和泉は凛と別れて、望月の部屋へ向かっていた。
心配するほど体調が悪い訳ではないが、やはりずっと一緒にいたので少しでも離れてしまうと心寂しい。
看病という名目をつけ望月に会いに行くことにした和泉は、望月が寝ているであろう部屋の扉を開くと中へと入った。
「柚斗、調子はどうー?」
「……おお、まあまあかな。……凛さんは?」
「さあ? どっかにいるんじゃない?」
「あー……そう」
「……やっぱり、兄貴が原因? ごめんね、ほんと」
「いや〜凛さんが原因っていえば原因のような気もするというか、……っつか原稿疲れだな」
「あ、……」
「ほら、お前のと違って凛さん男性向けのハードだろ? ちょっとなあ、慣れてるっていっても、……しんどい」
「……ごめん」
「そんな顔すんなって、な? もう原稿も終わったし、体調も戻ったし、明日から復活するから! で? お前はどーなの」
珍しく素直な和泉の態度に違和感を覚えた望月は、和泉に向かって優しく声をかけてやった。
いつもと同じように見えても、少し雰囲気が違う。
自分から促してやらないとなにも言わない和泉の性格を理解した上で、望月は尋ねたのである。
そんな望月の心を知ってか知らずか、和泉は俯くと小さな声でぽつぽつと話し出した。
竜也の存在と、吉原と触れ合えていない寂しさ。
兄である凛や、親友の望月、友人のような風紀委員や生徒会の人と時間を共にしても得られないもの。
和泉にとって初めての恋である相手と、一緒に過ごす時間で得られるものは他のなによりも比べがたいものだった。
自分の大好きな趣味よりも、優先したいことができてしまったことに驚きを感じたが、不思議と嫌ではない。
ただ純粋に好きな人と一緒にいたいのだが、思うように時間を共にすることができない。
和泉が素直になって言葉を紡げば、可能なことなのだろうが、この性格じゃ素直に言うこともできない。
望月は苦笑いを零すと、唇を尖らせている和泉の頬を掴んだ。
「まーた悩んでんの? 吉原先輩には言った?」
「……言ってない、というか、その、よっしーが原因……じゃないけど」
「喧嘩したのか?」
「……喧嘩、っていうか」
和泉は観念したかのように竜也のことについて話し出した。
自分が勝手に嫉妬しているだけなのでどうも胸を張って言えるようなことじゃないが、他に言える人もいない。
本当は吉原に言えば一発で解決する悩みなのだが、和泉はそこまで頭が回らなかった。
あんなにも大事にしている竜也が邪魔だと、遠まわしに言ってしまえば嫌われてしまうと思っているのだ。
そんなことで嫌ったりしない吉原だが、今の和泉にはわかる由もない。
辛抱強く、ゆっくりと話す和泉の話を聞いていた望月は複雑そうな表情を浮かべるとどうしたものかと悩んだ。
吉原に言うのが一番話が早いが、和泉は絶対に言わないだろう。
だからといって第三者が言うもの気が引ける。
望月は不安そうな表情でこっちを見つめる和泉を見つめ返した。
「……まあ、会ってぎゅって抱きついてこい」
「は!?」
「お前も言った通り、蓮の性格は簡単には変えれない。それにその悩みを吉原先輩に言うこともしない。なら解決方法はない!」
「……そ、そんな」
「なら会って寂しいの紛らわすぐらいしかねえ!」
「それは、そうだけど」
「喧嘩してる訳でもないんだろ? ほら、甘えてこい。側にいる従兄弟が気になるんならメールでも送れ、な? 悩んだって解決しないぞ?」
そんなので大丈夫なのだろうか。
和泉はそう思うものの色恋のことは全く無知なのでどうしようもない。
望月に話してこの悩みがなくなるとは思ってはいなかったものの、釈然としないのも事実だ。
自分自身が変わろうとしていない時点でどうしようもないことはわかっている。
だけど変わりたい気持ちも少なからずあるのだ。
どうやって変わろうか、そう思ったがまずは吉原に会いたいと言うことも素直になる第一歩なのだ。
望月に言われてはそれに従うしかないのである。
和泉は少し緊張した面持ちで携帯を取り出すと、決心を固め、のろのろと吉原にメールを送るのだった。
その一方、凛に呼び出された吉原は所在なさ気に落ち着かない様子だった。
なにを言われるのだろうかと、どきどきする胸。
凛に連れ出されたのは良いものの、肝心の凛はなにも言わないのだ。
痺れを切らした吉原が口を開こうとした瞬間、それを見てなのか、遮るように凛が口を開いた。
「吉原、お前蓮と最近会ってるのか?」
「え? あ、いやあんまり会ってないです。何分、忙しくて……」
「じゃあさっき会ったのが久しぶりなんだな」
「そうっすね。ちょっとしか会えなかったですけど」
「……それで? どうなんだよ」
「あー……寂しい、というか、あー構いたいっていうか」
「じゃあさっさと行動に移せ!」
吉原は凛から発せられた言葉に驚きを感じていた。
凛に快く思われていないことはわかっていたのに、今目の前にいる凛は吉原の背中を押す言葉を言うではないか。
和泉のためとわかってはいるものの、急に態度を変えられたのでどうして良いのかわからない。
それに凛の言った言葉が、ずしりと吉原に響いたのも一つ。
確かに忙しいという理由で、和泉に積極的に会うことを避けていた。
凛が苦手で、どう接して良いのかわからなかったため逃げ腰になっていたのだ。
二週間我慢すれば思う存分会える。
ちょっとの辛抱だ。
そう思っていたがよくよく考えると和泉の気持ちなど考えてもみなかった。
実感が余りないのだが、和泉と吉原は恋人同士なのである。
吉原が寂しいと思うということは、和泉だってそう思っていても可笑しくないのだ。
如何せん和泉は頑固で素直になれない性格なので自分からは言わないのであろう。
それを考慮した上で凛は吉原に言ったのである。
本来なら吉原が言うまでもなく気付いてやるのが一番なのだが、お互い手探り状態なのだろう。
吉原には竜也、和泉には凛というお邪魔虫までいるのだから仕方がないといえば仕方がないのだが。
「……お義兄さん」
「だからお前にお義兄さんと言われる筋合いはない!」
「なんかすみません」
「……言っておくけど、認めた訳じゃないから。それに泣かせたら承知しねー」
「はい」
「あと! あのチワワの説明はお前からよーくしとけよ!」
「チワワ……竜也っすか?」
「そう、あれは、ちょっと、な。蓮にとって地雷っていうか〜まーお前もいつかわかるだろうけど〜」
言葉を濁した凛に些か疑問を感じる。
吉原の従兄弟である竜也のどこらへんが和泉の地雷なのだろうか? やましいことはなに一つないし、紹介も済ませた。
吉原が好きなのは和泉なのである。
訝しげな表情を浮かべた吉原。
それと同時に吉原のポケットに入っていた携帯が震えた。
誰だろうか、と思いながら携帯を取り出すとその差出人は今まで話題の渦中であった人物和泉であった。
心に広がる愛しい気持ちを抑えることができず、思わずにやけ面になった吉原に感の良い凛は差出人が和泉であることを悟ると、ほっとした面持ちで吉原に挨拶をすることもなくこの場を去っていった。
和泉からメールがきた喜びで、凛が去ったことにも気付いていない吉原ははやる気持ちでメールを開くと苦笑いと零した。
「ごはん、だけってどうなんだよ」
だけどこれが和泉の精一杯の甘え方だと、吉原はわかっていた。
和泉と付き合って和泉のことを少しだけ理解することができた。
案外寂しがり屋で我儘で頑固で素直じゃなく、甘え下手だということだ。
本当はもっと構ってほしいときにでも虚勢を張ったり、思ってもいない言葉を吐いたりする。
だから吉原は和泉の言葉ではなく、些細な態度や表情から意思を汲み取るしかないのだ。
最近になってようやくそのことがわかった吉原は優しい気持ちになると、急いで和泉の元へと向かった。
本来なら今から竜也と会う予定が入っていたのだが、吉原にとっては和泉の方がなによりも優先させるべきことだ。
竜也は放っておいても水島がどうにかしてくれるだろう。
今はただ、凛の許可も出たし、意地っ張りな和泉を思う存分甘やかしてやりたかったのである。
吉原が和泉の部屋の前に着けば、和泉はそれを待っていたかのように扉の前に座っていた。
その姿を見て思わず抱き締めたくなった吉原は気付かれないようそっと近づくと、後ろから思い切り抱き締めた。
体育座りで膝に顔を埋めていた和泉は、後ろからの感覚に驚いて顔を上げるとその人物を見てほっと息を吐いた。
「中で待ってたら良かっただろ」
「……柚斗、体調悪いし」
「なあ、会いたかった?」
嬉しそうに顔を覗き込んでくる吉原。
余りの距離の近さに慣れていない和泉は目線を泳がせると、下に向けた。
今の質問は素直になれる第一歩の挑戦なのだ。
だけど思っていたことと口から出る言葉は全くの正反対で、気付けば和泉は吉原の言葉を否定をしていた。
「べ、べつに」
「本当にご飯食べたかっただけなのかよ?」
「……そう、いう訳でも、ないけど……もう、よっしー! お腹減った!」
もうちょっとその腕の中にいたかったが、如何せんここは廊下なのである。
誰がくるかわからない状況に緊張の高まった和泉は我慢できなくなり、吉原の腕から抜け出した。
残念そうな顔をする吉原だったが、頬を赤くしてご飯ご飯と煩い和泉を見て破顔するのも確か。
最近、思うように会えなかったし、吉原自身も避けていた節があるので偶然得た時間を思う存分堪能しよう。
ちょっとぐらい触らせてもらってもバチは当たらないだろう。
吉原はそう思いながら和泉を自分の部屋へと誘った。
吉原の一歩後ろ、楽しそうに会話する和泉。
思っていたよりも普通だな、と思いながら歩く吉原に小さな衝撃。
不意に引かれた服の裾。
目線をそこにずらせば服の裾を、指三本程度でちょっと摘んでいる和泉の姿が映った。
そんな些細なことでも恥ずかしいのか、俯いたまま顔を上げない和泉。
そういうところが、堪らなく愛おしいのだ。
吉原は小さく笑うと、和泉の手を裾から外させ、その手をぎゅっと握った。
「服、伸びるから。次からはちゃんと手ぇ握れよ?」
「……や」
「じゃあ仕方ねえ、オレ様から握ってやろう」
「う、うん。握られてやってもいーよ」
「はは、なあ、蓮、つーかなに食べたいんだっけ?」
「え、あ、えー……と、あ! フレンチトースト! アイス乗ってるの!」
「アイス〜!? あったっけ」
「絶対アイス乗ってるやつが良い! 蜂蜜も!」
「へえへえ、お子様だな」
「よっしーも十分お子様だろ!」
他愛もない話をしながら二人は吉原の部屋へと向かう。
道中、和泉がハーゲンダッツ以外は認めないと言ったため寮内にあるコンビニに寄ってから部屋の中へと入った。
その間、ずっと手を離す気配がなかった吉原に和泉は内心どきどきしっぱなしのままだったのである。
部屋について直ぐソファに寝転ぶ和泉と違い、吉原はアイスを冷凍庫に入れるとフレンチトーストの準備に取り掛かった。
和泉のために料理をしてやるのはいつ振りだろうか。
パンを浸すのに時間がかかるので、その合間を縫って吉原もソファに向かった。
「れーん」
ソファにうつ伏せになって寝転んでいる和泉。
拗ねている訳ではなさそうなので、吉原はその前にしゃがみこむと髪の毛を緩く撫ぜた。
優しい感触に和泉はゆっくり吉原の方に顔を向けると、少し尖らせた口で出迎えてくれた。
「そんな顔すんなよ、不細工になってるぞ」
「俺、顔は可愛いし、不細工じゃない」
「まあ可愛いけど、どーしてそんな顔すんだよ。寂しかったんだろ?」
「……ち、ちが」
「オレは寂しかったけどな」
「……お、俺だ、だって、……ちょっと、寂しかった。あ、でも、ほんとちょっとだから!」
頬を染めて否定しても信憑性のない話だ。
恥ずかしいことはまだ慣れないのか、慌てた様子で言う和泉に吉原は笑った。
それと同時に湧き上がる欲に我慢をするのをやめ、吉原は和泉の後頭部を引き寄せると唇を重ねた。
付き合った当初は何度もキスや抱擁をして良いかと尋ねていたが、付き合ったのだから許可はいらないと和泉に言われて以来、自分がしたいときにするようになった。
和泉がしたいな、と思うことはまだ少ないが、たまに思うこともあるのだ。
その小さなサインを吉原は見つけて、自分から行動に移す。
まだまだ素直になれない和泉は自分の想いも、したいことも、言わないのだから吉原が見つけるしかない。
今のキスは完全に吉原がただしたかっただけなので、急にされた和泉は驚いていた。
「ン、……っ」
軽いキスで終わると思っていた和泉は、口内に侵入してきた吉原の舌に身体がびくりと跳ねた。
覆い被さるようにキスをされている所為で反抗さえできないのだ。
押しのけようと手に力を入れるものの、舌で蹂躙されてしまえば経験の少ない和泉は逆らえる術を失う。
何度も角度を変えて深い口付けをする吉原。
段々と自分の舌が追いつくようになれば身体が違和感を覚える。
むずむずして、もっとしてほしいような感覚。
和泉は知らず知らずの内に腕を吉原の首に巻きつけると、甘えたように身体を寄せた。
「れ、ん……?」
唇をほんの少し離して問いかければ、和泉は伏せた睫を上に上げた。
瞳の中に宿る色に気付いたのは吉原だけじゃなく、和泉自身も気付いていた。
今なら素直に甘えることができるかもしれない。
和泉はもう一度睫を伏せると、震える唇を吉原の唇に重ねた。
覚束ない舌で吉原がしてくれたように中に侵入させると、ゆっくりと舌を絡ませる。
吉原は初めて和泉から深く求められているような気がして、抑え切れない本能のまま和泉を深くソファに縫い付けた。
甘くて蕩けるような雰囲気。
このまま溶けてしまうのだろうか、和泉がそう思った瞬間、予測のしないことが起きた。
派手に扉の開く音、聞き覚えのある声。
吉原と和泉は身体を大袈裟にびくつかせると慌てて距離をとった。
急いで玄関の方に視線を向けると、苦虫を噛み潰したような表情の水島と、きょとんとしている竜也の姿があった。
「……颯、お前ノックしろと言われなかったか?」
「本当にすまん! まさか和泉君がいるとは思わなくてだな……いや、すまん!」
「ったく、あーもー! ……で?」
「竜也が柳星に会いたいって言うから、だな……」
「ねえ、柳星〜遊ぼうよ〜! せっかく遊びにきたんだから! ……あれ? これなに? 僕も食べたい!」
ずかずかと中に入ってきた竜也は目聡くフレンチトーストの元を見つけると、瞳を輝かせて吉原に言った。
不機嫌になってしまった和泉の前で、どうして良いのかわからずに苦笑いを零す吉原。
不味いことをした、と顔色が悪くなった水島に詰め寄ったのは吉原ではなく、和泉だった。
にっこりと微笑むと水島の手を引き、竜也と吉原から距離をとる。
この場を邪魔した挙句、和泉の悩みの原因まで連れてきた水島。
悪くはないのだが、どうしても八つ当たりする人物が欲しかったのも事実だった。
「ちょっとどういうこと! 空気読めよ!」
「す、すまん……」
「第一かいちょーは甘すぎるんだよ! チワワの顔か俺の顔、どっちが好きなの!? 俺の方が弱いんでしょ!?」
身長差があるにも関わらず、水島の首元を掴むと和泉は上下に揺らした。
和泉の言う通り、和泉の顔に一番弱い水島はどうすることもできなくてただひたすら揺さぶられるだけ。
竜也は竜也でなにも知らないのでにこにこと笑みを浮かべ、吉原にご飯を強請っている。
進展しそうだった雰囲気もどこへやら、吉原は肩をがっくりと落とすと仕方なく竜也のためにもフレンチトーストを作ることにしたのだった。