忙しいときほど無駄に考えてしまうのはどうしてだろうか。
和泉は絶え間なく手を動かしながら、吉原への謝罪のタイミングをずっと窺っていた。
明日で文化祭本番を迎えてしまう現在まで、和泉は吉原に謝ることができずにいたのだ。
吉原に酷い言葉を投げかけてから、和泉もずっと逃げていた訳ではない。
忙しい中にほんの少しある時間を使って、吉原に会いに行ったのだが、肝心の吉原がなかなか捕まらなかったのである。
携帯を使えば謝ることなど簡単にできてしまうが、謝罪を電子機器で伝えてしまうのはどうも躊躇いがある。
こうして和泉は吉原とすれ違いの生活を送りながら、悶々とした日々を送っていたのであった。
「衣装かんせーい!」
わあわあと喜ぶ衣装係の面子を見て、和泉も一緒になって喜んでいた。
絶対に間に合わないと思っていた衣装も、なんとか完成し、衣装係は歓喜に騒いでいたのである。
きらびやかな衣装たちに目を向けて、屈折のない笑みを浮かべている同級生の顔を見て和泉のテンションも次第にあがってくる。
さきほどまでうじうじ悩んでいたのが馬鹿らしくなるくらい、このクラスは暖かだった。
和泉は望月の衣装を胸に抱くと、教室の真ん中で友人と騒いでいる望月を見つめた。
文化祭の一週間前からクラブ活動が休みになり、学園全体が文化祭への期待で溢れ返っていた。
外部の人間がこられないといっても文化祭は質素なものではなく、生徒だけじゃ勿体無いほど豪華な内容だ。
この一ヶ月と少しの間、みんな必死に頑張って作り上げてきたものがとうとう日に当たる機会がやってきた。
この状況じゃ心の底からは楽しめそうにないと思っていた和泉だが、吉原との喧嘩を別にして、文化祭を楽しめることができそうだ。
謝れないのも、会えないのも辛いことは辛いのだが、なにも世界が吉原一人で回っている訳ではない。
吉原が和泉以上に悩んでいることなど露にも知らない和泉は、望月を手招いた。
望月は友人に軽く断りを入れると和泉の側に移動し、なんだよ、と声をかけた。
「衣装できたんだけど、ちょっと着てみてよ」
「おう、あ、男もんなんだな」
「まあね。特別大サービスってやつ」
望月は和泉が握り締めていた衣装を素早く受け取ると、わくわくとしている和泉を見ることなく着替えをし始めた。
そこまでホモホモしているクラスではないといっても、人気のある望月がテニスで鍛えられた身体を惜しげもなく晒し、着替えだしたことに数人の生徒はぽうっと頬を赤らめ望月を見つめた。
不穏な視線に望月が気付くことなく、和泉が丁寧に作り上げた衣装を着るとくるりとその場で一回まわって見せる。
予想以上の衣装の似合いさと、格好の良さに、ホモっ気のない生徒までぽっと頬を赤らめる始末だ。
和泉も頬を染めることはないが、望月の姿を見て感嘆の声を上げた。
「蓮、どう?」
「に、似合う! やっぱ柚斗、男装の方が似合うね」
「男装って、俺は男だっつの! それにしてもどうしたんだ? この衣装で良いけど、女装にしないなんて珍しい」
「……ちょっと、ね」
臙脂色のマントを翻し、細長いブーツの感触を楽しんでいる望月に和泉は吹っ切れたように微笑むと説明をし始めた。
望月が今着ている格好は中世の品の良い海賊の船長をテーマとした衣装だった。
黒い年季の入ったリアルな帽子から始まり、衣装の布は別珍であしらわれており、カラーは燕尾を中心としたシックな色合い。
望月の体型にぴったりと合わせたサイズは、望月の綺麗な体型をそのまま浮き彫りにさせ、妙な色気を出させていた。
黒のレザーのパンツも、全体的にすらっとした体型の望月に良く似合い、本番はカラコンや鬘を付けてもっと完璧に着こなす予定だ。
当初は望月に女装をさせようとしていた和泉だが、話題になっていた海賊映画にどっぷりとのめり込み、船長受けにはまったため急遽衣装を変更することとなった。
そんな裏事情など知らない望月は上機嫌で鼻歌を零すと、和泉の手を取った。
「なんだかんだ言って、明日だな」
「そーだねえ。頑張ってお客さんつれてくるよ」
「外部の人間が入れないのが痛いよなあ」
「まあ、良いじゃん。頑張ろうね」
「そうだな、生徒会の出し物は劇なんだろ? お前の好きなホモ見れるかもしれねーな」
「ふふ、抜かりないよ。柚斗、俺がよっしーに恋して原稿やめたって思ってるでしょ、でもね、ふふ、実はやめてないんだ」
その和泉の言葉に望月は目をまん丸とさせた。
和泉が言った通り、望月は和泉が原稿をしていないと思っていたのだ。
ただでさえ文化祭の準備で忙しかったのに、いつそんなことをする暇があったのだろうか、と望月は頭を傾げた。
新学期になってからの和泉の変化は著しく、生徒会や風紀委員の中にも和泉が吉原に好意を抱いていることは目にも明らかだった。
知らないのは本人同士のみ。
外野は口を出すことは一切せず、知らないふりを今日まで続けてきた。
和泉も和泉で自分の感情の変化に戸惑っており、原稿も手につかないと言っていた。
それについ最近、和泉と吉原は喧嘩をしたらしく、お互いが接触することもなくなり、和泉の元気も底をついていたのである。
なのに、その和泉が原稿をやめていないと言う。
望月にとっては晴天の霹靂の出来事でもあり、嫌な予感のすることでもあった。
「俺ね、やっぱりね、BLも好きなんだ。趣味なんだもん、やめらんないよ! 寧ろね、BL書いてた方が元気出るっていうか、俺ってほんと腐男子なんだなって」
「……簡潔に述べよ」
「うん、明日売ろうと思って、えへ! 地味に俺の本、この学園でも人気でさ〜結構予約とかも入ってんのよね〜ハハ! 本は全部で三種類! 会長総攻め本と、水吉と、柚斗総受け本、完全18禁! ってこの学園ほとんど18歳以下だっつーの〜!」
「ちょ、ちょっとー! 最後の柚斗総受け本ってなんだよ!?」
「俺ね、頑張ったんだあ。ここまで! もうね、原稿完成してんの! 印刷会社にも頼んでるし、今日届く予定! 完売したら一緒に焼肉食べにいこーね!」
「ま、待てよ! そんなのありかよ! 学園的にはOKなのか!?」
「俺を誰だと思ってるの? 会長は俺の顔に弱いんだよ? 意味わかるよね?」
「……お、まえ……たち悪!」
「やっぱ恋も趣味も勉強も、頑張らなくっちゃね」
きゅるん、という効果音がつきそうなくらい和泉は可愛く微笑むと、がっくしと膝を落とした望月の周りを上機嫌で回った。
そんな二人の対照的な様子にクラスメートは訝しげな視線を向けるが、関わりたくないと思ったのか無視をすることに決め込んだ。
水島も断腸の思いで決断を下したに違いない。
望月は水島に同情をするとともに、自分の本のことを考えてがっくしとした。
だけれど嬉しそうにBLの話をする和泉を見てしまっては、和泉に弱い望月が文句を言えるはずもなく、売り子をする約束までしてしまった。
どこまでお人よしなのだろうかと疑いたくなるが、そこが望月の良いところ。
元気のなかった親友が本を売ることで元気になるのだったらそれで良い。
望月はそう自分に言い聞かせると和泉の頭を思う存分と撫ぜたのであった。
それからはとにかく忙しい一日となった。
なにを隠そう本番は明日に控えている。
衣装は出来上がったが最終チェックはまだ終わっておらず、クラスメートが一致団結して最終チェックに取り掛かったのである。
もちろん王様のような態度の和泉がそんな面倒くさいことを手伝う訳もなく、一人優雅に椅子に座ると明日売って回る本の予約チェックをしていた。
普通ならそんな和泉の態度に切れるなり、注意をするなり、そういうまともな感性の持ち主が和泉を嗜めるのだが、生憎このクラスには和泉に対抗できる人間がいない。
和泉一人いなくたって最終チェックは余裕でできるのだ。
クラスメートは誰一人として和泉に注意することなく、不満を漏らすことなく、必死に動き回っていた。
望月はなんとなくだが、このクラスが和泉の掌中にあるような気がしてひくりと頬を引き攣らせた。
顔が可愛いのが理由なのか、ただ単に係わり合いになりたくないだけなのか、和泉と繋がっている生徒会や風紀委員の影響なのか、理由はわからないが末恐ろしいことだ。
仕舞いにはクラスメートに言付けをしている和泉を見て、なにも言う気が起こらなかった望月であった。
「……ここは本屋ですか?」
「いいえ、A組です」
「ではこの本はなんですか?」
「俺の書いたBL本です」
「どうしてA組にあるんですか? 喫茶店ですよね?」
「喫茶店、兼! 蓮ちゃんのBL本売り場です。ちなみに望月君、おめでとう、君は蓮ちゃんの本の専用売り子になることが決定いたしました」
「……」
望月はさっきクラスメートを三人引き連れて出て行った和泉が気になってはいたものの、まさかこんな展開になるとは思っていなかった。
上機嫌で和泉が手ぶらで帰ってきたと思えば、引き連れていったクラスメートは大きなダンボールを必死になって抱えていた。
まさか、と思ったがそのまさかが的中したのである。
その大きなダンボールの中身は和泉が書いたBL本であり、明日売ると言っていた品物だ。
望月も本当に売るとは思っていたものの、まさか教室で売るとは思っていなかったので開いた口が塞がらなかった。
教室の片隅に和泉専用のスペースを作り上げ、小さな本屋のようになっているそれを見て、望月は頭痛が増すのを感じた。
この様子だと、クラスメートは知っていたようだ。
なのに文句の一つも言わないなんて、和泉に洗脳されてしまったのだろうかと余計な勘繰りも入れたくなる。
望月は委員長に詰め寄ると、ことの真相を聞くために肩を揺さぶった。
「ど、どういうことなんだよ!」
「どういうって、聞いてないの? 和泉に頼まれてさ〜面白そうだし良いんじゃないって言ったんだよ」
「なんで良いって言うかなあ!?」
「望月知らないの? このクラス、結構和泉ファン多いんだよ。あ、本のファンもいるし、和泉の可愛さにやられたファンもいるし」
「それって言いなりなんじゃないのか!? 甘やかすなよ!」
「まあまあ、誰だってあんな可愛い顔でお願いされちゃ断れるもんも断れないでしょ」
「だ、ま、さ、れ、て、い、る!」
「とにかく頑張ってよ。……あ、和泉〜このスペースで足りる〜? 足りなかったら言ってね〜」
和泉の方へ嬉しそうに駆け寄っていく委員長を見て、望月はもうどうしようもなくなっていた。
気付けばこんなにも周りに変化が起きていたなんて、望月が気付くこともなかった。
確かに和泉が恋をしてからは前より雰囲気が柔らかくなったといって、和泉に密かな人気が出てきたのはわかっていた。
でもそれは飽くまで腐男子を前面に出していないからこそだと思っていたのだ。
なのにどうだろうか。
このクラスメート、ほとんどが和泉の手足となって動いているではないか。
望月は初めて天使のような笑みを浮かべている和泉が、悪魔に見えたのであった。
それから和泉は自分専用のスペースに満足げに微笑むと、望月を引き連れて教室を出た。
やることも終わったし、あとは明日の本番を迎えるだけだ。
珍しく生徒会へ向かうことなく移動し始めた和泉に、望月は溜め息を吐くと和泉の頭をぐしゃぐしゃと撫ぜた。
「お前すげーな、やることなすこと、予想外」
「はは、だって人生一回だし、せっかくのクラスメートと仲良くしなきゃなーって思ったの」
「それは良い心がけだが趣旨が違うだろ」
「まあ、良いじゃん。俺だってなにかしてないと不安なんだよ」
「……そんな悩んでんの?」
「……俺さ、やっぱり黒川さんみたいにはなれない。綺麗でもないし、素直でもない、よっしーの言うことにはいはいって聞けるような性格でもない。俺はこうなんだ、こんな性格なんだ」
「あ〜」
「自分偽ってまで無理したくないしさ、ありのままでいこうかなって! それで幻滅されたらそこまででしょ」
「されねーでしょ。吉原先輩知ってるんだし」
「まあ、そうなんだけどさ。とにかく! 明日は完売目指して頑張るよ!」
「ったく、仕方ねーなー! こうなりゃ自棄だ! 売ってやるよ! そんかわり、蓮も仲直りしろよな!」
「……頑張ってみる!」
二人は各々に課せられた課題をクリアすることを目標とし、頑張ることに決めた。
望月は和泉の書いた本を完売させること。
和泉は吉原と仲直りすること。
若干、望月の課題は和泉の思うがままのような気もするが、和泉にどろどろに甘い望月が文句を言うはずもない。
結局は望月が一番和泉のファンのような存在なのであった。
一方、和気藹々としている二人と違い、生徒会長でもある水島は頭を抱えたままうんうんと唸っていた。
劇は明日に迫っているのに台詞が全く頭に入ってこないのである。
そんな様子をずっと見ている生徒会のメンバーは呆れたような表情で、珈琲を口に含んだ。
「颯、諦めたら? OKしちゃったんだろ」
「そうそう〜別に良いじゃん、本くらい。それより蓮ちゃんのコスプレ楽しみ〜」
「お前ら他人事だと思って! ああ、どうして俺はあの顔に弱いんだ」
「タイプだからでしょ」
ねえ、と顔を見合わせて澤田と樋口は微笑んだ。
現在、生徒会室には優雅に珈琲を飲んでいる澤田と樋口、それに頭を抱えている水島の三人がいた。
話題は和泉の教室で和泉が書いた自分たちのBL本が発売されることについて、だ。
澤田と樋口は和泉を理解しているのか、特に気にすることもなく、その売り上げに貢献しようとしていたのだが、OKを出した本人水島はずっと頭を抱えていた。
OKしたのは自分なのにどうして今更悩むのだ。
そう言われても水島のタイプの顔でお願いされたら頷くこと以外できない。
つくづくどうしようもなく駄目な人間だとわかってはいるものの、水島は後悔をせずにはいられなかった。
「もう本のことは諦めなよ〜、蓮ちゃん可愛いんだし良いじゃんどうだって〜」
「そうだよ、可愛いんだし許しちゃおうよ。というか全然俺たちは良いけどね」
「ねー、前も本読んだけど結構面白かったよね〜」
「ああ、起承転結しっかりしてるしな、ついつい読みふけったよな」
「水吉〜!? とか思ったけど本だしね、気になんないよね〜」
「だよな。あ、それより明日行くとき一緒に行こうか」
「うん、行くー! カメラ持って行かなきゃね〜」
楽しそうに会話に花を咲かせる二人を見て、もう水島は文句を口にすることをやめた。
今更なにを言っても無駄のようだ。
諦めた様子で水島は珈琲に口をつけると、眼鏡を中指で押し上げた。
文化祭を明日に控えた生徒会も、文化祭が終われば暫く暇になるだろう。
一応、生徒会や風紀委員の選挙があるが結果はもう決まっていた。
両方ともメンバーが変わることなく、このメンバーで続行することが決まっているのだ。
流石に来年は三年なのでこの時期は忙しくなるだろうが、今年はまだ関係のないこと。
水島は忙しさから抜け出せるだけましか、とそう思うことにすると和泉が大分前に置いていった本をぺらぺらとめくった。
「あ、そういえば〜颯〜蓮ちゃんと柳星どーなってんの〜?」
「どうにもなってない。あの馬鹿、なにを間違えたのか知らんが避けまくっているだろう。進展するものもあれじゃせん」
「あれねえ、俺がちょっと助言したのが間違いかなあ。でもまさかあそこまでするとは……」
「ま〜柳星ほっんとに馬鹿だから〜。引く、つまり避けるって思ったんでしょ〜」
「馬鹿だよね。蓮とせっかく良い雰囲気だったのに」
「涼ちゃんも悪い子じゃないんだけど〜ちょっと時期がね〜」
「……まあ、柳星もここで黒川にべったりじゃないのが幸いだな」
「べったりはしないでしょ。元々気の合う二人じゃないからその分は安心だね」
「べったりだったら最悪〜避けてる上に違う人とべったり……終わってるな」
どうしようもない、樋口が肩を竦めて首を振った。
そんな事態になることはまずないが、もしなったとしたら完璧に二人の恋は終わってしまうだろう。
だけども絶対に吉原に恋に落ちることがないと思っていた和泉が恋に落ちたのだ。
人生はなにが起こるのか全く持って未知数だ。
というより吉原が和泉に恋に落ちた時点で、全てが狂っていったのだが。
予想のつかない出来事の連続のまま、今日までやってきた。
和泉が当たり前のように馴染んでいることにも驚きだし、その和泉に人気が出てきているもの驚きだ。
水島が一番驚いていることは、そんな和泉をちっとも憎いと思わないことなのだが、これは本人しか知らない。
各々が違うことを考え、和泉や吉原のことを思っていると、誰が呼んだのか噂の渦中だった人物が目の前に現れた。
血相を変え、幾分痩せたかのように見える表情は限界を表しており、澤田と樋口は内心げっと思った。
吉原がここにきたのでは、当分帰れそうにない事態になりそうだったからだ。
案の定、吉原は膝を床につけると、握っていた和泉の写真をぐしゃりを歪ませた。
和泉の写真を持っていることがストーカーっぽくて気持ち悪いと三人とも思ったが、皆口に出すことはなかった。
「オレ様、もう限界……蓮不足で死にそうだ」
いつになく、吉原の一人称オレ様が格好悪く生徒会室に響いた。
元々オレ様などと言っている時点で頭の悪さが窺えるが、吉原の容姿がそれをカバーしていた。
曲がりなりにも容姿が整っていて良かったな、と思う三人であったが、容姿が整っているからこそこんなに馬鹿なんだな、とも思う。
そんな三人の様子に気付くことなく、吉原は床に寝そべった。
文化祭を明日に控えた本日、不運にも吉原の愚痴に巻き込まれた三人は一睡もできず、文化祭を迎えることとなったのだ。