乙男ロード♡俺は腐男子 23
 どくりと心臓が鳴って、跳ねた和泉の身体に驚いたのか、吉原は和泉をきつく腕の中に抱き止めた。
 和泉が逃げないように、和泉がどんな表情をしているのか見えないように。
 いつもふざけて好きだと言って、同意を得ていないキスをしてきた。
 毎日毎日少しずつ和泉を好きな気持ちが増えていって、吉原はもう友達の位置では我慢できなくなっていた。
 嫌でも聞こえる自分の心臓の音に緊張が増して、吉原の背中に汗が一筋伝った。
 いつまでたっても和泉が返事をすることがない上、吉原の胸に顔を押し付けている状態なので表情も窺えない。
 沈黙が長引けば長引くほどに吉原は不安が増し、どうしようもなくなっていた。
 浅く呼吸を繰り返す和泉を抱き止める指が、不安げにひくりと震えた。
「……、やっぱ、無理?」
 似合わない弱気な言葉が微かに震えて和泉の耳に届いた。
 言わなくちゃ、と思えば思うほど喉が張り付いたかのように声が出ない。
 凄く嬉しい、好きだ、一緒にいたい。 吉原の言葉で和泉の中の想いが溢れていくのに、うまく言葉にできなくて吉原を不安にさせてしまっている。
 どれくらい経ったのだろうか、和泉の身体をそっと離す吉原。
 下から窺い見た吉原の表情に、和泉は胸がずくりと痛んだ。
 怖いのは自分だけじゃないのだ。 吉原だって和泉には想像もつかない勇気を出して、言葉にしてくれた。
 そのことを、ただ勇気が出ないだけと言って逃げるのはもうやめた。
 吉原は知りもしないだろうが、和泉だって吉原のことが好きなのだ。 他の人と仲良くしていたら嫉妬もするし、触れられたらどきどきもする、もっと触れたいと思う。
 黙ったまま動かない吉原に和泉は持っている勇気を全て振り絞ると、自分から吉原に抱きついた。
 痛いほどに高鳴る吉原の心臓の音にそっと耳を傾けて、幾分か落ち着いた声色で和泉は口を開いた。
「す、すき、だから……俺も」
 熱くて溶けてしまいそうだ。
 和泉は唇をぎゅっと噛み、吉原の反応を待った。
 だけど待てどもなんの反応も示さない吉原に焦れて見上げれば、顔を真っ赤にして口を押さえている吉原と目が合った。
 恥ずかしいのはお互い様だ。
 吉原は軽く深呼吸をすると、和泉の顔を覗き込んだ。
「……まじで?」
「嘘ついてどうすんの……」
「だって、いや、本気で信じられねえっていうか、うっわ、も、あー……夢見てるみたい」
「夢じゃ困る、し」
「困る! ……な、な、もっかい言えよ、好きって」
「……やだ、恥ずかしい」
「良いだろ、けちけちすんな。ってあ、も、本気で実感沸かねえ、あー…そう、な、ちゅうして良い?」
「ちょ、ちょっと待って落ち着い……ン」
 両腕を吉原に掴まれ、圧倒的な力の差で負けた和泉はそのまま近づいてくる吉原に抵抗のしようもなかった。
 軽く触れる唇、二人でするキスは初めてではない。 だけど想いが通じ合った後だからだろうか、内から湧き上がってくる愛しさに抵抗をする気も失せた。
 遠くで後夜祭を楽しむ生徒の声が聞こえる。
 吉原と和泉はひっそりと隠れるように何度も何度も唇を重ねていった。
 和泉の長い睫がふるりと揺れ、隙間から見える瞳に含んだ熱を見た吉原は我慢ができずにそっと腰を引き寄せた。
 意図がわからない和泉は不思議そうな表情をして、吉原を見上げる。
 どうしようか、舌なめずりをする吉原に大きな音。
 空を見上げれば、水島デルモンテ学園恒例の打ち上げ花火が空を彩っていた。
 わあ、と声を漏らしてはしゃぐ和泉に吉原はすっかり毒気を抜かれると腰に回していた手をそっと外した。
 今焦ってものにしなくても時間はまだあるよな。 そう自分に言い聞かせ花火を見上げる和泉の顔を見つめた。
「……花火、きれいだな」
 気付かれないように吉原は横に並んだ。
 お互いの視線の先は色取り取りに輝く花火。
 真っ直ぐ微動だにしない和泉の顔を素早く横から覗き込むと、淡く色づいた唇に吸い付いた。
 好きだという想いが通じ合った今、非常に気持ちが高ぶっている。
 それにまだまだ若い吉原に我慢というものはできそうにもなく、溢れてくる本能のまま行動をしていた。
 できればずっと腕の中にしまいこんで唇を合わせていたい。 誰もが羨ましがるほどに、どろどろに甘やかしたい。 今はただそれだけで良い。
 赤く染まる頬も、濡れた唇も、震える睫も、全部吉原のものなのだ。
 暴れだしたいほどの好きという気持ち。
 吉原は我慢ができずに、花火が見たいという和泉の意見を無視して一回り小さい身体を腕の中に収めた。
「よ、よっしーってば! 離して! 花火!」
「無理。ぜってー離してやんねえ」
「……なんか今日のよっしー変」
「蓮が好きって言ったからだろ。今日はずっとこのままでいてえ」
「あ、う、うん……」
「照れてんのか?」
「うるさいな! 俺だって、……」
「ん?」
「……一緒に、いた、い」
 小さくなって消えていく和泉のか細い声。 吉原の耳に辛うじて届いたその言葉は、甘くじんわりと侵食していった。
 俯き加減になっている和泉の額に唇を落とすと、吉原はふんわり笑った。
「今日部屋こいよ」
 欲のない、純粋な瞳に惹かれて和泉は首を縦に振った。
 ますます激しさを増す後夜祭とは裏腹に、和泉と吉原はお互いの手を離さないようしっかりと握ると静かに中庭を後にした。
 仲睦まじげな凸凹の背中。
 ほんの一時間ほど前とは比べものにならないくらい、甘い雰囲気を出している二人を見て望月はほっと溜め息を吐いた。
 和泉が吉原に会いに行くというのを聞いて、心配で心配で堪らなかった望月は内緒でこっそり後をつけてきたのである。
 ばれてしまったら気まずいので少し距離をとって、ずっと見守っていた。
 会話は聞こえてこなかったが雰囲気を見てれば直ぐにわかった、うまくいったのだと。
 それに一安心すると望月は立ち上がり、後夜祭に参加することに決めた。
 きっと和泉は今日、帰ってこないだろうから思う存分夜更かしをしよう。 そして帰ってきた和泉にそしらぬ振りをして、話し出すのを待つのだ。
 そんな自分を想像して、望月は呆れにも似た笑いを零した。
「甘いよなあ……」
 和泉に甘いのは重々承知だが、望月自身がそれを望んでいるのだからどうしようもない。
 もう一人和泉にとことん甘い和泉の兄、凛にも負けないくらい望月も和泉に甘かった。 寧ろ過保護の域に達しているような気もしない。
 だがこれを気に少しずつ距離が離れるのを覚悟しなくてはいけない。
 お互いがお互いに依存気味だから、どっちかが離れようとしないとずっとこのままなのだ。
 きっかけは和泉。
 少し寂しくなるな、と呟きながら望月は轟々と燃える炎に近づいていった。
 騒ぎまくる生徒の声。 キャンプファイヤーを連想させる炎を取り囲んで踊ったり飲んだり食べたりしている。
 先生まで一緒にはしゃいでいるということに、終わりの見えない後夜祭。
 望月はこっそりと持ち込んだお酒を煽っているクラスメートに近づいて、一緒に呑むことにした。
 いろんなことがあった文化祭も、炎が消えると共に終わりを迎えるのだった。
 一方、吉原に手を引かれ部屋に向かっている和泉の心臓は、今にも張り裂けそうに煩かった。
 勝手に手を出してこないと踏んでいた和泉だが、そんな保障はどこにもない。
 特別なにかを言った吉原ではないが、和泉は吉原が手を出さないと思っているのだ。
 握られた手にじんわりと滲む汗。 和泉は少し重くなった足に気付かれぬようペースを落とした。
「……ごはん」
「あ?」
「食べてない、から、作って」
「しゃあねえなあ……オレ様が特別に作ってやろう、ほら、なにがいい」
「クリームシチュー」
「よし、……材料あったか?」
 気がつけば吉原の部屋の前。
 手馴れた動作で鍵を開け、中に入る吉原に促されて和泉も足を踏み入れた。
 シチューと呟きながら台所に消える吉原をぼんやりと見ながら、足元にすりついてきたルルを抱き上げた。
 標準よりも少しふっくらとしているルル。 だけど抱き心地は抜群だし、甘えたでなかなか愛嬌のある顔をしている。
 和泉は優しく抱きしめると、未だに大人の猫になっていないルルの首元に頬を寄せた。
 ルルのお陰か、和泉は先ほどまで感じていた緊張が解け、リラックスした様子でソファに座った。
 目の先にはクリームシチューを作り出している吉原の背中。
 吉原の髪のピンクゴールドが蛍光灯に照らされて、きらきら光る。 少し長めの襟足が背中に流れ、吉原が動くたびにゆらゆら揺れていた。
「……、やばい」
 ぽつりと零す言葉。
 吉原のことを好きになって、いろいろあったけれど無事両思いになれた。
 恋人をもったことがない和泉だから、どんな風に接してどんな風に過ごしていけば良いのかはまだわからない。
 それは追々吉原がゆっくり教えてくれるだろう、余り宛てにならないが。
 そんなことより、和泉はこれからのことを考えてのた打ち回りたいぐらい焦っていた。
 吉原のことは好きだ。 男なのに男にキスがしたいと思うし、抱き締められるのも嫌じゃない。 和泉の趣味であるBLと天秤に欠けたら、少し勝ってしまいそうなぐらいに好きだ。
 だけどキス以上のことに進むのは、少し気が引けた。
 したくない訳じゃないけれど、体格的や経験の差などを考えれば絶対に和泉が女役をするのだろう。
 普通の男子と違い、趣味の所為で和泉は無駄に知識がある上、耳年増だ。 なにも知らなければ流されるまま流されて良かったのだが、如何せん詳しく知り過ぎている。
 それを全て自分が経験しなくてはいけないのだと思うと、和泉は背筋がぞっとした。
 二次元とは違い三次元だ。 絶対に上手い具合に進む訳がない。 そう思うものの、心の片隅で一つになりたいという願望もある。
 恐怖に勝つか負けるか、どちらにせよもう少し時間が欲しい。
 上機嫌で鼻歌を口ずさむ吉原はどう思っているのだろうか。 こればっかりは和泉でもわかりかねる。
 次第に部屋に広がっていく美味しそうな匂い。
 吉原が慌しそうに動くのを見て、クリームシチューがもう直ぐ出来上がることを教えてくれた。
 タイムリミットまで、時間の猶予はあまりなさそうだ。
 一人緊張してどうしようか迷っている和泉とは反対に、吉原は気持ち悪いぐらい機嫌が良い。
 和泉がなにかを言う前にきびきびと動き、机の上には頼んでもいない料理まで並べられていた。
 簡単な食事で良かったので、こんな豪勢にしてもらったら少し悪い気がする。
 和泉は料理と吉原を見比べたが、嬉しそうににこにこ笑い、食えという吉原に反論する間もなく頷いた。
 スプーンで掬って口に入れれば、シチュー独特のまろやかな風合いとブラックペッパーの隠し味が舌に広がった。
 やっぱり和泉は吉原が作る料理が、望月の次にだけれど好きだった。
 美味しい料理に手も進み、会話もそこそこで和泉はただ黙々と食事を続けるのであった。
「もう終わったか?」
 あれから二人で吉原の作った料理と堪能し、和泉はデザートまでいただいた。
 本来ならここで帰っているところなのだが、時間も時間だし、なにより誘われたときに今日は泊まりだとわかっていたので帰ることもできない。
 和泉がお風呂に入っている最中も、吉原がお風呂に入っている最中も、和泉は気が気でなかった。
 一人で焦って緊張して馬鹿みたいだ、と思うもののどうしようもない。
 和泉は窓に手をかけて外の様子を眺めている吉原を眺めた。
 キャンプファイヤーのような炎も消され、お祭り騒ぎのような騒音も小さくなってきている。
 校庭で野宿する生徒もいれば、朝まで騒ぐ生徒もいる。 和泉たちみたいに部屋に戻った生徒もいるのだ。
 吉原は足元で寝転んでいたルルを抱き上げると、和泉に向き直った。
「これから風紀委員も暇になる」
「そうなんだ」
「……いつでも風紀委員にきて良い許可をだす、っつかこいよ! 貴様も会えないと寂しいだろ?」
「素直になれば良いのに」
「うっせ、まじで実感わかねえんだよ。……なあ、ぎゅってして良い?」
「……あのさ、俺たち、つきあってるんだよな?」
「あ? んだよ、今更」
「だったら、そういうの、べつに聞かなくても……して良い、けど」
 和泉がそう言った瞬間、吉原は和泉を思い切り抱き締めた。
 苦しげに呻いたルルは慌てて二人の腕の中から脱出すると、ソファの上に避難した。
 ばくばくと早く脈打つ吉原の心臓。 そっと背中に手を回そうとした矢先に、吉原は和泉をそのまま抱き上げると寝室へと向かった。
 とうとうこの瞬間がやってきた。 緊張で身体を固まらせた和泉に吉原は気付くと、苦笑いを零した。
 今日ことを進める予定は全くなかったのだが、余りにも和泉は純だ。
 吉原だって思春期真っ只中の高校生、性欲も一番盛りを見せている時期なのだ。
 今日は我慢できたとして、この先ずっと我慢できる保障はない。 寧ろ好きな人が側にいるのだから触りたいと思うのは男の本能。
 吉原は緊張でがちがちになっている和泉の背中を優しく撫ぜると、口を開いた。
「今日はなんもしねえよ」
「う、あ……ごめん」
「でも次はする。だから覚悟ができたら部屋にこいよ」
「……よっしーのご飯、食べられない?」
「そっちかよ! 別に作るけど、……ま、気長に待つ」
「い、いやな訳じゃないんだよ。ただ、やっぱり、いろいろあって」
「ああ、別に良い。無理すんな」
「……よっしー気持ち悪いぐらい優しい」
「あのな、オレだって恋人には優しいんだよ。……つか、よっしーってのやめろ。名前で呼べ」
「やだよ。よっしーはよっしー!」
「大体オレ様みたいな格好良い男のあだ名がよっしーってのはないだろ」
「自分で言うな!」
 ベッドにぼすんと二人で沈んで顔を見合わせて笑った。
 吉原がなにもしないと言ったので、和泉の緊張もとれ大分リラックスできた。
 そのまま二人は布団に潜ると、どちらからでもなくお互いに身を寄せ合った。
 吉原の腕の中、体温の高さと心地の良さが広がり、安堵を覚える。 ただ触れ合っているだけでも幸せなのだ、一つになれたらどんなに幸せなのだろうか。
 それには和泉が勇気を振り絞り、決意をするほかならないのだが、少しぐらいはこのままの関係でいたい。
 次第に重くなる瞼に和泉は逆らえずそっと閉じた。
「おやすみ、蓮」
 額に温かな感触を感じ、和泉は愛しさに胸が締め付けられた。
 こんな温かで優しい幸せがずっと続けば良い。
 吉原が想像もつかないくらい優しくなるから、少し調子が狂ってしまう。
 だけれど恋は人を変えるもの。 少なからず和泉も大きな変化を見せ、恋によって変わってきている。
 和泉も吉原もお互いの体温を感じながら、ゆっくりと眠りについていった。