古に励むのは、大変尊敬できるところではあるが、正直この見た目で着物を着てお茶を立てているのだと考えると軽く頭痛がしてくる。
 凛の頭の中には口に出すのもおぞましいほどの性癖と、変態妄想で埋め尽くされているので、和泉は将来の彼女に軽く同情をしたのであった。
「で、どうなの? 彼氏できた訳?」
「な訳ないでしょ。あのね、俺は兄貴と違って妄想と現実の区別はつけてるの。つーかホモ好きでもホモじゃない!」
「でもお前の顔だったらモテんじゃねー? 羨まし〜! 俺も可愛い彼女できねーかなー」
「兄貴はどうなの?」
「それがさ、いっつもベットインしたら逃げられる訳よ。ったく俺の理想の彼女はどこにいんのかな」
「エロゲのやりすぎ。見すぎ。影響されすぎ。っつかさ、兄貴今度のコミケ行くの?」
「おお、蓮落ちたんだっけ? 委託してやろーか?」
「いや、兄貴男性向けでしょ。俺、女性向けだし」
「んもー蓮ちゃん暫く見ないうちに反抗期? 可愛くねーぞ! でも可愛い!」
 和泉に頬ずりをする凛は正真正銘のブラコンだった。
 いくつになっても弟という存在は兄にとって可愛いものであり、守ってやりたい存在でもあった。
 和泉の口から彼氏ができた、と言われれば表面上は祝うが、内心相手を殺そうかななどと物騒なことを考えていたことは口が裂けても言えない。
 凛はうざったそうに眉をしかめる和泉を見て、頬がにやけるのを止めることができなかったのである。
「そーだ、今日お兄ちゃんとお風呂入ろうか」
「ぜったい嫌だ」
「久しぶりに洗い合いっこしよーぜ。そうと決まったらアヒルの用意しないとな! 蓮はあれがないと泣いちゃうもんな〜」
「一体いつの話してるの?」
「エロゲも好きだけど、それ以上に蓮が好きだぜ」
「比べんなって話だよね」
「一緒に仲良くエロゲでもするか? ああ、ちゃんとお兄ちゃんが処理してや」
「あーもう! うざい! ぜってーしねーからな!」
 それから二人は会話が噛み合わないまま、微笑ましい兄弟喧嘩を飽きることなくしていた。
 喧嘩の終わりはあっけないもので、不意に真面目な表情をした凛に和泉は喉がひゅっと鳴った。 凛がこういう表情をするときは至って真面目な話をするときでもあり、和泉にとっては聞かれたくない話題をされるときである。
 感の良い凛だからなにか気付いたのだろうか。 和泉は凛が口を開くまで内心どきどきしながら待った。
 だけど中々口を開かない凛は、和泉の顔を見つめるだけだ。
 普段は蓮、蓮と煩いブラコンの凛がこういった表情をすると妙に怖いものがある。
 少し骨ばった凛の指先が和泉の髪の毛を優しく梳くと、本題に取り掛かった。
「蓮、お前んとこの学校、男子校だよな」
「う、うん。全寮制のね、まあ、生ホモ見たさに行ったんだけどさ」
「ああ、ホモ多かったんだよな。ホモたくさんいるんだよな。……蓮、大丈夫なのか? 掘られてないか?」
「ほっ、……!?」
「お前は口は悪いが顔は可愛い。兄からの贔屓目を除いても可愛い。俺は心配なんだよ。柚斗がいるから多少は安心だけど、お前直ぐ掘られそうじゃん」
「な、な、なに言ってんの! ないない! まじでない!」
「ふーん、なら良いけど。……でも告白ぐらいはされてんじゃねー?」
「こ、くはく……!」
 凛の言葉を聞いて、和泉は直ぐに頭の中が吉原一色になった。
 どんなに突き放しても、想いに答えなくても、一途に和泉のことを好きだと言う吉原。
 出会いは入学式、春に告白されて、今まで普通通りに過ごしてきたけれど、そういえば吉原に告白をされたのだと和泉は今更ながら実感をした。
 俺様だし馬鹿で頭が悪いけれど、見た目に反して凄く優しい。
 和泉は段々と頬が熱を持っていくのをどこかで感じながら、吉原のことを思い浮かべていた。
 そんな和泉の変化を凛が見逃す訳はなく、眉間に深い皺が寄ると舌打ちをした。
 先ほど和泉は彼氏がいないと言ったものの、どうやら好きな人はいるみたいだ。 少しの勘違いをした凛は冷静になれと自分に言い聞かせ、なるべく優しい声色を出して尋問した。
「蓮が告白するぐらいの男なのか?」
「は!? え、違う違う! 俺からじゃなくて、向こうから! しかも断ったし! ホモじゃないし!」
「ほお、……蓮、本気で断ったのか?」
「ええ、本気、だと、思うけど……」
「……お前気付いてないだけで、気になったりしてんじゃない?」
「……どういうこと?」
「蓮の様子見ててさ、案外蓮も……ま、やめとくわ。自分で気付け。とにかく、彼氏ができたらお兄ちゃんに会わせること! 俺の目が黒いうちは認めないからな!」
 呆然とした表情で凛を見つめる和泉の頭を、ぽんぽんと凛は撫でると立ち上がった。
 遠くの方で生徒が帰るために、ばたばたと歩く音が聞こえる。
 もう直ぐ母がこの部屋に女性物の着物を持って、にっこりと微笑みながらやってくるはずだ。
 凛はうんざりとした表情を浮かべて、和泉の部屋を後にした。
 残された和泉は先ほどの凛の言った言葉が忘れられずに、小さく口の中で呟いた。
「気になってる?」
 そんなまさか、と言い切れる自信がないことが和泉にとっての恐怖であった。
 いくら恋をしたことがないといっても、多少なりの知識や周りの状況でなんとなく理解はしていた。
 吉原のことを思い出しては考えたり、黒川との過去が気になったり、側にいるとたまにどきどきしたり、笑った顔が可愛いだとか、それは気になっているからこそのことなのだろうか。
 ばくばくと高鳴る心臓がいやに耳について、和泉はぎゅっと胸辺りの服を握った。
 最初から吉原のことは腐った目線で見てきた。 水島と一緒にいるのに萌え、絶対ツンデレだとか、吉原はホモ妄想する対象なだけなのだ。
 吉原が和泉のことをどう想っていようと、和泉にとっては関係のないことだったのに。
 好きだ、と言われる度に嬉しいと思うようになったのはいつから?
 この気持ちを恋だといってしまうほどまだ確証はなくて、だけど気になっていないとも言い切れない曖昧さ。
 現実から目を逸らしてきた現実が今、目の前に突きつけたられたような感じがして和泉は愕然とした。
 視界に入る、水島デルモンテ学園から持ってきた鞄。 中にはこの夏の最大イベントのための原稿が入っている。
 和泉は震える手で鞄を開き原稿に目を通すが、前まで感じていた萌えがなくなっていたことに気付いた。
 最近は水吉よりも森神ばかり描いていた。 原稿をじっと見つめ、自分でも良くわからない衝動に駆られてぐしゃぐしゃに丸め込む。
 どうしてだろうか、今は誰よりも吉原に会いたくなかった。
「あら蓮さん、どうしたの? ぼうっとして……悪いものでも食べたの?」
「か、あさん」
「顔色が悪いわ。大丈夫? この調子じゃ、着物は無理そうね」
「……だから、女装はしないって言ったじゃん」
「たまには母さんの趣味にもつきあって頂戴。それより、具合が悪いなら横になりなさい。お薬持ってきてあげるわ」
「違う、ちょっとぼーっとしてただけ! それより、父さんは?」
「あの人なら凛さんとお茶をしているわよ。見に行く?」
「うん。お茶菓子食べる」
「ふふ、ほらいらっしゃい」
 いつの間にか部屋にきていた母に連れられて、和泉は自室を後にした。
 考えることを放棄することに決めた和泉は母の後ろを歩きながら、こっそりとメールを打つ。 それは同人友達に送るメールで、夏の最大イベントには行けなくなった、委託もしなくて良いといった内容だった。
 このことが望月に知られたら、心底心配するのだろう。 望月は和泉に対して過保護な面もあるし、なにより和泉の一番の理解者だ。
 凛に言われたことや和泉が考えていること、全て望月に聞いてもらいたい。
 正直考えることをやめたからといって、今の状況で原稿に取り掛かれる訳がないのだ。
 和泉は全て整理して結論が出るまで、同人活動を少し休むことに決めた。
 そのことが答えになっているとは和泉が気付くはずもなく、少し気が楽になった程度にしか考えていなかったのだった。

 実家に帰ってきた和泉は、大分リラックスすることができた。
 もともと神経質な面もあったので、大勢で生活するという環境が少し苦痛だったのだ。
 友達もいるし、同室は望月なので気楽に生活できることはできるのだが、やっぱり実家が一番落ち着くものである。
 帰る前は気が乗らなかったが、実際帰れば寮に戻るのが嫌になるほど気楽だ。
 和泉はのんびりと夏休みを満喫しながらも、気がかりになることがいくつかあった。
 ぴかぴかと存在を知らせる携帯には、何件ものメールが吉原から届いている。
 それに原稿をやめ、イベントに足を運ばない和泉を不審に思いながらもなにも聞いてこない望月の存在。
 実際、望月は和泉のことが気になって仕方がなかったのだが、和泉が言うまで待つと決めたのである。
 和泉よりも凛よりも、望月は誰よりも先に和泉の変化に気付いていたので、薄々内容はわかってはいたものの、和泉の口から聞きたい。
 少し元気がなさそうに笑う和泉の姿を見て、望月は問い詰めたい気持ちでいっぱいになった。
 和風で作られた和泉の部屋は同人誌で埋め尽くされている。 と思いきや意外と綺麗でこざっぱりしている。 十畳程度の部屋の真ん中に置かれた机にもたれながら、和泉と望月はぼうっとしていた。
 夏休みも残り一週間を切ったのである。 三日前には寮に戻る予定の二人には、あと三日しか地元で過ごす時間がない。
 望月は凛が淹れてくれたお茶を口に含むと、和泉の顔をじっと見た。
「……蓮」
「な、なに?」
「俺、待つし。言いたくなければ言わなくても良いんだぞ。さっきから、お前ずっと無理してるだろ」
「なんのこと?」
「そういうのも良いって。俺は蓮がどうであれ、お前のこと親友だと思ってるし、さ。無理すんなよ。ご飯もちゃんと食べろ」
「……聞いて、ほしいって思ってるよ。でも、……」
「ま、俺は気長に待つさ。さーって、宿題しよっかな〜」
 自宅から持ってきた宿題を机の上に広げ、ペンを持つ望月の様子を見て和泉は決心をした。
 言うなら今しかないのだ。 和泉は意を決し、どくどくと脈打つ心臓に目をぎゅっと瞑りながら口を開いた。