あれからお互いに少しの気まずさを感じながらも、表面上は普通に接していた。
前よりぐんと近くなった距離だけれども、会わないとすれば全く会うことのない二人の生活。
どちらかが会いに行くから、会えるのだと改めて和泉はそう思った。
近頃やっと吉原と普通に接することができてきた。
そう思った矢先の文化祭の準備。
和泉の想像を遥かに超えた忙しさの中に、吉原に会いに行く暇など見つけられる訳もない。
それは吉原にも言えたとこなのだが、少しずつ擦れ違っていく生活リズムになっていった。
和泉は吉原がどんな衣装でどんなジャンルの演奏をするのかも、それすらわからないのだ。
道行く人の噂話を耳に入れて、情報を得ているぐらいだ。
望月がいうには忙しさの中にあるちょっとした暇な時間に会いに行けよ、と言っていたのだが和泉にはそうする気力もなかった。
目まぐるしく過ぎていく中、和泉は必死に衣装作りに励むのだった。
「……もー無理! よっしーどころか誰とも会ってないんだけど。しかも原稿すら手がつけらんない」
「はは、頑張れ」
「笑いごとじゃないし! なんでこんなに衣装係少ないの!?」
「男子校だしな、リアルに裁縫できるやつ少ないんだろ」
「だからって九人分の衣装ってどういうこと!?」
「まあまあ、手伝ってやってんじゃんか」
「……目、痛いし、手も痛いし」
「しょげてる姿は可愛いのになあ」
頭をがっくりと落としてひたすら手縫いで衣装を仕上げている和泉を見ながら、望月はミシンを動かした。
自慢じゃないが望月は原稿だけでなく、衣装も作ることができた。
それは和泉がコスプレをするたび、原稿と同じパターンで間に合わないと前日に泣きついてくるからなのだった。
いつしか手伝うことが当たり前になってきた望月は、そんじょそこらのコスプレイヤーよりも綺麗に衣装を仕上げることができるのだ。
その分、和泉は飾りなどの細かい部分を手縫いで縫ったり貼り付けたり、気の遠くなる作業をちまちまとやっている。
文化祭、和泉たちのクラスはファンタジーコスプレ喫茶ということになっていた。
ファンタジーっぽい衣装なら男装でも女装でも人外でも、とにかくなんでもありなのだ。
和泉は何故かFFに出てくる黒魔導師の格好が良い、と駄々を捏ねたので仕方なく和泉のみ二次元のコスプレをすることが許された。
このクラスの大半が和泉の可愛い顔に騙され、残りの半分が下手に逆らって巻き添えを食らうのはご免だと頭をへこへこと下げている。
クラスメイトは妖精から始まり天使、悪魔、魔女などベタなものから始まり、ドラゴン、ドラキュラ、中世騎士など結構やりたい放題だった。
難しい衣装や甲冑などは業者に作らせて、それを各々で装飾を派手にしていくという手法も使っている。
しかし甲冑をもっと豪華にしてくれ、と言われたときは和泉だけでなく他の衣装係も頭を抱えたのであった。
なんだかんだでクラスにも馴染めてきた和泉はぶうぶう言いながらも、楽しく衣装作りをしていた。
望月と笑っていると、学級委員長が和泉に近づいてきて一枚の紙を手渡した。
それはこのファンタジー喫茶にかかる費用の見積書である。
小首を傾げる和泉に学級委員長は深く頭を下げると、なんともせこいお願いをした。
「和泉、これを会長に渡してくれないかな? ちょっとね、この喫茶金かかり過ぎていてアウトかもしれないんだ」
「……ああ、そういうことね」
「悪い! 和泉だけが頼みの綱なんだよ」
「じゃあ、俺もお願いあるんだけど、良い?」
「うん、全然構わないよ」
「生徒会と風紀委員の出し物見たいから、そのときに休憩ほしい」
「わかった。じゃあ、そういうことだね」
「利害一致だね」
顔を見合わせて笑う二人に、望月は少し黒いものを感じながらミシンをひたすら動かすのであった。
それから和泉は衣装係に後を任せて、教室を飛び出した。
目的地は生徒会室なのだが、少し風紀委員室に寄っても大丈夫だろう。
小走りで廊下を駆ける和泉に、歩く生徒はぼんやりとその様子を見つめていた。
用事を頼まれたのだから、先に用事を済ませよう、と和泉は思い生徒会室の前に立つ。
そっと開けた扉の奥の様子に、和泉は固まってしまった。
どうやら風紀委員だけでなく、生徒会も忙しいようだ。
先ほどここにくる道中相澤を連れた樋口が、忙しそうに走り回っていたことをふと思い出す。
生徒会室の中に水島の姿はなく、代わりにいるのは欠伸をしながら書類に向かっている澤田と、紅茶を口に含んでいる黒川、そして黒川の前で楽しそうに笑っている吉原だった。
前に黒川と吉原が一緒にいるところを見たときは、物凄く険悪なムードで、喋ろうとする黒川を吉原は無視していた。
しかし今はどうだろうか、仕事をしながらも和気藹々と喋る二人に和泉は言いようのない感情が心を渦巻いていくのがわかった。
そうこれは嫉妬なのだ。
頭ではわかってはいるものの、初めて体験する感情にこんなにも醜いものだったのかと思い知らされる。
できることなら今すぐ吉原を呼んで、その瞳に自分を映したい。
だけどもそれをする勇気も、そしてなにより吉原の目を見るのが怖い。
黒川の前で笑う吉原は和泉が見たこともないような表情を浮かべていたのだ。
あんなに綺麗に笑う吉原は見たことがない。
あんなに優しく笑う吉原は見たことがない。
きっと吉原は物凄く黒川のことが好きだったのだ。
どうして付き合ったのか、どうして別れたのか、どうして険悪なムードになったのか、どうして仲直りしたのか、和泉はなにも知らない。
ただこのままじゃ、吉原は黒川に戻っていくような気がした。
素直になれない、可愛くもない、妄想ばかりしている和泉より、吉原のタイプそのものの健気で儚くて美人な黒川の方がきっと良い。
それに二人並んで喋っている姿は絵にもなる。
和泉は唇を噛み締めて、そっと扉から離れた。
ぐっと堪えようとも出そうになる涙を止める術も知らず、身体を反転させると一歩足を踏み出した。
ぎりぎり締め付けられる胸を押さえ、下を向いて歩いていると誰かにぶつかる。
上から降ってくる声は会わなければならない相手でもあり、会いたくなかった相手でもあった。
「和泉君、前を向いて歩けと言われただろ」
「か、いちょ……」
「あ? って、おい、どうして俺の顔を見て泣くんだ! や、やめろ!」
たかが外れたようにぼろぼろと涙を零す和泉を見て、水島は慌てふためいた。
いくら苦手な相手であろうとも、水島は和泉の顔がタイプなのだ。
タイプの顔に泣かれては堪ったものじゃない。
そこから動こうとしない和泉を仕方なく肩に抱き上げると、水島は急いで場所を移動した。
なんとなく和泉が泣いている理由がわかったのだ。
少し開いた生徒会室の扉からは楽しそうに笑う黒川と吉原の声。
水島は和泉が泣いた原因を作った吉原を恨みながら、空き教室へと入っていった。
「……落ち着いたか?」
体育座りをして、膝に顔を埋めている和泉に水島は声をかけた。
ここにきてから今まで声も出さずにずっと泣いていた和泉だったが、ようやく落ち着いたようだ。
大きく深呼吸をすると恥ずかしそうに俯く。
本当に黙っていれば可愛いものだが、喋ってしまうと非常に残念な結果になる。
水島は和泉の髪を優しく撫ぜると、今こうやって普通に接している自分に違和感を覚えられずにはいられなかった。
「かいちょー、……これ」
「あ? これは見積書じゃないか……ちょっと高いかな」
「これで通して」
「無理だな」
「無理じゃない。これで良いの。わかった? 俺、泣くよ。かいちょーに虐められた〜って」
「……ったく、貴様がくるとろくなことにならんな」
水島は和泉から見積書を受け取り、サインをした。
和泉は水島に見積書を渡しに生徒会室に行き、そして黒川と吉原を見て泣いたのだろう。
なにも知らない和泉だからこそ、戸惑ったに違いない。
だけれど和泉がなにも言わないということは、聞いてほしくないということだ。
水島はまた黙って俯いた和泉を見て溜め息を吐きながら、助け舟を出してやることに決めた。
「……いつからだ」
「え?」
「いつから好きになったんだ?」
「……つい最近」
「言えば良いだろう。両思いなのだから、なにを躊躇っている」
「わかんない、全部わかんない……」
「そういう姿を柳星に見せてやれば、あいつもいちころだと思うがな」
「……無理だよ、もう、遅い。よっしー、黒川さんのが、良い」
「……どこまで知ってるんだ?」
「付き合って、別れた、って」
本来ならば今から水島が言おうとしている話は、水島が言うべき話ではなく吉原が言うべき話なのだ。
だけれど普段ホモホモ言っている和泉があんまりにも大人しく、可愛く見えるものだから水島はつい余計なお節介をしてしまいたくなる。
可愛らしい顔立ち、涙に濡れた睫、泣いた所為なのか、いつもより可愛く見える和泉はそれだけで水島の心を揺さぶった。
親友の好きな人なのだから恋に落ちることはまずないのだが、顔が悪い。
この顔でこんなことをされてしまえば、水島はどうしようもないのだ。
つくづく自分のタイプを嘆きながら、水島は重い口を開いた。
「良いか、今から言うことは和泉君の心の中だけにしまっておけ。誰にも言うんじゃないぞ」
「……うん」
「柳星と黒川が出会ったのは、高校一年生のときだった」
家庭教師との恋で傷付いている吉原と、常になにかに脅えている黒川。
そんな二人に接点などなにもなかった。
だけど水島が生徒会に入り吉原も風紀委員に入ってから、少しずつ歯車は回りだした。
生徒会に遊びにくる頻度が増えた吉原は、必然的に生徒会のメンバーとも仲良くなっていく。
そんな中、一切心を開かない黒川に吉原も意固地になって黒川に接していった。
徐々に吉原の中で黒川に対する気持ちが変化を見せ始め、黒川も吉原に心を開きつつあったあの頃、二人が付き合いだすのは可笑しくもないことだった。
お似合いでもある二人はいつだって一緒で、幸せそうに笑っていた。
だけどもその関係も長くは続くことはなく、次第に黒川の態度に吉原が苛つきを見せ始めたのだ。
出会った頃から黒川の心の奥底に潜んでいた、吉原とは違う人に対する恋心。
黒川は忘れたくても忘れられなかった人がいた。
吉原に出会って忘れられそうだったのに、どうしても忘れきれず、気がつけば吉原に重ねて見ていた。
そんな二人の恋がうまくいくはずもなく、擦れ違いも増えていき、雪の降る冬に二人の関係も終止符を打った。
落ち込んだのは吉原だけでなく、黒川も随分と自分を責めていたが、吉原もまだ子供だった所為もあるのか、黒川のことを許すことができずそれ以来生徒会室にくることはなかった。
お互いが気まずい思いを抱えたまま、季節は春に移り吉原は和泉と出会った。
今までの人とは随分とタイプの違う人に、水島だけでなく周りの人間全員が驚いた。
だけども幸せそうに笑えている吉原を見て、口を出すことはやめた。
ただ祈るのは吉原が幸せになれるようにとのことだった。
「……そう、で、最近文化祭の準備で生徒会と風紀委員が接することが多くなってな。吉原もそろそろ決着をつけたかったんだろう、黒川と話し合ったんだ」
吉原は久しぶりに黒川と話してみて、意外にも普通に話せることに驚いた。
そして自分の心の変化に驚いたのだ。
もう黒川を見てもどきどきしないし、恋焦がれることもない。
憎いと思うこともなければ、嫌いだと思うこともない。
そこで気付いたのは、裏切っていたのは黒川だけじゃないということ。
黒川ばかり責めていたが、いざこうなって黒川の好きなとこを思い出そうとしても思い出すことができない。
そう吉原も黒川に家庭教師の影を重ねて見ていたのだ。
ぎこちなく笑う黒川に吉原もぎこちなく笑みを浮かべ、関係は完全に友人へと変わったことを知らせてくれた。
それから吉原は黒川に対して過剰な拒否反応をすることもなく、普通に接することができた。
こうして黒川と吉原は長い時間を経て、和解したのであった。
水島の話を聞きながらも和泉の心はどこか遠くにいったまま、ぼんやりとしていた。
どんな理由があれど吉原の黒川に対する笑顔は見たことがないし、それに今言った話は水島の主観が入っている。
ますますわからなくなる現状にどうして良いのかわからず、和泉は口を開いた。
「なんだか、余計わからなくなっちゃった」
「……ん?」
「なんかすっげー頭ん中ごちゃごちゃしてんの。自分でも自分が良くわかんないんだ」
「恋愛ってそういうものだ。わからないからこそ、新しい発見があったり、ときに苦しくなったり、幸せだったり、楽しかったりするんだ」
「……かいちょーは恋してないの?」
「ああ、今はな。それより、もっと悩むんだな。悩んでも悩んでも答えはでないだろう。だけど悩め」
「なにそれ、虐め?」
「悩みぐらいなら聞いてやろう。だから諦めるな。諦めたら柳星は黒川に戻ってしまうかもしれんな」
「……」
「まあ、時間はあるんだ。ゆーっくり考えるんだな」
和泉が思っていることも悩んでいることも、それの解決法も全て水島は知っている。
だけどそれを口に出すことはなかった。
普段からかわれている仕返しの分もあるのだが、なにより一番の理由は自分で答えを見つけなければ意味がないのだ。
素直になってしまうのが一番の近道だが、和泉が素直になることはないだろう。
どんどん深みにはまって抜け出せないタイプだ。
そんな様子の和泉に吉原が気付いてやることが、現段階では一番手っ取り早いだろう。
水島は、見積書をポケットに入れ立ち上がった和泉の手を引くと歩き出した。
自分ができるお節介はここまでなのだ。
あとは本人たちが動くしかない。
嫌がる和泉を生徒会室まで連れて行くと、無理矢理抱き上げ中に入っていった。
途端視線が一気に水島に集まり、中にいた黒川と吉原を始め、書類に目を通していた澤田まで驚いた表情になった。
水島と和泉という変な組み合わせもあるのだが、嫌がる和泉を引っ張ってくる水島の行動が予想外だったのだ。
それに声をあげたのは澤田だった。
「あ、は、颯お帰り。蓮も一緒だなんて珍しいな……」
「ああ、ちょっと野暮用でな。1-Aの見積書だけOK出したからそこだけ抜ける形になる」
「あ〜そういうこと、おっけ」
「じゃあ俺はまた出てくるから後は頼んだぞ。じゃあな和泉君、健闘を祈る」
にやにやと意地の悪い笑みを浮かべて去る水島の足を和泉は思い切り踏むと、ごめんね〜と謝った。
眉間に皺を寄せた水島だったが、鼻を鳴らしただけでなにも言わず生徒会室を後にした。
お互いの相手に接する態度の変化に違和感を覚えた澤田だが、触らぬ神に祟りなしと思いまた書類に目を通すのである。
実際今の状況を一番気まずく感じているのは澤田なのだ。
澤田は部外者だけれど、事の真相を全部知っている。
黒川は吉原の元恋人で、吉原は和泉に好意を持っている、和泉はさっき仲良さげに水島とやってきた。
現にさっきまで機嫌の良かった吉原は、かなり不機嫌になっていた。
和泉も和泉で黒川とも吉原とも目を合わせようとしないし、黒川もおどおどした様子で吉原を見つめている。
なんていう修羅場なのだろうか。
澤田はなるべく気配を消して書類に目を通す振りをするが、それを和泉が許してくれるはずがなかった。
「陸先輩、なにしてるの?」
「え? あ、書類、見てるんだ。ほら、文化祭だろ? 生徒会も何分忙しくてね」
「俺のクラス、ファンタジー喫茶するんだ。是非遊びにきてね」
どうして俺に話しかけるのだ、と心の中で叫ぶ澤田の声は誰にも届くはずはなく、和泉の後ろから睨むように見ている吉原に身体を竦めた。
吉原も吉原で気になるのなら本人に聞けば良いものの、澤田を睨む一方で動こうとしない。
気まずい雰囲気が流れる中、声を出したのは黒川。
会長の様子を見てきますね、と言って早足で生徒会室から出て行ったのであった。
内心、逃げたな! と思う澤田だがやっぱり声に出せる訳もなく、それに書類があるから逃げることもできない。
胃がきりきりしてくるのをどこか遠くで感じながら、ひたすら流れる沈黙に息を潜めるように溜め息を吐いた。
それから何分経ったのだろうか、和泉が唇を噛みながら一歩動いた。
その様子を誰よりも先に感じた吉原が行かせようとせず、和泉の手を握った。
「おい、蓮。なんでこっちを見ない」
お願いだから他所でやってくれないかな、またしても澤田の心の声は誰に届く訳もない。
今から繰り広げられるごたごたに、否応なしでも巻き込まれるのであった。