乙男ロード♡俺は腐男子 25
 肌寒くなる十一月。 和泉と望月は相変わらずの日々を過ごしていた。
 和泉と吉原の関係も、なんの変わりも見せていない。
 できるようになるまで待つ、と言った吉原は言葉の通り和泉になにもしてこなかった。
 キスやちょっと激しいキスはしても、それ以上のことは無理に進めようとはしない。 そんな吉原の接し方に申し訳ないと思う反面、安堵と嬉しさもあった。
 吉原には申し訳ないが、あと少しだけ待っていてほしい。
 最近になって和泉は抱きしめられることや、キスすることに慣れてきた。 だがまだ舌が入るキスには抵抗があって、吉原のされるがままのことが多い。
 もうちょっと自分からもなにかしてあげたいな、と思っていた矢先、生活が一変するような出来事が起ころうとしていた。
 アニメ声の女性の声が和泉の携帯から鳴り響く。
 和泉の部屋に遊びにきていた吉原と、無理矢理連れてこられた水島、そして部屋の住人望月がその携帯にびくりと反応した。
 当の本人和泉は嫌そうな表情を隠すことなく、携帯を押すと電話に出たのだった。
「なに? 今、忙しいんだけど」
『そんなこというなよ〜お兄ちゃんの声聞けなくて寂しかっただろ? な?』
「ねえよ、ねえ。で?」
『蓮ちゃん冷てえ……』
 うんざり、と言った表情の和泉。 それを見て望月は直ぐに電話の相手がわかってしまった。
 和泉があからさまに嫌そうな表情をして話す人物など、一人しかいないのだ。
 しかし妙だとは思う。 こんな時期に凛から電話があるなんてかなり珍しい。
 首を傾げて悩んでいる望月に、和泉の電話の相手が気になるのか、そわそわしながら吉原はなにかを知っているであろうその姿をじっと見つめていた。
 そんな吉原に対して口を開こうと思った望月だったが、和泉の大声に見事かき消されてしまった。
「じょ、じょ、冗談でしょ!? まじで!? なんでくんの! こないでよ! ここ男子校だよ!? 女の子いないよ!?」
『蓮がいるから平気。今日の午後ぐらいにつく。でも二週間だけなんだよな』
「二週間とか長いし! え、交換生徒なの?」
『違うっつの。ギャル男のお茶会教室だよ。まあ、つまり茶道の特別講師みたいな、感じっつーの?』
「よりによって……さては志願したでしょ」
『だって蓮に会いたいし。それに彼氏、紹介しろよ? 覚悟できてんだろーな、お兄ちゃんに秘密を作った罰は重い! じゃあ今から行くな! 愛してるぜー! 蓮ー!』
「ちょ……!」
 凛の最後の台詞は非常に大きく、ソファに座っていた三人にもばっちりと聞こえてしまった。
 相変わらずブラコンだな、と思う望月に対し吉原はちょっと不満顔。
 ああ、そういえば電話の相手を知らなかったのだ。 望月がまたも口を開こうとしたが、和泉の呻き声にかき消されてしまった。
 大体の話の流れは読めた。 凛がこの学園にくるのだろう。
 どうしようどうしよう、とぶつぶつ呟く和泉に吉原は誰、と問うた。
 だけど吉原に返事をすることもできないくらい、和泉は焦っていたのだ。
 確かに彼氏はできた。 和泉の目の前で不機嫌そうにしている吉原が和泉の彼氏だ。
 未だに彼氏という呼び名に違和感を覚えるが、付き合っているのだから彼氏なのだ。
 だがそのことを凛には言っていない。 なのに何故だか凛はそのことを知っていた。
 これは非常に不味いことになった。
 ブラコンの凛だ。 自分も人のことを言えないだろうがチャラそうな吉原を見たら絶対に反対するだろう。
 凛はああ見えて非常にねちっこい性格なのでどんな嫌がらせをするかもわからない。
 ああ、うう、と唸る和泉をよそ目に、望月は助け舟を出すことにした。
「れ、蓮! 蓮のお兄さんがどうかしたのか〜?」
 普段なら凛さん、と呼んでいるが、ここは吉原にわかり易いようあえて説明的な呼び方をした。
 それに反応した吉原は非常にわかりやすく、安心した様子で握っていた手を緩めた。
 面倒くさいことになってしまった。 一人外野の水島はコントのようなやり取りをじっと見つめているだけだ。
 そんな折、俯いていた和泉ががばっと顔を上げると、ふるふると震える唇で言葉を紡いだ。
「……柚斗、非常にやばい。兄貴がくる。茶道の特別講師として二週間も!」
「へえ、凛さんも高校生なのにそんなことしてんだな」
「いや、多分志願したんだよ。どのコネ使ったかは知らないけど、結構ごり押しで」
「相変わらずブラコンだな〜ってか、絶対蓮の部屋入り浸るじゃん。つか俺、追い出される……!」
「そこも問題なんだけど、さ、なんか、……よっしーと付き合ってんのバレてるんだけど」
 その言葉に望月は大げさに肩を揺らし、顔を青褪めさせた。
 和泉には言っていなかったが、夏休み、望月は凛から和泉に集る悪い虫を排除せよとの命令を受けていたのだ。
 凛には言わなかったが和泉に近寄る悪い虫、というより趣味の悪い虫などほとんどいない。
 吉原は和泉も好意を寄せていたし、望月も吉原の良さを理解していたのですっかりとそのことを忘れていたのだ。
 これではいくら和泉の意思で付き合ったとしても、凛に問答無用で怒られるではないか。
 ああ、と唸りだした望月の様子を見て、吉原は少しだけ不安になった。
 付き合っているのがバレたら、そんなにやばいものなのだろうか。
 眉間に皺を寄せる吉原を見ながら、部外者の水島は先ほどの和泉の言葉から思い出した本日くる外部生徒のことを頭の中に浮かべた。
 毎年恒例のことらしいが、如何せん興味がなかったため書類に目も通していなかった。 誰が和泉の兄だと思うだろうか、誰も思わないだろう。
 水島は珈琲を啜ると、詳細を知るために黒川にメールを送った。
 こんなことになるなら書類にちゃんと目を通しておけば良かった。
 好奇心がむくむくと湧き上がってくる水島とは違い、望月と和泉の顔色はあまり良くない。
 吉原が恐る恐る口を開こうとしたが、二人の異様な雰囲気に蹴落とされて声も出なかったのである。
「あ、あ、ありえないしー! つーかなんで知ってるの!?」
「……あの人、ああ見えてってかかなり顔広いじゃん? だからこの学園に一人ぐらい知り合いいてもおかしくないぜ」
「なんなんだよ、もうー……絶対紹介したくないしー……」
「……お前はまだ良いじゃん、俺なんか俺なんか絶対殺されるー!」
 二人の会話を聞いて、吉原も徐々に顔色が失せてくる。
 和泉の兄という人物はそんなに怖い人なのだろうか。 喧嘩なら負けない自信はあるが、なんにせよ好きな人の兄である。 乱暴なことはできない。
 それに好かれた方が後々得をすることも多い。
 この展開だと絶対に和泉の兄と対峙することになるだろう。 吉原は心の中で意気込むと難しそうな顔で携帯を弄っている水島に声を掛けた。
「……入ったのか?」
「ああ、こりゃかなり厄介な人物だな。本来なら茶道の講師じゃなく経済学の先生がくる予定だったらしい。そりゃそうだろ、お坊ちゃま学園といえど茶道なんか習ったって意味ないしな」
「なんで変更になったんだ?」
「そこなんだが、いきなり経済学の先生がこられなくなったらしく、どこからその情報を得たのか、そこを狙った和泉の兄がごり押しで話を進めたらしい」
「……裏があるな」
「どんな人物かは知らないが、まあ、頑張れよ」
 二週間、二週間耐えることができるのだろうか。
 嫌な予感が拭い去れないまま、吉原はゆっくりと頷いた。
 そして吉原と水島は慌てた様子の和泉から部屋を追い出され、和泉と望月は凛がくるまで誤魔化し方の作戦会議をずっと考案しながら待っていたのであった。

 太陽が徐々に傾き始める頃、和泉家ご自慢のド派手なピンクに塗装されたポルシェが緩やかなカーブを描き門の前に停車した。
 今、門の前には和泉と望月。 そして水島デルモンテ学園代理の水島が立っていた。
 吉原は心の準備が必要だ、とか言いながらこっそりと逃げたのである。
 仕方がない。 対面で会うよりはまずは陰で見た方が良いだろう。
 相変わらず派手な車を見て和泉はげっそりすると、驚愕の表情を隠しきれない水島に同情をした。
 凛は未成年である。 故に車の免許がない。 なのに凛は和泉家の車できた。 つまりは運転手がいるのである。
 しかしこの車は和泉の母専用の車だ。
 思わず頭を抱えたくなった和泉の気持ちなど知る訳もなく、無情にも車の扉が開いた。
「蓮さん、ご機嫌よう。お久しぶりですね、元気にしてました?」
「……してた」
「凛さんを送るついでに貴方の顔を見にきたのよ。元気そうでなによりだわ。ほら、凛さん、つきましたよ」
「んー! 蓮ちゃーん! ひっさしぶりだな!」
 車から姿を現したのは正真正銘、和泉の兄、凛であった。
 茶道の講師としてきているが、一応凛も高校生だ。 茶道の教えがないときは授業を受けるので、制服を身に纏っている。
 ルーズに着こなした制服に、ジャラジャラと煩い装飾品の数々。 前に会ったときよりも少しだけ黒くなった肌。 髪の毛は銀色になっており、まるでライオンのようなヘアセットだ。
 どこからどう見ても、渋谷などたむろっているギャル男にしか見えない。 二人が並んでもなんの接点もなさそうだし、兄弟には到底見えなかった。
 そんな凛の容姿に驚いたのは水島だ。
 お坊ちゃま学園に通っている水島やここの生徒は、ギャル男というものを生で見たことがない。
 まるで異世界の住人を見ているようだ、と水島は思ったのである。
 唖然としている水島を余所目に、和泉家は家族らしからぬ行動を繰り返していた。
 和泉に引っ付く凛と、それを嫌がる和泉、和泉の母はそれを微笑ましそうに見ながらカメラで撮影をしていた。
 流石和泉の家族である。 期待を裏切らない。
 コントのようなじゃれ合いを思う存分楽しんだ和泉の母は、水島に頭を下げると車に乗り込み颯爽と帰っていった。
 まず人波乱解決、といったところか、望月はひやりと垂れる汗を気にしながらも、凛に話しかけた。
「り、凛さんお久しぶりです。こちらこの学園の生徒会長、水島先輩です。まずはこの先輩についていって話を聞くのですが……」
「え〜必要なくね〜? つーか、あとで話あっから」
「……は、はい」
「兄貴! 柚斗苛めるのやめろよ! それにちゃんとかいちょーの指示に従って!」
「蓮ちゃんのお願いなら仕方ねえな〜、もー久しぶりに見ない内にまた可愛くなった? お兄ちゃん心配するだろ? 虫の駆除もしなきゃなんないじゃん」
「もー! いい加減にしろ! 取り敢えず、かいちょー、この馬鹿兄貴連れてって」
「あ、ああ。では、和泉君のお兄さん、説明もありますので、理事長室にご案内しますね」
「……ちぇ」
 心配そうにしている和泉と死に掛けの表情でげっそりとする望月を尻目に、水島は凛を連れて理事長室に向かった。
 水島にとって、和泉とはまた違う苦手感。 見た目だけでは計り知れない計算高さを隠し持っていそうな雰囲気だ。
 なるべく係わり合いになりたくないな、と思っていた節から凛が親しげに話しかけてくる。
 水島はどきりと心臓を鳴らせると、なるべくポーカーフェイスで会話をすることに決めた。
「会長さんって、ほんとに会長さんなんだな」
「……どういう意味でしょうか?」
「いや、たまに蓮の本読むんだけど、そこに出てくるじゃん? 会長さん、想像通りだなって、あ、俺はホモ好きじゃないから安心してよ」
「……はは」
「ていうかさ、ちょーっと聞きたいことあるんだけど、吉原ってどいつ? 会長さん、仲良いんでしょ? 本にも出てくるし」
 本は関係ない、と言いたいが言うのをやめた。
 にっこりと笑う凛に、水島は眉間に皺を寄せるとどうしようかと思案した。
 今言うにしてもしないにしても、いずれ凛は吉原に接触するだろう。 水島に聞かなくてもわかる情報を、わざわざ水島に聞くのはどんな思惑があってのことだろうか。
 凛は水島と吉原が親友関係にあたるのを知っている。 普通そのことを知っているのなら、水島が吉原の不利になるようなことを言うはずがないということもわかっているだろう。
 非常に難しい状況だ。
 慎重に答えを導き出してそれを出さなければ、吉原の立場が悪くなるかもしれない。
 嗚呼、全く本当に吉原は変な奴を好いて厄介ごとに巻き込まれる運命なのだな。 水島は苦笑いを零しながら、じいっとこちらを見ている凛に口を開いた。
「風紀委員長ですよ。いずれ会うんじゃないですか?」
「ふうん、どう思う?」
「さあ、どうでしょうね。良い奴かどうかは答えかねますが、……大事にしてると思いますよ」
「当たり前だろ! 大事にしてなかったらぎったんぎったんにしてやるんだし!」
「……ブラコンですね」
「まあな。本当は妹が欲しかったけど、結構弟も可愛いもんだな」
 そういう凛の顔は本当に愛情に満ち溢れていて、和泉が好きなのだと理解できた。
 だけど好きだからこそ応援してやるべきではないのだろうか。
 兄弟のいない水島にとってそういった感情は理解しかねるが、和泉の嫌がることだけはしないだろう。
 凛が嬉しそうに離す和泉の自慢話。
 理事長室の扉の前、案内し終えた水島はやっと開放される安堵から深い息を吐くと急いで扉を開いた。
 中に入るのは凛だけであって、水島は中には入らない。 振り返った凛は楽しそうに笑うと、水島にそっと耳打ちをした。
「吉原に伝言、お茶立ててやる、って。お願いな、会長さん?」
 少し目を見開けばお茶目にウインクをして扉の向こうに消えた凛。
 水島は呆然と扉の前に立ち尽くしながら、凛の伝言を頭の中で復唱した。
 それは一体どういう意味を持つ言葉なのだろうか。 全くもって凛の考えていることがわからない。
 見た目も中身も初めて出会った種類だ。
 少し樋口と澤田の黒い部分に似ている気もするが、そんなに黒くないだろうと思える場面もあれば、それ以上に黒いのではないかと思える部分もある。
 仕方なく伝言のために水島は足を動かしたが、思う心はやっぱり係わり合いになりたくないということ。
 和泉兄弟は本当に水島の調子を狂わせるのが上手いようだ。 掌で転がされている感覚は好まない。 少し機嫌が麗しくないが、今から吉原のらしくない様子が見られるのでそれも良しとしよう。
 きっと和泉兄弟の再会を物陰から見ていたはずだ。
 水島が足を踏み入れた瞬間、吉原がどんな反応をするのかが楽しみだ。
 少し足早になりながら、水島は吉原がいるであろう風紀委員室へと急いで行くのであった。
「おい、柳星、伝言だ」
 大きな音をさせて風紀委員室に入ってきた水島を、風紀委員の三人はびっくりした表情で見つめた。
 丁度話し合っていたのか、いっせいに集まる視線に居心地の悪さを感じる。
 水島は三人が集まっているソファに近付くと、開いている場所に腰を下ろし、微妙な表情を浮かべている吉原を見据えた。
 相も変わらずこの三人はいつも一緒にいる。 水島とて生徒会に所属しているので結構生徒会メンバーと行動を共にすることが多いが、風紀委員よりべったりしていることはない。
 なにを言われるのか不安そうな顔で水島を見る吉原に、水島は笑みを浮かべると凛から預かった伝言を口にした。
「和泉の兄が、お茶立ててやる、と言っていたぞ」
「……あれ、ほんとに兄なのか?」
「ああ、そうみたいだな。全く似ていないが」
「どっからどう見てもギャル男じゃねえか……予想外だ」
「……相当、頭が切れる。お前、下手な真似すんなよ」
「わかってる、けど、あー……」
「まあ二週間我慢すれば良い話だろ?」
「……でも、やっぱ気に入られてえじゃん? 未来のお義兄さんになる訳だしな!」
 駄目だこいつ、憐れみの目を向ける水島と神谷と違い、ただ一人森屋だけ大きく頷いていた。
 あれでもないこれでもない、未来の妄想を延々と語りつくす吉原に、同調して肯定している森屋。 突っ込み役はどこにいるのだ、と水島はそう思って神谷を見た。
 嗚呼、だから常に一緒なのかもしれないな。
 吉原は馬鹿だ、本当に馬鹿だ。 そんな吉原を呆れた様子で見ながらも仕方がないなという表情をしている神谷。
 微笑ましいが、このままじゃどうしようもない。
 痺れを切らした水島が口を開くまで、吉原は妄想の中にいたのであった。