乙男ロード♡俺は腐男子 20
「別に。つーか見てるじゃん、今」
「……なに怒ってんだよ。変だぞ、貴様」
「普通、ちょー普通、めっちゃ普通」
「おい、蓮。大体さっきのはなんだよ、なんで颯と一緒にいた」
「なんだって良いじゃん。俺が誰といようが勝手でしょ?」
 ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。 そんな言葉の攻防に耐え切れなくなったのは澤田だ。
 こっそり書類と判子を片手に、生徒会室を出ようとしたが、吉原が和泉の手を強く引っ張った所為で立つに立てない状況になった。
 澤田の目の前で繰り広げられる痴話喧嘩のような喧嘩に、参加する訳でもないのに傍観をしなくてはいけない。
 吉原と和泉は澤田がいることなど忘れているかのように、口論が激しくなる。
 怒鳴るようにして和泉を問い詰める吉原の気持ちがわからなくもない澤田だが、今の状況ではなにをやっても逆効果だ。 それに気付くはずもない吉原はただ、答えを知りたがって焦っている。
 和泉のようなタイプは追えば逃げるのだ。
 だけど今、この場で助言する訳にもいかず、ここを立ち去ることもできず、澤田は空を仰いだ。
「颯が好きなのか!?」
「はあ? 前から言ってるでしょ、俺はノーマル! しかもかいちょーは攻めだって!」
「真面目に答えろ!」
「真面目に答えてんじゃん! なんでそんな怒られなきゃいけないの!?」
「オレには知る権利がある。 そうだろ、何度だって言ってる、オレは貴様が好きだって」
「信じられないね。どうせ、……戻るに決まってる」
「なんだって?」
 呟くように言った和泉の台詞が聞こえなくて、吉原は和泉を自分の方に引き寄せた。
 恋に慣れていない和泉は例え今が喧嘩中であろうとも、好きな人との距離が縮まったことにびくりと肩を震わせる。
 吐く息でさえ当たりそうな距離で吉原に問いかけられては、言えるものも言えなくなる。
 和泉はなんとか抵抗しようと、身体を捻るが吉原には到底力で勝てる訳もない。
 見上げた先には眉間に皺を寄せて、怒っている吉原の表情。 さきほどまで、黒川に対して綺麗な笑みを浮かべていた人物とは同じと思えない。
 どうして自分には、あんな笑みで笑ってはくれないのだろうか。
 自分のことを好きだと言っておきながら、心の奥底でまだ黒川のことが好きなんじゃないだろうか。
 和泉の中に芽生える疑心は、この喧嘩ではっきりとしたものになった。 いくら水島や吉原が言葉で紡ごうとも、和泉には信じられないのだ。
 和泉は見たことが全ての真実だと思うと、どうしようもなく胸が痛むのがわかった。
 こんな思いをするのなら、吉原に惚れなければ良かった。
 怒りで我を失いかけている吉原を見て、和泉はそっと俯いた。
 そんな些細な和泉の変化に今の吉原が気付く訳もなく、ただ怒った声色で問いただすことしかできずにいる。
 状況が思わぬ方向へいっている、と感じた澤田がフォローに回ろうと立ち上がった瞬間、和泉は顔を上げた。
「迷惑なの、もうよっしーなんて大嫌い! まだ好きな癖に! 嘘つき!」
 澤田の耳には悲鳴のようにも聞こえる言葉も、吉原にはそのままストレートに聞こえてしまい、和泉を掴む手に力が抜けた。
 その瞬間、和泉は吉原の手を振り切って生徒会室を出て行ってしまった。
 後に残された二人は呆然とそこに立ち竦むと、どうして良いのかわからずに視線を彷徨わせた。
 先ほど和泉が叫んだ言葉が痛いほど胸に突き刺さり、動こうとも動けない。 そんな吉原を見かねた澤田は吉原に近付くと、肩をぽんと叩いた。
 感の良い澤田だからだろうか、和泉がなんであんなことを言ったのか、どうして不機嫌だったのか、わかってしまった。 それを吉原に言うことは容易いことだ。
 だけれど今、この状態を自分で切り抜けることができなければ、それまでの想いだったのだ。
 澤田はその事実を口にすることはなく、吉原にしては珍しく泣きそうな表情をしているのを見て軽く微笑んだ。
「馬鹿だなあ、柳星は。あんなこと言っちゃ逃げちゃうでしょーに」
「……うるせえ」
「蓮は戸惑ってるだけだよ、追えば追うほど、今の蓮は逃げるだけだよ」
「じゃあ、どうすれば良いんだよ。好きだって言ったって、嫌いって言われたら、もうどうしようもねえ」
「ちょっと離れてみたら? 押して駄目なら引いてみろ、ってさ」
「……引いてる間に、誰かにとられたらどーすんだよ」
「はは、柳星にしては珍しい弱音吐くんだね。ま、それはないと思うよ」
 部外者からすればあんなにわかりやすい和泉の態度もない。 気付いていないのは当人同士だけだ。
 吉原も和泉も相当鈍いので、誰かが背中を押してやらなければきっと一歩も近づけないだろう。
 だけど押しすぎるのも良くないのだ。
 難しいなあ、と澤田は呟きながら和泉が消えていった扉を見つめた。
 ここで和泉は黒川に嫉妬しただけだ、と言えばどんなに簡単にことが収まるだろうか。
 言いたくてむずむずするけれども、澤田はそれを表面に出すことなくポーカーフェイスで吉原を見た。
 困ったような、焦ったような、泣きそうな顔をしている吉原は拳を握り締めると溜め息を吐いた。
「うまくいかねえな」
「そういうもんでしょ。うまくいったらつまんないよ。……ねえ、柳星、涼のことはもう忘れたの?」
「あ? 涼? ああ、そっか言ってなかったな、あれはお互いに好きだった訳じゃねえよ。傷の舐めあいだ」
「そ、なら良いけど」
「つーかオレ様の好きって嘘っぽいか?」
「は?」
「さっき蓮が言ってただろ、嘘つきって」
「……その前の言葉忘れたの?」
「大嫌い、だろ」
「あっきれた。肝心なとこ聞いてないんだから。ほんと、前途多難だな。あーあ、駄目だこりゃ」
「な、なんだよ。つーかオレ様は傷心中なんだ、慰めろ!」
「……そういうとこ、嫌われるよ」
 苦虫を噛み潰したような表情になった吉原に、仕方ないなあと澤田は笑うと慰めてあげることにした。
 水島のようにそこまで吉原と仲良くもないが、それなりに一年以上は付き合ってきた仲だ。
 不器用で寂しがり屋で鈍い癖に傲慢で意地っ張りな吉原を、澤田は放っておくことができない。
 つくづく厄介な友人を持ったものだ、と思う澤田だが憎めないのだから仕方ない。
 頭をがしがしと掻いて悩んでいる吉原は、呟くようにぽつりと言葉を零した。
「つーかよ、引くってどうすんだ?」
「は? え、柳星なに聞いてんの……あんたも結構な具合で遊んでたでしょうに」
「遊びと本気はちげえんだよ。それにあいつらはなんもしなくてもこっちにきたしな。ま、オレ様の魅力を前にしたんじゃ仕方ねえことだ」
「……取り敢えず、強引な行動は控えることだね」
 前途多難な状況に澤田はもうなにも言う気をなくし、がっくしと肩を落とした。
 どうしてこんなに馬鹿なのだろうか。 吉原を見ても吉原はそれに気付く様子もない。
 うだうだと悩んでいた吉原だったが、次第に顔色を変え、赤くなったり青くなったりと百面相を繰り返すようになった。
 澤田はそんな吉原を横目で見ながら書類の続きをやることに決めたのだが、時間が経つにつれ、さきほどの和泉の言葉を思い出し落ち込んでしまっている吉原を慰めるため仕方なく腰をあげた。
 どうやら澤田の受難は今日一日ずっと尾を引きそうだった。

 一方、勢い任せに思ってもいないことを叫び生徒会室を出てきてしまった和泉は行く宛てもなくふらふらと歩いていた。
 望月は部活中だし、吉原には会いたくない。 森屋や神谷はなにがあっても吉原の味方をするだろうし、水島には顔を合わせにくい。 澤田は生徒会室だ、相澤はなんか違うし、樋口はどこにいるのかわからない。
 それに黒川とは絶対に会いたくなどない。
 黒川のことが嫌いな訳ではないのだが、今の和泉の心境的に会っても普通の態度で接する自信がない。
 さっき吉原に言ってしまったように、酷い言葉を浴びせてしまいそうで、和泉はそれが怖かった。
 こんなに醜い自分は知らない、こんな想いも知らない。
 和泉にとって恋とはきらきらして綺麗なものだという固定観念があるからなのか、嫉妬という体験をしてしまい非常に動揺していた。
 考えないようにしても、脳裏に浮かぶのは楽しそうに笑う吉原と黒川。
 自分のことが好きだと言ったのにどうして黒川にあんな表情で笑うのか。 黒川も黒川で吉原と別れたのにどうして嬉しそうに笑えるのか。
 二人が一緒にいるのを見るだけで、和泉の心はどす黒い感情に覆い尽くされ、言葉に出すのも嫌になるほどの汚い思いが溢れた。
 今の自分が変わってしまいそうで、怖くなった和泉は体育座りをすると膝に顔を埋めて泣き出した。
 人の滅多に通らない廊下は物静かで、和泉の泣き声だけが辺りに響いていた。
「よ、っし……」
 思ってもいない酷い言葉を吉原に投げかけてしまった。
 吉原は傷付いただろう。 和泉ですらあんな言葉を出してしまったことで胸がぎりぎりと痛むのだ。
 本当は大好きだと早く言ってしまいたい。
 だけど和泉にはそれを言う勇気もなければ、言ってしまった後の吉原の反応も気になるのだ。
 好きだと言われていたが、冗談だったと言われてしまってはどうしようと。 吉原のことを信じていない訳ではないのだが、なにしろ和泉は恋をするのが初めてだったので、そこのところが良くわからないのだ。
 それにあんな酷い言葉を言ってしまった。 きっと吉原は和泉を許さないだろう。
 今になってじわじわと溢れてくる後悔に和泉は押し潰されそうだった。
 この暗闇から救ってくれる吉原は今ここにいない。 和泉は吉原を思いながらまたぽろりと涙を零した。
 じんわりと制服の膝辺りに広がっていく染み同様に、和泉の身体を包むように影が差した。
 聞き覚えのあるハスキーな声とその人からでる独特な雰囲気で和泉はそれが誰かわかったが、口に出すことはなかった。
 その人物、水島もそれをわかっているのか和泉の頭を軽く撫でるだけだった。
「……陸から連絡あってな。望月君は今部活だろうし、一人でいると思って探したぞ」
「おせ、っかい」
「柳星に嫌いって言ったんだろ、馬鹿だな、貴様も」
「……だ、て」
「貴様が泣いてると知れば柳星だって直ぐに飛んでくるだろうに、本当に柳星には頼らないんだな」
「そういうの、嫌なんだも……良くわかんない、けど」
「まあ今日はゆっくり休め。それにこんなとこに一人でいるのは危ない。最近、少し治安が悪いからな」
「……ちょっと萌えるよね。襲われてるところに攻めが助けにきて、受けの淫らな姿見ちゃって興奮するけど、やっちゃえば襲った人と同じと我慢するんだけど受けから強請ら」
「わかった、わかった。今度聞いてやろう」
 調子の戻った和泉は妄想を繰り広げて口に出すが、水島がげんなりとした表情でそれを止めた。
 不服そうにぶうぶう言う和泉だったが、水島には今日何度も助けてもらったため妄想をすることを諦めた。
 それから他愛もない話を二人でして、時間を過ごす。
 徐々に瞼が重くなってきている和泉に気付いた水島は、和泉をおんぶしてやると部屋まで送っていくことにした。
 最初は抵抗していた和泉だったが、心地よい揺れに次第に口数が減り、疲れていた所為もあったのか眠りについてしまった。
 水島は重くなった感触に軽く笑みを浮かべると、ここ最近の和泉を思い出していた。
 第一印象は最悪で頭の可笑しい奴と思っていたが、吉原に出会い恋をするようになってから随分と雰囲気が変わった。
 元から顔は可愛かったのだが、何気ない仕草など磨きがかかったように可愛くなっていた。
 吉原の前で見せる表情は誰が見ても恋する乙女の顔なのだが、気付いていないのは当の二人だけ。
 次第に和泉に情が移った水島は前より、和泉のことを苦手意識することもなくなった。
 不器用な吉原と和泉の恋が上手くいくようにと、水島は和泉を抱える手に力を入れるとしっかりと歩く。
 水島が歩く廊下の先に見える姿を目に映すと、水島は優しく微笑んだ。
「よう、柳星、随分落ち込んでいるみたいだな。あ、大声は出すなよ、和泉君は寝ているんだ」
「……お前こそ随分仲良くなったんだな」
「俺に嫉妬するのはお門違いだぞ。もうちょっと心に余裕をもて。お前だってわかってるだろう」
「うるせ。それより、早く」
「ああ、まあぐっすり寝ているから起きないとは思うがくれぐれも慎重にな」
「わかってる。明日から引く期間だし、暫く触れ合えねえんだな……」
「じゃあ、頑張れよ。話ならいつでも聞いてやる」
「ありがとな、颯」
 寝ている和泉を起こさないように慎重に吉原に渡すと、水島はにっこりと笑い去って行った。
 吉原の背中に感じる温かい感触に、吉原は頬が緩むのを抑えることができなかった。
 酷い言葉を投げかけられてしまったのだが、好きな人を目の前にするとそれがどうでも良くなるのだから不思議だ。
 明日から澤田の言う通り、引く期間に入らなければならない吉原は見納めだと思うように少し遠回りをして和泉の部屋に向かった。
 水島から連絡があったのはついさっき。 これから用事があるから水島の代わりに和泉を部屋まで送ってくれないかということだった。
 それが水島の優しい嘘だとわかった吉原は慌てて用意を済ませると、指定された場所に和泉を迎えにきたのであった。
 安心しているのか起きる気配のない和泉の息使いを首に感じながら、吉原は和泉と望月の部屋を軽くノックする。
 はいはーいと軽い声が聞こえてきたかと思うと、中から気だるげな様子の望月が出てきた。
 いつも和泉と一緒にいて和泉を支え、和泉から絶大な信用を得ている望月は吉原を見ると驚いた表情になって目をぱちくりとさせた。
「え? 吉原先輩……え?」
「まあ、詳しくは蓮にきけ。オレ様は送ってきただけだ」
「……はあ」
「それと、オレ様が連れてきたとは絶対に言うなよ? 良いか、ここに蓮を送り届けたのは颯だ」
「ああ、会長ですね。わかりました」
「……悪いな、じゃあ」
 少し寂しそうな表情を浮かべ和泉を見た吉原に、望月は違和感を覚えながらも軽く会釈をすると部屋の中に戻った。
 静かな寝息を立てて眠る和泉をソファに寝かせると、和泉の顔を覗き込む。 目にはうっすらと涙の跡。
 なにがあったのかなどわからないが、吉原絡みだろう。
 望月は苦笑いを浮かべると、起きた和泉に食べさせる晩ご飯を作ることにした。
 のろのろと立ち上がった望月だったが、背中に感じる緩い感触に困った表情で振り向く。 そこには目覚めた和泉がいて、望月の顔を見るなりまた泣きそうに顔を歪めたのである。
 和泉に滅法弱い望月は甘やかしてばかりでは良くない思うものの、結局はどろどろに甘やかしてしまうのだ。
 優しい声色で問いかけ、ソファの前に腰を降ろすと和泉の前髪をかきあげた。
「どうした? 元気ないな」
「……よっし、に、嫌いって、いっちゃった」
「ああ、そっか、それで泣いたんだな」
「言うつもりなかった。でも、ね、黒川さんと一緒にいる、よっし、すっごく楽しそう、で」
「嫉妬したんだろ。蓮も立派に恋するようになったんだな」
「でも、でも、すっごく汚いんだ、俺。酷いこと思ったし……」
「そういうもんだろ。なあ、蓮、深く考えるなよ。ごちゃごちゃ考えるからわからなくなるんだ」
「……でも、かいちょ、悩めって」
「悩むことも悪くない、でもな、お前の性格上悩んだって答えはでないだろ? 蓮は吉原先輩が好き、それだけのことだ」
「ありがと、やっぱ、柚斗、凄いね」
「何年一緒にいると思うんだよ。ほら、腹減っただろ、なんか食うか?」
「うん、食べる」
 少し元気の取り戻した和泉を見て安心した望月は、立ち上がると今度こそご飯作りに取り掛かった。
 キッチンからご飯を作る音を聞きながら、和泉はぼんやりと吉原のことを考えていた。
 明日謝りに行こうかな、そう思ったものの最近なかなか自由な時間を取れることがないことを思い出してまた落ち込んだ。
 こういうことは時間が経つにつれ気まずくなるものだとわかっているものの、どうすることもできない。
 完全に逃げ腰に入っていることはわかってはいる。 和泉に一番足りないのは勇気だ。
 このままじゃ黒川にとられてしまう。 またもや頭を支配し始める悩みにドツボにはまってしまった。
 望月がいうように悩んだって答えは出てこない。 しかし悩むことをやめるのが一番難しいことなのだ。
 暢気な声で和泉を呼ぶ望月の声を聞きながら、和泉は渋々腰を上げるとキッチンに向かった。
 そこには短時間で作ったとは思えない手の込んだ料理。 望月のさり気ない優しさにジーンときた和泉は、ご飯を味わうように食べる。
 望月の顔を見ていると悩んでいることが少し馬鹿らしくなり、望月に甘えることにすると思い切り抱きついた。
 顔に似合わずとっても優しい和泉の親友望月は、和泉を思う存分甘やかせてくれる。
 悩みがなくなった訳ではないが、一緒にいると忘れさせてくれる空気を作った望月に感謝しながら和泉は望月と一緒にお風呂に入るのだった。
 その一方、吉原は愛猫ルルを胸に抱きながら少ない脳みそで引いてみることについて真剣に考えていた。
 恋の駆け引きなど今まで一切したことなどなく、遊び相手も勝手に寄ってきたので、吉原は意外に恋愛が下手なのである。
 悩んでもその答えを出してくれる人物はいなく、吉原は寝ることに決めた。
 神谷辺りに聞いたらわかるだろう。 そう高をくくって和泉が夢に出てくることを願いながら眠りについたのであった。