待ちに待った文化祭は、生徒会と風紀委員の放送で幕を開けた。
その声にうっとりとする男子生徒を引き気味で見ながら、望月は本の整理をすると衣装を身に纏う。
秋といえどもまだ夏の残りを感じさせる十月の気候は、思ったより暑い。
大層な衣装を着れば少し汗ばむ肌。
だけれど行き届いた空調のお陰で思ったよりも苦しくはなかった。
望月は目の前に綺麗に山積みされた同人本を手に取ると、ペラペラとページを捲る。
なんの配慮かは知らないが、和泉は望月総受け本だけ小説で書いていた。
挿絵もなにもないそれなら、望月は特に嫌だと思うこともなくすんなりと受け入れられる。
これなら今日の文化祭を乗り越えられそうだ。
本が完売すれば早くキッチンに入れる。
そう思うと望月は気合いを入れて文化祭に挑むように意気込んだのである。
そんな望月を見て和泉は楽しそうに笑うと、マントをはためかせ望月の横に腰を据えた。
本の売り子をする望月と違い、和泉は呼び込みを担当する。
某ファンタジーゲームの黒魔道師の格好をしている和泉は、望月の目にはいつもと違って見える。
尖がっている黄色い帽子を望月はゆるりと撫ぜると、口を開いた。
「生徒会の出し物は昼前だっけ?」
「うん、そう。風紀委員が昼後」
「仲直りすんの?」
「……まだ考えてないけど、……できたら、いいな」
「頑張れよ、せっかく可愛い格好してるんだし」
「これが可愛いって、……柚斗も結構きてるね」
「……結構きてるかもな」
和泉ただ一人だけコスプレをしているにも関わらず、そんなに目立つことはなかった。
黄色と青色の衣装を見に纏い、全体的にふんわりとした雰囲気を醸し出している和泉が決して地味な訳ではない。
顔の可愛さと衣装の可愛さも重なって、思わず抱きしめたくなるような可愛さではあるのだが、如何せんA組はファンタジー喫茶だ。
目の前にゴジラ顔負けのきぐるみを着たドラゴンや、本物の甲冑をきた西洋騎士がいるのだから目立たないのも頷ける。
歩くたびにがちゃがちゃと鳴る西洋騎士を見つめながら、望月は改めてこの学園の異質さを感じるのであった。
「……じゃあ、売り子頑張ってね。もうすぐ始まるみたいだし」
「ああ、お前も客呼んでこいよ。生徒会の人間とか連れてきたら他にも釣れるだろ」
「結構せこいね、そういうとこ」
「だってお前優勝したクラスには豪華商品と好きなものを与えられる権がもらえるんだぞ! 俺はマッサージチェアが欲しい! なにがなんでも欲しい!」
「……おっさんくさい、柚斗」
「うるせー! さっさといって客連れてこい!」
マッサージチェアとうるさい望月を尻目に、和泉は渋々腰を上げると客引きのために教室を出たのだった。
タイミング良く、和泉が出た瞬間再度校内放送が始まり本格的に文化祭が始まった。
わらわらと教室から出てくる生徒たちはパンフレットを片手にお目当ての教室に行ったり、会話を楽しんだりし始める。
その一方で教室に残った生徒は皆文化祭を盛り上げようと奮起し、声を張り上げて客引きをしたり、お客に挨拶をしたりしている。
とうとう文化祭が始まったのだと和泉は実感しながら、宛てもなくふらふらと足を進めるのであった。
人の集まる渡り廊下に差し掛かり、和泉は客引きをするために声を出そうとして止めた。
良く考えてなにが売りなのだろうか、と頭を傾げる。
女装している生徒が目玉でもないし、和泉の本を知っている人は宣伝しなくても買いに来る。
言っちゃ悪いが宣伝する要素がないのである。
うーんと困ってしまった和泉は取り敢えず客引きを行い、上手い具合に渡り廊下を歩いていた生徒たちを丸め込むと教室まで連れて行った。
もう良いだろうと踏ん反る和泉に文句を言う人は誰一人おらず、和泉は接客担当を任されることとなった。
客引きより接客する方が性に合うし楽しいと感じていた和泉は、それに頷くと上機嫌で接客をし始めた。
一方生徒会は昼前に行われる劇の練習で忙しく、生徒たちの教室に足を運ぶことすらできずにいた。
風紀委員も同じく午後に行われるにも関わらず、ずっと練習をしていた。
それも吉原が和泉に会えない所為でぐだぐだと愚痴を言い、まともに練習しなかったのがここにきて祟ったのだ。
覚束ない手つきでギターを弄る吉原を見て、神谷は盛大に溜め息を吐いた。
やる気がないのは仕様がないが、やるなら完璧に成し遂げたいものである。
神谷はベースをそっと立てかけると、吉原が元気になるであろう魔法の言葉を囁いた。
「柳星、この演奏、和泉が見にくるんだって」
「は……」
「かっこよくギターを弾いてる柳星を見れば和泉も惚れるかもしんねえよ?」
「ま、まじで!?」
「でも今のままじゃあ、無理だろな。下手、ちょー下手。ギターも和泉もがっかりだ」
「うるせえ! オレ様に不可能という文字は存在しない! こうなったら完璧にやるぞ、空! さぼるんじゃねえぞ!」
「……お前が今までさぼってたんだろうが。現金な奴だな」
目に見えるほどやる気を出し始めた吉原を横目に、神谷と森屋は顔を見合わせて笑った。
単純細胞にも程があるがそこが吉原の良いところであり、憎めないところなのだから仕方ない。
二人は気合いを出し始めた吉原に見習い、各自の楽器を手にすると音合わせを始めた。
ゆったりと流れるようなバラードから、耳を塞ぎたくなるぐらいの爆音。
いろんなジャンルをミックスさせて選ばれた六曲を、四十分という限られた時間の中で演奏することが決まっていた。
神谷の透き通った声が吉原のギターに重なり、神谷のベースがそれを引き立て、森屋のドラムがリズムを取る。
バラバラだった音が一つになったことに感動を覚えながらも、吉原は手を止めることをしなかった。
ギターを真面目にやろうとは思わないが、たまになら真剣になって弾くのも悪くはない。
手にしっくりと馴染む六弦の糸を指で押さえながら、必死に練習をするのだった。
「うう、萌えるー! きゃー! かいちょー! 素敵ー!」
風紀委員たちが外にも出ず練習している中、文化祭は刻々と過ぎていってしまう。
お昼前になった現在、体育館では生徒会の出し物が催されていた。
委員長と約束をしていた和泉は約束通り休憩を与えられると、急いで体育館室に向かい最前列の真ん中の席をゲットした。
きゃあきゃあと騒ぐ生徒に混じって和泉も声援を水島に送っている。
水島は観客席の一番前のど真ん中、つまり一番良い席に和泉がいるのにも驚いたが、格好に一番の驚きをみせた。
あれは一体なんの格好をしているのだろうか。
水島は一度考えると気になって仕方がないといった様子で、ちらちらと和泉に視線を向けるが疑問が解けることなく、無情にも幕がおろされる。
和泉が一体なんの格好をしていたのかを水島が知ることはできなかったのである。
各々が好きなように過ごす文化祭。
これといって絡むこともなければ会いに行ったりすることもない。
和泉と望月は教室でお昼を済ませ、生徒会は風紀委員と一緒にお昼を取り、和泉と吉原は会う機会がなかった。
最も吉原が出し物の練習で忙しいのも理由の一つではあるが、和泉が会いに行かないのも一つの理由であった。
和泉は風紀委員の出し物が終わってから、ひょっこりと顔を出す予定を立てていた。
どきどきと鳴る胸をぎゅっと押さえながら、和泉はまたも体育館へと向かう。
和泉のクラスA組はお陰さまで売り上げも好調で、和泉が出した同人本も午前で完売した。
他のクラスにはない意外性を狙ったコスチュームで話題を呼び、正午には列ができるほどになっていたのだ。
優勝も夢じゃない、と意気込んだA組は益々気を良くし気合いを高めていくのであった。
望月も例外ではなく、文化祭を楽しんで回るより優勝を狙っているため、休憩もほぼ取らず接客に回っていた。
和泉の本が予想以上に早くに売れたのも、望月が頑張ってくれたのが大いに関係している。
ぎらぎらと優勝を本気で狙っているA組の中、和泉はそれに関心がないのか気にすることもなく休憩をもらったのだ。
なんにしろ和泉にとっての本番は風紀委員の出し物なのである。
これを見るために頑張ったのだ。
生徒会のときの出し物とは違い、風紀委員の出し物には緊張をしてしまう。
想い人を目の前でじっと見つめていられるほど強くない心臓のため、和泉は一番後ろに立つと壁に背中を預けた。
「……、人多いな」
きょろきょろと見回せば、生徒会のとき同様人で溢れ返っていた。
こんなときに実感するのは風紀委員の人気だ。
普段は感じさせないがやっぱりモテてしまうのだろう。
和泉は小さな嫉妬を胸に抱くと目の前の舞台に視線を移した。
頭上で鳴り響くブザーに、暗くなる照明。
歓声と共にステージに現れる三人の姿を見て和泉ははっと息を飲んだ。
化粧を施した顔にごちゃごちゃとした衣装。
所謂ヴィジュアル系というやつだろうか。
身体を器用に動かしながら舌なめずりをして、ギターを弾く吉原の姿が酷く扇情的だ。
アンプに繋がれたギターが爆音を響かせる、力強い森屋のドラムと色気を含んだ神谷の声。
どれも完成度が高く、知らない音楽のジャンルでも楽しめるライブなのだが、和泉の世界では音が一切消えていた。
ただ見つめる先には楽しそうにギターを弾く吉原がいて、時折誰かを探すように視線がさ迷っている。
決して交わることのない視線に、和泉の胸が痛いほどに締め付けられた。
黒川を探しているのだろうか。
未だに探し続ける視線に和泉は目を向けた。
こっちを向いて自分に気付いて欲しい思いと、見つけられないまま終われば良いという思いの矛盾。
眩いほどの光を浴びて世話しなくギターを弾くために動く指。
その指が求めるものが自分ならどんなに良いだろうか、と思い和泉は苦笑を漏らした。
化粧をして綺麗に着飾って、だからだろうか吉原が別の世界にいるような感覚にさせられて和泉は少しだけ感傷的になったようだ。
激しさに比例して会場の熱狂もピークを迎える。
和泉は後ろでじっと静かに見ていたので、周りとの温度差を感じていた。
だけども楽しいことは楽しいので、視線を周りから外すとまたステージへと視線を向けた。
「えー……次でラストです」
マイクを通して喋る神谷の声は酷使した所為か少し掠れて聞こえた。
それも味になるような声色なので、色っぽさが増したようになっている。
現に周りの生徒は頬をぽうっと染めると神谷に釘付けになっていた。
しん、と静かになった体育館に響くギターの旋律。
その後を追ってベースが加わり、ドラムが参加し、綺麗な音色のバラード調の曲が始まった。
さっきの熱狂が嘘のように、生徒たちは大人しくなるとステージを見つめ静かにリズムをとった。
少し音が途切れ神谷がマイクを持ったかと思うと、吉原の前にマイクスタンドごと置いた。
それには会場の誰もが驚いたがなにしろ演奏中、声を潜めて言葉を発した。
興味が注がれる視線に気を良くしたのか、吉原は目を瞑ると声を出す。
低めで少し癖のある声、それがメロディーに乗って響いていく。
吉原が歌うバラードは聴いているのが切なくなってしまうほど、報われない恋の歌であった。
感極まったのか何人かの生徒は涙を流しながら聞いている。
普段馬鹿をやっているような吉原には到底見えない歌っているその姿に、和泉はまた一つ吉原に恋をした。
声が消えて静かになる体育館。
吉原がマイクから手を離したのが合図になり、体育館は歓声で沸いた。
それに気を良くした吉原はいつも通り派手な立ち回りをして、神谷が呆れたように笑い、森屋がそれを止めようとしている。
一気に現実に戻ってきたような感覚がした和泉は目をぱちぱちと瞬かせると、くるりと身体を回転させ急いで教室へと向かった。
とても格好の良かった吉原たちを見られてちょっと幸せになったのは良いが、ずっと見ている訳にもいかない。
A組の手伝いをしなくては、という理由をつけて和泉は駆けた。
風紀委員に挨拶をしに行く予定だったが、あんなものを見せられた直後じゃまともに話せる自身がない。
熱い頬を押さえながら、動きにくい格好で和泉は全力疾走で走った。
小さな身長の黒魔道師の格好をした可愛らしい子が頬を染めて走っている、それに釣られて後を追った生徒がA組のお客になることを知ったのはA組に到着してから。
和泉の後ろをついてきた生徒が和泉を見ながらにこりと笑っていた。
それに笑い返す和泉を見て、望月はなんだかわからないが優勝しそうだと拳を握ったのである。
「蓮! 良くやった! 褒めてやる!」
「ん、……優勝したの?」
あの後、望月を始めA組のクラスの本気を見た和泉は引きつり笑いをしながら接客にあたっていた。
暇だろうと高をくくっていた分、混みだしたクラス内に忙しさも忘れてただひたすらに動いたのだ。
文化祭が終わる瞬間まで混んでいたクラスは、今は別の意味で騒ぎ出している。
疲れて寝てしまったので和泉には事情が良く掴めないが、望月たちの様子を見ているとどうやら優勝したのだろう。
閉会式も出ずに寝てしまったことに和泉は少し残念がると、帽子を脱いだ。
見ればこのクラス全員がまだコスプレ姿のままだ。
伸びをして起き上がると、和泉は目を擦りながらふらふらと歩いた。
「おい蓮、どこ行くんだよ? 今から後夜祭だぞ?」
「……よっしーんとこ」
「ああ、……ま、頑張れよ」
それに軽く頷くと和泉は宛もなく教室を出て、吉原を探しに出かけた。
本来ならばもっと前に謝って仲直りをする予定だったのが、こんなにもずれてしまったのだ。
いつまでも逃げている訳にはいかない。
小さな嫉妬が広がって、こんな状態になるなど思ってもいなかったのだ。
和泉は吉原がいるであろう場所に向かって一歩一歩近づいていく。
きっと吉原のことだから後夜祭にはでないつもりだろう。
派手なことが好きな吉原は、しんみりとしたものが苦手なのだ。
さくりと、和泉が草を踏むたびに音がする。
月明かりに照らされた噴水の水が綺麗に輝いて、その少し奥に吉原が立っていた。
待ち合わせなどしていないのに、していたようだ。
その事実にちょっとどきどきしながらも、和泉は吉原の後ろに移動して声をかけた。
「よ、っしーなにしてんの?」
ちょっと躓いた声がしんとした辺りに響いて、余程なにかを考えていたのだろうか、吉原は肩をびくりと震わせると後ろを振り向いた。
ばちりと目が合うと、一瞬の嫌な沈黙。
タイミングが悪かったのだろうか、和泉が視線を向けた瞬間なにかに包まれる感覚がした。
吉原の腕の中にいる、と気付いたのは少し遅れたあと。
どきどきと高鳴る鼓動と同じぐらい、吉原の胸も早く鳴っていた。
「……よっしー?」
「やっぱ無理、オレは引けねえ」
「……引く?」
「久しぶりだな、蓮。今日演奏見にきてくれただろ? もっと前にこいよ、オレ様の綺麗な顔は後ろからじゃ見えねえだろうが」
「なんで行ったって知ってるの」
「見てた。ずっと、見てた。蓮しか目に入らなかった」
いつになく素直な吉原の言葉が、和泉の耳に甘く浸透した。
本来ならば憎まれ口を叩いて、しつこく食い下がる吉原をからかっているのだが、如何せんそういう訳にもいかない。
なにかを話さなければ、と思えば思うほど胸がぎゅっと締め付けられて言葉にならない。
不安そうに眉を顰める吉原を見ていたらどうしようもなくて、和泉は返事の変わりに吉原の背に手を回した。
布越しに伝わる吉原の体温が気持ち良くて、和泉はそっと目を瞑る。
そんな和泉の態度に吉原は酷く動揺し、驚いた。
抱きついてきた和泉の真意を知りたいのは山々だが、ここで聞いてこの温もりが離れていってしまうのだけは避けたい。
どうしようかと迷った手は、躊躇いがちに和泉を抱き締めたのである。
「……大嫌いって、言ってごめん」
「気にしてねえ」
「でも、ちょっと避けてたでしょ」
「……いろいろあったんだよ、オレにも」
「黒川さん、とか?」
「あ? 涼がどうしたっていうんだよ」
「……別になにもないけど、最近仲良いみたいだし、昔付き合ってたって聞いたから、……より戻したのかなあって」
和泉は自分で言っておいて後悔した。
久々に会って話をしているというのに口から出るのは可愛くない言葉ばかり。
こんなに近くにいて肌が触れ合っているのだから、言うのなら今のうちだ。
そう思いはするものの告白などしたことのない和泉には、ハードルの高いお題だ。
泣きそうになる顔を見られたくなくて、和泉は吉原の胸に頭を押し付けた。
「……蓮、オレは蓮が好きだ」
少しの沈黙の後、和泉の好きな少し癖のある声で、吉原はそう言い切ったのである。